乳白色の陶器の中に、黒い液体が注ぎ込まれる。煎れたばかりのコーヒーの芳醇な香り
が湯気とともに立ち上り、部屋の中に満ちていく。
葉介はソファに腰を下ろすと、カップを口元に運んだ。
コーヒー独特の香りが霞がかっていた頭をクリアにしてくれる。
小さな吐息を漏らしてバターをたっぷりと塗ったパンをかじると、葉介はテレビに眼を向けた。
テレビの中では、早朝だというのにやけに爽やかなキャスターが明るく話している。
それを軽く聞き流しながら新聞を広げた葉介は、第一面に眼を落としてギョッとした。
夏休みが始まってからこちら、全国規模で青少年の謎の負傷が激増している旨のことが報じられていた。
擦過傷に始まり、火傷や裂傷、はては夏だというのに凍傷も見られるという。
葉介は呆然としてその記事を見つめた。
ここ十年の間、小さく問題になるようなことはあったがここまで大々的に取り上げられることはなかった。子供たち自身が周囲に悟られないように気を使っていたこともあるが、これは明らかに異常な事態だ。
予感のようなものが胸に広がる。
これと似たようなことが、以前にもあった。
忘れることなどできそうもないことが。
「ゲームが、始まったのか……?」
ほかに考えられることがない。
ここまで負傷者が続出する事態など、それぐらいしか葉介は知らない。
テレビの中でも、朝の原宿に立って女性のアナウンサーがそのことについてなにか語っている。
葉介は食べかけていたパンを皿に投げると、新聞を乱暴にテーブルの上に投げ出して立ち上がった。
時計は六時半を指している。窓の外はすでに明るい。
万真の部屋のドアを静かに押し開けると、目当ての人物は安らかに寝息を立てていた。
寄り添うようにしてひとつの布団に包まって眠っている千里と万真の寝顔は幼い子供のようで、知らず葉介は微笑んでいた。
見たところ外傷はないらしい。
二人が今朝方帰ってきたことを、葉介は知っている。だが、あえて気づかない振りを押し通した。
葉介が彼らの「先輩」であることなど、知らせなくても良いことだから。
千里は夏休みが始まってから、一週間のうち四日を伊織家で過ごしている。
一種のリハビリテーションだ。
千里と万真は、一人ではまだ眠れないが、二人一緒だとなんとか眠ることができるようになった。
まだ眠りが浅いし、二三時間が限度だが、それでも大した進歩だと葉介は思う。
世の中が暗いうちに眠ることができるようになったのだ。
以前は、日がすっかり昇るまでは決して眠ろうとしなかった二人が、十年の月日をかけてようやくここまできた。
頬にかかる柔らかな千里の髪をそっと指先で払ってやると、少年のまぶたがぴくりと動いた。
気だるそうに目を開けて、自分を覗き込んでいる葉介に気づくと驚いたように目を見張る。
「……なにしてんの?」
寝ぼけた声に葉介は柔らかく微笑んだ。
「う…ん」
声に万真も目を覚まし、小さく声を上げて眼を開けた。
いまいち状況を把握できないらしい万真の様子に葉介はにっこりと笑った。
「おはよう」
ぼんやりと万真は葉介を見上げ、もごもごと口の中で挨拶を返した。
ぼさぼさの頭で千里は身を起こす。
「…何時?」
「もうすぐ七時」
あくびをかみ殺し、万真はごろりと床に転がった。
千里と二人で寝るには万真のベッドは小さいため、千里が来たときはこうやって二人で床で眠る。
「カズ、ベッドで寝ろよ」
千里は再び寝息を立て始めた万真を揺り起こすと、自分はふらふらと立ち上がった。
万真はベッドにもぐりこむと「おやすみ」と呟いて早々と寝息を立てている。
千里とともに万真の部屋を出ながら、葉介は甥に問い掛けた。
「何時に寝たんだい?」
「…四時」
低く答えながら千里はロフトに続く梯子を上り始める。
ロフトの上が、伊織家における千里の空間だった。
千里の姿がロフトの中に消えたのを見届けて、葉介はそっとささやいた。
