NIGHT GAME 二章九話 熱射
 シャッと軽快な音を立ててカーテンが開け放たれ、差し込んできた日差しに耐えかねて衛はごろりと寝返りを打った。
「いつまで寝てるのよ、いいかげん起きなさい!」
 高い少女の声が頭に響く。
 枕元に手を伸ばしてメガネを掴むと、衛はのっそりと起き上がった。
 声の調子から想像したとおり、まどかは非常に厳しい表情をしていた。
「まったくもう。家にいる夜ぐらいちゃんと寝なさいよ」
 衛は返事もせずにただあくびをする。
 怒ったような、またどこか諦めにも似た溜息を落として、まどかはくるりと衛に背を向けた。
 時計を見ると午後三時だった。
 まどかが怒りたくもなるはずだ。
「……なんでお前がここにいるわけ?」
 キッチンに立ってなにかしているまどかにそう問うてみる。チャイムの音は聞こえなかった。
「あのね。鍵、開いてたわよ。無用心なんだから」
 衛は寝室を出ると、台所に行って冷蔵庫を空け、牛乳を取り出した。
 パックから直接牛乳を飲んでいるうちに、リビングのテーブルの上にサラダとフレンチトーストが並べられる。
 やはり怒ったような顔で、まどかは衛を睨んだ。
「ほら。どうせなにも食べてないんでしょ?」
「いつもいつもお世話になります」
 衛はなにも言わずにソファに座って、まどかを拝んだ。
 まどかがいなかったら、衛はとっくの昔に餓死しているだろう。
 衛が食事をしている間、まどかは向かいのソファに座って雑誌を読む。
 毎朝の光景である。
 衛はわけあって一人で暮らしている。
 去年母が再婚したのだ。
 新婚家庭に自分は邪魔だと、一人暮らしを始めてもう五ヶ月近くになるが、まどかがいてくれるおかげで不自由はしていない。
 ただの高校生が都心のマンションで2DKの部屋をもてるのは、ひとえに父親の財力によるものだ。
 新しい父親は、連れ合いの息子を追い出すことにさすがに呵責を覚えたのか、衛にはなに不自由ない生活をさせてくれている。インターネットもし放題だ。
 と、まどかが雑誌を眺めたまま声をかけてきた。
「またネットしてたの?」
「んー。シャドウとチャットしてた」
 少女が驚いて顔を上げた。
「シャドウと? なに話したのよ」
 衛は牛乳を一口飲むと、またトーストにかじりついた。
「ゲームについて、いろいろな。あいつやっぱり頭いいぜ。いろんな提案を出してきやがった」
「提案ってなによ」
 食事を終えて、衛は両手をすり合わせてパン屑を払う。
「全員集めてから言うよ。関西でも動きがあったからな。――で、ほかのやつらは?」
 何気なく問い掛けてみると、なぜかまどかは狼狽した。
 手にした雑誌を不自然にばさばさとめくりだす。
「あ、えっと。さあ。あとから来るんじゃない?」
「連絡してねえのか?」
 まどかは雑誌を見つめたまま、どこか慌てたような調子で言い捨てた。
「い、いいじゃない。いつもつるまなきゃならないってわけじゃないんだから」
「まあそうだけど。どうかしたか?」
 まどかの様子がいつもと違うので、衛は不思議に思ってひょいと彼女の顔を覗き込んだ。
 とたん。
「きゃっ」
 まどかは小さく叫んで思い切り身体を引いた。
 過剰反応してしまったことに気づいてまどかの顔が赤くなる。たいして、衛はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。メガネの奥の目が優しく笑う。
「まどか?」
「や、ちょっと。なにしてるのよ」
 衛はテーブルを回ってきて、まどかのもたれているソファの背に彼女をはさむように両手をついた。二人の距離が近くなる。
「…まどか」
 真っ赤に染まった少女の柔らかい頬に手を添えてそっと顔を近づけたときだった。
 突然ガチャガチャとドアノブが回されたかと思うと、ノックもなしに玄関のドアが開いた。
 無言で当然のように入ってきた慧は、二人の姿を見て目を見開いた。
