「コピー?」
三人は繰り返し、訝しげに顔を見合わせた。互いの顔に困惑を見出して、三人とも日向の言葉がよく理解できていないということを見て取る。
「なんだそれ」
間の抜けた声で成一は言った。対する日向は、いつもの無愛想な顔で答える。
「名前の通りだ。他の能力者の能力をコピーする能力。その力を持ってるのが、コピー能力者」
千里はおのれを振り返る。
欲しい、そう望んだら出現した光の球。
影もまた、彼が望んだためにあらわれたのか。
「……ふうん。なるほどね」
コピー能力なるものがあるのなら、二つのことも納得できる。
「ってことは……」
ヴン…と音を立てて千里の手の中に白く輝く剣が出現した。先ほどの男たちが持っていた、あの光る剣。
「なるほど」
ひゅ、と音を立てて剣を振り下ろし、千里は再び呟いた。自分の力を確認するように剣を出したり光の球を出したりしている千里を、万真は目を輝かせてみつめた。
「それって、すごい能力なんじゃないの?」
「俺もそんな気がしてきた」
ようやく実感が湧いてきたというふうに、千里ははじめて笑った。戸惑いがちな、だが溢れてくる喜びを隠し切れない笑みがこぼれる。
「考え様によっちゃかなり便利だよな」
感心したように、どこか羨ましそうな口調で成一が言う。
日向も頷いた。
「めったにいないらしいぞ。ナンさんから一度聞いたことがある。確か、最後に現れたのは……二十年ぐらい前、だったらしい」
記憶があやふやなのだろう、軽く首を傾げて言った言葉に、千里は口笛を吹いた。
「さすが俺」
「なに言ってんの」
万真に頭をはたかれても、嬉しそうに笑っている。
好奇心に目を輝かせて成一は千里の肩に腕を回した。
「俺の能力はコピーできるのか?」
「さあ」
答えて、千里はしばし考え込む。
「……あんまり試したくないな。失敗した時のリスクが大きすぎる」
その返答に、成一は満足したように大きく頷いた。愛嬌のある顔に大きな笑顔を浮かべて、成一は声をあげて笑う。
「お前はそういう性格だよ。ま、簡単にコピーされたら“鬼”の名前が泣くぜ。なあ日向」
「まったくだ」
「………絶対にコピーしてやる」
「絶対無理だから止めとけよ」
「できたらどうする」
「焼肉賭けるか?」
「食い放題だろうな」
「もちろん」
「のった」
「受けた」
不敵な笑いをかわした二人を見やって、万真は呆れて声を投げた。
「なにやってんの二人とも」
まったくだ、と日向も内心頷く。
パンパン、と音を立てて千里と成一の背中を叩いて不毛な会話を終えさせると、万真はひょい、と二人の間に顔を出して千里を見上げる。
「へへへ」
「なんだよ、変な顔して」
怪訝な顔になった千里をじっとみつめて、万真は笑った。
「よかったねー。能力」
「おう」
千里の相好が崩れる。無邪気な笑顔を浮かべた千里を見て成一は軽く笑った。
「コピーかぁ。お前って昔からやたら器用なやつだったからな。ぴったりなんじゃねえの?」
「実は俺もそう思う」
「千里くん、ケンソンって言葉知ってますか?」
「漢字で書けるか?」
「書けるさ―――…たぶん」
最後のほうは視線をそらして呟く。
千里が吹き出し、万真が声をあげて笑った。
そんな三人の様子を、日向は少し離れたところからみつめていた。
疎外感、というのではない。
だが、なんとなく、立ち入れない雰囲気がそこにあった。
三人だけの世界。
信頼と言うには強すぎる絆でつながりあった三人。
友人、という言葉では言い表せない、不思議なつながり。
一人一人なら、それほど気にもとめないだろう。だが、三人寄り添うことで、奇妙な華やかさが生まれる。目が離せない。
(……不思議なやつらだ)
そう、不思議という言葉が、一番ふさわしい。
羨望にも似た思いで笑いさざめく三人を見守っていると、不意に成一がひょいと視線を日向に投げた。
笑顔にちらりと訝しげな表情が混じる。
「どうした、日向」
その声に他の二人も日向を振り返った。ようやく彼の存在に気づいた、という表情が千里と万真の顔をよぎる。
「いや……おもしろいな、と思って」
「なにが?」
万真が問い掛ける。
頭に浮かんださまざまなイメージを掴もうとしていると、口が勝手に動いていた。
