夜の王国における非人道的な行為は、昨今ますますエスカレートしています。ここ半年
間の死者の数は、過去最高の三十六人になりました。
これ以上の被害を食い止めるために、また、王国内に一定の秩序を蘇らせるために、管
理人はあるゲームを提案します。
王国の覇権をかけたサバイバルゲーム。
勝者は王国を支配する、つまりゲームの参加不参加に関わらず、住人は勝者に従うこと
になります。したがって、すべての住人がゲームに参加することとなります。
ルール自体は、これまでと特に変わりません。
殺人は不可とします。殺人、またはそれに順ずる行為を行った場合、ペナルティが課さ
れます。
また、敗北を認めた場合、もしくはゲーム続行が不可能だと管理人が判断した場合、失
礼ながらHP上で敗北を告知させていただきます。敗北後も、王国内への出入りは自由で
す。
ゲームは七月二十日、日没と同時に開始されます。
ゲームのルールに関してなにか提案がある場合は、管理人までお寄せください。
Night Game HP 管理人
成一は唸った。彼の前の千里は、非常に難しい表情をしている。テーブルの上に置かれ
た磁器のカップの中はすでに空だ。
一声唸って、成一は眉間にしわを寄せたまま、言った。
「なんでこんなにえらそうなんだ、こいつは」
管理人とやらの言い分が、非常に癪に障るのだ。
「管理人って、HPの管理をするだけじゃないのか?」
「なんか、王国の管理もやってますって調子だぜ、これは」
言葉の端々に、まるで王国を管理し取り締まっているのは自分だと、そう言っている感
がある。
「シャドウといいこいつといい、気に食わないな」
「まったくだ」
成一は指先で黒いテーブルを叩く。店内に静かに流れていた曲が終わり、変わって物悲
しいメロディーが流れ出す。サティのジムノペディだ。
葉介はサティが好きらしい。
空のカップを指ではじいて、成一は呟いた。
「葉介さん、もっと明るい曲流してくれよ」
もちろん葉介には聞こえていない。聞かせるつもりもないのだが。
「店の雰囲気に合わせてるんだろ。それと、客層」
「庵」の客の平均年齢は四十。コーヒー専門店ということもあって、学生の姿はほとんど
なく、若くて大学生かそれ以上の主婦、そして対照的にシニアに人気がありご近所の一人
暮らしの老人たちのサロンと化すときもある。
成一は黒々と文字が印刷された紙を睨んで、鼻から息を吐き出した。成一はどちらかと
言えば女の子にもてそうな愛嬌のある顔立ちだが、眉間に刻まれた深いしわが今はそれを
打ち消している。千里は千里で、眉目秀麗とも表現できそうな顔を盛大にしかめていた。
そんな表情をしていても絵になる点が、千里と成一の大きな違いであるが、二人ともそん
なことは知らない。意識していない、とも言う。
日曜ということもあって、二人とも私服だ。Tシャツから伸びたしなやかな腕にはたく
ましい筋肉がつき、甘いマスクとは裏腹に二人ともそれなりのスポーツをやっていること
を物語っている。
「あーっ」
なにを思い出したか、成一が突然低く唸った。
成一が突然叫ぶのはいつものことなので、千里はまったく関心を払わない。
「師匠、怒ってるかなー。怒ってるよなー」
「あのおっさんが怒ってるのはいつものことだろ」
むしろ機嫌がいいときのほうが恐ろしい。怒っているときは、それはそれで恐ろしいの
ではあるが。
「先週は稽古に行ったんだ、たまにはサボっても誰も文句を言わないさ」
「言うって、確実に」
ぶつぶつ言う成一には取り合わず、千里は店内の置時計に目を向けた。
三時二十分。そろそろ出かける時間だ。
パタパタと軽い足音にそちらを見ると、万真がやってきた。デニムのシャツにジーンズ