 いったいどういう状況だったのかは、一目瞭然だった。
 二人が真っ赤になって身を離した時にはすでに、慧はくるりと回れ右をしていた。
「邪魔したな」
「おいっ!」
 止める間もなくドアが閉まる。
 衛は慌てて慧を追って廊下に飛び出した。
「慧ッ!」
 エレベーターを待っていた少年は、呼び声に振り向いた。衛が一人で追ってきたのを見て怪訝そうな表情になる。
「まどかはいいのか?」
「イイとかそう言う問題じゃなくて、お前、なにか用だったんじゃねえのか?」
 真赤な顔でそう言うと、めったに動かない慧の表情が動いた。
 考え込むようなそぶりを見せたが、やがて振り切ったように首を振る。
「いや、いい。たいした用じゃないから」
「本当か?」
 慧は応えなかった。
 エレベーターに乗り込むと、困惑している衛にひらひらと片手を振る。
「亮たちには黙っておく」
 衛が真っ赤になって絶句している隙に、エレベーターの扉は閉まってしまった。
 一人残されて、衛は首の後ろを掻く。
「まいったな…」
 本当に、まいった。
 頭を掻きながら家に戻ろうとすると、廊下に出てきたまどかと眼が合った。
 心なしか赤い顔で、まどかはやけに早口で言った。
「今日はもう帰るわ。また、夜に」
「あ、ああ」
 なんとなく、衛も引き止めなかった。
 一人になった部屋の中で、衛はもう一度頭を掻いた。
「…まいった」



 衛のマンションを後にした慧はその足で電車に飛び乗った。
 あの二人の気持ちには前々から気づいていたので、特にショックは受けなかった。いつかは付き合うことになるだろうと思っていたから、すでに二人は恋人同士だったということに若干驚いただけで、特になにも感じない。
 よくもまあ、慧も含めて他の面子に隠すことができたものだ。
 だがしかし、ばれたのが自分でよかったと、慧は思う。
 たとえば亮がこのことを知ったら、彼の性格上絶対にすねるだろう。
 なぜ黙っていたのかと、そう衛を責めるに決まっている。
 紗綾もそうだ。面と向かっては言わないが、やはり二人が黙っていたことに傷つく。
 そこへいくと、「どうでもいい」と割り切ってしまえる自分にばれたところで、あの二人はそれほど心を砕くこともないだろう。
 電車を降りたとたん、強烈な熱気が肌を撫でた。
 整った眉をしかめ、慧はすぐにホームの屋根の影に入った。
 夏は嫌いだ。
 もともと汗をかきにくい体質なため、熱が身体にこもってしまうのだ。
 ふらつきそうになりながらも、何度か通ったために身体が覚えてしまった道をたどる。
 目的の場所へは五分と経たずに着いた。
 そこはゲームセンターだった。
 通いなれた店内に一歩入ったとたん、冷気が身体の火照りを拭い去る。それと同時に大音量の騒音が鼓膜を打った。
 基本的に慧はうるさいところは好きではない。だから、だいぶ慣れてきたとは言え、この騒音はやはり耐えがたく、耳をふさぎたいところだったが眉間にしわを刻むことでなんとか我慢した。
 店内はそう広くはないはずなのだが、薄暗く、またゲーム機が大量に置かれているため見通しが悪い。
 ゲーム機の間をすり抜け、店内の奥へ行く。
 予想した通り、目当ての人物はそこにいた。


「おい」
 突然声をかけられて、日向は画面に向けていた気を散らした。それでも、眼は動き回るキャラから離れず、ボタンを操作する指も休みなく動いている。
 相手キャラをあっと言う間に倒すと、ようやく顔を上げて声のした方を見た。
 そこには、やたらきれいな少年が立っていた。
 一見しただけでは、ともすれば少女と間違えられかねない。それほどの美少年だったのだ。
 だがしかし、悲しいことに日向は、この人形のような美少年を少なからず見知っていた。
「どうした」
 このゲームセンターは慧の行動範囲にはかすりもしない。それを知っていたから、日向はそう問いかけた。
