NIGHT GAME 二章七話 情報屋
 万真は驚きを込めて自分の周囲を見回した。
 彼らがいるのは廃ビルの一階で、そこら中に木材や瓦礫が散乱している。
 足元のコンクリート片を蹴飛ばして、千里が呟いた。
「こういうのもありなのな」
「なんだって?」
 聞き返してきたライトに向かって肩をすくめて見せる。
「いや。その、ビルの中までこっちの世界になってるとは思わなかったんだ」
 納得して、ライトは暗い階段を上りながら頷く。
「結構多いぜ。まあ、あまり無防備に入り込まないほうがいいけどな。どこかのチームの基地になってるビルってわりと多いから」
「ライトとかもそうなの?」
 無邪気に尋ねてきた万真に、ライトはただ首を振った。
「いいや。俺たちはストリートだ」
「ストリートっていうのは、つるんで外をうろつくやつらのことです。基地を拠点に徒党を組んで勢力範囲を広げていくのが陣屋」
 淡々としたゼンの説明に、万真たちはわかったような顔で頷いた。
「ほとんどのやつはストリートで陣屋の絶対数は多くないけど、強いな。強豪チームは大概陣屋だ」
 靴音が響く中、ライトは表情も変えずに階段を上っていく。二階の入り口まで行くと一度立ち止まり、ライトは息をためると一息に重いドアを蹴り開けた。
 耳障りな音が空虚に部屋に響き渡った。
 思いも寄らないライトの大胆な行動に身をすくませた万真の耳に、押し殺した不機嫌そうな声が飛び込んできた。
「客なら客らしくしろ。俺になにか用ならまず名を名乗れよ」
 聞こえてきた声は若い男のものだった。
 明かりひとつなかった室内にライトの光が浮び上がる。
 十畳ほどの部屋は、驚いたことに立派な「オフィス」と化していた。
 しゃれたガラスのテーブルや黒いソファは廃品だろうが、少しもぼろさを感じさせない。
 そのソファに寝そべっていた男は、突然照らし出されてまぶしそうに腕を上げて眼をかばった。
「まぶしいなあ」
 寝ぼけたように呟いてもそもそと起き上がる。
 立ち尽くす万真たちを尻目にライトは大股に男に歩み寄った。
 男は近づいてくる人物をぼんやりと見上げていたが、それが誰かを知るとにっこりと微笑み、両手を差し延べた。
「おお、弟よ」
「客だ」
 抱擁の代わりに男が得たのは汚れた靴の裏だった。
 蹴られた顎を抑えて、男はぶちぶちとぼやく。
「相変わらずつれないねえ。二人っきりの兄弟なのにー」
「客だっつったろ。俺は今ヒジョーに不機嫌なんだよバカ兄」
 襟元を掴んで据わった目で男を見据えながらそう言うと、ライトはくるりと背後を振り向いて入り口で立ち尽くしている五人に顎をしゃくった。
「遠慮なく入れよ」
 おずおずと部屋に入りながら、千里は日向に耳打ちする。
「お前知ってた?」
「いや、初耳だ」
 千里たちと同様、日向も驚きを込めてライトと男を見やった。
 五人を見ると、男は快活に笑った。
「おう、今日はずいぶんと客が多い日だな。それもこれも愛しい弟のおかげ」
「寄るなボケ」
 ライトは取り付く島もない。
「……なんかライト、ガラが悪いね」
「俺もいろいろあるんだよ」
 万真にボソリと答えると、ライトはいかにも仕方なさそうに男をみんなに紹介した。
「とりあえず、コレ俺の兄。情報屋をやってる」
「銀ちゃんです。以後良しなにー」
 不気味なほど愛想よく男が答えた。
 仏頂面になるライトとは対照的に、銀と名乗った男はどこまでも嬉しそうに弟をかまおうとする。似てない兄弟だった。
「あのな、兄。俺はお前にかまってる暇なんかないんだ。情報をくれ」
 銀は悲しそうな顔をしたが、気配を察して慌てて言った。
「はいはいオッケ。出し惜しみはするし選り好みはするけど、報酬さえもらえればなんでも教えますよお客さん」
「報酬?」
 千里たち三人は同時に呟いた。
 予想はしていたが、いったいなにと引き換えに情報を得るのだろうか。
 金か、それとも新たな情報か。
 一瞬先達三人が複雑そうな表情をしたのが目に入って、千里は首を傾げた。
「報酬ってなに?」
 銀はにっこりと笑った。
 ゆっくりと一同を眺めると、万真の上で視線を止めて、そして大きく頷いた。
「うん。そこの君」
