高校騒動記〜三年生編〜


 ケンカの行方 2

//渡会直哉(わたらいなおや)//


 言った瞬間。

 彼女は、ひどく傷ついた表情をした。




「わーたらいー」
 低い声が背中を追いかけてくる。それが誰か、わかっているから、振り向かない。
 その用事もわかりすぎるほどわかっているから、相手にしない。
 昼休みが始まってまだ一分も経っていないのに、購買はすでに生徒であふれていた。その中にするりと入り込み、目当てのパンやおにぎりを物色する。
 と、隣りで惣菜パンを選んでいた七尾が顔を寄せてきた。
「……渡会、おめーなにかしたのかよ」
「なにが?」
「なにがって」
 七尾がふいに口をつぐんだ。そして、そろりそろりと背後を振り向く。
「……なにもねえんだったらなんで用もないのに住吉がついてくるよ」
「男一人残されていつも寂しかったんじゃねえの」
 七尾の視線の先には、たぶん、一人突っ立っている住吉がいる。
 と、目の前にいきなり腕が出てきた。それも二本。
 それぞれおにぎりを選び取ると、二本の腕はすぐに引っ込む。だが、傍らに立った存在は、消えない。
「そうだなー、まあ、住吉にはなにもしてねえのかもな」
 うんうんと頷きながら、野島が言えば。
「住吉には、な」
 ツナマヨを手の中で軽く投げながら森本がそう呟く。
 そして二人して含みのある視線を投げてきた。
「………」
 返事なんかしてやらない。適当におにぎりとパンをそれぞれ選んでレジに向かう。
 他の奴らもぞろぞろとそのあとをついてきた。
「どうせおまえがなにかしたんだろ? いいかげんあの空気の悪さなんとかしろよ」
 うるせえ七尾。
「まーった意地はってんだろ。しかも住吉の様子を見たところ今回はおまえが悪い?」
 俺のせいじゃねえ。
「向こうは意地を張ってるというよりも、へこんでるように見えたけどね」
 森本がボソッと耳元で言った。
 その一言に、ズン、と、深く落ち込む。
 そう。
 青海は、朝から、元気がなかった。……ように、見えた。
 いつもは、無駄なほど元気なのに――今日は妙におとなしいし。
 いや。
 昨日の俺の一言が原因だなんて――それは、いくらなんでもジイシキカジョーってもんだろ。もっと他に原因があったにきまってる。そう、家でなんかあったとか。
 ……俺のせいじゃ、ねえ。
 そう、思い込もうとしても――どうしても、胸のあたりが変な感じになるのは、なんでだ。
「渡会ー」
 いきなり目の前に腕が生えた。首に絡みつく。
 住吉だった。
 いつの間に購買を出たのか。いつの間にレジを済ませたのか。
 …なんにも覚えてねえ。でも俺の手には購買の袋がちゃんとある。
 ……どんだけへこんでんだよ、自分。
「こら、渡会。どこに意識飛ばしてるんだおまえは」
「ぐえ」
 いきなり首を絞められた。
 と思ったら、すぐに腕は外されて。そしてすぐ横に住吉の顔が現れる。
 眼が合って、反射的に顔をそらした。
「おい。」
 イヤ、つい。
「ついってなんだついって。そーかそーか、さすがにおまえも今回のことは悪いと思ってんだな」
「思ってねえし」
 悪いのは俺じゃねえ。あいつだ。
「おまえそれ本気で言ってるか?」
 ああ本気だ。本気だとも。
 住吉は沈黙した。
 でかい手でがしがしと頭をかいて。
 そしてその手で俺の襟首を掴む。
「んだよ」
 なにか文句あんのかよ。
 睨んだら、なぜかため息をつかれた。
「ほんっっっっとにおまえらはもう」
「はあ?」
 いきなりなにを言い出すんだ。とか思ったら。
「ホントにしょうがねえなー」
 いきなり背中をドンと押された。この声は、七尾か?
 右から伸びてきた腕が右腕を掴んでくる。左からは、左腕を。
 後ろに七尾。右には野島。左には森本。
 そして、目の前には、住吉。
「……なんのマネだよ」
「や」とか言って、住吉は俺から手を離した。そして。
「そうだな、今日は天気もいいことだし、久々に屋上トークといこうじゃないか」
 は?
「そうしまショウそうしまショウってことで、ほれ行くぞ!」
 言って野島が俺の腕を掴んだまま歩き出す。同時に森本も。
 ドン、と背中を突かれて、体が泳いだ。
 …これは。
 もしかしなくても。
「………おまえら、謀ったな」
 とたん。
 全員が、森本までも、ニヤリと、人の悪い笑みを浮かべた。