「おやすみ」
小さな返事を聞き届けてから、葉介は冷めてしまったコーヒーを流し込むと、パンをくわえながら階下の店へと降りていった。
八月に入ると日差しは一層きつくなったように感じられ、日向はなるべく木陰を選んで道を歩いていた。
自分がなにをしているのか、いまいち自分でもわからない。
一度しか訪れたことがないというのに迷うことなく進んでいく自分自身に戸惑いを感じる。
眼の前に現れたのは、シックで落ち着いた雰囲気の一軒の店。
黒く塗られた壁面にはびっしりと蔦が絡まっていて、独特の情趣を醸し出している。
暗い色ガラスの向こうは見えない。
言い訳ならあった。
最近、市販のコーヒーがちっとも美味くない。自分で煎れても水っぽくて不味い。
たまに美味いコーヒーを飲みたくなっても、別に不思議なことではない。
事実、「庵」のコーヒーはとても美味いのだから。
それにナンのこともある。
昨夜はなにも決めずに解散してしまったのだ。
今日の夜の集合場所や時間など、いろいろと話し合うべきことはたくさんあるのだ。
相談する相手を間違えているような気もするが、それはそれで別にいい。あとで成一や千里に連絡を入れて落ち合えばいいだけなのだから。
いろいろと理屈をつけて店のドアの前に立つ。
軽く息を吸うと、思い切ってドアを押し開けた。
カランカランと小気味良いドアベルの音が響き、店内の冷気が肌を撫でる。
「いらっしゃいませ」
柔らかな声にそちらを見ると、伊織万真の叔父がいた。
若いマスターは日向を見覚えていたようで、軽く驚いたようにしたあとにこりと微笑んだ。
「いらっしゃい」
日向は葉介に軽く会釈して、店内を見回した。
昼前ということもあってか、客はそれほど多くない。だが席は半分近く埋まっている。
伊織万真の姿はない。
バイトだろうか、以前にも見た赤毛の青年が日向を見てなにか言いたそうにしたが、マスターになにか言われてカウンターの奥に消えて行った。
日向は迷ったすえにカウンター席に座った。
「日向君だったよね。今日はなにを飲む?」
葉介は嬉しそうにそう声をかけながらメニューを差し出した。
とりあえず前と同じ物を頼む。
豆を選んでいる葉介にそっと声をかけた。
「あの……」
フィルターを探していた葉介が顔を上げる。日向の言いたいことを察したのだろう、笑顔になってこう答えた。
「ああ。万真と千里ならまだ寝てるよ。そろそろ起きてくることだと思うけど…起こしてこようか?」
「――いえ、結構です。大した用事じゃないので…」
そういう自分の声がひどく遠く聞こえた。
壊れたような心臓の音が、やけに大きく耳につく。
万真と千里は―――マスターは確かにそう言った。
では、今朝万真を送ったあと千里はここに泊まったのだ。
万真の保護者であるこのマスターもそれを容認しているらしい。
心臓がずんと落ち込んだ。
胸の奥を思い切り握りつぶされたような、そんな感覚。
カウンターに置かれたカップを機械的に取り上げ、なにも考えずに口元に運ぶ。
舌先に走った痛みに思わずカップを取り落としそうになり、慌てて持ちこたえた。
胸が、痛かった。
ほとんど無意識のうちにコーヒーを飲み干し、機械的にマスターと会話を交わし、気がついたときには店を出ていた。
太陽の光に白く染め上げられた街はまぶしくて、なぜか涙が出そうになる。
冷房に慣れた身体はすぐに暑さに耐えかね、じわりと汗がにじみ出る。
「――くそ」
胸にぽっかりと大きな穴が空いたようだった。
そうなってはじめて、日向は自分の気持ちに向き直ることができた。
心の一番敏感な部分を覆い隠していた靄はマスターの一言で消え去ってしまった。露わになったその部分は粉々に壊れて今にも崩れ落ちようとしている。
気づいてしまったときには、遅すぎたのだ。
