NIGHT GAME 一章六話 VS,METH
 飛び出したところは、広い道路だった。そこに車影はなく、閑散とした道路をぽつりぽつりと立つ電灯が心もとなく照らしている。
 あたりを見回してそこに人影がないことを確認して、全員が肩の力を抜いた。
「…いないようだね」
 ナンが安堵のこもった声でそう言った刹那、横合いの道路から人影が転がり出て、彼女にぶつかった。
「うわっ!」
 悲鳴が上がり、ナンと人影は折り重なるようにして倒れる。
 すばやく起き上がり身構えたのはまだ若い男だった。短い茶髪はつんつんに立っている。気色ばんだ周囲の面々に油断なく身構えた男の目が、身を起こそうとしているナンに向けられた。そのつり目がちの瞳が訝しげに細められる。
「……まさか、ナンか?」
 ナンは驚いて眼を見開き、相手の顔をまじまじと眺めた。
「まさか、シュウ?」
 男は目をむいて怒鳴った。
「バカ、お前まだこの世界にいたのか! 早く抜けろってあれほど――!」
 シュウと呼ばれた男は不意に口を閉じ、その場を飛びのいた。
 間髪いれず男がいたところを力の塊が通過する。それはナンの前髪をかすめて道路のガードレールにぶつかり、はじけた。
「チッ」
 舌打ちして男が駆け出した方向に人影が現れた。
 それを見て、男だけでなくナンたちまでも顔色を変えた。
 ――シャドウだ。
 反射的に反対方向へ駆け出そうとした万真の足が止まった。仄暗い外套の灯りの輪の中にたたずむのは一人の青年。それが誰かを理解するのに時間は要らなかった。
 いまや、万真たちは完全に追い詰められていた。
「――これはこれは。ファイヤーマンだけでなくカマイタチまで一緒とは、探す手間が省けたぞ」
「省かなくていいんだよそんなもん」
 そう切り替えして、ナンは握り締めた拳を開く。
 閃いたその手は、しかし傍らの人物によってさえぎられた。
「シュウ…!」
「やめろ。これは俺のケンカだ」
「それがあたしのケンカでもあるんだよ」
 言い捨てると同時に腕を振り解き片手を一閃させる。
 真空の刃がシャドウを襲う。だが、それはシャドウに届く前に彼が生み出した影によってさえぎられる。
 それが合図だった。
 千里と成一が、青年に向かって駆け出す。
 ライトの静止は二人の耳には届かない。
 青年が放った力の塊を間髪いれず成一が消滅させ、その隙に回り込んだ千里が青年のひじを捕らえる。力をこめた瞬間、抱え込んだ腕が突然ぐにゃりと曲がった。
「な――!?」
 青年の姿がぶれ、変わりに黒々とした影が姿を現した。
 ダミー。そう判断すると同時に背後に殺気を感じ、千里はその場を飛びのいた。
 拳が頬をかすめる。
 頬にうっすらと浮かんだ血を手の甲で乱暴にぬぐうと、千里は不敵に笑った。
「――そうやすやすとやられてはくれないってことか。上等だ」
 青年の口元が釣りあがり、酷薄な笑みが浮かんだ。
「さっきの礼はさせてもらうからな」
 言葉を受けて、成一はにやりと笑った。
「やれるもんならやってみろよ、ニイサン」
 一方の対シャドウ組みは、奇妙なことになっていた。
 突如現れたシュウという青年に、ライトやゼンが妙な対抗意識を燃やしている。シュウはシュウでナンをなるべくかかわらせまいとするおかげで二人の間でいさかいが起こっている。これではケンカにならない。
「いいかげんにして!」
 業を煮やして怒鳴り、万真は身を翻した。
 背後から声が飛んだが、きれいに無視する。
 シャドウがあざ笑うように口の端を吊り上げ、彼の体から幾体もの影が生まれるのが見えたが、万真はかまわずに突っ込んだ。
「万真!」
 目前に迫った影を、ガードレールを足場にして跳躍して受け流す。そして万真はそのままガードレールの上に降り立ち、その上を一息にシャドウに向かって駆け抜けた。常人にできる技ではない。
 横合いから飛び掛ってきた影をすばやい身ごなしでかわし、あっという間にシャドウに肉薄した万真はすかさずそのみぞおちに向かって拳を放った。
「ちっ!」
 しかし万真の拳はシャドウの身体に届くことなく、立ち上がったシャドウの影に阻まれる。飛びのき、背後から飛びかかってきた影をトンボを切ってよける。
 影の中にいるのは危険だと判断し、離れた街灯の光の輪の中に立ち様子をうかがう万真に顔を向けて、シャドウは言った。
「いい腕だ。METHに入らないか」
「謹んでお断りします」
 油断なく身構えながら即答する。
 男は喉の奥で笑った。
「ますます気に入ったな」
