NIGHT GAME 一章十四話 開始前日「庵」にて
 この年は、一足早く夏休みが到来した。七月十九日が土曜日だったため、一日早く夏休 みとなったのだ。
 全国の学生が狂喜していることだろう。
 もちろん万真たちも例にもれず、例年より一日長い夏休みを心から喜んでいる。
 十九日、朝。
 すでに強くなりつつある日差しの中、日向剛志は手のひらでこめかみに吹き出した汗を 拭うと、目の前に佇む店を眺めた。
 ほとんど風が吹かないため、かなり暑く感じる。
 時刻は十時五分前。
 待ち合わせの時刻よりも早めに着いてしまうのは、体育会系ならではなのか、それとも 単に日向の性格なのか。ともかく、日向は待ち合わせの時刻よりも五分も早く着いてしま った。
 伊織万真に指定された店はまだ開店していないようで、黒いドアには「CLOSE」と書か れた札が下がっている。
 店内には従業員らしい人影が見えるが、暗い色ガラスにさえぎられて顔立ちまではよく わからない。
 読むでもなしに、ドアに書かれた文字を読む。
 …開店は十時半、と書いてある。おそらく朝食を取る人間のために、早朝も店を開けて いるのだろう。七時から九時半までと書いた上に、しっかりと、金の文字で十時半から八 時まで営業、と書いてある。
 伊織万真の間違いか、それとも日向の聞き間違いか。
 どちらにしろ、あまり嬉しい事態ではない。
 相馬千里と水城成一も来る気配がない。
 進退窮まって、どこかで時間をつぶそうか、と周囲を見回しているとき、不意に店のド アが開いた。
 出てきたのは派手な赤い髪をした青年で、日向を見ると人好きのする笑顔を浮かべる。
「すみません、まだ開店前なんですよ。後三十分ほどしたら開店しますんで」
「いや、その……」
 口篭もったとき、青年の後ろから見覚えのある顔が現れた。
「ああ、日向。もう来たんだ」
 伊織万真はそう言うと、日向に向かっておいでおいでをする。
「なんだ、コレか? カズ坊も隅におけねえな」
 親指を立てた青年に顔をしかめて、万真は言う。
「オヤジ。せっかくの休日なんだから、デートぐらいしたら? 日向はそんなんじゃない よー」
 背中を押されて店内に入ると、そこは落ち着いた雰囲気の空間だった。
 シックな家具が、上品に配置されている。仄かにコーヒーの香りが漂ってきた。
 カウンターの中でカップを磨いていた背の高い青年が、日向を認めて微笑んだ。柔らか な、中性的な笑顔だった。
「おや。友達かい、万真」
「うん。クラスメイトの日向剛志」
 青年は軽く首を傾けた。艶やかな短い黒髪が、さらさらと音を立てるようにこぼれる。
 にっこりと微笑んで、青年は言った。
「いらっしゃい」
「あ、どうも。はじめまして、日向です」
 慌てて頭を下げた日向を見て、万真はくすくすと笑う。
「変なの。日向って絶対体育会系」
「万真、それは体育会系の人に失礼だよ。偏見って言葉を知ってるかい?」
 おっとりとそう言った青年を見て、日向は言った。
「あ…お兄さんですか?」
 奇妙な沈黙が流れたような気がしたが、日向の気のせいだったのだろうか。
 青年はにっこりと微笑む。
「日向クンだったよね。食事に困ったらここにおいで。いくらでもおいしいご飯を食べさ せてあげるから」
「は?」
「よーうーちゃん。悪乗りしない。この人は伊織葉介、あたしの叔父さん」
 万真が言うと、赤毛の青年までもが笑いながら言う。
「ちなみに三十路にずっぽりはまってるオジン」
「弘行くん給料三十%カットね」
「うわぁおマスター男前ッワカイね大統領ッ」
「弘行くん、表の掃除はもう終わったの?」
「は、はいはいただいまッ」
「返事は一回簡潔に」
「ハイッ」
 マスターと赤毛の青年の会話を背後に聞きながら、万真に背中を押されるようにして店 の隅、観葉植物の陰の席に案内される。
「ここ座ってて。すぐに千里たちも来るから」
 言われるままに腰を下ろすと、メニューのようなものを手渡される。
「うちはコーヒーハウスなの。日向はコーヒー飲める?」
「ああ」
「そう、よかった。こっちから好きな豆を選んで。それで、こっちはカップのカタログ」
「そんなものまであるのか?」
 華やかなカップの写真を見て、日向は心から驚いた。豆を選ぶところまではいいが、カ ップまで選ぶのか。
「そう。好きなの選んでね」
 選べ、と言われても、困る。
 悩んでいると、カランカランと小気味いい音を立ててドアが開かれ、二人の少年が顔を 出した。