恋をしてはじめて生まれる希望は、恋心に気づく前に粉々に粉砕されてしまった。
日向は空を仰いだ。
蒼天は白く光っている。
失恋したときは、やっぱり夕焼けだろう。
ガラにもなくそんなことを考える。
こういう日は道場にでも行って思い切り体を動かすのが一番だが、あいにく今日は日曜日で道場は開いてない。
「…ついてねえな」
ぽつりと呟くと胸の奥がずきりと痛んだので、日向は自分の気持ちをごまかすように道の脇に転がっていた空缶を思い切り蹴とばした。
まぶたの裏に光がちらつく。
まぶしさに耐えかねて眼を開くと、窓から白い光が差し込んで、万真の顔の上に光の帯を描いていた。まぶしいはずだ。
ごろりと寝返りを打って机の上の時計を見る。十一時半。
八時間近く寝たためか、頭は非常にクリアだ。
「ん――」
大きく伸びをすると、万真はぴょこんと起き上がった。
身体が軽い。
てきぱきと着替え、寝癖のついた髪を気にしながら部屋を出ると、そこには誰もいなかった。
低いガラス張りのテーブルの上には手をつけた形跡のないテレビのリモコンが置いてある。バルコニーに続くガラス戸から差し込む陽光が、部屋の隅の観葉植物の鉢に燦燦と降り注いでいる。
耳を澄ませば階下からは店内の穏やかな話し声が聞こえてくるし、さらによくよく耳を澄ませると静かな寝息が聞こえてくる。
どうやら千里はまだ寝ているらしい。
万真はしばらくロフトを見つめていたが、そっとしておこうと判断して足音を殺して階段を降り始めた。
階段の途中で店から入ってきた弘行と顔を合わせる。弘行は万真の顔を見てちらりと笑った。
「寝癖によだれの跡。カズ坊ほんとに女か?」
「え、やだっ」
びしりと指を指されて思わず万真は拳で口元をぬぐった。
弘行は万真の反応にひとしきり笑ったあと、こう言った。
「丁度良かった。フィルターが切れかけててさ。あとほかにもいろいろ買い物があるんだけど、買ってきてくんねえか?」
「いいよー」
明るくそう返事をして洗面所へと駆け出す。
水道の蛇口をひねりぬるい水に手を浸した万真の背中に弘行の声がぶつかった。
「そうだ、カズ坊。さっきお前の友達が来てたぞ」
「ほあ?」
水の滴る顔で思わず振り向く。
綺麗に洗濯されたふきんを数枚チェストから出して、弘行は洗面所を出て行きながら付け足した。
「背の高い男。なんてーか野性味があって精悍っての? ガラの悪さと紙一重」
前に一度店に来ただろ。
そう言い残して弘行は店のほうに戻ってしまった。
万真はぽかんとしてその場に立ち尽くしていたが、ようやく濡れた顔に気づいてタオルで水滴をぬぐう。
「ガラが悪いって……もしかして、日向?」
ほかに友達と呼ばれるような知り合いはいない。
しばらく首をひねっていたが、買い物を頼まれていたことを思い出して万真は慌てて身支度を済ませて家を飛び出した。
南中しようとしている太陽が容赦なく照り付けてくる。
買い物は十分程度で済んだが、それでもそれなりの量になり、万真の両手は買い物袋でふさがってしまっていた。
やはり一番かさばっているのはお徳用のトイレットペーパーだろう。
早く帰らないと、弘行のシフトが終わってしまう。
昼からは、弘行に代わって万真たちが店に出るのだ。
時間までに帰らないと、弘行に後でなにを言われるかわかったものではない。
なるべく早足で歩いていた万真だが、あまりの猛暑にくらりと立ち眩みがした。
よろめいた身体を立て直そうと反射的に足を踏みしめたが、その踏みしめたところが問題だった。
踏みしめたのは土ではなく、それよりも柔らかいもので。
「いてえ!」
頭の上で男の怒声が聞こえたが、万真はかしいだ身体を立て直すので精一杯だった。
踏みつけてしまった足の持ち主に肩からぶつかり、そのおかげで地面に激突することは免れたものの、どうやらあまり良い状況ではないということをくらくらする頭でなんとか悟る。
