「まずい」
ピザを一口食べたとたんに、少年は言った。食べかけのピザが箱の中に投げ出される。
パソコンの画面をみつめていたメガネをかけた少年は、顔をしかめて振り向いた。
「わがまま言わずに食え。お前が食いたいって言ったんだろうが」
「宅配ピザって、こんなに不味いもんか?」
「お前がどこか行ってる間に冷めたんだ。食わないなら俺が全部食う」
少年はしぶしぶ手を伸ばし、食べかけのピザを取った。半額出したのだ。食べなければ、
金がもったいない。
「衛。鬼が出たって、本当か?」
「鬼かどうかはわからない。顔も知らないからな。だが、シャドウの影を消して、セツの
攻撃も消した。過去のデータを見ても、そんな能力者は見つからない」
「データに乗ってないだけなんじゃないの?」
「その可能性もある。だから、一応断言はしてねえ」
衛の言葉には答えずに、少年はピザを食べ終わるとコーラを飲んだ。口直しのつもりだ
ろう。
「ああ。東京エリアに新入りだ」
衛の言葉に、少年は身を乗り出した。
「例のやつか?」
「多分な。チーム名は――神威」
神威、と、少年は口の中で繰り返した。
衛はメガネをかけなおして、背後の少年を見た。
「なに考えてる?」
少年は顔を伏せる。
「……お前が視たやつらの特徴を、言ってくれ」
衛はくるりと椅子を回し、少年に向き直った。
「三人組だ。年齢は、多分俺たちとそう変わらない。三人のうちひとりはたぶん女」
少年の口元が動いたが、衛は彼がなにか言うよりも早く言葉を続ける。
「ナンたちと一緒に行動していたな。詳しい情報を知りたいか?」
「……知りたい」
衛はくしゃくしゃの髪をかき乱した。
「やめとけ。変に期待して、また人違いだったらどうするんだ」
「人違いでもいい」
少年の言葉に、衛は鼻を鳴らしてパソコンに向き直った。
「期待すんなよ」
言葉と同時に、キーを叩く音がする。
返信は、そう時間をおかずに来た。
「返事だ。おい、見ろよ」
衛の声は、上擦っていた。少年は身を乗り出した。
『Night Game HP管理人。
昨夜あなたと行動をともにした新入り三人について、なにか知っていることがあったら
教えてください。
なお、この情報は公開しません』
『RE:
三人組について。
男が二人、女がひとり。おそらく高校生。
名前は、成一、千里、万真。
それ以上の情報はない』
しばらく、二人とも声を発しなかった。
かすれた声で、少年が囁いた。
「………来た」
衛はなにも言わず、ナンから届いたメッセージをみつめている。
「あいつらだ。やっぱり来た」
「…本人かな」
「あいつらの名をかたってなんのメリットがあるんだ? 本人に決まってる」
少年は興奮に目を輝かせた。
対する衛の表情は冷めている。
「落ち着けよ。仮に本人だとしよう。それで、どうするんだ?」
「連絡して、逢う。そうだ、みんなにも教えて、また――」
「だから落ち着け」
強い声で言われて、少年はようやく衛を見た。
「よく考えろ。なんで十年も連絡がなかったと思う?」
「なんでって……」
少年は口篭もる。
「万真と千里はともかく、成一は確実に俺たちの住所を知ってる。電話番号も知ってる。
連絡しようと思えばいくらでもできた。逢おうと思えば、いくらでもできたんだ」
「……俺たちには逢いたくない?」
傷ついた表情で呟いた少年の顔を見て、衛は言う。
「心当たりでも?」
「あるはずないだろ!」
「俺もない」
あっさりと頷いて、衛は椅子の背に両腕を乗せた。
「頭使えよ。なんで、俺たちはあいつらに連絡を入れなかった?」
少年は視線をさまよわせる。
「……相馬さんと、伊織さんが、そっとしておけと」
しばらく、そっとしておいてくださいと、そう言ったのだ。だから、連絡できなかった。