「はい? あたしですか?」
 きょとんとして万真は瞬く。日向の顔が引きつり、ゼンが青くなり、そしてライトのこめかみが引きつった。
「そう君。名前は?」
「………ええと?」
 万真が首をかしげたのとほぼ同時に、ライトの拳骨が男の頭にクリーンヒットした。
「お〜の〜れ〜は〜」
「いや、待て待てっ。報酬の交渉から入るのがセオリーってもんだろ!」
「報酬?」
 千里の眉が跳ね上がった。ゆらりと立ち上がり、ばきばきと指を鳴らす。
「報酬の交渉するのに、なんで女の名前を聞かなきゃならないんだ、おっさん」
「おっさんってあんたボクまだ二十歳」
「人の質問に答えろ」
 鬼気迫る千里とは対照的に、男はぼへぼへと太平楽な笑顔を浮かべてあっさりと答えた。
「だってほら、報酬」
 男の指の先にあるのは、万真だった。
 万真が状況を把握するのに要した時間は三秒。
 その間に成一が立ち上がりばきっと指を鳴らす。
「三秒以内に撤回しろ」
「冗談だってんならそのツラだけで許してやらぁ」
「――え? え?」
 状況がわからずうろたえる男に、横からボソリとライトが言い差した。
「兄。こいつらバカ強だから歯の五本は覚悟しろよ。なんたってシャドウの影を素手で消し去るやつらだから」
「なにそれほんとに人間? って、たんまたんま!!」
「タイムアップ!」
 室内に男の悲鳴が響き渡った。
 
 一分後、男はコンクリートの床の上で正座し、ひたすら謝っていた。
「ゴメン、ほんとごめん。冗談のつもり…ってわけじゃなかったんだけどさ」
「反省してねえなこのエロジジイ」
「ゴメンってば」
 またもや拳を固めた成一を見て慌てて謝る。
 男の顔は、無残に腫れていた。
 普通でない人間の拳を四人分四発も食らったのだ、ただで済むわけがない。
「あー、奥歯がたがた」
「自業自得っつーんだよバカ」
「なんだよ情報やらねえぞ!」
 反撃されて一瞬ライトは言葉に詰まったが、千里や成一はそんな言葉では収まらない。
「てめえにそんな言葉吐く権利なんざねえんだよ、わかってんのか、ああ?」
「言うに事欠いて、こいつが報酬? 億じゃきかないぜ? ああ? ニイさんよ」
「どぐされやろうだな」
「言っとくけどね、あたしはめちゃくちゃ高いよ」
「わかった。カラダは諦める」
 言ったとたんに三発ほど蹴りを食らったが、銀はしぶとかった。
「その代わり熱いベーゼで手をうと――おおうッ!」
「死ね!」
 激怒した万真に顎をしたたかに蹴り上げられて銀は後頭部から床に倒れこんだ。ガツンと鈍い音がしたが誰も気にも留めなかった。
「ライトこの男殺していいか」
「お好きにどうぞ」
「それよりさ、二度とスケベ心が起きないように切り落とそうぜ」
「切れ切れ。俺が許す」
「ナイフなら俺持ってます」
「消毒するならライターがあるぞ」
「お、日向ナイス」
「貸せ、俺がやる」
「ちょ、ちょっと待て!」
 抵抗虚しく男は押さえつけられる。
 ライターであぶって消毒したナイフをかざして、千里は無感動に声を投げた。
「――覚悟はいいか」
 男は真っ青になって絶叫した。


 五分後、ようやく開放された男は震えながら目の前の少年たちに向かって殊勝に頭を下げていた。
「特別にただで情報を上げますから、もう勘弁してクダサイ」
「最初からそう言やいいんだよバカ」
 銀は泣きまねをしたが、あっさり無視されてしまった。
「それで、欲しい情報なんだがよ」
「なんでも聞いてクダサイ」
 ライトは身を乗り出し、真剣な表情で言った。
「カマイタチのナンについて、わかってることがあったら教えてくれ」
 とたんに男は真面目な顔つきになった。
 ソファにもたれて腕を組む。
「難しいところをつくなあ。カマイタチって、お前が心酔してる姐さんだろ」
「一言よけいなんだよ。情報、あるのか?」
 心なしか赤くなったライトの言葉に、銀はぼりぼりと乱れた頭を掻いた。
「――カマイタチは、全国で見ても古参の一人だ。名実ともに実力者だな。最近幅を利かせてるB・Bなんかも、アイツにゃ足元にもおよばねえんじゃねえの?」
「へえ」
 驚いて、三人は感嘆の声を上げた。
「あの人って実はすごい人だったんだ」