「す、すいません…」
眩暈が収まり、ようやく晴れた視界に映ったのは、いかにもガラの悪そうな男たちだった。
この暑さで気が立っていたのだろう、三人の男は相手がまだ少女だと言うことを見て取っても不機嫌さを隠しもしないで詰め寄った。
「いてえじゃねえか、ああ?」
「あーあ、血が出てるよー。どうしてくれるんだ、お嬢ちゃん?」
間の悪いことに万真が履いているのは普通のスポーツシューズで、対する男はサンダルだった。
万真が思い切り踏みつけた男の足の甲はすりむけ、うっすらと血がにじんでいる。
大した怪我ではないことは一目瞭然だが、男たちを不快にするには十分すぎるほどだった。
「あの、ごめんなさい」
「ごめんじゃすまねえんだよ」
「もうちょっと心からの謝罪の言葉が欲しいわけ」
「謝るにも謝り方があるよねえ。三つ指突いて土下座とかァ?」
凄みながら男たちがそう言う。
万真は数歩後ずさった。
男たちはさらに距離を詰めてくる。
トン、と肩に壁が触れ、万真は逃げ場がなくなったことを悟った。
日向は読んでいた雑誌を元の棚に戻すと、そのままなにも買わずに本屋を出た。
自動ドアが開いたとたん熱気が押し寄せてきたが、日向はかまわずに外へ出る。
どうにも落ち着かない。
このまま家に戻る気にもなれないし、外をうろつく気分でもない。
無意識のうちに深い溜息をついたとき、ふと日向の耳になにやらざわざわとした人の声が飛び込んできた。
眼を向けると、道の向こうでなにやらもめているような声がする。
道行く人々が眉をひそめて見ているのは、数人の、いかにもガラの悪そうな男たち。
ケンカだろうか。
そう思い、興味を惹かれてそちらへ足を向けた日向は、近づくに連れて眼に止まったものに仰天した。
男たちに囲まれている少女に、見覚えがあった。
嫌というほど。
暑さがこたえているのか、それとも両手に抱えた荷物のせいか、その少女にはいつもの覇気がまったくなかった。
それでも黒い双眸を炯々と光らせて男たちを睨んでいる。
言い合う声が日向のところまで聞こえてきた。
漏れ聞こえてくるその内容に、日向は思わず小さく唸る。
かなり頭に来ているのだろう、伊織万真は男たちを挑発するような言葉をまくし立てていた。それがあながち見当はずれでもないらしいことは、だんだんと険しくなっていく男たちの表情からも見て取れた。
男たちの背のあたりから憤怒のオーラが立ち上ってくるのが見て取れるような気がする。
「あの、バカ!」
日向は思わず呟くと、駆け出した。
「夏休みだっていうのに、こんな真昼間から男同士でつるんで歩いて楽しい? あ、そうか。女の子に相手にされないから、男同士でつるむしかないんだ。寂しいねー。虚しくない?」
万真の言葉に、男たちは顔を真っ赤にしてぎりぎりと歯を噛み締めた。
どうやら図星だったらしい。
万真は壁を背にしながらも憤然と胸を逸らしてさらに言う。
脳を溶かしてしまうような暑さのおかげで、どうにも口が止まらない。
「あ、やっぱりそうなんだ? だったらさーこんなところでゴロまいてないで、海でも行って女でも引っ掛けてきたら? ああでもお兄さんたちの御面相じゃ引っかかるものも引っかからないか。それで性格が良かったらちょっとは救いようがあったのにね。まああたしみたいなガキ相手にいきまいてるようじゃそのあたりもたかが知れてるけど」
男たちの顔色は赤を通り越してどす黒く染まっている。
来るべき瞬間に備えて、万真はそっと荷物を足元へ置く。
眼の前の男の拳が握り締められるのが見えた。
「言わせておけばこのアマァ!」
拳が突き出される。
が、万真が動くよりも早く横から飛び出した掌が男の拳を受け止め、弾き飛ばした。
「うわっ!?」
「なんだてめえ!」
突然の闖入者に男たちが大声を上げる。
万真も驚いて眼の前に立ちふさがった人影を見上げ、そしてそれが誰かを知ってさらに驚愕した。