 偶然はありえない。明らかに、慧が日向に用があったとしか考えられなかった。
 案の定、慧は日向に向かって軽く顎をしゃくった。
 隅のベンチに二人並んで腰を下ろす。
 困惑して、日向は隣の少年の整った横顔を眺めやった。
「俺に、なにか用か?」
「…ああ。ちょっと、な」
 珍しく歯切れが悪い。
 この少年と初めて逢ったのは、日向が夜の王国に出入りするようになったころだった。
 お互い人好きのするほうではなかったが、同じ年頃の少年ということもあって顔をあわせれば話をするぐらいの仲になった。
 慧という名の少年が、パルチザンというチームの一員だということも、すぐに知った。
 パルチザンの噂は何度か聞いていた。慧と出合ってから、そのメンバーと顔をあわせる機会もあった。
 皆普通の高校生で、気のいいやつらだとは思ったが、なぜか「パルチザン」として動くとなると人が変わるのだ。
 パルチザンのやり方は、どうにも好きになれない。
 だが、個人としての慧は結構話も合うので、時々こうして逢っていた。
「……パルチザンとしての話か?」
 それならば、話すことはなにもない。
 心の中で呟いてそう問うと、意外なことに慧は首を横に振った。
「いや。パルチザンとは関係ねえ」
 慧はなにか言いよどんでいるようだった。
 形の良い眉が何度かひそめられる。
 落ちつかなげに指を組替えていたが、ようやく心を決めたのだろう、日向の方を見ようとせずに口を開く。
 普段、必要以上に相手の目を見て話す慧のこんな態度を見るのは初めてだった。
「お前、この前神威と一緒にいただろう?」
 日向は驚いた。
「…よくあいつらが神威だって知ってたな」
 何気なくそう言ったのだが、とたん慧ははっとしたように口を押さえた。
「いや。あー」
 慧らしくない。
 日向の怪訝な表情と視線に気づき、慧は決まり悪そうに淡い色の髪をかきあげた。
「その…お前、今まで同盟組むの嫌がってたじゃねえか。いったいどういう心境の変化だったんだ?」
 聞きたいことはこんなことではないのだが、なかなか本題に切り込めない。
 曇る慧の表情に比例するように、日向の顔に訝しげな色が広がる。
「…パルチザンとは関係ないんじゃないのか」
「関係ねえよ」
「じゃあ、なんでそんなことを聞くんだ?」
「だから」
 もどかしげに髪をかきむしる。
 すましている慧しか知らなかった日向は、始めてみる彼の人間らしい動作に驚いた。
「知りてぇんだよ。どういうきっかけで知り合ったんだ? あいつらと仲良いのか?」
 日向の眉間にしわが寄る。
「なんでそんなことを聞く?」
 なぜ。
 そんなことを聞かれても、慧にも答えられなかった。
 理由などわからない。
 ただ、無性に気になるのだ。
 あのとき、間近で見た万真の顔、手を伸ばせば触れられるほどに近くにいた彼女の存在が、どうしても忘れられない。
 衛や亮の感情とは、また違うと思う。
 あの二人のそれは、ただ昔を懐かしく思う気持ち。
 自分の胸にある感情は、それとは別物だと断言できる。
 昔の彼女にではなく、今の彼女に逢いたい。今の彼女を知りたい。
 ただ、それだけだ。
 だが、そんなことを口に出せるはずがない。
 傍らの人物は、下手なごまかしなど許さないという表情でこちらを睨みつけてくる。
(くそっ)
 慧は髪をかきむしると、いまいましげに吐き捨てた。
「…幼馴染なんだよ。俺――俺たちと、あの三人は」
 言うつもりはなかった。
 だが、これはただひとつの真実。
 これを抜きにしては、あの三人のことは語れない。
 日向は眼を丸くした。
「………嘘だろう?」
 さすがに慧はムッとした。
「なんで嘘なんかつかなきゃなんねぇんだ。幼馴染だ。成一、千里、万真、名前だって言える。疑うのなら家族構成まで言ってやる」
「いや、いい。すまん」
 日向は慌てて遮り、謝った。
 頭が正常に動いてくれない。
 伊織たちと、こいつが、幼馴染み?
