NIGHT GAME 一章十一話 真夜中の会談
 土曜日。ナンは文句も言わず、待ち合わせの場所にやってきた。さすがに真剣な表情の 三人を見て、ちらりと笑う。
「気張ってるね」
「そりゃまあ、さすがにね」
 この状況で気楽に笑えるほど、三人は能天気ではない。成一の言葉にまた笑うと、ナン は万真の背中を叩いて言った。
「あたしにできることがあったら言いなよ」
 誠意溢れる言葉を聞いて、万真の胸の奥が熱くなった。ナンの腕にしがみついて、柔ら かなそれに顔を推しつけて、万真は言った。
「おねえちゃん」
「……あのな」
「姐御」
 千里までもがそんなことを言う。
 精神的に弱っている時に、人の温かみほど嬉しいものはない。ましてや情愛に満ちた言 葉ならなおさらありがたい。
「その言葉だけで十分です」
 笑顔になった成一を見て、ナンは困ったように笑った。
「自分たちでカタをつけるって顔だね」
 三人は顔を見合わせると、真剣な顔に決意に満ちた笑顔を浮かべて頷いた。
 万真はようやくナンの腕を放すと、目の前で揺らめいている陽炎を睨んだ。油膜の向こ うは暗く、心もとなげな灯りが転々と灯っている。
「いざ、出陣」
 芝居がかった科白とともに成一が足を踏み出した。
 油膜に四人が吸い込まれる。
 見るものがいたら、四人の姿が不意に掻き消えたように見えただろう。
 だが細い路地を通りかかる人間はなく、一匹のネコが四人が消えた場所を不審そうに見 上げているだけだった。


 その公園には、相変わらず人気がなかった。ブランコはこそりとも音を立てず、シーソ ーが不安定なバランスを保っている。
 公園内を油断なく見回して、千里はさりげなく口を開いた。
「まだ十一時まであと五分もあるぞ」
 その声に応えるように、公園の隅にある木の影、街灯の届かない暗がりの中から人影が 現れた。人影は木の陰から出てこようとはしない。
「でてこいよ、シャドウ。顔ぐらい見せろ」
 挑発するような千里の言葉にもかかわらず、人影は動かない。代わりに声だけが届いた。
「その必要はない。この場でも十分話はできる」
 成一は舌打ちした。千里は表情こそ変えないものの、内心苦々しく思っている。
 こちらだけが一方的に姿を見られていることへの不安、そして屈辱感。
 拳を握り締めて昂ぶる気持ちを押さえると、千里は務めて静かな声で、言った。
「指輪を返してくれ」
「ただで、か?」
 三人の顔色が一気に変わる様子に、シャドウの口から低い声が漏れた。笑っているのだ。
「殺気を撒き散らして、力ずくで取り返すか? こちらはひとりだ。そちらには――カマ イタチもいるようだが」
「あの人は関係ない」
 背後の気配を感じ取って、万真はすぐに言った。
 身動きしたナンは、万真の視線を受けて軽く肩をすくめ、公園の入り口に戻る。だがそ こから立ち去ろうとはしない。
 拳を色が変わるほどに強く握り締めて、万真は問い掛けた。
「条件は」
「簡単なことだ。METHに加わるか否か」
「断る!」
 万真と千里、二つの口が同時に動く。シャドウの笑い声が、低く、耳障りな音となって 耳に飛び込んでくる。不快、という一言に尽きるその音に、神経がささくれる。
「拒否するのなら、この指輪は二度とお前たちには返らない」
 三人の返答はない。無言で、視線だけで射殺すほど強い瞳で、闇に佇む人影を睨みつけ る。言葉よりも雄弁に、その瞳が、その表情が、三人の気持ちを語っていた。
「…気に入らんな、その眼。どうあってもMETHには入らない、と?」
「ああ」
 千里の声は低く、だがはっきりと暗闇を突き抜ける。
「この指輪がどうなってもいいんだな」
「やれるもんならやってみろよ」
 千里の声には、その瞳と同様凍りつくような冷気をともなっている。大のおとなすらす くみあがらせる苛烈な光に、人影が戸惑ったようにかすかに揺れた。
「そこまでするほどのものとは思えんが」
「母の形見だ」
 呟くように、万真は言った。
 静かな声は、だが、それ以上に静まり返った公園の中、むしろ大きく響く。
「替えなんかない」
 同情を買おうとか、哀れを誘おうとか、そういう考えはまったくなかった。万真の声は むしろ無感動で、無愛想だった。
 成一の手が肩に触れる。触れたそこから温かみが伝わってきて、万真の震えが止まった。 手のひらからゆっくりと力を抜いていき、地面に落としていた瞳を上げてシャドウを睨み つける。
 その時、人影が動いた。
 街灯の光に照らされて、なにかが弧を描いて万真の足元に落ちる。