「イエ、気にいらなくていいですからどうぞほっといてください」
 紛れもない本心であるが、男は動じる様子もなく、
「そういうわけにはいかない」
「そういうわけにいきませんか」
 万真はいたって真剣だ。男は低く笑う。
「ますます気に入った。真剣に考えてみないか」
 考える余地などない。0コンマ一ミリもない。まったくない。
「考える必要ないですね」
 シャドウの口の端がつり上がった。刹那、シャドウの背後が赤く燃え上がる。
 シュウが放った業火がシャドウを包み込んだ。
 炎の中の黒い影が崩れるのと、万真が頭上の影を認めて叫ぶのは同時だった。
「上!」
 炎が消える。数体の影とともにその場に降り立ち、シャドウは新たな影を生み出してシュウとナンを襲わせる。
「なめんな!」
 叫んでナンが放ったカマイタチは、影を数体消滅させ、さらに万真の髪を数本奪った。
「……げっ」
 万真は硬直した。
 そうしている間にも万真の足元のアスファルトがすっぱりと割れる。
 ナンは気づかない。
「わひゃっ」
 シャドウを捉え損ねた炎が万真の頬を舐め、真空の刃が万真に襲い掛かる前に、万真はその場を飛びのいた。間髪いれず万真がいたところに深い断裂が生まれる。
 目を凝らすと、宙を切り裂いて白い半円状のものがこちらへ飛来してくるのが見えた。
「わっわっわっ」
 転がるようにしてそれをよけると、万真は手ごろな街灯にするすると登る。
 そのてっぺんにちょこんとサルのようにしゃがみこみ、ほっと一息ついて万真は戦況を眺めた。
 向こうのほうでどかんどかんと音がしているのはおそらくあの青年だろう。かすかに千里や成一の怒鳴り声が聞こえる。
 ライトの光がナンとシュウを照らしていた。
 シュウの手のひらから炎が生まれ、シャドウを襲う。ナンのカマイタチも、シュウの炎も、シャドウを傷つけるに至らない。
「……シャドウって、強い」
 攻撃を無効化するも同然だ。何十もの影がシャドウを守る一方で、影が減るつど新たな影が生まれている。
 食い入るようにシャドウをみつめていた万真は、こちらに飛んできた白い刃に気づかなかった。
 目標を見失ったカマイタチは、万真が乗っていた街灯をきれいに半分に切断した。
「ありゃ?」
 身体が傾いだ。
 と思ったときにはすでに落下が始まっている。
 万真は慌てて足場をけって宙に浮かび、きれいに一回転して難なく降り立った。その拍子に首にかかってきた細い鎖が音もなく胸元からこぼれ出る。
(あぶなー)
 ほっと息をつく間もなく、別の刃が襲い、さらに万真に気づいた影がこっちへ突進してくる。
 影にハイキックを食らわせて吹っ飛ばすと、すばやく安全そうな場所へと移動する。
 そして向かってくる影たちを一体一体確実に潰していった。
 一方の成一アンド千里組みは、青年相手に善戦していた。
 青年が生み出した力のかたまりを成一が霧散させ、その隙に千里が攻撃する。用心のため懐まで踏み込めない千里の攻撃は自然と浅くなるが、それでも着実に青年にダメージを与えている。
 成一も、回をこなすことでどうやらコツをつかんだらしい。最初は危なっかしかったが、今ではかなりの余裕を持って相手の攻撃を無効化していた。
「うん、大分わかってきたな」
 ひとりごちて、迫ってきた力の塊に意識を集中させる。
 パシン、というこの日何回目かの音とともに、力は消滅した。
「うん。こうぐっとやってムムッとやって――こう、だ」
「一、意味不明」
「ほっとけ。お前こそ当てろよ」
「当ててるよ」
 そう言いはしたものの、なかなか懐までは飛び込めない。
 何か言い策はないかと頭を忙しく動かし始めたとき、突然視界が歪んだ。
「!?」
 その変化は千里だけでなく成一も感じたらしい。動きを止めて、不思議そうに首を傾げている。
 対する青年の表情にはあせりが見え始め、力の塊を連射してきた。
「うわっわわっ」
 はじけるような音が響く。
 千里はそのときになって、ようやく周囲の変化に気づいた。
 周囲が明るい。街頭の灯りではなく、もっと自然な発光。
 空を見上げて、次第に明るくなりつつある群青色を見る。
 朝が近いのだ。
 それには万真も気づいた。
 影の抵抗が弱まる。
 思い切り殴ると、それだけで影は消滅した。これまでは殴っても殴ってもしつこく起き上がってきたのに、今は一発殴っただけで消滅する。
 万真は困惑して、建物の間から垣間見える空を眼を細めて見た。
 空が白んで来る。
「朝……だから?」
 確信はなかったが、他に原因は考えられない。