年賀状すら出せなかった。十年たった今まで。
「こっちから連絡するよりも、向こうからなにか連絡があるのを待とうって決めた」
「そうだ。でも、連絡はなかった。一度も」
あの三人は、そんなに薄情な人間ではなかった。万真と千里はともかく、成一が連絡を
くれなかったことは、よく考えると変だ。
ふつふつと湧き上がるいやな考えを振り切ろうとしたが、それはいっそうの力を持って
少年の心にのしかかる。
「まさか――」
少年の呟きの続きをさらって、衛は言った。
「忘れてる可能性が高い」
「嘘だ!」
「亮。これは一つの可能性だ。だが、その可能性があるということを忘れるな」
「忘れてるなんて、そんなことってあるの?」
衛の言葉に、まどかはかすれた声を発した。
「可能性だ」
髪の長い少女がことりと首を傾げる。
「でも…あの子達と別れたのって、五歳の時よ? もっと昔ならまだしも、全部忘れてし
まうような年齢じゃないわ」
「紗綾の言う通りだ。あいつらが俺たちのことを忘れるはずがない」
硬い表情で言った亮に、衛は溜息をついた。
「感情でものを言うな。じゃあ、なんで連絡がないんだよ」
「それは――」
三人は口篭もった。
と、その時、ひとり冷めた表情で話を聞いていた慧が口を開いた。
「呼び出されてきてみれば、こんな話かよ」
「こんな話ってなんだよ」
亮を真っ直ぐに見て、慧は表情を変えずに言う。
「十年前のことを、いつまで引きずってんだ。昔を懐かしむのは勝手だが、俺たちには俺
たちの生活があるし、万真たちには万真たちの生活がある。十年は長いぞ。あいつらだっ
て、昔のままのはずがない」
亮は黙り込んだ。
椅子の背を抱え込んで、衛も言う。
「三人に逢うのは、べつにいい。でも、もし万真と千里が俺たちのことを覚えてなかった
ら、お前どうするつもりだ」
亮の言葉はない。まどかが小声で呟いた。
「…なんで忘れてるって思うのよ」
くるりと椅子を回して三人に向き合うと、衛は三人の眼をまっすぐに見る。
「よく考えろよ。俺たちのことを思い出そうとすると、絶対にご両親のことを思い出さず
にはいられないだろ。あの時、あいつらは本当にショックを受けてた。つらい記憶を忘れ
ようとするのは、人間の本能だ」
「忘れてるとは限らない」
亮の言葉に頷いて、衛は言う。
「だから、可能性だと言ってる」
亮は口を閉じた。まどかと紗綾も、畳をみつめて口を聞かない。慧が冷めた声を出した。
「亮、昔にこだわりすぎてねぇか。万真たちに逢っても、向こうも迷惑なだけだぜ。お前
が逢いたがってるのは、昔の三人なんだろ」
「ちが…」
「違うのか?」
重ねて問われて、亮は唇をかんでうつむいた。
溜息をついて、衛は手を叩いた。
「まあ、あいつらに関してはおいおい考えよう」
言って、ちらりと亮を見る。
「だから、もう少し向こうの様子がわかるまで動くな。いいな、亮」
亮は不承不承頷くと、乱暴に部屋を出て行った。その後に続いて、まどかと紗綾も帰っ
ていく。
あとに残された二人は、顔を見合わせて溜息をついた。
「……どうしてああも感情的なのかねえ」
「ぼっちゃんだから」
慧の言葉に、二人とも声もなく笑った。
相変わらず、亮は世間慣れしていない。
くるりと椅子を回して、衛は壁際に座り込んで雑誌をめくっている慧に向き直った。
「慧はずいぶん冷静だな」
「衛ほどじゃない」
冷めた言葉に衛は苦笑する。
「俺は冷静ぶってるだけだ。ついいろいろと考えちまう。でも――それでも、やっぱり三
人には逢いたいな」
慧の茶色い宝石のような瞳が少年に向けられる。衛はうつむいて、メガネのレンズを拭
いていた。
「…心配してたんだよ、俺なりに。あいつら元気でやってるのかな、とか。新しい家族と
うまくやっていけてるのかとか、その、いろいろ」