「ひゅ」
うが。
万真がその名を呼び終わる前に、低く押し殺した声が少年の口から漏れる。
「――こんな子供相手に、なにやってんだお前ら」
強者だけが持ち得る凄みが、男たちの怒気を奪った。万真ですら気を呑まれて声を失った。
男たちはこの少年になにか得体の知れないものを感じ取り、数歩後ずさる。
なにかは知らないが、痛いほどの闘志が少年から発散されているのがわかった。
「…失せろ」
低く、唸るような声が少年の口から出たときも、少年の気に呑まれていた男たちはとっさに反応することができなかった。
日向は表情も変えずに握り締めた拳を努めてさりげなく振るう。
眼にも止まらぬ裏拳は、万真の真横の壁を見事に破砕した。
蜘蛛の巣状に亀裂の入った壁を凝視し、次いでそんな力技をこともなげにやってのけた少年を見つめ、男たちは真っ青になった。
日向の背後で、万真もまた硬直していた。
顔の真横に空いた穴からは、ぱらぱらとコンクリートの破片が絶えず落ちている。
信じられない馬鹿力である
日向は青くなって油汗を流す男たちを半眼で睨み据えると、もう一度、低く声を投げた。
「失せろ」
なけなしの意地が粉々に砕け、男たちは脱兎のごとくその場を逃げ出した。
男たちがすっかり見えなくなってしまってから、日向はようやく張り詰めていた気を散らす。
我に返ったとたんに、急に背中の向こうを意識してしまった。
逢いたくなかった。
否、逢いたかったが、どんな顔をすればいいのかわからない。
「……あの」
だから、背中にそんな声がかけられたとき、日向は思わずびくりと背筋を伸ばしてしまった。
なにも感じてはいけないと頭ではそう感じているのに、意志に反して心臓は落ち着きなく動き出す。
日向は軽く深呼吸をしてから、ゆっくりと振り向いた。
万真は困ったような笑顔を浮かべて日向を見上げると、そっとはにかむように微笑んだ。
「ええと……ありがとう。助かりました」
その笑顔は、悔しいことにとてもかわいかった。
白っぽい日差しがさらに白く透き通ったように感じられた。
赤くなる顔を見られないように顔を逸らしながら、日向は口の中で呟くように答える。
「いや……その、通りかかったから」
万真は日向の顔を見ていなかった。
穴の開いた壁を見、そして日向の拳に目をやる。
シャツの袖から伸びる日向の長い腕には打ち身のあとが多々あった。見上げると、日向の顔にもやはり痣がある。
昨夜は夜だったために気づかなかった。
白昼の下で見ると、日向は成一が言ったように傷だらけである。
そして、拳。
「手」
ポツリと落とされた言葉に、日向は軽く首を傾げる。なんと言われたのかわからなかった。気のせいかと一瞬思った日向は次の瞬間仰天し、思わず叫んでいた。
「な…!」
突然万真が日向の手を掴んだのだ。
「手、怪我してる」
動揺する日向にはかまわず、万真は眉間にわずかにしわを寄せて日向の手の甲を見つめる。
先ほど無茶をしたために、日向の手の甲は多少傷ついて、血がにじんでいた。
「あ、ああ。大したことない」
ようやく動揺が収まった日向は、そう言って万真の手を振り払おうとした。だが、万真がそれを許さなかった。
「手当てする。来て」
「ああ? いい、必要ない」
慌てて万真の手を振り払って首を振ったが、とたんにかわいい眼で睨まれた。
「なに言ってんの、骨に異常でもあったらどうする気? いいから、来て!」
買い物袋を抱えなおして、万真はそう言うとさっさと歩き出す。
数歩歩いて、立ち尽くしている日向を振り向き、彼女はもう一度言った。
「日向」
日向は万真に気づかれないようにそっと吐息を漏らすと、仕方なく彼女のあとについて歩き出した。
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