 いったいなんの冗談だ?
「――ちょっと待て。俺たちって」
「パルチザン」
 即答されて、日向は目を点にした。
「全員?」
「ああ」
 頭がぐちゃぐちゃだ。万真と千里の新事実に続いて、数時間も経たずにこれである。冷静に判断できるわけがない。
 日向は無意識に額に手を当てた。
「あの三人は、そんなこと言ってなかったぞ」
 慧の色の薄い瞳に、不思議な表情が宿った。
「…だろうな。夜だったし、お互い変わったからな」
 そして、呟いたきり、床を見つめて口を閉ざす。
 ためらってから、日向は口を開いた。
「それで、俺になにをして欲しいんだ?」
 慧は長い吐息を吐いた。
 眼にかかる前髪をかきあげて天井を仰ぎ、そして少しだけ困ったような表情で日向を見やった。
「他のやつらも呼んでいいか?」
 日向に否やがあろうはずなかった。


 三十分後、近くのファーストフード店に移動した日向の前には、パルチザンの五人が勢ぞろいしていた。
 全員と顔をあわせるのは久しぶりだったし、前回の小競り合いもあって日向は少々緊張していたが、それは相手も同じだったらしい。
 開口一番、亮が日向に向かって頭を下げた。
「この前はごめん。こっちも退けない状況でさ」
 心底申し訳なさそうにそう言う。“パルチザンの亮”とのギャップに、日向は面食らいながらも慌てて片手を振った。
「いや、いい。あんたはなにもしなかったんだし、謝るべきは慧だろう」
「悪かったな」
 日向の言葉に慧はあらぬ方を向いてボソリとそう吐き捨てた。誠意のかけらもない。
「……こういうやつで、本当にごめん」
 心なしか柳眉を痙攣させて、亮は繰り返す。
 日向はジュースのカップを傾けながら、低く言った。
「俺はかまわない。第一、謝る相手が違うだろ」
 とたん、五人の顔つきが変わった。
 固い顔つきで、亮が慧を見る。慧は視線を受けてもそ知らぬ顔で窓の外を眺めている。
 溜息をついたのは衛だった。
 くしゃ、と前髪を乱して呟いた。
「ころあい、かな」
 そしてやおら日向の眼を見つめると、口を開いた。
「俺たちとあいつらは幼馴染だ。それはもう聞いたんだよな?」
 日向が無言で頷くと、彼は若干表情を和らげた。
「仲はよかった。ほとんど毎日転げまわって遊んでた。親同士も仲が良くて、たいていいつも一緒にいた」
 そこまで語った衛の瞳の色が深くなった。若干声のトーンが落ちる。
「だけど……五歳のとき、ちょっとしたことがあってな。それ以降、万真と千里、そして成一とはぱったり連絡が途絶えた。それまではずっと一緒にいたのに、急にだ」
 五歳のとき。
 日向は、それが二人の両親のことだろうと瞬時に悟った。
 その後あの二人はばらばらに引き取られたのだと聞いている。それで連絡が途絶えたのだろう。
 なぜ、成一までもが連絡を絶ったのかはわからないが。
 衛は伏せていた瞳を上げてまっすぐに日向を見つめた。
「あの世界で再び逢えたのは、ある意味運命だと思ってる。俺は、あいつらにもう一度、ちゃんとした形で逢いたいんだ。――できれば、”パルチザン”としてじゃなく、生身の俺たちとして」
 語り終えた衛、そして残りの四人は真摯な瞳で日向を見つめてくる。彼らが息をつめて自分の言葉を待っているのだと気づいて、日向は軽く溜息を落とした。
「……連絡なら、取れないこともない」
「本当か!?」
 顔を輝かせた五人を見やり、日向は内心苦笑する。
 なんだか、展開が急で頭がうまく働いていない気もするが、自分もつくづくお人好しなのだと認識してしまった。