「椅子って、脚が三本あればそれで十分なんだよな」
言ったとたん、後悔した。
意味不明にもほどがある。
「すまん、なんでもない。忘れろ」
慌てて言って三人を見ると、三人は非常に奇妙な表情をしていた。
千里と万真は顔を伏せてアスファルトをみつめている。だが、二人の眼にはなにも映っていない。
「日向って、変なやつだな」
沈黙をとりなすように成一が声をあげた。ゆるゆると、千里と万真が顔を上げる。だが、二人は日向を見ようとはしない。虚ろな表情で宙をみつめている。いや、なにもみつめてはいないのか。
二人の様子に戸惑ったが、触れてはいけないもののような気がして、日向はさっきの成一の科白にだけ答えた。
「そんなに変か?」
「変だって。いや、それよりも――わりとお人好しだろ、日向ってさ」
聞き慣れない言葉を聞いた。
初めて言われる言葉に、日向の思考は一時停止した。
「―――はぁ?」
日向の声は人気のない路地に予想外に大きく響いた。万真の眼の焦点がようやく日向に合う。
日向はよほど間抜けな顔をしていたのだろうか。
突然聞こえてきたクスクスと押し殺した声に驚いて、日向は口を閉じた。どうやら今まで開いたままだったようだ。
万真が笑っていた。楽しそうに、可笑しそうに、心から。
千里も、おもしろそうに瞳を輝かせて日向の顔を見ている。
二人の顔には先ほどの翳はどこにも見出せず、日向は彼らの明るい表情を見て心のどこかで安堵する自分がいることに気づく。そう、安堵したのだ。
あんな二人は、あんな表情は見たくなかった。
成一が柔らかい表情で再び言った。
「お人好しだって。だって、わざわざ俺たちについてきてくれるんだもんな」
「ああ。いや、それは――」
それは――なんだ?
うまく言葉が見つからない。
初めて三人に逢ったときに感じた印象。そして、喫茶店で思ったこと。
「お前らって、なんかおもしろかったから」
おもしろい。そう思ったのだ。
素直にそう言うと、途端に三人は顔をしかめた。
「いきなり失礼なやつだな」
「おもしろい…って言われたのは初めてだなぁ」
「おもしろいかぁ? なんか見世物になってるみたいでおもしろくねえな」
三者三様の反応を示す。それもまたおもしろい。
「成一くんと愉快な仲間たち、なんつって」
「バカ」
「ざけんな。愉快なのはお前だけだろ人を巻き込むなバカ一」
両サイドから同時に脇腹を殴られて成一は悶絶した。
「くぁ……ッ! てめ、加減しろって!」
うずくまって呻き声を上げる成一を置き去りにして、千里と万真はすたすたと歩き出す。
ぐい、と腕を引かれて、日向は困惑して千里と成一を見比べた。
「お、おい」
「さ〜てきりきり行こうか」
「バカはほっとこうバカは」
「お前らなあっ!!」
成一の絶叫が路地に響いた。
その時。
どこか、そう遠くもないところで爆音が響いた。
爆音に悲鳴が入り混じる。
四人は顔を見合わせた。
「…どうする」
日向が問い掛ける。
三人は困惑した表情で互いの顔を見た。
「近寄らないほうがいいんじゃない?」
「だな」
他所様の戦闘に首を突っ込む趣味はない。
関わらないでおこうという結論が出て四人が踵を返した時、せわしないひどく乱れた足音が背後から聞こえてきた。
焦燥と恐怖が、不規則な足取りから伝わってくる。
足音は真っ直ぐこちらへ向かってきていた。
「わーい、嫌な予感」
抑揚のない声で成一が呟き、千里がはあと溜息をついた。
足音はだんだん大きくなる。
仕方なく振り向くと、走ってくる人影が見えた。人影は三人。
千里が光を強くすると、白い光に彼らの顔が浮かび上がった。
まだ二十歳にはなっていないだろう彼らの若々しい顔は、恐怖に彩られ、引きつっていた。
「た、助けてくれ…!」
男たちが叫び、四人のもとまで来るとへなへなと地面に座り込んだ。
「助けてくれ、殺される!」
上擦った声からも生々しい恐怖が伝わってきた。男たちは一様に傷つき、ぼろぼろだった。
千里は眉をひそめ、傍らの成一を見やる。
成一も困惑した表情で千里を見返した。
「…追われてるのか?」
千里の言葉に、男は頷く。男たちが震えていることに、その時になって万真は気づいた。
怯えている。――なにに?