 カシャ、と小さな音がした。
 万真はとっさに口が聞けなかった。それは他の二人も同様で、呆然として万真の足元の 鎖を見つめる。
 ゆっくりと手を伸ばして、万真は鎖を手のひらに乗せた。
 銀の鎖に絡まっているのは一つの指輪。
 傷つきひしゃげた、だが大切な指輪だった。
「なんで……」
 続きは声にならなかった。ただ、戸惑った瞳で人影をみつめた。
「交換条件だ」
 無感動な声が響く。冷たい響きは、万真の困惑を深める。
「Night Gameの管理人に、あるゲームを提案した」
「ゲーム?」
 眉をひそめてナンが尋ねる。困惑と不審が、ありありと声に含まれている。
「生死を賭けたサバイバルゲームだ。鍵も鬼も関係ない。勝者は、この世界の覇権を握る」
「なっ」
 声をあげかけたナンを押さえつけるように、シャドウはさらに声をなげた。
「君たちもそれに参加しろ。――これが、交換条件だ」
 つばを飲み込み、成一がかすれた声を発した。
「……もし、参加しなかったら?」
「それは君たちの良心にかかっているといってもいい。そこまでくだらない人間だとは思 っていないがな」
「きたねえな」
「なんとでも言え。君たちはすでに指輪を受け取った。その意味がわからないほど、愚か ではないだろう」
 三人は答えない。なにも言えないのだ。事態の変化に、頭がついていかない。
「カマイタチ。君も、ぜひ参加してくれ」
「はん。あたしはそこまで暇じゃない」
「このゲームが、この世界の覇権をかけたものだとしてもか?」
「あたしはそんなものには興味ない。あんたと違ってね」
「君は、そうだろう」
 ナンは眉をひそめた。
「…あんた、なにを知ってる」
「なにも知らないさ。君がこの世界に固執している理由も、なにも。――参加するかしな いかは、もちろん君の自由だが」
 ナンは舌打ちした。
「いけ好かない男だね」
「光栄だな」
 二人のやり取りを黙って聞いていた三人は、顔を見合わせてお互いの表情を探る。
 言葉はなくても、お互いの意を汲み取るには、それだけで十分だった。
 二人の舌戦がやんだころあいを見計らって、千里はシャドウに問い掛けた。
「ゲームの開始日時は」
「それを決めるのは俺じゃない。そのうち、ホームページ上で告知があるだろう」
「ゲームが行われるのは、確定なのか」
「ほぼ確定だと言ってもいいだろう。管理人はずいぶん乗り気のようだったからな」
 声が遠ざかる。シャドウが去りつつあるのだ。
 再び顔を見合わせた時、消えかけていたシャドウの声が響いた。
「管理人が興味深いことを言っていたよ」
 なんとなくそちらに目を向ける。木の下には、再び人影が立っていた。
「……神威の三人を、必ず参加させるように、と。神威と言うのは君たちのことか? ず いぶん有名人のようだな」
 三人は眉をひそめた。なんだ、それは。
 人影が消える。今度は、姿を現すことはなかった。
 沈黙が下りた公園に、さやかな風が吹き抜ける。
 顔を見合わせて、互いの顔に困惑を見出す。
 足音にそちらを見ると、ナンが苦い表情で地面をみつめていた。
「ナンさん……」
 万真の声に顔を上げ、ナンは表情を和らげる。
「妙なことになっちゃったね」
「ナンさんは、参加するの…?」
 ナンは答えなかった。苦い表情で、宙を睨みつけている。
「なんっか、おもしろくねーな」
 荒々しく言ったのは成一で、右手の拳を左手に打ち付けている。
「あいつの手のひらで踊らされてる気がする」
「事実、踊らされてるんだろうな」
「チッ」
 舌打ちして、成一は宙を打ち付けた。ピシッと拳が空気を斬る音がした。
 苛立ちを押さえようともしない千里と成一の間で、万真はひとり指輪をみつめていた。
 大切そうに手のひらに包み込んだ指輪から目を離さずに、ぽつりと呟く。
「なんで返してくれたんだろ…」
 それもあんなにあっけなく。
 正直、ひとりで来るとは思わなかった。少なくとも、あの青年ぐらいは連れてくると思 っていた。それがたった一人でやってきて、あげくこんなにあっさりと指輪を返してくれ た。
 よくわからない人物だ。
 だが、それでも――、万真の言葉に、かすかに反応したと思ったのは気のせいなのだろ うか。
 同情を引いたとは思えない。わずかな付き合いしかないが、そう言う人間ではない、と 思う。
 では、初めから返してくれるつもりだったのだろうか。
 それも、わからない。
(どういう人なんだろう、シャドウって)