「すごい人なんだよ」
 ボソッとライトが万真に答えて、続きを促す。
「八年だったかなあ。それぐらい長くいるらしい。東京エリアの道っての? ワープからなにまで、全部把握してるって噂だ。ここで彼女にかなうやつぁいねえってさ」
 千里たち三人はぱかりと口を開けた。
 驚いた、などというものではない。
「へーえぇ」
 だが、そんなことはライトにとっては今更言われるようなことではない。拳を固く握って太平楽な男の顔を睨みつける。
「今じゃなくて、昔のあの人について教えろ」
「昔ねえ」
 銀は指先でテーブルを叩いた。
「――昔神竜っていうチームがあってな。カマイタチはその一員だった」
「神竜?」
 ライトが驚きの声を上げた。
「そう、あの神竜だ」
 話についていけない残りの五人はきょとんとしていたが、やがて万真が難しい顔をして考え込んだライトとそれをまじめな顔で見守っている銀におずおずと声をかけた。
「あのー。話の腰を折るようで悪いんだけど……神竜って、ナニ?」
 銀は突然声をかけられて不満げに相手を見たが、それが万真だとわかるととたんに相好を崩して口を開いた。
「神竜ってのは、いまや伝説になっちまった東京エリア最強のチームさ。いやはやおっそろしく強い連中だったさ。当時俺様はまだガキだったけどね、憧れてましたよ」
 しかし、その神竜は四年前に突然解散した。
 理由はなにもわからない。
「――解散直前に、チームの中で人が死んだらしい。解散の理由はその殺しだとか、いろいろ言われてるけどな、本当のところはどうだろうな」
 殺人。
 その言葉に、万真の中のなにかが急速に冷えていった。
 月光に照らし出されたナンの横顔が脳裡をよぎった。
 限りなく透明で、ガラスのような存在。
 触れようとしたら、溶けて消えてしまいそうなほど、もろく感じた。
 膝の上においた拳を強く握って、万真は口を開いていた。
「そのチームに、鬼はいた?」
 唐突な言葉に誰もが怪訝な顔をする。その中で千里と成一だけははっと眼を見開き立ち上がった。
「鍵につながる鬼か!」
 ナンの言葉を思い出して千里が声を上げる。
 三人の少年たちに詰め寄られて銀は当惑していたが、やがてゆるゆると首を振った。
「いや、そんな情報はないけど」
 とたんに三人は落胆した。
「なんだ、違うのか……」
「いやでも、今の話の流れからしたら――」
 きっと顔を上げたのは万真だった。
「どっちにしろ、ほっとけないよ。だって、ナンさん――」
 あんな表情をさせてはいけない。
 心の痛みは、万真には痛いほどわかるから。
 だから、彼女にあんな顔をさせた原因と今回のことが関係あるのなら、なおさら放ってはおけない。
 下手をしたら、彼女はもっと傷つくことになるかもしれない。
 ふと頭を撫でられた顔を上げると、優しい瞳をした千里がいた。それだけで、不安が和らぐ。
 万真の様子をうかがっていた成一が、銀を見やると尊大に言い放った。
「銀ちゃんとやら。さっきのことは忘れてやるから、その神竜関係についてわかってることを話しなさい」
「散々殴られてもまだチャラにはなってないのかよ」
「セクシャルハラスメントは犯罪です」
 すかさずゼンが突っ込む。
 銀は舌打ちをしたが、気を取り直したように笑顔になった。
「まあいい。弟の顔に免じて許してやろう」
 ライトが渋面になったが銀は取り合わず、言葉を続けた。
「神竜関係者はまだ残ってるぜ。半数以上は抜けたけど、半数はこの世界にとどまってる。ヘルハウンドってのがやつらのチームだ。まあ、以前のような目立った活動はしてないけど」
 ヘルハウンド、と口の中で呟いて、ライトは頷く。
「他には?」
「あと、神竜の事を知りたいんなら、赤龍に当たれ」
「なんで」
「赤龍は、神竜と並んでツインドラゴンって呼ばれてたんだ。同じドラゴンってんで反目もすごくってさ。ずっといがみ合ってた。あいつらなら神竜のことも良く知ってるだろ」
 ライトはしばらく考え込んでいたが、やがてひとつ頷いた。
「そうか。それで?」
「これでおわり。ネタ切れだ」
 即座にライトは立ち上がり、部屋を出て行こうとした。