「こんちわーっ。お、弘さん、久しぶり。葉介さん相変わらず若いねッ」
「元気だね、成一くん。お世辞でも嬉しいよ」
 明るく成一が言うと、無言で店内に入ってきた千里がカウンターの上に抱えていた荷物 を置いて一息つく。
「とりあえず、頼まれてたもの。買い忘れないか確かめて」
「はい、おつかれさま。暑かっただろう」
「……俺、夏ダメ」
 ぐったりとして言った千里の服を引っ張って、成一は店内の隅、彼らの指定席へと向か う。
「だらしねえな千里。俺なんか蒼い空白い雲を見るとむずむずしてくるのによ」
「俺は冬型人間なんだ」
「自分で自分をタイプ付けしちまったら人間終わりだって俺は冬も好きだぜあの白銀の雪 にキンとくる冷気なんか特にいい――おっす日向、早いな」
 終わってもいいとかなんとか呟いている千里を引きずりながら、成一は観葉植物の陰に 座っている日向に向かって片手を挙げる。
 服を放して千里を開放すると、さっさと日向の前の椅子に腰を下ろして「万真ぁ俺いつ もの」と注文する。
 千里はぐったりとテーブルの上に倒れ伏して、そよそよと髪を揺らす冷房に「すずしー」 と呟いている。
 日向の注文を取っていた万真は、いつも以上にハイテンションな成一を見て呆気に取ら れていた。
「…朝っぱらからテンション高いねー。なにかあったの?」
「ふはははっ。聞いてくれよ」
「水城家の鬼女が恋人と旅行に出かけたんだとさ。おかげでもうこいつ舞い上がっちゃっ て。どうせすぐに帰ってくるだろうに」
 疲れた声で千里が言う。
 水城家の鬼女とは、成一の実の姉のことだ。
「いいんだよ、俺はつかの間のパラダイスを心行くまで楽しむんだから」
「あーはいはいおめでとう」
 千里の声にはまったくと言っていいほど誠意がないが、成一はそんなことはどうでもい いらしく、ひとりでにまにま笑っている。
 万真はそんな成一から若干距離を置くと、千里に「いつものでいいね?」と確認を取っ てそそくさとカウンターに逃げて行った。
 日向は気持ち悪い笑みを浮かべている成一と、その隣でぐったりしている千里に眼を向 ける。
「二人とも、よく来るのか?」
「そりゃ、万真のうちだから」
 あっさりと成一が答える。
 カウンターから豆を破砕する音が聞こえてくる。
「万真さ、両親いねえんだ。葉介さんとここで二人暮し」
「一」
 思わず身を起こし声を上げた千里を眼で制して、成一はこともなげに続ける。
「二年前まではおばあさんも一緒に住んでたんだけどな。亡くなられて、今は二人だ。仲 いいよ、あの叔父と姪は」
 日向はとっさになにも言えなかった。
 千里は不機嫌な顔で成一と日向を睨みつけている。
「…なんでそんなことを、俺に?」
「深い意味はナイ。このあいだと同じ理由」
「なんだよ、このあいだって」
 不審そうに言った千里の鼻の頭に指をつきつけて、成一はにんまりと笑った。
「俺と日向のひ・み・つ」
「やめろ気色悪ィ」
 千里と日向の声がきれいにはもった。
 やがてコーヒーの香りが店内に漂い、万真が大きな盆を持ってやってきた。
 三人の前にそれぞれのカップを置いて、三つのポットのうちの一つを取り上げる。
「ブルーマウンテンのお客様ー」
 歌うように言いながら成一のカップに高い位置から黒い液体を注ぐ。濃厚な香りが漂い、 カップになみなみと液体が注がれる。
「キリマンジャロのお客様ー」
 千里のカップに、やはり同じように注ぐ。
 そして日向のカップに注ぐ時には、こんなことを言った。
「庵スペシャルブレンドでございまぁす」
「なんだよそれ」
「なんとなく」
 明るく言って、万真はカウンターに戻って行った。
 蒼い磁器のカップを持ち上げて、成一が笑う。
「ここのコーヒー飲んだら、缶コーヒー飲めなくなるぜ」
 へえ、と呟いて、日向もカップに口をつけ――。
「………ッ」
 硬直した。
 舌がしびれた。
 カップを口元に持って行ったまま微動だにしない日向に、成一と千里が怪訝そうな眼を 向ける。時計の秒針が一周したあと、口元を震わせて成一が口を開いた。
「お前、もしかして……猫舌?」
 赤くなって日向が頷くと、とたんに成一は吹き出した。彼の隣では千里までもが肩を震 わせている。
 その場にやってきた万真は、テーブルにパンプキンパイを置きながらそんな三人を見渡 して、ひたすら無邪気に問い掛けた。
「どうかした?」
 千里が口元を覆いながら、震える声で答えた。