のハーフパンツという、非常にラフな、また非常に女ッ気のない格好である。胸がないの
で、ともすれば少年に見間違えられかけない。
「いやまた、期待を裏切らないいでたちですな」
揶揄した成一は、すぐに千里に頭をはたかれることになった。
ナンに指定された待ち合わせ場所は、万真の家から歩いて三十分のところにあるゲーム
センターだった。付近の少年たちの溜まり場で、万真も時々遊びに行く。
適度なウォーキングを済まして店内に入り、にぎやかな騒音に生き生きと目を輝かせて、
成一が言った。
「この近所のやつってことかな、そいつ」
「かもね」
そんなことを言っている間に千里の姿が消えている。
いそいそと格闘ゲームのブースに消えて行く彼の背中を見送って、万真は苦笑した。
「好きだねー」
「ほんとにな」
と言いつつ二人はユーフォーキャッチャーの台に向かっている。
「あ、あれほしい」
「あん? あんなのがいいのか?」
万真が指差したのはサルのぬいぐるみだった。かわいらしいと言えなくもない。
万真の感性がよくわからなくて首を傾げる成一の横で、万真はすでにコインを投入して
ゲームをはじめている。が、なかなかうまくいかない。
「うーっ」
熱くなっている万真から、成一はこそこそと距離を置き始めた。目ざとくそれに気づい
た万真が危険な光を宿した瞳で成一を睨みつける。
「……一?」
「いや、俺、そういう系は苦手なもんで、パス」
「こういうときに『俺が取ってやるよ』って言える男はもてるんだよ」
もてるかどうかは知らないが、万真はそう言ってみた。すると成一は曖昧な笑みを浮か
べて首を振った。
「もてなくていいデス。――あっ、時間あるから、俺もちょっと遊んでくるわ。じゃな、
あんまり金スるなよ」
そう言い放つと、成一は逃げるようにしてゲーム機の方へと駆けて行った。
万真は顔をしかめると、再びぬいぐるみの山に向き直る。
なにがなんでもゲットしてやるという意気込みとともに、新たな硬貨を投入した。
万真が五回目の挑戦に失敗した時、店内に一人の男が入ってきた。
メーカーのロゴが入ったキャップを深くかぶっているため顔はよくわからないが、堅く
引き結ばれた口元から彼があまり愉快な気分ではないとわかる。
彼は店内を見回していたが、その視線が入り口近くにあるゲーム機に熱中しているひと
りの少女の上で止まった。少女は間抜けな顔をしたサルのぬいぐるみを取ろうと躍起にな
っているようだ。
彼はそんな彼女を興味深そうに眺めていたが、やがて視線をはずしてその横を通り過ぎ
た。
万真は傍らを過ぎていった人の気配にすら気づかないほど、ゲームに熱中していた。
サルののっぺりとした顔の中の赤い口がつりあがって見えるのは、気のせいではないは
ずだ。
七回目に失敗して、ようやく万真は諦めた。未練がましくサルを睨みつけてから、腕時
計に目を落とす。四時だ。
万真は入り口に目をやった。
誰も入ってこない。
「……遅れてるのかな」
とりあえず、目印代わりのキャップを取り出して頭の上に乗せると、万真は他の二人の
様子を見にゲーム機の方に足を向けた。
成一はすぐに見つかった。
万真と同じようにキャップをかぶって、嬉々とした表情でパンチングマシーンを殴って
いる。そこに表示された数字を見て、万真は呆れ返った。
「にひゃくぅ? 妖怪」
「わははっ。おまえもやるか?」
万真を振り返って、成一は目を丸くした。万真は両腕にぬいぐるみを抱えていたのだ。
「なんだ、取れてるじゃんか」
「サルがほしいのに…」
見ると、万真の腕の中にはサルがない。代わりに河童だの半魚人だの、わけのわからな
いものが収まっている。
「なんだそれ」
「知らない」
万真は成一にそれらのぬいぐるみを押し付けると、ぐるぐると腕を回しながら機械の前
に立った。