 間髪いれず千里は腕を伸ばしてライトのシャツのすそを掴んで引き止める。ほぼ同時に銀も同じことをした。
「まあまあ。もうちょっとここにいろよ」
「あせるなってライト」
 ライトは振り払って立ち去るそぶりを見せたが、千里の笑顔にあってあきらめた。
 一秒でも時間が惜しいのだろう、ドアのあたりでうろうろしているライトは放っておいて、千里は銀に笑顔を向ける。
「せっかくだから、いろいろ教えてくれよ情報屋さん」
「うっわーなんか怖いんですけど」
 笑顔で銀を沈黙させた千里の隣で万真がぴょこんと手を上げた。
「質問」
 とたんに銀の表情筋が緩んだ。
「はいはいナニかな?」
「この世界ってさ、子供しかいないの? おじさんとか、大人って見たことないんだけど。最高でも大学生くらいでさ」
 そう。ここに出入りするようになって数週間たつが、見かけるのは皆万真と同年代の少年少女や、せいぜい二十代前半までで、それ以上の年長者は見かけない。
 銀は万真の疑問にあっさりと答えた。
「ああ。なんか知らないけどさ、みんな歳食って社会に出るようになると抜けてくんだよ。だからここには若者しかいないんだ」
 ふうん、と呟いて手を上げたのは成一だった。
「HPの管理人っているじゃん。あれって何者? てか何様?」
「ああ。アイツの正体は俺も探ってんだけどさ、さっぱりわかんね。どうやら一人じゃないらしいってことまではわかってるんだけど」
「複数? チームとか?」
 千里の問いかけに銀は軽く首を傾げる。
「その可能性は大だと思ってる。文体が時々変わるんだよ。同一人物が書いてるとは思えないんだ。ま、そこらへんはおいおい探っていくつもりだけどね」
「鬼って今何人いるんだ?」
 千里の質問に銀は真剣な表情になった。
「…管理人の情報を信用するなら、今のところ全国で五人」
 五人、と驚いて声を上げた少年たちを見据えながら、ささやく。
「うち二人はここ、東京にいるらしい。ゲームが始まったからな。その鬼を狙って全国から東京に入り込むやつが増えるだろう。過去の例から考えても、鬼を引き入れたチームが勝った例は多い。生き残りたいんなら鬼を手に入れろ」
 お互いに顔を見合わせ、四人は軽く肩をすくめた。
 大いに気をつけるとしよう。
 質問が出尽くしたのを見計らって、そわそわと落ち着き無くしていたライトが四人に声をかけた。いいかげんじれたらしい。
 立ち上がりぎわ、ふと思いついて日向は銀に尋ねた。
「…ワープゾーンの向こうを見るっていう能力はあるか?」
 思わず万真は足を止めた。千里と成一も立ち止まり、銀の返答を待つ。
 銀は軽く首を傾げた。
「さあ。聞いたことないけど。そんなやつがいるの?」
「いや」
 短く答えて、日向は目で三人を促して部屋を出て行った。万真は困惑して銀を見ていたが、やがて振り切るように部屋を飛び出す。
 その後に続いて千里と成一も立ち去り、後に残された銀は遠ざかっていく靴音を聞きながら軽く顔をしかめた。
 殴られた顔の傷が痛む。
 口の端に手を当てて、ふと銀は瞬いた。
「……ワープゾーンの向こうを見る?」
 ずっと前にそんな話を聞いた気がする。
 いつのことだったか。
 脳裡で光がはじけ、無意識の内に銀は口元を抑えた。
「まさか――」
 はじけるように立ち上がり部屋を飛び出したが、すでにビルの中には人の姿はない。
 銀はその場を動くことができなかった。
 新たに生じた予感のようなものに全身を支配され、ぶるりと身を震わせた瞬間。
 突然背後から聞こえた靴音に、銀は反射的に身を翻し、身構えた。
 闇の中から人影が溶け出す。
 それが誰かを認識したとたん、銀は驚きに眼を見開いた。
「あんたは――!」



「ライト!」
 ビルを飛び出したライトを追って万真は叫んだ。
 その腕を捕らえるとようやくライトは立ち止まった。
「その、ヘルハウンドってやつらの居場所とかはわかってるの? いきなり飛び込むのは無謀だよ」
「わかってるけど!」
「落ち着けって」
 言ったのは千里だ。
「もうひとつの赤龍ってのもやばいやつらなんだろ? ナンさんのことが心配なのはわかるけど、もうちょっと冷静になれよ」