「誰に」
日向が訊いた。
「……パ、パルチザン」
日向の顔色が変わった。
かつん、と、遠くから靴音が響く。複数の足音は、ゆっくりと千里たちに向かってくる。
男たちは青くなって四人の後ろに転げ込んだ。
「た、助けてくれ!」
「そんなこと言われても…」
万真の眉が下がる。困った。
道の向こうから人影が現れる。ひとつ、二つ…三つ。
「止まれ」
千里が声を発し、光を強めた。
広がった光の輪の中、三人の姿が浮かびがる。
光に照らされているのは、まだ若い少年と二人の少女だった。幼い、と言ってもいい。
顔立ちまではよくわからないが、万真たちとそう変わらない年頃に見えた。
先頭の少年が四人の姿を見て眉をひそめる。なにか言いたそうに一瞬口元が緩んだが、すぐに引き締められた。
「その三人を渡してもらおう」
少年の口から澄んだ声が漏れる。夜の闇を切り裂いた声に、男たちは身を竦ませた。
日向が身動きした。
一歩歩み出で、全員をかばうように右手を広げる。
「…嫌だ、と言ったら?」
少年は訝しげに眉をひそめた。
「かばうのか、お前が、そいつらを」
千里たち三人は驚いて日向と少年を見やった。知り合いなのか?
「べつに。ただ、お前たちのやり方が気に食わないだけだ」
日向の返答はそっけない。突き放すでもなく、淡々と答える。
突然上から声が降ってきた。
「ゴウ。お前が、他人と行動をともにするとはな」
驚いて顔を上げると、頭上に人が浮かんでいた。そう、浮かんでいるのだ。
「俺がいくら勧誘しても逃げていたお前が、なんの冗談だ?」
感情のない声にわずか皮肉が含まれる。
「特に意味はない」
ふん、と鼻で笑うような音がした。
「ゴウ。かばいだてするのなら、お前でも容赦はしない。後ろのやつらもだ」
その声に少年たちがはっとし、なにか言いたそうに頭上の人影を見やったが、頭上の男――おそらく少年――は意に介していないようで、ひたすら日向と千里たちを凝視している。
日向は落ちてくる視線を跳ね返すように睨み返した。
「聞こえなかったか? 俺は、お前たちのやり方が気に食わんと言ったんだ」
頭上の少年を、そして立ち尽くす少年たちをゆっくりと睨みつける。
身動きすらせずに日向を――いや、千里たちを凝視していたセミロングの少女がはじめて口を開いた。
「用があるのはあんたたちじゃない。後ろの三人よ。――そこをどいて」
「断る」
はっきりと答えたのは万真だった。動揺を示した少年たちに不審を感じながらも、一歩前に出て彼らを見据えた。
「この人たちにはもう争う意志がない。これ以上やるのは無意味だ」
「あ、あなたには関係ないじゃない! そこをどいて」
先ほどの少女が叫ぶ。整った顔立ちには、はっきりと焦燥が表れている。
広げた両腕はそのままに、万真は彼女の瞳をみつめたまま言う。
「退いて。そしたら、どく」
「伊織」
日向の手が肩に置かれた。見上げると、緊迫した表情の日向が万真を見下ろしていた。
「もうやめろ。――危険だ」
「でも、これって強者が弱者をなぶってるのと同じじゃない!」
危険は承知していた。だが、ここで退いてはいけない、そんな思いが心を満たす。
目の前の少年が身動きした。
「その三人は麻薬の売人だ。それでもかばうか?」
「え?」
反射的に四人は男たちを振り返った。視線を受けて、男たちは甲高い声で叫びながら身を翻し、逃げようとした。
刹那。
「――カスが!」
頭上から冷たい声が降りそそぐ。
その瞬間。
男たちの足はこびが不意に緩慢になったかと思うと、彼らの体が奇妙にひしゃげ始める。上から目に見えないおもりを押し付けられたかのように、地面に押し付けられていく。
異様な光景に声もない四人の上に、静かな声が降る。
「殺しはしねえ。内臓の一つや二つは、使い物にならなくなるだろうが」