 内心首を傾げている間に、二人の怒りも収まってきたらしい。しきりに地面を蹴りつけ ながら、成一がいきまいた。
「ああ言われたら参加するしかねえだろうが! ああクソッ腹が立つ!」
「あんな人間に見下されるほど不愉快なことはないな」
 鼻の頭にしわを寄せて千里が吐き捨てる。
 視線を受けて、万真は指輪を見た。
「……指輪は、返してもらったから……」
 一瞬唇をかんで、すぐに顔を上げる。そこにはすでに迷いの色はない。
「ああまで言われて引き下がれるか!」
 卑怯者だと、謗られることだけはがまんできない。それもあんな男に。
「立ち直りが早いね、あんたたちは」
 微笑んで言ったナンの言葉に、照れもせずに成一は胸を張って言った。
「それしか取り得がないからな!」
「お前だけだろ」
「一と一緒にしないでよ」
 即座に言われて、さすがに傷ついた色を浮かべる。
 そんな三人の様子を微笑んで見守っていたナンが不意に身動きした。携帯を取り出して なにやらしていたナンが、溜息をついて首を振る。
 不審そうにその様子を窺っていた三人に、ナンは肩をすくめて、言った。
「やられた。管理人が決断したよ。『重大ニュース発表、詳細はHPにて』だとさ」
「それってやっぱり、シャドウが言ってた…?」
 万真の言葉は、あっさりと肯定された。
「たぶんね。思ったよりも動きが早い」
 ナンの口調は苦々しい。
 前髪をかきあげて、ナンは三人を見やった。
「あんたたち、ゲームに参加するんならそれなりの心構えをしておきなよ。これまで見た いな中途半端なものじゃなくて、たぶん本格的なサバイバルゲームになるからね。あたし があんたたちについていられたらいいんだけど――」
 言葉を切って、ナンはふと苦笑した。
「あたしはあたしでやることがあるから、あんたたちに付き合ってはいられない」
 万真は慌てて首を振った。
「いいよ、ナンさん。そんなに気にしなくても。今までので十分感謝してるから」
 二人も頷く。
 前回と言い今回と言い、ナンにはいくら感謝してもし足りない。
 ごめんよ、そう言うと三人がプルプルと首を振ったので、ナンは軽く笑った。
 タバコを取り出して火をつけ、細く煙を吐き出すと、ナンは言った。
「今までの経験から言うとね、なるべく同盟関係を作ること。むやみに敵を作らない。そ れが生き残る秘訣だね」
 中には卑劣な人間もいるけれど、ここでは口約束でも立派な約束だ。そう言って、ナン はぽかりと丸く煙を吐き出した。
「あと、キーマンは、鬼だ」
 三人の顔を見据えて、続ける。
「シャドウはああ言ったけど、鬼はやはり段違いの力と影響力を持つ。チームに鬼がいる ってことだけで、ずいぶん違ってくるんだ」
 ちらりと成一を見て、ナンはにやっと笑った。
「成一のことはともかくとして、とりあえず鬼を味方に引き入れな」
「でも、そんなにごろごろしてるもんじゃねえんだろ」
 ごろごろしていたら、シャドウはあれほど成一に執着しまい。
 ナンは薄く笑った。
「今のところ、あんた以外に鬼だと言われているやつがひとりだけいる。幸い、そいつは どのチームにも属していない、一匹狼さ。そいつを味方に引き込めたら、ずいぶん楽にな るよ」
 成一は口を尖らせた。
「どうやって」
 ナンは笑う。先ほどとは違う、優しい笑顔だった。
「一度逢ってみればいい。あんたたちとそう年の変わらない男だよ。べつに仲間になれと は言わないけれど、話をするぐらいいいんじゃないか?」
 万真がことんと首を傾げた。
「ナンさん、知ってるの?」
「一度、あんたたちと同じように助けたことがある。やっぱりシャドウに追われててね。 それ以来、あたしとあの子は同盟関係みたいな感じかな」
 ふうん、と万真は曖昧に頷いた。
「逢うんなら早いほうがいいだろ。アポを取るぐらい構わないよ」
 どうする、と問われて、三人は首を傾げる。
 現状に対してどうしようもない今、ナンの薦めに従うのも悪くはないとも思えてくる。
「逢うぐらいなら」
 千里が代表してそう言うと、ナンはにっと笑った。
「オーケイ。じゃあ場所を変えよう。いつまでもここにいると、襲ってくれって行ってる ようなものだからね」



 高いビルの屋上に佇む一つの影があった。人影は身を翻し、背後に座り込んでいる人物 を見やる。
「なにやってんだ」
「…べつに」
 亮は拗ねた声で言って、ノートパソコンから手を離した。
 パソコンを覗き込んで、衛は眼をむく。
「お前、なに勝手にメール送信してんだよ!」