「ここへ呼び出そうか?」
 三人ともまだ「庵」にいるはずだ。あの店からここまでは、そう遠くない。
 そう思って携帯電話を取り出した日向を見やって、五人は複雑そうな瞳を見交わした。
 話が早すぎる、と思っているのだろう。
「また今度にするか?」
 気を利かせてそう言った日向に驚いたように顔を上げて、衛は首を横に振った。
「いや、頼む」
 言ってから、衛はどことなく慎重な表情で、ひとつだけ付け加えた。
 その申し出に、日向は腑に落ちないながらも頷いた。



 店内の隅に置かれた大きな時計が五時を知らせた。
 成一はひょいと顔を上げて時間を確かめると、最後のカップを丁寧にふきんで拭いてから葉介を見やった。
 心得ている青年は、視線を受けて柔らかく微笑む。
「はい、お疲れさま」
 成一からカップを受け取り、カウンターの後ろの棚に戻す。
 キッチンに入ると、パスタを茹でている千里と、チョコレートケーキを切り分けている万真がいた。
「お、上がりか?」
「おう。お先」
「おつかれさまー」
 のんびりとした声に軽く手をあげて答え、黒いエプロンを脱いでいるところに携帯電話が鳴った。
 家からかな、と思い表示を見た成一は、そこに意外な人物の名を見て困惑する。
 成一の様子に気づいた千里が、パスタを勢いよくざるに移しながら声をなげてきた。
「どうした?」
「ん、なんでもねぇ。お前よそ見してたら火傷するぞ」
 言い返して、キッチンを出る。
 ドアを閉めてから、電話に出た。
「おう、どうした?」
 軽快にそう言うと、耳のそばで低い声が聞こえた。
『今暇か?』
「ああ。暇だけど…?」
 首を傾げつつ、答える。
『ちょっと出てこれるか?』
「俺はいいけど、万真と千里はまだ仕事中だぜ?」
 少しだけためらうような気配があった。
『いや、お前だけでいい』
 成一はますます困惑した。
「んー、まあいいけど…。で、どこに行けばいいんだ?」
 日向は近くのファーストフード店の名前をあげた。
「おっけ。十分で行くわ」
『ああ』
 低い返事が返ってくる。
 そのまま通話を終えようとした成一の耳に、ためらいがちな声が飛び込んできた。
『今の話、あの二人には黙っててくれないか?』
「? まあ、いいけど…」
 成一の返事を確認すると、通話は切れた。
 成一はことんと首を傾げる。
 と、その時、成一の背中にドアが当たった。
 慌ててその場を退いた成一を見て、万真が怪訝な表情をした。
「電話、お家から?」
「あ、ああ。早く帰れってさ」
「ふうん」
 濡れたふきんを抱えて洗面所へ向かいながら、万真は成一を振り返り、言った。
「玄関の鍵、開けたままでいいからねー」
「おー」
 返事に力が入らないのも当然と言えた。
 万真に嘘をついたことに、良心が痛む。
 痛む胸を抱えながら、成一は伊織家を後にしたのだった。


 宣言どおり、丁度十分後に成一はファーストフード店についた。
 冷房の効いた店内に入り、きょろきょろと視線をさまよわせる。
 日向はすぐに見つかった。
 だが、そこには意外なことに見覚えのない少年たちがいた。
 彼が一人でいるものと思っていた成一は、予想外のことに戸惑いを隠せない。
 日向が手招きしたので、立ち尽していた成一は仕方なくそちらへ向かって歩き出した。
 少年たちが一斉に成一を探るように見つめてくる。
 居心地の悪さを感じながらも成一は彼らを睨み返し――そして、ふと、違和感を感じた。