静かな、なんの感情も含まれない冷たい声を聞いて、万真の背筋を冷たいものが走る。考える間もなく、頭上に向かって叫んでいた。
「やめて!」
離れたところに佇み、一言も発しずに成り行きを見守っている少年たちを振り返る。
「お願い止めて! 死んじゃう!」
少年たちの表情が動く。
真っ先に動いたのは千里だった。
生み出した火の球を頭上の少年めがけて投げつける。だが、唸りを上げて飛来した火の球に少年が手のひらを向けると、球の動きが緩慢になり、やがて完全に静止した。
「クソッ」
千里は唸る。
成一は奥歯をかみしめて奇妙にねじれた空間を凝視していた。
男たちを取り巻く空間がねじれているのはわかっていた。周囲の風景が歪んでいるのだ。
なんらかの力がかかっているのは明らか。力によるものならば――。
(消えろ。消えろ。消えろ!!)
パシン、と音を立ててなにかが壊れた。とたんに空間のゆがみが消え去り、男たちの身体が地面に投げ出される。駆けより、呼吸を確かめ、日向は万真を振り返った。
「大丈夫だ。生きてる」
少女の表情が安堵に歪む。
ほっとしたのもつかの間、頭上から降ってきた声に四人は身体を堅くした。
「余計なことを…」
「おい、やめろ」
少年が叫んだ。その瞬間だった。
万真の動きが止まった。
万真はぼんやりと自分の両手首をみつめた。
白い、きらきらと光る細い糸が絡まっている。それが四肢を束縛し、動きを封じているのだ。
「なに…?」
振り切れない。
力をこめても、びくともしない。
「カズ!」
千里の声が遠く聞こえた。
鼓膜に現れた異常に気づき、万真はつばを飲む。トンネルに入ったときのようだ。鼓膜がおかしい。
周囲を見回すと、空間が歪んでいた。
油膜を介した時とはまた違う、奇妙なねじれ。
耳がキンキンして、千里や成一がなにか叫んでいるが、よく聞き取れない。
「カズ!」
「万真!」
万真の身体はゆっくりと宙に浮かび上がる。抵抗もせず、万真は宙に浮かぶ少年の手元に収まる。
「てめ、なにしやがる!」
「なにもしねえよ」
耳元で聞こえた少年の声に身を震わせて、万真は傍らを振り向いた。少年と触れ合うところで、奇妙な振動が起きている。磁場と磁場のぶつかり合い。
「なん…」
「だから、なにもしねえって」
どこか不機嫌な声でそう言った少年は、間近で見るとやたらきれいな顔をしていた。千里とはまた違う、少女のように華やいだ美貌。人形のようだ。
下でなにか叫んでいるのは千里だ。
「カズ! 大丈夫か」
叫んで、万真がかすかに頷いたのを確認する。命に別状はないらしい。
「てめえ、そいつになにかしたらゆるさねえぞ!」
「だから、しねえって言ってるのに」
感情のない声で少年がぼやく。思わず彼を見ると、少年は万真の表情に気づいて軽く肩を竦めた。よくわからない。少なくとも、危害を加える気はなさそうだ。
自分が置かれている状況も忘れて、万真はぼんやりと少年の横顔をみつめた。
「………ねえ。どこかで逢ったことない?」
少年が驚いたように眼を見開き、万真の顔を見た。その表情を見て、気のせいだと確信する。これじゃナンパだ。
「ごめん、忘れて。なんでもない。気のせい」
こんなきれいな人に逢った記憶はない。この年齢なら、店の客ということもまずない。
(…なんでそんな気がしたんだろ)
なんとなく、懐かしいと思ったのだ。
少年はしばらく万真の顔をみつめていたが、下から絶えず聞こえてくる怒鳴り声にそちらに眼をやった。成一が眼をむいて怒鳴っている。
「こらてめー! 降りてこいや!」
一向に動こうとはしない少年に腹を立てて成一は怒鳴る。なにを言っても手ごたえがないこともまた腹立たしい。