 屋上に来るのは久しぶりだった。
 さすがにもう山桜も散ってしまっていて、眼に映るのは山の新緑と、耕された畑と点在する家の屋根。
 吹く風は緑の匂いがするようで、気持ちいい。
 ――はず、なの、だが。
 ……なんでこんなに居心地が悪いんだろーな、オイ。
「俺だって野郎だけでメシなんか食いたくねえよ」
 野島がどこかすさんだ顔でそう言い捨て、住吉が大きく頷く。
「んで。俺になんか用かよ」
「なんの用かなんて、とっくにわかってるんだろ」
 森本が相変わらずそっけなく言う。
 ああそうだよ、わかってるよ。
 けどな。
「……おまえらには関係ねぇ」
 言ったとたん。
「俺にはある」
 住吉に即答された。
 反射的に睨みつけると、住吉は俺の視線を真っ直ぐに受け止め、見返してくる。
「おまえらがケンカすると毎回毎回とばっちりが俺にくるんだ」
「知るかよ、そんなこと。だいたい、今回は俺は悪くねぇ」
 そうだ。
 大体、あいつが、あんなことを言うから。
 練習を――大城を、見にきたりするから。
 だから。
「それがなぁ」
 住吉の声で思考が中断された。
 見ると、住吉は困ったように笑って、太い首をかしげている。
「詩織は、なんでおまえにいきなりあんなこと言われたのか、さっぱりわかってないし。一方的に拒絶されたって、えらくへこんでる」
 それこそ俺の知ったことじゃねえよ。
 だいたい、あいつ、なんなんだ。
「あいつ、気が多すぎ。大城のことカッコイイとかぬかしやがるし、向井の弟にだって…」
 そう、あいつ。あのガキ。
 あいつも腹立つ。
 いちいちいちいち三年の教室にまできやがって。青海にやたらべたべたして。
 しかも腹が立つのが、青海が、あいつにはずいぶん気を許してるってことだ。
「おまえって男がいるのになぁ」
 さっさとメシを食い終えた野島が、くつろいだ様子でのんびりと言った。
「そうだよ、俺がいるのに―――…………」
 ……マテ。
 俺今なに言った。
 なんて言った。
 ふと目の前を見れば、みな一様に、ニヤニヤと笑って俺を見ている。
 腹ン中が一気に沸騰して、頭が真っ白になった。
「〜〜〜ッッなっ、ナシ!! 今のナシ! 俺なにも言ってねえ!!」
「いーや言った。俺は聞いた」
「俺も聞いた。立派な嫉妬だったな」
 さらに追い討ちをかけたのは七尾と住吉。
「だああ〜〜〜〜〜ッッ!!」
 穴があったら入りたい。
 むしろ敷石引っぺがして穴を掘ってでも埋まりたい。
 というか自分で自分を抹殺したい。今すぐ。ただちに。
「俺はなにも言ってねぇ! おまえらもなにも聞いてねえ!」
「ハイハイそういうことにしとこーか」
 小指で耳をほじりながら野島が薄笑いを浮かべて声を投げてくる。
「言ってねえ!!」
「あーはいはい」
 奴らは相変わらずニヤニヤ笑ってる。
 ……一生の恥だ。
 くそう。
 帰る。
 俺はもう帰る。
「こらこら待て待て、話はまだ終わってねえ」
「離せ野島俺は帰る」
「だから待てって」
 ぐ、と、襟をつかまれたかと思ったら、足首に衝撃がきて一瞬後には世界が回っていた。
 春の空が視界いっぱいに広がって。
 そして背中に固い感触。
 足を払われた、と気づいたのは、空を切り取るように野島の顔が現れてからだった。
「どうよ、柔道部にスカウトされかけた俺様の技の切れは」
「…確かそれで“俺はノーマルだ”とか叫びながらたった二名の柔道部員をぼこぼこにのして高笑いしながら帰ってったんだよなお前」
 言ってやると、野島は眼を丸くした。
「なんだ、よく知ってるな」
 ああよく知ってるとも。その二名の片割れは俺の中学からの悪友だったからな。シロートにやられたって散々泣きつかれてフォローが大変だったんだぞこんにゃろ。
「いやでもな。たった二人で俺様にケンカ売ってきた向こうが悪いんだぜ? こんな平和な学校の奴らに俺が負けるかよ、こちとらガキのころから兄貴連中に鍛え上げられてきたんでい」
 なぜに江戸っ子。