「おおーうどこかで聞いたセリフ」
「うるさい」
 よけいなことを言った成一は千里に怒鳴られて首をすくめた。
「それに、これから行動するとなると少し時間が足りない」
 その言葉に時間を確かめると、時刻は三時を回ったところだった。
「まだ二時間はある」
「二時間しかない、だ」
 ライトの言葉に低く答えると、千里はライトの胸に指を突きつけてささやく。
「東京は広い。夜の東京は特にな。そのくらい、俺らにもわかってるんだ。いろいろ考える時間をくれ」
 千里の言葉にライトは黙って唇をかんだ。
 胸の奥は焦燥感でいっぱいだと言うのに、この少年たちはなぜそれをわかってくれないのか。
 拳を握り締めたライトの肩に手を置いて、万真はそっとささやいた。
「ナンさんが心配なのは、あたしたちも一緒だよ。協力するって約束したよね。だから、落ち着いて」
 やわらかい声に、まだじりじりと胸はこげていたが、それでもライトはそっと拳の力を抜いた。それがわかったのだろう、万真もほっとした表情を見せる。
 千里もやわらかい表情になった。
「良かった。俺たちも、できる限りここにくるから。明日――もう今日か。は、どうだろ」
 千里は万真を見る。万真も千里を見返し、わずかに躊躇したがはっきりと頷いた。
「大丈夫」だと、思う。
 言外に含まれた響きに気づいたのだろう、千里も少々不安そうな表情になったが、しかしそれをライトに気取られるようなことはしなかった。成一に視線をやると、彼もしっかりとした頷きで答える。
 日向もあっさりと頷いた。
「俺は大丈夫だ」
「ってことだからさ。明日、動こう」
 ライトはすぐにはなにも言えなかった。
 ただ、こう呟いた。
「――ありがとう」
 四人は暖かい笑顔を浮かべた。
 ライトの背中を軽く叩いてから、万真はそう言えば、と傍らの日向を見上げた。
「さっき、なんであんなこと訊いたの?」
 突然訊かれて日向は当惑したが、すぐになんのことか理解して、曖昧に首を傾げる。
「いや……お前の力がなにか、少し気になって」
 万真もことりと首を傾げた。
 ちょっと、嫌な予感がするような。
「……もしかして、アレがあたしの能力とか?」
 引きつった笑顔を浮かべながらそう言ったところ、日向は真顔で否定した。
「情報屋もああ言ってただろ。たぶん、違うと思う。能力って感じはしないから」
 能力なら、なんとなく「わかる」。伊織万真のそれはもっと別のものだ。
 話を聞いていた成一も訝しげな表情で口をはさんだ。
「でも万真って最初からワープゾーンの向こう見えてたよな」
 そういえばそうだ。万真には、最初からあの向こうが見えていた。
 と、そのとき、真面目な表情で千里が口を開いた。
「お前、このあいだ変なこと言ってただろ。糸がどうとかって。それに、このあいだ襲ってきた六人組の攻撃、お前には見えてたのか?」
 突然言われて万真の頭はパニックになった。
「え? なに?」
 思い当たることがあったのか、成一がぽんと両手を打つ。
「ああ、あの変な爆弾みたいな? そういやそうだっけ」
「ちょっと待ってよなんの話?」
 万真にはさっぱりわからない。
 混乱する彼女を取り巻いて、千里たち三人は口々に「見える」だの「見えない」だの、なにかわけのわからないことを話している。
 とうとう万真は叫んだ。
「わっかんないよーもう!」
 三人を見上げてぷりぷりと憤慨する。
「見えるとか見えないとか、どうでもいいでしょそんなこと! あたしのことなんかどうでもいいの。今はナンさんのことが先決でしょ!」
 その言葉で話に入れなくて遠巻きにしていたライトとゼンも口々に頷いた。
「今大切なのはナンさんだ」
 彼らの言うことは至極もっともなので、千里たち三人は追及を一時諦めた。
 時間を確認して、千里は万真を促す。
「じゃあ、明日一度連絡入れるよ。俺たちはここらへんで帰る」
 え、と驚いて声を上げたのは日向だけだった。
「おう。気ィつけろよ」
 ひらひらと成一が手を振る。
「悪いな」
 と済まなそうに言ったのはライトだ。
 笑顔を残して去って行った二人を見送ると、日向は思わず成一を見やった。
 成一は日向の顔を見てにやりと笑った。
