NIGHT GAME 一章四話 ストリートファイト![]()
油膜から吐き出されたMETHの先鋒に、軽く掌打をたたき込む。そしてそのまま、身を翻して駆け出した。
追いすがる男に、致命傷にならない程度にこぶしを浴びせて、充分走ったかと思われる頃に、成一が言った。
「もういいんじゃね?」
「もうそろそろか」
すでに、どこをどう走ってきたかをおぼえていない。
先を走るナンたちに合図をし、たまたまあったバスケットコートに足を踏み入れる。
そして、そこで、彼らを待った。
五分も立たずに、彼ら全員が追いついてきた。だが、そこにはシャドウの姿はない。
一人の男が歩みでた。オレンジ色の街灯が照らし出すその顔は、野球帽の影に隠れてよくわからない。
「これで逃げたつもりか。“外”だといっても、この人数ではおまえたちのほうが不利だぞ」
「それはどうかな」
嬉しそうに、性悪な表情で千里は言い返した。嬉々としているのは、久方ぶりのストリートファイトのせいなのか。
「三対八。一人頭ノルマ二匹でどうだ」こきこき、と首を鳴らしながら成一。
ゆっくりと移動しながら、彼らは六人を取り巻こうとしている。
「三人は危ないから下がってたほうがいいよ」
ナンたちにそう言い置いて、万真はパーカーのポケットに両手を突っ込んだまま、傍らの二人に声をかけた。すでに彼らの力関係は、おおよそのところを把握している。
「やっぱりアタマからいく?」
「それじゃおもしろくねえよ。デザートは最後でしょ」成一は好物を最後にとっておく派だ。それもそうだと頷いて、万真。
「じゃ、一番多く倒した人が勝ちね。ジュース一本」
「乗った」
二人の声が重なる。
シャツの袖を捲り上げて肩を出して、千里が言った。
「禁じ手は?」
「なし!」
万真と成一が元気よく答えた。
それと同時に、包囲網が動いた。
最初に動いたのは万真だった。
あっという間に相手に肉薄し、掌底をあごに向かって突き上げる。同時に左でかためた拳をみぞおちに叩き込んだ。
一瞬で、若者は崩れ落ちた。
「てめえ!」
横から殴りかかってきた男の腕を巻き込み、その勢いを利用して投げ飛ばす。
体重差から、万真の体が宙に浮き、男を下に巻き込む形で地面に叩きつける。奇妙な音が、男の口から漏れた。
全体重をかけてみぞおちにひじを叩き込んだのだ。
完全にノック・ダウンした男から離れて、万真は目でナンたちを探した。
「あぶない!」
ナンに向かって殴りかかろうとした小柄な人物の腕をつかみ、思い切りねじ上げる。
「いたい!」
(え!?)
悲鳴に驚いて万真は腕を放した。
女性だ。
ショートボブの髪がゆれた。右耳の赤いピアスが、照明を反射してオレンジ色に光った。
(どうしよう)
万真は躊躇した。
女性相手に暴力をふるうことに対して抵抗があったのだ。
まだ二十歳にはなっていないだろう女性は、つり上がり気味の瞳で万真を睨みつけた。その手がふいにひらめいたかと思うと、そこには一振りのナイフが握られている。
(――エモノはまずいっしょ!)
手つきからしてあきらかにナイフになれていない、素人だとわかる。玄人だったりしたら、それはそれで怖いのであるが、素人はいろんな意味で危険だ。
「万真」
押し殺した声でささやいたナンをかばうように左手を上げる。こういう状況になれていないのだろう、ゼンは息を呑んで立ち尽くしている。
ナイフを持つ手が震えていることに気づいて、万真は内心泣きたい気持ちにかられた。
痛々しい。
そう思うと同時に、その気もないのに持ち歩くなバカ、とも思う。
だから万真は、言ってみた。
「暴力はよくない」特に刃物は、まずい。心の中でそう付け加えて、続ける。
「だから、落ち着いて。平和的に話し合おう」
「………今更ソレを言うか? ちょっと」
呆れたようなナンの呟きに迎合するように女が怒鳴った。
「ふざけないで! これが見えないの!?」
イエ、見えてますけど。でもねえ。
(そのイッちゃってる眼が怖いんだってばー)
彼女はあきらかに度を失っていた。
刃物を持つと誰でもそうなるのだろうか。非常に危険だ。
万真は肩をおとして、静かに、女を刺激しないようにパーカーを落とす。片手にそれを握り締めると、静かな声を落とした。