腰を落とし、次いで体重を乗せて拳を振り切る。
小気味のいい音とともにグローブが大きく後方へはじけた。
「六十九キロ。まあまあじゃねえか」
「あんたに言われたくない。あたしはスピードで勝負するのっ」
「スピードじゃあ、俺は負けるな」
成一の言葉に嘘はない。力はないが、万真は誰よりもすばやい。腕力のなさを補えるだ
けの瞬発力と敏捷性を持っているのだ。
気がすんだのか、成一はパンチングマシーンに背を向けると、入り口に向かって歩き出
した。入り口で待つつもりのようだ。
「誰か来たか?」
「さあ」
「さあってお前、そこにいたんだろ?」
「だって、夢中だったから」
成一は肩をすくめた。呆れた、ということらしかった。
五分ほど待っても、それらしい人はこない。時刻は四時十分になろうとしている。
「一、すっぽかされた。二、すでに店内にいる。三、俺たちに気づかずに帰ってしまった」
「二じゃないかなあ。ナンさんの口ぶりだと、すっぽかすような人には思えないし…」
「だなあ。じゃあ、やっぱりお前が見逃したんだ」
「……」
万真は入り口のドアガラスに「の」の字を書いた。それを言われると、返す言葉がない。
自分は遊んでいたくせに、と思わなくもないが、自分も遊んでいた手前強くいうことはで
きないのだ。
背の高い人物がこちらへやってきた。顔を隠しているキャップに一瞬二人の期待は高ま
ったが、それが見慣れた人物だとわかって失望に表情を暗くする。
「……人の顔見て、なんだその顔は」
「べつに。例のやつかと思っただけ」
そう答えて、成一は千里の顔をまじまじと見た。
「それよりなんだお前そのツラ。負けたのか?」
千里は顔をしかめた。
「あとひとりで十連勝だったんだよ」
悔しそうに吐き捨てる千里とは対照的に、成一の瞳は好奇心で輝き出す。
「へえ。おまえが負けるなんて、よっぽどの腕だな。どんなやつだよ」
「知らん。顔なんて見てない」
「リベンジするか?」
千里はしばし沈黙したあと、吐き捨てた。
「今は遊んでる場合じゃないだろ」
少々誘惑されたらしい。
「それより、例のやつはまだ来てないのかよ」
「みたいだね」
千里は眉をひそめる。
「すっぽかされたか?」
成一は天井を見た。
「さあなー。もう少し待つか?」
千里は難しい顔で頷く。
「まあ、ナンさんがわざわざ設定してくれたからな。あの人の顔を立てるって意味でも、
もう少し待とう」
そう言ったとき、千里の表情が動いた。ほぼ同時に万真と成一の表情も変わる。
キャップをかぶった男がひとり、こちらに歩いてきたのだ。
キャップに書かれたロゴを読んで、万真は傍らの千里の腕をつつく。
「あれかな」
「…さあ」
千里の答えは慎重だ。
男は三人の前までくると、立ち止まった。
大きめのつばの下からのぞく鋭い眼が三人を眺め回す。
「――神威か?」
三人は頷いて、キャップを取った。もうこれに用はない。
千里が静かに口を開く。
「話がしたい。いいか?」
短い沈黙のあと、男は頷き、キャップを取った。
現れた顔はまだ若く、ナンの言葉の通り三人とそう年は変わらない。
日に焼けた顔は千里に比べるとごつごつしているが、精悍と言えなくもない。そしてな
によりも、強い光を浮かべた瞳。鋭い眼が、三人を睨みつける。
その顔を見て、万真は小首を傾げた。
どこかで見たような気がする。そう、ごく最近に――――。
「あっ!」
声をあげた万真に視線が集中した。成一と千里は訝しげに、そして少年はどこか諦めた
ように、彼女を見やる。
「あー……えーと。えーと」
名前が出てこない。
あかさたなは、は、は……ひ、ひ――。
意味不明な言葉を発しつつ汗をかきながら悩むこと数秒。
万真はようやく答えを見出した。
「日向剛志!」