「俺たちも帰るか? お前んチどっちよ」
「いや、そうじゃなくて――」
 助けを求めるようにライトとゼンを見たが、二人は平然としている。
 動揺しているのは、どうやら自分だけらしい。
「…なんでもない」
 なんとか日向はそう言った。
 おかしく、ないのだろうか。
 いや、伊織万真は女で、だから男が送るのは当然のことで。
 自分がなにに引っかかっているのか、日向にはわかっていた。
 ごく普通に、自然に万真と帰って行った千里。自然と千里について――いや、彼に守られるようにして帰って行った万真。
 さらには、それを当然のことのように見送った成一。
 彼が動揺したのは、まさにそこだった。
 と、背中を叩かれて日向は我に返った。顔を上げるとそこには目を三日月にした成一の顔があった。
「ヤキモチ?」
「なッ――!」
 日向は周囲が暗いことに感謝した。昼日中だったら、彼の顔が真っ赤になったのが成一にはわかっただろうから。
 だが、成一は日向の様子から彼の表情を読み取ったらしい。
 ニヤニヤと笑って肩を叩いた。
「冗談冗談。さーて俺様も帰りますかあ」
 日向が絶句している隙に成一はさらりとそう言い、三人にひらひらと手を振った。
 残された日向は、慌てて他の二人に短く別れを告げた。
 どうにも気分が落ち着かない。このまま家に帰っても眠ることなどできそうもなかったが、このままこの二人と残されても身の置き場がないから、ここは去るしかなかった。
 日向が去ってしまうと、ライトはゼンと二人残された。
 ライトは真っ黒な空を見上げて溜息をつく。
 ナンも今ごろ、この空の下にいるのだろうか。
 それを考えると、胸の奥が締め付けられた。
 あの人は今、なにを考えているのだろう。
 ゼンが控えめにこちらをうかがっていることに気づき、ライトは口の端で笑うと意識を切り替えた。とりあえずは、明日だ。
「――俺も帰るよ。明日に備えて、休まないとな」
 そう言うと、ゼンはほっとしたように微笑んだ。
「はい」



 銀はソファに背を預けると、大仰な身振りで両手を広げた。
 目の前にいる男を軽く見据えて、努めて軽く言い捨てる。
「こんなところに出てきてもいいんですか? あなたを捜してるやつらがいますよ」
「知ってる」
 青年は短く答えた。
 銀はさりげなく肩をすくめ、視線を青年の隣に移した。
 ソファに身を埋めている青年はぴくりとも動かない。いや、ただその口元だけが、なにかを呟くように音もなく小刻みに動いている。蓮見と呼ばれる彼が今なにをしているのか、銀は良くわかっていた。だからこそ、この青年の動きが気になる。
(なにを探ってる――?)
 銀は蓮見を軽く睨んでから、視線を戻した。
 今目の前にいる男たちのことを、銀は良く知っていた。ただし、じかに取引する相手ではなく、取引される情報の中身として。
 今、彼と交渉しようとしているのは、噂よりもずっと線が細い青年だった。しかしこの青年の本性を銀は知っている。どことなく女性的な風貌ではあるが、決して気を許してはいけない相手。隙を見せてはいけない男――北斗。
 その男がゆっくりと口を開いた。
「俺がお前に与える情報は――パルチザンの正体」
 思わず銀は息を呑んだ。
 それは――信じられないほど、大物だ。
 握り締めた掌にじわりと汗がにじんだ。
 知らず震えそうになる声を、腹に力を入れてなんとか押しとどめる。
「俺がそれに見合うほどの情報を持ってるといいんだけどね」
「持っているはずだ」
 不思議なほど確信に満ちた表情で、北斗は言った。
 蓮見が顔を上げたのはそのときだった。
 静かな澄んだ瞳で一度銀を見据えたあと、北斗に顔を寄せて何事か耳打ちする。
 頷いた北斗は、強い瞳で銀を見つめた。
 黒い瞳に見据えられた瞬間、銀の心が震えた。
 これは、王者の瞳だ。
 王の瞳だ。
 無意識のうちに、男の言葉を待つ。
 そして、待ち構えていた言葉は放たれた。
「さっきここへ少女が来ただろう。その子のことを、教えてくれ」

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