「…どんな兄弟だよ」
 七尾がぼそりと突っ込んだが、野島には届いていない。
 住吉の手を借りて上体を起こすと、えらそうに笑っている野島の顔を睨みつける。
「で、まだなにかあんのかよ」
 おう。と、野島はぴたりと笑いやんだ。
 芝居がかった仕草で空をあおぎ、胸に手なんかあてて。
「それではここでおもむろに。プロフェッサーノジマによる、青少年の青少年による青少年のためのレンアイッ講座〜〜イェァ!」
 ………うわぁ。
 ひいた。
 ひいたぞ思い切り。
 住吉も七尾も森本も、みんなひいてるし。
 野島は一人自己トースイしている。誰かこいつのこのセーカクをなんとかしてくれ。マジで。
 と、野島がおもむろに硬直した俺の肩に手を置いた。
「そこで悩める少年Aに質問です」
「犯罪者か俺は」
 野島は聞かない。周りの冷たい視線もなんのその、薄笑いを浮かべて俺ににじり寄ってくる。
 マジで怖ェ。おまえ怖ェよ。
「少女Bこと青海嬢の言動に、どこか覚えはないデスカ?」
「覚えぇ〜?」
 なんのことだよ。
 ふむ、と、野島はないメガネを持ち上げる仕草をした。
「言い換えますと。青海嬢の言動と自分の言動の関連性を百字で述べよ」
「言い換えてねえし!」
 よけいわけわからん。
 青海と、俺の、関係? 俺らの言動がどうしたって?
 と、ハタと住吉が膝を叩いた。
「ああ! なんだ、そういうことか」
 なにが。
 森本と七尾までも、「ああ、ナルホド」と納得顔で頷いていたりする。
 だから、なにが。
 大仰なため息をつきながら野島が首を振る。
「しょうがねえなぁ。しょうがねえからわからんちんにはプロフェッサー自らがヒントを差し上げまっショウ」
 いらねえ、とは、なぜか言い出せなかった。
 ビシ、と立てられた野島のひとさし指が目の前に迫る。
「去年のことをよーっく思い出してクダサイ」
 去年?
「思い出せますか思い出しましたかー? ンでは、次に。にぶちん渡会がカルメン西岡に情熱的に言い寄られていたシーンを思い出してクダサイ」
「か、カルメン? なんだったっけそれ。カルメラ? ちがうか」
 なんてボケを飛ばす七尾の横で、森本が妙に感心した表情で野島を見ている。
「意外な知識があるね、野島」
「ストーリーだけならばっちりよ。兄嫁にさんざん語られてもう耳タコよ」
 カルメン、って、なんか映画かなんかだったっけか?
 いや、そうじゃなくて。
「なんでんなことしなきゃなんねんだよ」
 あんときのことはあんまり思い出したくねえんだけど。イロイロあったし。
「いいから思い出せ。思い出したか? 思い出したな? ンじゃ次だ」
 野島が薄っぺらい胸をそらした。強風が吹いたら飛んでいくんじゃないか、こいつ。
 そんなことを考えているとはまったく知らない野島が、やたらえらそうに言い放った。
「では。ドン・渡会がカルメン西岡に言い寄られてべたべたされているとき、青海嬢は一体どんな態度をとっていましたかー?」
 どんな態度……って言われても………。
「なんか冷たかったような…。あと機嫌が悪くって? 厭味結構言われたな、そういや」
「なんっでそれで気づかないんだよおまえ」
「は?」
 振り向くと、七尾は住吉に口を抑えられてじたばたもがいていた。なんなんだ今の。
「ハイこっち注目ー」
 その声で、七尾から野島に顔を戻す。
「それじゃあ次。昨日の自分の青海嬢に対する態度をよーく思い出してみてクダサイ」
 ……俺?
「…や、なんか、腹立ってたし……わりと冷たい態度とかとってたかも」
「厭味は」
「一つや二つは言ってたな」
「機嫌は?」
「サイテー」
 ふむ、と野島は頷く。そして俺の肩に手を置いた。
「以上のことから導き出される結論は?」
「……“俺は意外と嫉妬深い”?」
 ダメじゃん。
 そんな呟きが七尾と野島の口から同時に漏れた。
「あーもう渡会おまえ頭悪すぎ! あほすぎ! 鈍すぎ!」
「七尾にあほって言われたくねぇな」