「日向、猫舌なんだと」
 奇妙な沈黙ののち、万真は、
「へぇえ」
 と言うと三人に背を向けた。肩が小刻みに震えている。
「猫舌で悪いか」
「悪くはない」
 真面目ぶって言う千里の眼は三日月になっている。遠慮なく笑いながら、成一はさらに 遠慮のない科白を吐いた。
「いや、なんて言うか、日向ってさ、渋いんだよ見た目が。だからなんか熱い玄米茶とかすすってそうなのに、猫舌ねぇ」
「なんだそれは」
 日向は憮然とした。
 そんな変なイメージを持つな。勝手に。
 いつまでたっても笑い止まない三人に業を煮やして、日向は乱暴に机を叩いて言った。
「話があるんだろう。笑い止まないんなら俺は帰る」
 とたん、三人はぴたりと笑い止んだ。

 十時半になり、開店すると、店内にはちらほら客の姿が目立ち始める。コーヒーの香り が静かな音楽に溶け合って、クリーム色の内装に沈み込む。
 ようやく飲める温度になったコーヒーを一口含んで、日向は驚きに眼を見張った。
 濃い。
 コーヒー独特の苦味とともに、濃厚な味わいが口の中に広がる。かといってしつこくは なく、するりと喉を滑り落ちる。
 市販のコーヒーとは明らかに違う。香りも、味わいも、喉越しも、すべてにわたって違 う。
「な。市販のやつなんか飲めねえだろ」
 成一の言葉に、日向は心から頷いた。
 確かに、その通りだ。
 すると、彼の隣に座っていた万真が照れくさそうに笑った。
「はは。嬉しいな」
 はにかむように笑いながら、フォークの先でパイをつついている。
「日向、説明」
 とがった声で千里が言ったので、日向は紙に意識を戻した。
 東京エリアのチームの一覧表である。
「一番強いのはMETH。力だけなら他のチームよりもずば抜けてる」
「…なにかありそうな口ぶりだな」
 千里の言葉に頷いて、
「やり口がきたねえし傲慢だから、敵は多い。同盟もほとんどないんじゃないか」
「あー。なんかわかるな」
 あれは絶対に友達が少ないタイプだ。
「その次に強いのはB・B。二人だけのチームだが、強い」
「ああ…ウィッチね」
「他のチームと同盟を組んでるっていう話は聞かない。なにがしたいのかよくわからない チームだ」
 三人は、ウィッチと名乗った女を思い出す。
 不思議な、怪しいという言葉がよく似合う女性だった。
「ナンさんは?」
 成一が訊く。
「あの人自身はわりと強いが、自分から戦闘するタイプじゃないから、他の攻撃的なチー ムに比べると見劣りするな。まあ、あの人の性格からか、人望は厚いようだが」
 日向と万真たちが出逢えたのも、ナンの人望によるものだ。
「あと、要注意なのが“パルチザン”」
「パルチザン?」
 知らない名だ。
「メンバーの人数も能力もなにもわかっていない。神出鬼没で、なにをするかわからない。
 だが、強い。もしかしたらMETHよりも強いかもしれない」
「…へえ」
 千里の声の調子が変わった。瞳が興味深そうに輝き出す。
「とりあえず、注意するのはこの三つだな。それ以外に攻撃的で凶暴なのが、赤龍、魁、 修羅、バサラ。それ以外のチームは、それほど警戒しなくてもたぶん大丈夫だ」
「その自信の根拠はいずこに?」
 成一を見返して、日向は言った。
「水城は鬼なんだろう?」
 成一は沈黙した。
 代わって万真が口を開いた。
「一はそうかもしれないけどさ。あたしも千も、まだ自分の能力がわからないの。成一だ けじゃ、ちょっときついよね」
「……日向は、いつ能力に目覚めた?」
 千里に問われて、日向はしばし考える。
「――シャドウに襲われた時だな」
「同士」
「それはもういい」
 成一を制して、千里は呟く。
「やっぱりそれなりの危険にさらされないと、目覚めないのかもな」
「うあー、それ系はあたしパスしたい」
 青い顔で言う万真に頷いて、千里。
「まあ、そのうちどうにかなるだろ」
 無計画を絵に描いたような発言に、日向はわずかに目を見開いた。
「なんだよ」
「いや、なんでもない」
 なんとなく、相馬千里というキャラがわかってきた。
 残ったコーヒーを飲み干し、ビールのジョッキよろしくテーブルに置くと、成一は不敵 な笑いを浮かべる。
「ゲーム開始は明日の日没」
 チン、とカップを爪ではじいて、千里が言った。
「明日も元気に生き残ろう」


     ゲーム開始マデ、アト一日。

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