ビシイッと指を突きつけられ、日向は軽く溜息をついた。呆れ返った、という表情で、
こう言った。
「……クラスメイトの名前ぐらい覚えろ」
「クラスメイトの名前ぐらい覚えろよ」
成一に言われて、万真はぼそぼそと反論した。非常に気まずい。
「だって、あたし寝てるし」
「開き直んな」
まさしくその通り。人のことは言えない千里は沈黙しているし、日向は日向で口を開か
ない。と、その日向が、にこりともしないで言った。
「伊織が起きてるところなんてめったに見ないからな」
「……あー。その話題から離れようよー」
呟いて、万真はふと顔を上げた。不思議そうに日向を見やる。
「あたしの名前知ってるんだ」
日向は、やはり無愛想に頷いた。
「伊織はある意味有名人だ。いつも寝てるくせして、テストの点はいいって噂だし。体育
だけはかかさず出てるらしいしな」
事実である。だから万真は沈黙した。
体育だけはかかさず出るのは、体育の時間は眠れないから仕方なく出ているだけだ。テ
ストの点がいいのも、授業中寝ている分夜中に予習をしっかりやっているというだけのこ
とで、たいしたことはしていない。どうせ眠れないのだ、夜は有効に活用するのが、万真
である。
気まずい話題から逃れようとして、万真は慌てて口を開いた。
「日向…クンは、鬼なの?」
千里と成一も日向に視線を向ける。日向は壁にもたれて、こともなげに答えた。
「らしいな。METHの――シャドウってやつは、そう言ってる」
成一は顔をしかめた。
「またあいつか」
千里が口を開いた。
「表か裏か、どっちだ?」
「表らしい」
日向の声は淡々としていて、まるで他人事のようだ。その日向が、興味深そうに三人を
眺めた。
「このあいだ出た鬼っていうのは、お前らか?」
三人は顔を見合わせる。しぶしぶ成一は頷いた。
「シャドウが言うにはな」
成一と日向、二人の間に、共感とでも呼ぶべき奇妙な空気が流れた。
成一はしばし日向の無愛想な顔をみつめると、ぽんと彼の肩に両手を置いて、言った。
「同士!」
日向は無言である。成一はそんな彼には構わずに、とうとうとまくし立てた。
「わかる、わかるぜ! きっとあんたもあのヘンタイに追い掛け回され仲間になれだの勧
誘されて付きまとわれてきたんだなっ」
「あ、ああ…」
釣りこまれたように日向が頷く。
まだなにか言いたそうに瞳を輝かせている成一を日向から引き剥がして、千里は片手を
立てて謝った。
「すまん、コレは気にしないでくれ」
「い、いや、べつに」
日向は完全に気を呑まれている。千里は成一を黙らせると、話題を戻した。
「話って言うのはだな」
「簡単に言うと、同盟を組まないかってことだな」
瞬時に立ち直った成一が、千里の言葉の続きをさらった。そして日向がなにか言う前に
彼の手を取り、語りかける。
「お互い苦労しているもの同士、同盟をくまねえか。べつにそんなたいしたもんじゃなく
て、互助会的なもんなんだけどさ」
「互助会ってあんた」
万真の突っ込みは聞こえない。
「たぶんこれから、お互いいろんなところからお誘いが激しくなると思うんだよ。中には
シャドウみたいなやからもいるわけだろ。そういう場合にさ、お互い助け合おうぜーって
な話。うちのチームに入れとかそういうんじゃなくて、困った時はお互い様っていうか。
二人しかいない鬼じゃん。仲良く助け合おう!」
「一、落ち着け」
成一は日向の手を握り締めたまま千里を振り向いた。
「お前にゃ俺の気持ちはわかんねーよ。今まではシャドウだけだったからいいけど、きっ
とこれから指名手配犯よろしく追い掛け回されるんだぜ。鬼がキーマンだってことは、そ
う言うことなんだろ? かわいいねーちゃんならともかくいやよくねえけどむさくるしい
男に追い掛け回されるのはいやなんだよっ」