 少年たちに近づくにつれ、その違和感は大きくなっていく。
 三人の少年と二人の少女は、緊張した面持ちで自分を見つめている。
 日向も、どこか張り詰めた表情をしていた。
 成一は彼らの前で立ち止まり、降り注ぐ視線を眼をそらすことなく受け止める。
 この違和感の正体はなんだろう。
 それを確かめるように、一人一人の顔を見つめていく。
 一人の少年の顔に目を止めた時、漠然としていた靄が晴れ、その正体が露わになった。
 思わず指を差し、言っていた。
「もしかして……亮?」
 とたん、少年の顔が輝いた。
「覚えてたか!」
 瞬間、忘れかけていた記憶が色鮮やかに蘇る。
「亮、お前、変わってねえなあ!」
「お前こそ!」
 笑って亮の胸をこぶしで叩き、成一はほかの面々に視線を移した。
 メガネの少年の、ガラスの奥の瞳に見覚えがあった。
「衛?」
 少年は笑った。メガネの奥の瞳が優しく細められた。
「あたりだ。俺、結構変わったと思ってたんだけどな。よくわかったな」
 成一も笑顔を返す。
「眼は変わってねえもん」
 言いながら、期待に満ちた瞳でこちらを見つめている二人の少女に目を移す。
「まどかちゃんに、紗綾ちゃんだろ? 美人になったなぁ」
「調子のいいところはほんとに変わってないわね」
 笑いながらまどかが言い、紗綾が花のように微笑んだ。
「久しぶり。元気だった?」
「まどかちゃん相変わらずきっついねえ。紗綾ちゃんは相変わらず優しい」
 感慨深げに首を振りつつそうひとりごち、成一は残った一人に目をやった。
 そして固まった。
「………ええと。慧、ちゃん?」
 とたん、少年のきれいな眉が跳ね上がった。
 成一の記憶にある慧は、とてもとてもかわいらしい「少女」だった。
 だがしかし、今目の前にいるのは、きれいな顔をしてはいるが明らかに少年である。
 成一はコンマ一秒で事実を悟った。
「うっわー。ごめん。俺、もんのすげー勘違いしてた」
「言わなくてもわかる」
 抑揚のない声、完璧な無表情で慧はぶっきらぼうにそう言った。
「モウシワケナイ」
 もう一度謝ってから、成一は改めて一同を眺めやった。
 さっきまで漂っていた緊張感は嘘のように消えている。
 隣のテーブルから椅子を引き寄せて座りながら、成一は沈黙している日向を悪戯っぽく見やった。
「これがわざわざ俺を呼び出した理由? どういう経緯で知り合ったんだよ」
 日向は少しためらった末、一息に彼らを説明することにした。
「…お前も一度顔を合わせてるんだがな。パルチザンだ」
「え」
 さすがの成一も硬直した。
 思わずまじまじと見つめてしまう。
 夜の闇の中、千里の光に照らし出されたのは、確かに彼らだったような気がしなくもない。
「へえー。奇遇だなあ」
 成一が嬉しそうにそう言ったので、五人は驚いた。
「怒ってないのか?」
 亮の言葉に、成一はきょとんとする。
「なんで?」
「だって、俺たち――」
 言いよどんだその続きを悟った成一は、豪快に笑い飛ばした。
「いいってあんなの。万真も怪我はなかったんだしさ」
 言ったとたん、急速に心が冷えた。
 安堵した五人の様子も、眼に入らなかった。
 なぜ、日向はわざわざ成一一人を呼び出したのか。
 二人には言うなと、そう言ったのはなぜか。
 答えは、すぐにはじき出される。
 だから、真面目な表情で言い出した亮の言葉にも、成一は特に驚かなかった。予想通りの科白が耳に飛び込んでくる。
「その……千里と万真は、どうしてる?」