「ふーん。相変わらずだな、衛は」
相変わらず、面倒見がいいというか。
亮が感情的になっている手前、衛は冷静にならざるをえなかった。
それでも、ついつい考えてしまう。
泣き虫だった万真は、もう泣かなくなったのだろうか。千里の人見知りは治ったのか。
人一倍やんちゃで明るかった成一は、少しは成長しているのだろうか。
本当は、誰よりも三人に逢いたがっているのは衛かもしれない。
「…お前の言うとおり、多分三人はもう俺たちの知ってる三人じゃないだろうな」
慧は無言で雑誌を見ている。衛は、誰にともなく続けた。
「だから、あいつらに逢いたいと思う反面、変わってしまったあいつらには逢いたくないとも思うんだ」
「…相変わらず、複雑な精神状態してんな」
「お前はどうなんだよ」
慧は雑誌から顔を上げもせずに、言った。
「興味ない。あいつらは、所詮は過去の人間だ。連絡が無くなった理由はわからないけど、
連絡がない以上俺たちとは切れてしまったわけだろ。そんな人間には興味ない。縁があっ
たら、自然につながるさ。でもその時は、もう昔の関係じゃなくなる」
「……うん」
「亮のやつは、そこらへんを覚悟してるのかねぇ」
「してないだろうな」
「昔の関係の修復を望んだって不可能だ。だからあいつは、ぼっちゃんなんだ」
衛は苦笑した。
昔に戻りたいと言う亮の気持ちもよくわかるし、それを不可能だと言う慧の言葉も理解
できる。
「肝心なのは、万真たちの気持ちだよ。あいつらの気持ちを無視して、俺たちだけがどう
こうしても無意味だ」
「そうだな」
頷いて、衛は軽く息をついた。
縁があれば、糸は自然につながる。
それがどういう関係になるかもわからない。
だが、衛は、一から出直して新しい関係を築くのも悪くはないと、そう考え始めていた。
薄暗い照明に照らされた店内の片隅、観葉植物の陰で、ひそやかな声で会話をしている
二人の少年がいた。目の前には香ばしい香りを立てているコーヒーが置かれている。
店内には客はまばらで、制服姿の少年たちに注意を払うものはいなかった。
黒いエプロンをかけた少女がモンブランとミルフィーユを少年たちの前に置くと、自分
も椅子に腰掛けた。
「……万真作?」
成一に問われて、万真は真剣な表情で頷いた。成一は慎重にフォークを口に運ぶと、し
ばらくモンブランを味わっていたが、ややあってにぱっと笑った。
「うん、うまい」
万真は安堵の表情になった。
ミルフィーユを食べていた千里が、フォークを置いてコメントする。
「パイが硬い。クリーム甘すぎ」
「うー」
唸った万真を、ちらりと見やって、千里はコーヒーを口に含んだ。芳醇な香りが口腔に
広がる。
「精進せよ、ってとこかな」
「……がんばります」
落ち込んだ万真に、成一が声をかけた。
「コーヒーの入れ方はかなり上達してるって。葉介さんばりにうまいよこのコーヒー」
「ほんと?」
「ほんとほんと」
とたんに万真は元気になった。
昨日から落ち込みようが激しかったので心配していた成一は、彼女の笑顔を見て内心安
堵の息をつく。それは千里も同様で、ようやく笑顔を浮かべた。
「土曜のことなんだけどな。俺たちだけじゃあの公園まで行けないから、ナンさんに道案
内を頼もうと思って」
「できるのか、そんなこと」
千里はにやりと笑うと、携帯電話を取り出した。
「メールアドレスは入手済み」
いつの間に、と驚く二人に、千里は胸を張ってみせた。
「誉めなさい。称えなさい。崇めなさい。敬いなさい」
「ハイハイ」
そっけなく言って、成一は磁器のカップを指ではじいた。チン、と澄んだ音でカップは
鳴った。
「…シャドウが手下を引き連れてきたらどうする」
「ナンさんたちを巻き込みたくはない。話し合いで片をつけたいけど……なあ」