かなり論点がずれてきた。
成一は成一なりにいろいろと考えるところがあったらしい。
妙な迫力に圧倒されている日向に向き直って、成一は異常なまでの熱心さで駄目押しし
た。
「お互い助け合おうぜ、なッ」
とうとう日向は頷いた。
強引に承諾させた成一は、満面の笑みで日向の携帯電話の番号を聞いていたりする。
どっと疲れが出た気分で千里と万真は顔を見合わせた。
「…疲れたね」
「そうだな」
「のど渇かない?」
「渇くな」
頷いて、千里は成一と日向に声を投げた。
「飲み物買ってくるけど、なにがいい?」
「冷やし紅茶牛乳入りで」
「死ね。日向は?」
視線を受けて、日向は戸惑ったように千里を見返した。
「あ…じゃあ、ポカリ」
「りょーかい」
片手を振り上げて千里と万真が去って行ったのを見届けて、成一は肩の力を向いて日向
を見やった。
頬のあたりをかきながら、遠慮がちに尋ねる。
「あのさ、万真のことなんだけど。あいつってさ、学校でどんな感じ?」
日向は成一を見返した。
「うちの学校の生徒じゃないのか?」
成一は首を振る。
「うんにゃ。俺も千里も――」
言いかけて、まだ名乗っていなかったことに気づく。
「俺、水城成一、さっきの男が相馬千里」と自己紹介をして、続けた。
「條青高校」
「條青? 男子校の? 見えねえな」
驚いたように言う日向に、軽く首を傾げて見せる。
「そうか?」
「だってあんた、もてそうなのに」
成一は溜息をついた。
「それがさー、もてねえんだ。いっつも『イイヒト』で終わるんだよなあ。なんでだろ」
「あんた、伊織の彼氏じゃないのか?」
「違う違う。ただの友だち。幼なじみ」
即座に否定して、成一はちらりと日向を見やる。
「それで、万真のことなんだけど」
日向は少し考えて、口を開いた。
「いつも寝てる」
「…だよなー」
成一は溜息をつく。
「友だちとかは?」
日向は首をひねった。
「人としゃべってるところはあまり見ないな。寝てるから」
「……友だち、いねえのかなあ……」
「さあ、それは」
どうだろう、と言いかけて、成一の表情を見て口を閉じる。成一の顔に浮かんでいるの
は、後悔の表情だった。
「やっぱ俺、万真についてやったほうが良かったかなあ…。でも千里のほうが不安定だし
……」
長く溜息をつく。
成一は日向を見やると、小声で言った。
「万真って、わりと鈍いんだよ。なんて言うか、自分の痛みに鈍いんだ。だから、俺がフ
ォローできないぶん、あいつに気をつけてやってくれねえかな」
あんたにこんなこと頼む義理はないんだけど。
そう付け足して、成一は日向の顔色を窺った。
日向は困惑して成一の真剣な顔を見返す。
「? なにを言って…」
「万真さ、不眠症なんだ。夜眠れねえんだよ」
「不眠症?」
問い返した日向に頷いて、成一は続ける。
「睡眠障害って言うんだってさ。トラウマがあるんだ。だから、昼間に寝るしかないんだ。
あいつ、こんなこと人に説明するタイプじゃないから、きっとみんなあいつのこと誤解し
てると思うんだ」
「俺の口から説明しろって?」
成一は首を振った。
「そこまではいわねえ。でも、ひとりでも理解してくれる人間がいるってだけで、ずいぶ
ん気持ちは違うからさ。だから、あんたは万真の味方になってほしいんだ」
頼むよ、と成一は頭を下げて両手を顔の前で打ち合わせた。
困惑し、当惑してはいたが、日向はかろうじて頷いた。
「俺は女子に嫌われてるから、なにもできないぞ。それでいいんなら」
「気持ちだけでも十分だ。ありがとう」
成一が顔を上げたとき、ようやく二人が帰ってきた。即座に笑顔を浮かべて成一は二人
を見る。
「おっせーよ」
「ほらよ、冷やし牛乳紅茶」
「違う。冷やし紅茶牛乳入りだ」
「あほか」