「慣れない真似はしないほうがいい。怪我をしてからじゃ、遅いんだよ」
女の頬に朱が散った。怒りに声が上擦る。
「バカにしないで!」
「万真!」
ナンが叫ぶのと、女が万真に向かってナイフを突き出すのとは同時だった。
オレンジ色の光の中で、パーカーが翻った。
白い布に、女の視界が奪われる。
パーカーを引き剥がしたときにはもう、万真の姿は視界から消えていた。
「遅いよ、おねえさん」
ふいに耳元で囁き。そして力強い腕がナイフを持つ手を押さえた。
「あっ…」
やすやすと腕をねじられた彼女は、悲鳴をあげてナイフを取り落とした。それを踏みつけながら、万真はつかんだ腕を背中へ回す。悲鳴は、あえて聞かないことにした。腕をつかんだままナイフを拾い、折りたたみ式の刃をぱちんとしまって、万真は顔を真っ赤にしている女を見下ろした。
「悪いけど、これはもらうね。護身のために持ち歩くのはべつに止めないけど、むやみに出さないほうがいいよ。刃物を持ち出したら、シャレにならないから」
女は聞いていない。諦めたように溜息をつくと、万真は周囲を見回した。
ちょうど千里が踵落しを男の一人に決めたところだった。
奮闘していたライトも何とか一人を殴り倒して、ぼろぼろではあるが勝利を収めた。
成一はといえば、ハイキックの一撃で沈めた相手に「まだやる?」と凶悪な表情で問い掛けている。
そんな成一に、背後から殴りかかる男がいた。
「うお!」
あの青年だった。
切れのいいジャブが成一の頬をかすめ、頬に赤い線が走る。
切れた頬に手をあて、指についた血を見て成一は「うわお」ととぼけた口調で呟いた。
「ボクシング?」
万真の呟きが聞こえたのか、コートの向こうにいた野球帽が言った。
「こいつはボクシングの経験者だ。なんなら三人がかりでもいいぞ」
「こらこらまてまてーっ」
思わず成一は叫んだ。
ボクシングごときに負けたりしたら、あとで半殺しの目にあうことはまちがいない。
「いちー、負けたら殴るよー」
「リンチだな」
「あのなあっ」
のんびりとそう声を投げられて、成一は苦く笑う。信用されているのかいないのか。
そうこうしているあいだに繰り出された、数発のジャブをよける。
恐ろしく早く、切れのいいパンチだ。
「万真」
心配そうなナンに、万真はあいている片手を振った。もう片方の手はしっかりと女を押さえつけたままだ。
「ああ、だいじょうぶだいじょうぶ」
見れば、コート上に転がってうめいていた男たちは起き上がり、二人のために場所を空けている。 軽いジャブで相手のガードを下げ、左右のフックを放つ。だが、それは成一にあたることはない。 軽いフットワークの青年と同様、成一のフットワークもまた、軽かった。
「ボクシングの弱点ってなーんだ」
唐突に千里が言った。
ボディーを狙ったが不発に終わる。後方に飛びのいた成一の体が、不意にはじけた。
風を切る音が聞こえた。
「答え。足技にヒジョーに弱い」
重々しく万真は応える。
成一の放った回し蹴りは、青年のガードもろともその身体を弾き飛ばした。大きな音とともに青年が倒れるのと、成一が軽やかに地面に降り立つのとは同時だった。
うめきながら体を起こす青年に向かって、成一は言った。
「悪ぃな。ボクシングもキックボクシングも一通りやってんだ、俺」
すでに立場が逆転していた。
強者が誰なのかは、一目瞭然だった。
今は追う立場にある成一が、指を鳴らしながら一歩前に出る。それにしたがって、野球帽の男は一歩さがった。
「さぁて、どうしてくれよう」
開放された女が、男にぴったりと寄り添った。
しゃがみこんで両手に頬をはさんで、万真は嬉しそうに笑った。
「生ぬるいやり方じゃ気が済まないよねー」
「いっそのこととことん悪役に徹してみるか」
嬉々とした表情で千里は言う。わざとらしく手を叩いて、万真はニコニコと笑った。
「あ、いいものがあったんだ。はい」
そう言って成一に差し出したものは、彼女が女から没収したあのナイフである。
「お、気がきくじゃん」
やはり笑いながら受け取って、成一はそれを手の中で器用に回しながら男を見やった。もちろん、刃は出したままだ。
にこやかに笑う成一。その表情が突然豹変した。
風が動いた。
ガシャン!