と、千里は成一を見る。成一は顔をしかめて溜息をついた。
「話し合いねえ。結果は眼に見えるね」
万真もテーブルに肘をついて首を振った。再三勧誘された身だ。二度と勧誘されないと
は言い切れない。
「あんな軍団に入る気は毛頭ねえぞ」
「同感」
顔をしかめて言った二人に頷いて、千里は「じゃあ」と口を開く。
「もし向こうが力できた場合にどうするか。もうあの手は使えない」
外におびき出して叩く、という手は使えまい。
成一が双子をちらりと見やった。
「やっぱり、お前たちも力を身につけるべきなんじゃねえの?」
今度は二人が一斉に顔をしかめた。
「そんなに簡単に身につくものなの?」
万真が言えば、
「お前は簡単に言うけどなあ」
と千里も眉間にしわを寄せる。
第一、と万真が言った。
「力に力をぶつけてどうするのよ。力対力じゃ、キャリアから言っても人数から言っても、
METHには勝てないよ」
成一は唸った。確かに、万真の言うとおりだ。
万真は身を乗り出して声をひそめる。
「それに、あたしも千里も、夜中には出歩けないの知ってるでしょ。千里は土曜日以外は
伯父さんたちが家にいるし、あたしのほうも葉ちゃんがいるから、出歩けない」
「学校もあるしな」
千里が付け足したが、それはあまり説得力がなかった。千里も学校ではひたすら眠って
いるのだ。
「…まあ、俺のほうも家族がいたりするけどさ」
頬杖をついて呟いて、成一は不満そうに二人を見やった。
「じゃあどうすんだよ。今のままじゃ、勝ち目ないぜ」
「……指輪を返してほしいだけなのに」
ぽつりと万真が呟いた。
二人は万真を責めない。なにも言わない。
万真も二人の気持ちがわかっているから、それ以上は言わなかった。
「ぶっつけで行くしかないってことか」
「まあ今までも似たようなもんだろ。綿密な計画を立てても無意味だったしな、今まで」
千里の言葉に、残る二人も苦笑する。
計画倒れに終わった計画は、それこそ山とある。結局はぶっつけ本番体当たりで、なん
とかやってきた。
「相変わらず、綱渡りジンセイですな」
「スリルがあっていいじゃないか」
「あほ」
成一に冷たく言われても、千里は笑っていた。
なるようになる、否、なるようにしかならないことを、三人は十六にして悟っていた。
「悪ガキ三人が固まって、なんの相談だい?」
突然振ってきた声に顔を上げると、葉介が立っていた。見ると、店内に客の姿はない。
「葉介さん、儲かってる?」
成一の言葉に、葉介はしかつめらしく頷いた。
「成一くんがきちんと代金を払ってくれたら、もっと儲かるところなんですよ、お客さん」
「あはは」
成一は笑ってごまかした。もっともそれは葉介のいつもの冗談で、彼はすぐに相好を崩
す。
「成一くん、千里、二人とも夏休みにバイトの予定はあるかい?」
「ないけど」
「じゃあ、うちでバイトしないか? もちろんバイト代は出しますよ」
二人は顔を見合わせた。
「俺はいいよ」
千里は即答したが、成一は難しい表情で首をひねっている。
「うーん。家の手伝いもあるからなあ…」
「成一くんの手が空いた時でいいよ。良かったら、考えておいて」
「はい」
それだけ言うと、葉介は三人のカップにコーヒーを注ぎ足して、カウンターに戻ってい
った。客が来たのだ。
葉介の姿を眺めながら、成一が呟いた。
「相変わらず、若い。年齢不詳だよな、あの人って」
「今年で三十三だよ」
「葉ちゃんなら二十代でも通用するよな」
「うん」
そんなことを言っていたら、なんの話をしていたのか忘れてしまった。
所詮、この三人にいつまでも悩んでいると言う芸当ができるはずがなかった。
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