千里は成一に缶を渡しながら冷たく言う。戸惑ってその様子を見ていた日向の目の前に、
結露したジュースの缶が差し出された。
「はい、ポカリ」
日向は一瞬少女の顔をみつめた。
能天気そうに笑っている。
「ああ。サンキュ」
「いえいえ」
万真は笑って手を振る。それこそなんの悩みもなさそうに、お気楽な表情で。
成一が缶を高く差し上げて、朗らかに言った。
「とりあえず、同盟成立を祝して、乾杯!」
四つの缶が音を立てて打ち合わされた。
コーヒーハウス「庵」のマスター伊織葉介は、最後の客を送り出したあと肩の力を抜い
て夜空を見上げる。
街が明るいため星はあまり見えないが、細い下弦の月が空の端に引っかかっていた。魔
女がブランコをしたら似合いそうな月だ。
姪にそう言うと、笑われた。
「葉ちゃんてロマンチストだよねー」
「そうかな」
苦笑してそう答えると、テーブルを拭いていた手を止めて、赤毛の青年までもが言う。
「自覚がないってところがな。ある意味すげえッス」
彼は「庵」で唯一の店員で、仲上弘行という。専門学校に通う傍ら「庵」でバイトをしてい
るのだ。
テーブルを拭き終えてカウンターに戻ってきた弘行は、カウンターに置かれたバスケッ
トの中に誇らしげに鎮座している一山のぬいぐるみを見て怪訝な顔になった。
「なんスかこれ」
「万真がゲーセンで取ってきたらしいよ」
「へー。また金の無駄遣いをして。いくらスッたんだか」
「うるさい!」
いやみを言っていた弘行の腰に蹴りを入れて、万真は口を尖らせる。
「八百円でこれだけ取れたら十分じゃない!」
弘行は今度はぬいぐるみの数を数え始めた。
「ふん。十一個か。まあまあだな、カズ坊にしたら」
「一言よけい」
顔をしかめる万真には取り合わず、弘行はぬいぐるみの顔を見て首を傾げる。
「どうでもいいけど、変なものばっかり取ってきたなあ。なんだこれ、河童か? おお。
昔なつかし半魚人」
「かわいいのもあるじゃないか。ネコに、イヌに…ああ、このサルはユーモラスな顔をし
てるね」
そうなのだ。
あのあと、ジュースのお礼にと、日向がサルを取ってくれた。どうやら万真が奮闘して
いるところを見ていたらしい。しかも彼は百円でサルだけでなくイヌやネコも同時にとっ
てくれた。傍らでそれを見ていた成一が思わず「プロだ」と言ってしまうほどの見事な腕
前だった。
さらにそのあと、日向が千里を倒した十人目の男だと判明すると、リベンジに燃えた千
里によって格闘ゲーム台に引きずって行かれ、気が済むまで対戦した。
久しぶりによく笑った半日だったと思う。千里や成一も、いつもよりもずっと楽しそう
だった。
思わず頬の緩んでいた万真は、ぽんと大きな手が頭に置かれてようやく我に返った。見
上げると、葉介が微笑みながら万真をみつめていた。
「なにかいいことでもあったかい?」
「いいこと……かな?」
日向との出会いは「いいこと」に入るのだろうか。
少なくとも日向は見た目ほど怖い人ではないらしい。
曖昧に首を傾げる万真の頭を二三度叩いて、葉介は帰り支度をはじめている弘行に声を
かけた。
「弘行くん、お疲れ様。気をつけて帰ってください」
「ほーい」
のんきな返事を一つして、弘行は帰って行った。
見た目こそ派手だが、彼は非常に真面目な青年なのだ。
カランカラン、とかすかな音を立ててドアが閉じる。
弘行を見送ったあと、万真はバスケットの中からサルのぬいぐるみを手に取った。
今日の出来事が走馬灯のように蘇る。
サルのユーモラスな顔が、なぜかとても優しい笑顔に思えてきて、万真はそっと微笑ん
だ。
久しぶりに、幸せな気分になれた一日だった。
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