 いつも赤点ぎりぎりの癖に。赤座布団に毎回怯えてる分際で、誰に物言ってんだこら。
「おまえ頭は悪くないのに……なんでこんなに鈍いかなぁ」
 住吉までもがそんなことを言う。
 ケンカなら買いますよいくらでも。
 森本がため息をついて、そして口を開いた。
「まず前提条件からして違ってるんだよ。渡会は、青海さんの気持ちは絶対に自分にはないと思い込んでる」
「思い込んでるもなにも、そうだろ?」
 言ったとたん、全員に妙な顔で首を振られた。
「去年の青海さんの態度と、昨日の渡会の態度に、共通点を見出せないか?」
 共通点?
「共通っつったら………冷たい態度、とか……厭味、言ったり………」
 ………共通点、見つけた。
 見つけた、けど。ちょっと待て。
 いいから待て。
 ここで気になるのは、どうしても気になるのは、その言動の裏に隠れた感情。隠された、感情。
 ……いやいやいやいや。期待は、しちゃだめだ。
 下手に期待してあとで惨めな重いするのは俺なんだから。
 だから、期待はするな。
「まあ否定するも素直に受け取るもおまえ次第だがな。ひとつだけ言っとくと、詩織、昨日、大城を見に行ったんじゃないからな」
 住吉の言葉が、心のダムに穴をあけていく。
 だから、期待させんなって!
「青海さんって、結構わかりやすいよ。渡会もかなりのものだけど……いくら渡会でも、見てればなにか気づくと思う」
 いくら俺うんぬんって所は置いておいて。
 だから、期待はさせるなって。
「ちなみに詩織にとって勇理はただの“友達の弟”だ。それ以上ではないぞ」
 …だから、期待は。
「今年は修学旅行もあるんだし? 泊まりで旅行だぜ? しかも同じクラス。これを利用しない手はないよな男なら!」
 ……だから。
「だいたいおまえら文化祭のあとしばらくいい雰囲気だっただろ? 向こうにもそれなりの好意がなきゃああはならないぜ」
 ………期待、する。
 してやるさ。
 期待させたいんだろおまえら。
 ポン、と、七尾が肩を叩いてきた。
「骨は拾ってやるからな!」
「いきなり不吉なこと言うなよちくしょー!」
 頼むから今はよけいなこと言わずに励ませよ!
 バン、と、力強く背中を叩かれる、
 この感触は住吉か。
「まあ、ぶつかるだけぶつかってこい! とろとろしてると横から掻っ攫われるぞ!」
「あのガキとかに?」
「そのガキにだ。勇理の奴、あれで結構真剣だからな。年季も入ってるし」
 年季。
「何年だ?」
「小学校入学前からだから――ほぼ10年近いな。初恋詩織でいまだに継続中らしい」
 ……マジすか。
「ある意味執念感じるなー。あのガキならもてそうなのに」
 七尾はのんきなものだ。
 住吉が俺の顔を覗き込んでくる。その眼には明らかに愉悦の色が浮かんでいる。
「強敵か?」
 愉しそうだなオイ。
「全然。敵にすらならねぇな」
 半分虚勢、半分本音。
 大丈夫。あいつは俺の敵じゃない。
 そうか、と、住吉が大きく破顔した。
「じゃあ、まずは詩織の機嫌をなんとかせんとな。がんばって謝ってこい!」
 ………そのイベントがあったか。
 やべぇよ。
 今朝から青海、本気で雰囲気違ってたし。
 近づいたら、蹴り倒されそうな感じだったし。
「……住吉大明神サマ」
「俺は知らんぞ。自分でなんとかするんだろ」
 イヤそう言わず。
 少し口利いてくれるだけでいいから。
「い・や・だ。自分でやれ」
 きっぱり言って、背を向けられる。広い背中は真っ直ぐ屋上のドアに向かって遠ざかっていく。
 周囲を見ると、ささっとすばやく視線をそらされた。
「さーて帰るべ帰るべ」
「うあー、次の授業だりーなぁ」
「…しまった、図書館に行き損ねた」
 ぞろぞろと屋上を出て行く奴ら。
 くそー。この薄情軍団め。
 仕方なく、空を見上げる。
 柔らかな青が目にしみる。
 ……しょーがねえ。


「根性、据えるか」


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