突き出された正拳は、男の頬をかすめてその背後のフェンスにぶつかる。
成一の瞳は、危険な光にぎらついていた。
「――相手が悪かったな」
喉元にはオレンジ色の光を反射して光るモノ。
「帰ってシャドウって野郎に伝えろよ。今度俺たちの前にそのツラ出しやがったらそのときは――」
いつのまにかそばに来ていた万真と千里、そして成一の口が同時に動いた。
「問答無用でぶっ殺す」
その瞳に宿る光は強く、心に冷たく突き刺さる。
青ざめた男の表情を見て取って、成一はフェンスを突き放すようにして上体を起こした。
「オラ。さっさと失せろよ」
千里の声は静かな怒りに満ちて、大のおとなでさえすくみあがるかと思われた。
野球帽の男は数歩下がって口の中でなにか呟いている。
「失せろっつってんだよ!」
成一の怒鳴り声にびくりと身体を震わせて、男は叫んだ。
「このままですむと思うなよ。おまえたちの顔は絶対に忘れないからな」
その言葉は万真の神経を逆なでした。
「ごちゃごちゃ言ってないで、あたしたちが本気で怒る前にさっさと消えて! 本当に血ィ見るよ」
男はまだなにか言っていたが、三人の顔色に分が悪いと判断したのか、やがて身を翻し、傷ついた男たちとともにバスケットコートから出て行った。
彼らの姿が完全に見えなくなると、成一は大きく息をついて握り締めていたナイフの刃をしまった。
久しぶりに激昂したせいか、頭が鈍く痛む。
「万真」
声をかけ、意識的に呼吸を深くして心を落ち着けようとしている少女にナイフを投げた。
難なく受け止めて、万真はなんとはなしにそれを掌で弄ぶ。
なぜあんなに苛立ったのか。
その理由はわかっていた。
彼らが、始終高圧的で、自分の優位を信じて疑わなかったからだ。その虚構が崩れ去ったときの醜態は、見るも哀れだったが、しかし万真は同情も憐憫も感じない。
あきらかに、向こうが仕掛けたケンカだ。こちらに非はない。
親指の腹がぴりりと痛むが、それはさきほどナイフを握ったときにできた傷だ。
痛むのは指だけではない。
――ケンカの後は、いつもこうだ。
後悔するとわかっているのに、一時の激情に身をゆだねてしまう。
まだまだだ。修行が足りないとは、まさにこんなときに言うのだろう。
しかし、後悔すると同時に、心のどこかで歓声を上げている自分の存在もある。
後悔と爽快感、両者をどうやって折り合いつければよいのか。
軽く吐息をついて顔を上げると、そこには千里の顔があった。
千里はなにも言わず、万真の肩に手を置いた。それだけで、千里の心情がわかる。
万真は無言で小さく頷いた。
「怪我ぁないかい?」
ナンの言葉に首を振る。ほっとしたように笑って、彼女は言った。
「めちゃくちゃ強いね、あんたたち」
「だから、俺が言ったでしょーが」
口の端の傷が痛むのか、顔をしかめながらライトが口をはさんだ。
「あんたなんか五秒もかからない、一秒のまちがいだね」
「ひでー」
言われてライトは苦笑した。本当のことだから反論はしない。
「武道かなにかやってるんですか?」
ゼンが核心を突いてきた。
「ああ、うん。ちょっとね」
曖昧な口調で千里が言ったのを聞きとがめて、ライトがとたんに心配そうな表情になった。
「ケンカなんかして大丈夫だったのか? 破門されるんじゃないのか?」
「ばれなきゃへーき」
あっけらかんと成一は笑った。
あくまでばれなければの話なのだが。
ナンはそらっとぼける三人を心配そうな表情で見ていたが、ややあって溜息をついて髪の中に手をうずめた。
「……どうしよっか、これから」
やつらがこのままおとなしく引き下がるとは到底思えなかった。
「張ってるだろうな」
ぽつりとライトが呟く。
時刻はもう四時半を回っている。
七月の初め、この季節の夜明けは早い。
夜があける前には家に帰りたい三人は、落ち着きなく顔を見合わせた。
一番の近道は、油膜を通って帰ることだということを、三人はうすうす悟っていた。しかし、そこでやつらが待ち伏せていることはまちがいない。
考え込んでいるナンに、万真はそっと声をかけた。
「…あいつらに会わなくてもいい道はないの?」
「うーん」
ナンはますます首をかしげた。
「夜明けを待つって手もあるけど」
さっきも聞いた言葉だ。
夜が明けることになにか意味があるのだろうか。三人は不思議に思ったが、それを訊く前にライトが口を開いていた。
「別の道がないわけじゃないんだけどな。ただ、それにはちょっと厄介なことがあって…」
ゼンが難しい顔で頷いている。
ひざを抱えて成一が首をかしげた。
「あいつらに会うのよりも厄介なことか?」
「うーん」
三人は首をひねる。
「それは、行ってみなくちゃわからない、かな」
ナンの言葉に、成一はますます首をかしげた。
「あいつらに会うのとどっちが危険?」
「………時と場合による」
よくわからない。
「とりあえず、今あいつらに会うのはヤバイだろ。すこしでも安全だって見込みがあるのなら、そっちの道を行ったほうがいいんじゃないか?」
本人にその自覚はないが、千里は気が短い。はっきりしない三人に業を煮やしてそう言った千里の言葉に、ナンはまだ気が乗らないが、といった様子で頷いた。
「うん、まあ、それはそうなんだけどね」
千里の言うとおり、今METHに出くわすのは非常に危険だ。それはわかっているはずなのに、ナンたちはぐずぐずと言いよどんでいる。万真は小首をかしげてナンたちを見た。
「なんでそんなにいやがるの? なにかあるんだ」
ナンたちは沈黙していたが、ややあって意を決したように立ち上がった。
「わかったよ、行こう」
そう言って、来たほうとは逆の方向へと歩き出す。
ぞろぞろとついてきた万真たち三人を振り返って、ナンは浮かない表情で言った。
「なにが起こっても、後悔するんじゃないよ」