−prologue−
胸の奥深く、刻み込まれた言葉がある。
たった一言。
何気無い、一言。
よくよく振り返ってみると、その一言が、あたしのそれからの人生を決定的に方向付けてしまったような気がする。
それほど、重い一言だった。
◇◇◇◇
寒い日だった。
すっかり葉を落としたイチョウの木の下、湿った落ち葉の感触が妙に気持ち悪かったことを覚えている。
建物から覗く沈みかけている太陽を目の端に捉えながら、眼の前の男に声をかけた。
「……ねえ、話ってなんなの? 寒いしさ、中に入って話そうよ」
足元から這い上がってくるような冷気に思わず震えが走った。こんな薄いストッキングなんかはくんじゃなかったと、今更ながらに後悔する。
眼の前の男は、何度か言葉を濁したあと、ポツリ、と声を落とした。
「――わかれようか」
「――――は?」
なにを言われたのかわからず、香奈はただ目を丸くした。
今、なにを言った?
なにを言われた?
頭が真っ白になった。
なにも考えられず、ただぽかんと口を開く香奈に向かって、男はさらに続けた。
「なんかさ…思ってたのと、違うんだよ。お前って、ちょっと男らしいだけだと思ってたんだけど………」
だけど、なに。
訊きたくても、口が動かない。
凍りついたように、身体が動かない。
目はただ、動く男の口元だけを見つめる。
「俺、やっぱり、大口あけて笑う女は好きになれないよ…。そう言うわけで、ごめん! わかれよう!」
わかれよう。って、言われても。
そんな、頭を思い切り下げられたりしたら、なにも言えなくなるじゃないか。
香奈はかすかに口を動かした。声が、出る。
硬直していた腕をぎこちなく動かして、肩にかかる髪をかきあげた。
「あ…そ、っか。そう、だよね。やっぱ、こんな女、いやだよね」
とたんに慌てたように顔を上げて、男は言い添える。
「いや、そういうこと言ってんじゃなくて! お前ってホントいい奴だと思うよ。さっぱりしてるし、飾らないし。――でも、やっぱりオンナとしては見れないっていうか」
とどのつまりは、オトモダチでいましょう、と。
胸にはぽっかりとおおきな穴が空いている。
傷ついた、などという言葉ではすまないほどの、穴。
「こんなことになっちゃったけどさ…その、お前とは気まずくなりたくないんだ。勝手な言い分だってことはわかってるんだけど……今までどおりに、友達として、やっていけないかな」
なんて身勝手な言い分。
しかし、香奈は微笑んだ。
精一杯の笑顔で、言った。
「――うん。わかった。明日からは、ただの友達に、戻ろう」
男は心底ほっとした表情になった。
日が暮れる。
すっかり葉を落としたイチョウが影になるまでにはそう時間はかからない。
男が去っていった方角を見つめて、香奈は息を吐き出した。
白い塊が顔の前に現れ、すぐに散っていく。
自嘲気味な笑みが口元に浮かんだ。
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