 ナンたちが再三繰り返していた言葉。「朝」の意味。
 ナンとシャドウの戦闘も先ほどよりも白熱している。
 飛来してきた白い真空の刃を、スウェーバックでよける。その瞬間だった。
 万真の動きから遅れた鎖が、刃に断ち切られる。音もなくネックレスが地面に落ちたが、万真は気づかなかった。影が襲い掛かってきたからだ。
 建物に、道路にわだかまっていた陰影が波が引くように移動する。
 朝が来たのだ。
 それと同時に、力の波動とでも呼ぶべきものが、光に追いやられるように移動するのが感じられた。
 光は世界を覆い、夜を払拭する。
   潮が引くように、夜の王国は自然に、静かに消滅する。
 一体一体影が消滅する様を呆然と見つめていた万真は、自分の身体の中を何かが通り抜ける感覚に慄然とした。
 指先からつま先まで、何かが駆け抜ける。
 一瞬の感覚。細胞が変化する。世界が夜から朝へ、その主権を譲り渡すのと同様、身体の中でも朝が来たことによってなにかが変化していた。
 不思議な感覚に包まれていた万真は、低い声でようやく我に返った。
「――この勝負、痛み分けだな」
 うつむいているためシャドウの顔はよく見えない。
 ナンが乱れた前髪を払って鼻を鳴らした。
「……みんな、帰るよ」
 言い捨てて、シャドウに背を向けて歩き出す。
 慌ててその後を追って、万真はすれ違った青年をちらりと見やった。
 青年と一瞬眼があう。
 どちらからともなく視線をはずし、二人は自分の仲間の元へと駆け寄る。
 ナンも、シュウと名乗った男もぼろぼろで、ライトとゼンも同様燦燦たる姿だ。千里と成一も怪我こそないが、疲れた表情で立っている。
 なんとなく背後を振り返り、そこに車一台ない早朝の道路を見出して万真は軽く目を見開いた。
 あれほどアスファルトを削られ、傷ついていた道路にはなんの傷跡もなかった。それこそ、先ほどまでの光景は夢だと言わんばかりに。
「………嘘」
 万真の視線を追って、千里と成一もまた驚きに声を失う。
 ナンが静かに口を開いた。
「夢なんかじゃないよ。あそこは、現実ではない場所なんだ」
 落ち着いた声はすんなりと心に染み込んできた。なぜか、その言葉だけで納得できた。
「貴重な体験しただろ」
 ライトの冗談めいた言葉に三人は首を傾げる。
「貴重というかなんというか………あーッ」
 突然叫んでしゃがみこんだ成一を、全員が驚いて覗き込んだ。
「な、なに、どうしたの」
「………腹減った〜」
 成一は情けない声で唸った。言葉と同時に、腹までもが情けない音で鳴き出す。
 思わず吹き出して、万真は大きく伸びをした。
「あたしもお腹すいたー。なんか食べてこうよ」
「あたしパス。もう始発でてるだろうから、帰るよ」
 ナンが言うと、ライトも頷く。
「俺も帰るわ。ああ、それと、お前らパソコンある? インターネットできる?」
 怪訝な顔になって、千里が答えた。
「できるけど」
「じゃあ、このサイトに行ってみな。いろいろ詳しい情報があるから」
「なんの?」
「あの世界の」
 さすがに眼を点にした三人に手を振って、先輩と呼んで言いのかわからない三人組は去って行った。
 千里の手元に残った紙切れを覗き込んで、万真が呆れたように呟く。
「……ホームページにもなってるんだ」
「……もうなんてコメントしていいのかわからない」
「なー。それよりメシー。腹へって俺倒れそう」
 じゃあ倒れろよ、とはさすがに言わず、千里は我に返って周囲を見回した。
「ていうか、ここどこだよ」
 千里の問いかけに答えることができるものは、誰もいなかった。



 ナンたちが去ってしまった方向を見て、シャドウは長い息をつくと天を見上げた。蒼穹。早朝の空は蒼く、そこには雲ひとつない。
「シャドウ」
 声をかけてきた青年に眼を向けて、シャドウはかすかに首を振った。
「帰るとするか」
 そう言った顔は、まだ若い。少年という枠を出るか出ないかといったところだ。
 歩き出したシャドウは、ふと足を止めてかがんだ。
 拾い上げたのは、細く長い鎖とそれに絡まっている小さな指輪。
 指輪は傷だらけで、所々歪んでいた。少なくとも、装飾品としては使えない。
 シャドウは土を払うと、それをしばし見つめた後、大切そうにしまい込んだ。
 歩き出したシャドウに付き従うように青年も後を追う。
 二人の影はゆっくりと、道路の向こうに消えて行った。

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