 成一は慎重に彼らを見つめた。
「元気にやってるけど、なんで?」
 戸惑いがちな空気が流れる。
 頭をかきながら亮が照れながら言った。
「いや…。この前顔を見て、懐かしくなってさ。また逢いたいなーと思って」
 予想通りだ。
 成一は内心溜息をつきながら、ゆっくりと首を振った。
「やめとけ」
 驚愕に打たれた五人を、成一はどこか哀しみを宿した瞳で見つめる。
「なんでだよ」
 亮がくってかかる。
 成一は本当に溜息をついた。
 自分が言う一言が彼らを傷つけるとわかってはいたが、それでも彼は言った。
「多分、あの二人は、もうお前らのことを覚えてない」


 なにを言われたのかわからなかった。
「……どういう意味だよ」
 亮の声はかすれていた。
「そのまんまの意味だけど」
 表情も変えずに言い切った成一を睨みつけて、まどかが尖った声を投げた。
「忘れちゃったってこと?」
 成一の声はひどく静かだった。
 静かな声で、残酷な科白を放つ。
「記憶から消したんだ。自分の意志で」


 凍りついた空気を動かしたのは、紗綾の声だった。
「……え?」
 成一は溜息をついて頭を掻く。
 脳裡に浮かぶ光景を振り切るように、無理やり声を出した。
「あいつらさ、寝ている間に、親を無くしたんだ。眼が醒めたときには、もう、両親はいなくなってた」
 静かな声に、なにか言おうと口を開くが声にならない。
 そのことは、五人も知っていた。
 聞きたいのはそのことじゃない。
 彼らの気持ちがわかったのだろう、成一はもどかしげに唇をかむ。
「問題は、それなんだ」
「なにが」
 間髪いれず、硬い声で慧が尋ねる。
 成一はまた頭を掻いた。
「だから。寝てる間に、家族がいなくなったんだ。突然。それがトラウマになって――」
 成一は言葉を切った。
 瞳の色が深く、暗くなる。
 過去の記憶にとらわれそうになった彼は、軽く息を吸い、吐き出した。
「どんなに親しい人でも、こんなふうにいきなり消えてしまうんだって。突然去ってしまうんだって。そう頭から思い込んで、他人を拒絶したんだよ」
 葉介や良樹の存在も否定しようとした。あの双子は、お互いの存在しか信じなくなった。
「どうせいなくなるんだったら、そんな人はいらないって。……忘れようとしたんだな」
 重い沈黙が降りる。店内に流れる明るいポップスが、どこか遠く聞こえた。
 まどかがかすれた声で呟いた。
「そうやって、あたしたちのことも忘れようとした…?」
「…ああ」
 紗綾が顔を上げ、泣き出しそうな瞳で成一を見つめた。
「でも、でも! 成一君は一緒にいるじゃない! 成一君のことは覚えてたんでしょ!?」
 成一の顔に苦い笑みが広がった。
「忘れてたよ」
 全員の顔に浮かんだ愕然とした表情を見やり、苦笑する。
「朝イチで家に行ったんだけどさ、人の顔見るなり“だれ?”だぜ? アレには、本気でまいった」
 ショックだった。
 前日までは普通に遊んでいたのに、一夜明けてみると、こうだ。
 一日中泣いた。
 泣いて泣いて…それでも、子供心に「このままの状態にしておくわけにはいかない」とそう想い、毎日あの二人に逢いに行った。
「ま、俺もこういう性格だからさ。なんとかしてもう一度友達になってやる、って思って、毎日押し掛けた。やっと警戒が解けたのは…一月後、だったかな?」
 人間不信になっていた二人はなかなか心を開いてくれなかった。現在のような状態になるには、三ヶ月かかった。
 しんとなった六人を眺めて、成一は軽く笑う。