「どうせ送るつもりだったんだろ」
「だからって、こういうものは時期をわきまえて最高のタイミングで出すって決まってる のに」
「お前が決めたんだろ」
 亮の声は硬い。衛は溜息をついて、パソコンを閉じた。まだ怒っているらしい。
「確かに、管理人は俺たちみんなだけどな」
 だが、パソコンを一番扱えるのは衛だ。
「気に食わないな」
 突然衛の背後から声がかかった。
 宙に浮いたまま、慧は二人を見下ろす。
「シャドウの提案を受け入れたことか?」
 慧は頷いて、屋上に降り立った。
「交換条件は突きつけたぜ」
「お互い様だ。シャドウが俺たちを利用するように、俺たちだってあいつを利用してる」
 慧の言葉に顔を上げて、亮が言った。
「予想はしてただろ。そろそろ誰かがそういうことを言い出すって。『ゲーム』って形で宣言してくれて、むしろありがたいほうだ。少なくともこれで、住人の動きが一本化してくる。こっちから提案する手間が省けたんだ」
「まあな」
 頷いて、衛は慧に向かって肩をすくめてみせた。慧はひっそりと笑って、亮の前にしゃ がみこむ。
「いつもの調子が出てきたみたいだな」
「ぬかせ」
 言い返して、亮は二人の顔を見やる。そこにあるのは自信に溢れた表情。
「台風の目になるのは、鬼だ。衛」
「今のところ二人だ。ひとりは――あいつ。もうひとりが、例の新人」
「新人はともかく、やつは今どうしてる、慧」
 立てた片膝を抱え込むようにしていた慧が口を開いた。
「どのチームにも属する気はないと言ってる。パルチザンにも勧誘はしてるんだがな、ふ られてばかりだ」
「なるべく粘ってくれ。それで、新人のほうだが――」
 視線を受けて、衛が口を開いた。
「先週の土曜――いや、一月前まで遡っても、新たに登録されたチーム名は一組だけ。神 威だ。もちろん、その鬼が登録されていない可能性もある。だが、俺が視たものを考える と、鬼は神威の中にいる」
 慧と亮、二組の瞳が衛をみつめる。
「神威は千里たちにまちがいない。確認済みだ」
 チーム名を登録する時に、代表者のメールアドレスも登録することになっていた。もち ろん強制ではないが、神威の代表者は、律儀にアドレスを登録した。すぐにメンバーの人 数を問い合わせたところ、「三人」と返答が返ってきた。不審に思われるといけないのでそれ以上は問い詰めることはできなかったが、おそらくまちがいないと思われた。
「…じゃあ、あの三人の誰かが鬼なのか」
 亮が呟いた。
 それは奇妙な感覚だった。
 あの三人のうちの誰かが鬼――。
 信じられない、と言ってもいい。
「要注意人物だな」
 さらりと言った衛にきれいな瞳を向けて、慧は問い掛ける。
「その神威は、どうなった」
「ゲーム参加を承諾した。ついさっきだ」
「そうか」
 呟いた二つの声は、複雑な響きだった。
 ゲームに参加すると言うことは、それだけ危険が高くなると言うことだ。自ら求めてお きながらも、やはり後悔の気持ちも大きい。
 沈み込んだ二人を眺めて、衛は愛想のない声で言った。
「気にするな。俺たちがなにもしなくても、たぶん三人はゲームに参加していたさ。シャ ドウがずいぶん三人に執着しているみたいだったからな」
「執着? 鬼だからか?」
「さあ。それだけかどうかは、まだわからない」
 衛の言葉に不満そうに鼻を鳴らして、慧は膝を抱えたまま亮を見た。
「“パルチザン”としては、どう動く」
 亮の答えは簡潔だった。
「いつも通りさ。ゲームだからって、なにが変わるってわけでもないだろ」
「そうだな」
 衛も頷く。
 慧は立ち上がると、屋上の柵にもたれた。
「なにか変わったことがあったら呼んでくれ。俺は帰って寝る」
「夜更かしは美容の大敵だってか?」
 からかうような衛の声に、振り向きもせずに「そうだ」と答える。
「女か、お前は」
 衛の言葉に返事はなかった。慧の身体が宙に浮き、夜の闇に溶けるように遠ざかってい く。
 その姿を苦笑まじりに見送っていた衛は、声をかけられて表情を改めた。
「万真たちは、どうしてる?」
 眼鏡越しに、眼を細める。
「――この世界にはいない。たぶん、外に出たんだろう」
「そうか」
 頷いた亮の肩を叩いて、衛は笑った。
「俺たちも戻ろう。ここにはもう用はない」
 夜の闇は深く、その下の街は暗くさながら眠っているように静かだ。
 時折明るい花が咲いたように街の一角が明るくなるが、それに気づくものは誰もいない。

 朝がくるまで、夜の街は眠らない。

←BACKTOPNEXT→