千里はちらりと立ち尽くす少年たちに目をやった。この事態に戸惑っているのはむしろ彼らで、困惑したように宙に浮かぶ少年をみつめている。いや、ひとりだけ、セミロングの少女だけが瞳を輝かせて万真を睨んでいた。彼女の指が不自然に動いている。
彼女がなにかしているのは察したが、それが万真とどう関わっているのかはまだわからない。
千里は少女から、怒鳴りつづけている成一に視線を移した。
「一、万真を解放できるか?」
「あれを消せるかって?」
成一は万真を睨む。彼女を取り巻くように、空間がかすかに歪んでいるように見える。
「…たぶん、できる」
「たのむ」
小声で言って、千里は両手のひらに火球を生み出した。即座にそれを二方向へ――頭上の少年と、立ち尽くす少年たちに投げつける。
「わあっ!?」
「きゃあっ」
少年たちの間から悲鳴が上がったが、それよりも重要なのは万真だ。
火球は予想通り速度を落とし、前回と同様宙に静止した。少年の注意が万真からそれる。
その隙を見逃すような成一ではなかった。
「えやっ」
パシン、と音がして万真の身体が宙に投げ出される。
「あ…」
万真は反射的に手を伸ばした。とっさに伸ばされた少年の手は万真の指先をかすめ、宙を凪ぐ。
一瞬の浮遊感ののち、ドン、と音がして万真は誰かに抱きとめられた。思わず、というふうにもらされた安堵の息が、万真の前髪をかすめた。
違和感を覚えて万真は上を向く。喉仏の上のたくましいあごには、小さな傷があった。
――千里じゃない。成一でもない。
腕の中の少女が硬直したのに気づいて、日向は視線を落とす。すると、引きつった表情の万真と眼があった。
「あ、あ、あ」
パクパクと口は動くが声は出ない。
「悪ィ」
なぜ俺が謝るんだ。内心首を傾げながらも、万真を地面に下ろす。日向につかまりながらなんとか立ち上がった万真は、まだ硬直した表情で日向を見ていた。
「カズ!」
「万真!」
千里と成一が駆け寄る。万真の引きつった顔を見て、二人は心配そうに眉根を寄せた。
「大丈夫か。お前、顔青いぞ」
「怪我は? なにもされてねえだろうな」
「だ、だいじょう、ぶ」
硬い表情で言った万真はしばらく視線を泳がせたあと、やっと日向を見た。
なぜか日向の顔を直視できなくて、喉仏のあたりを見る。
「あ、その……どうも」
「ああ…べつに、礼を言われることじゃ…」
戸惑ったように日向が答える。
万真は気まずい空気を振り切るように顔を上げ、周囲を見回した。
少年たちの姿はすでになかった。
「あいつらは?」
誰にともなく問いかけながら、四肢を拘束していた糸が切れて手首や足首に絡まっていることに気づく。
「消えやがった」
「……そう」
去ったのか。
あの少年の横顔がなぜか浮かんだ。
きれいな、それでいてどこか寂しそうな、孤高の少年。
なぜ、懐かしいと思ったのだろう。
きらきらと光る蜘蛛の糸のような銀糸を払っていると、千里が不思議そうに訊いてきた。
「どうした」
「ん、糸が――」
「糸?」
最後の糸を地面に落として、万真は顔を上げた。
「糸が絡み付いて、身動きが取れなくなったの」
糸――。
千里の脳裡でなにかがはじけた。
そうか。
あの少女の動作の意味が、やっとわかった。
「なるほど」
考え深げに頷いた千里を、成一は奇妙なものを見るような目で見る。
「なにが? お前ひとりで考え込んでひとりで納得する癖治せよ」
「べつに誰にも迷惑かけてないだろ」
「俺にかけてる」
「いつ」
「いつもだ」
千里はきょとんとして成一を見返した。
「そうか?」
「そうだよ!」
またもくだらない言いあいをし始めた二人を、日向と万真は黙って見守った。沈黙が妙に気詰まりで、万真は靴の先でアスファルトを叩く。どちらも口を開かない。ただ、千里と成一の言い合う声だけが路地に響く。
居心地の悪い空気を断ち切ろうと、万真は無理やり口を開いた。
「さっきのやつら、知り合い?」
「…いや。何回か勧誘されただけだ」
日向の声はいつも以上にぶっきらぼうな気がした。
「あ、そう…」
会話が途切れ、居心地の悪い沈黙が二人を包み込んだ。
ふと気がつくと、千里たちの会話は終わっていて、成一が不思議そうに万真を覗き込んでいた。
「どうした? 腹でも減ったか?」
「…一と一緒にしないでよ」
ようやく浮かべることができた笑顔とともに、万真は務めて明るくそう言う。成一は鼻を鳴らした。
「うるせえな。俺だって四六時中腹へらかしてるわけじゃ」
「腹減ったんだな」
千里の声が割り込み、成一はそ知らぬ顔でそっぽを向いた。
千里はそんな成一の顔を見やると、苦笑する。
「いきなり静かになるからなにかと思えば。ほんとにわかりやすいよお前は」
「うるせい」
心持赤くなって呟いた成一は無視して、千里は沈黙している日向に顔を向けた。
「日向も腹減っただろ。なんか食いに行こう」
日向に否やがあるはずなかった。
「なぜあんなことを…!」
思わず怒鳴った亮の前で、まどかは悪びれずにそっぽを向いている。形の良い足を組み、赤茶の髪の枝毛を探している。亮の眉間のしわが深まった。
「まどか! 答えろよ!」
「亮くん!」
激昂する亮を押さえて、おろおろと紗綾が衛を振り返る。衛は不機嫌そうに腕を組んで沈黙している。
「衛くん、お願いとめてよ」
衛の反応はない。衛の瞳はめがねを通してどこか遠くをみつめている。紗綾は細い眉をゆがめて慧を見やった。
「慧くん」
慧は肩を竦めた。
「ほっとけ」
「そんな…」
紗綾は泣きそうな表情で睨みあっている亮とまどかを見た。
「万真を殺す気か」
まどかは髪を払って亮を毅然と見据えた。
「そんなわけないじゃない。ちょっと脅しをかけただけよ」
「なんのために」
まどかの表情が怒りに曇る。
「…だってあの子、あたしたちのこと覚えてなかったのよ。悔しいじゃない。あたしたちばっかり懐かしがって、また逢いたいと思ってたのに、あの子たちはそんなこと思ってもいなかったのよ。……バカみたいじゃない」
亮の表情が動く。不自然に瞳を彷徨わせて、先ほどよりもずっと力ない声で呟く。
「十年も経ってるんだ。すぐにわかるほうが驚きだろ。忘れてるなんて、そんなことは…」
「でもわからなかったじゃない! あたしたちのこと、悪魔を見るような眼で見て…!! あんな眼で見られて…あの万真に……」
まどかは片手で顔を覆った。紗綾が細い肩にそっと腕を回し、優しく抱きしめる。
とん、と地面に降り立って、慧がまどかに語りかけた。
「……あいつらから見たら、俺たちは悪魔みたいなもんだ。それだけの事をしてただろ。それに、忘れてると決め付けるのは、まだ早い」
「……え?」
「どういう意味だ?」
亮の問いかけには答えずに、慧は軽く床を蹴った。少年の細いからだがふわりと宙に浮かぶ。
「問題は、さっきのことであいつらの頭に俺たちは敵だとインプットされたかもしれないってことだ」
あ、と口をつぐんでしまうものが二名。
「まあ、もう少し様子を見ようぜ。結論を出すにはまだ早いだろ。なあ、衛」
話を振った相手は、慧の言葉を聞いていなかった。
青い顔をして前方をみつめている。
衛の様子に気づいて、慧は眉をひそめた。
「衛? おい、どうした」
「―――い」
かすれた声で、衛がなにか呟いた。
「おい。衛?」
亮が衛の肩に触れると、衛はびくりと身体を震わせた。二三度瞬きをして、普通の視界を取り戻す。
「……信じられない」
かすれた声で、呆然とした表情で、衛は呟いた。
「千里眼だ。それも、俺より強力な」
声を失った仲間たちに視線を向けて、衛はもう一度、言った。
「どこかに千里眼がいる。俺たちを見ていやがった」
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