「それなりに努力して、今の関係があるわけだ」
 もちろん、成一だけの努力の結果ではない。
 あの二人も、成一を受け入れようと、人を信じようと努力した。
 葉介や良樹の暖かな支援も、大きく影響している。
 亮が、どうすればいいのかわからない、という表情で成一を見つめた。
「……俺たちも、前の関係に戻れるかな」
 成一はにんまりと笑った。
「努力次第だろ。ま、あの二人も最近はずいぶん明るくなったし。もし昔のことを思い出せなかったとしても、一からやり直すってのもいい手だと思うぜ?」
 それぞれが、視線を落として考えにふける。
 おそらく今後のことについて考えているのだろう。
 それを微笑ましく眺めながら、成一は「さてと」と席を立った。
「ま、がんばれ」
 軽く手を振ると、あっさりと彼らに背を向けて店を出る。
 強い西日を体の片側に浴びながら、成一は張り詰めていた息を吐き出した。
 緊張した。
 久しぶりに思い出した記憶は、あまり快いものではなかっただけに、なおさら精神が張り詰めていた。
 ゆっくりと緊張を解きながら歩き出そうとした成一に追いすがってくる足音があった。
 成一は特に驚くこともなく、ゆっくりと立ち止まる。
 そして静かに振り向いた。
 そこには、軽く息を弾ませた日向の姿があった。


「よう」
 いつもの笑顔で、いつものように声をかけられたが、とっさに返す言葉がなく日向はいたずらに手を動かした。
 反射的に追いかけてしまったが、いざ顔をあわせるとなんと言っていいかわからない。
 逡巡の末出てきたのは、ほとんど意味をなさない言葉だった。
「今の…」
 それでも成一は理解したらしい。苦笑に近い表情になってふっと息を吐き出す。
「全部事実だ。……あいつらはさ、心の底では、人を信用できないんだ。信用して、信頼して…それでまた、いなくなってしまうのを恐れてるんだな」
「じゃあ、伊織が友達を作らないのは…」
「……作れないんだよ。怖くて」
 溜息交じりの言葉だった。
 日向は唇を震わせて、一番聞きたいことを口に出した。
「…じゃあ、俺は…? 俺は、あいつらにとってなんだ?」
 成一はすぐには答えなかった。ただ、不思議な表情で日向を見つめた。
「たぶん…あいつらは、今、お前が“友人”になるかどうかを、試してる。信用できるか、信頼してもいいのか……突然いなくなったりしないか、必死でさぐってる」
 日向は息を飲んだ。
 お気楽そうに笑いながら、彼らは心の底でそんな緊迫感を味わっていたのか。
「俺は」
「あの二人にとって、お前がどんな存在になるか楽しみだよ」
 日向の言葉を遮り、成一はそう言って笑った。
 日向は、開いた口を再び閉じ、そして顎を引く。
 その様子を見て、成一はちらりと笑った。
「まあ、信用されてはいるみたいだけどな」
 驚いて顔を上げた日向の胸をこぶしで叩き、成一はにやりと笑う。
「じゃな」
 引き止める間もなく、やはりあっさりと身を翻して成一は去って行った。
 立ち尽くしたまま、日向は成一の背を見つめる。
 彼は、あの二人は、今、日向が自分たちにとってどうなるかを必死に探っていると言った。
 それはつまり、あの二人にとって自分がどういう存在になるかは、自分にかかっていると言ってもいい。
 知らず握り締めていたこぶしをゆっくりと開く。
 幸い時間はたっぷりある。
 成一で一月以上かかったというならば、その倍の時間を見ていこう。
 忍耐力には自信があった。
 気は長いほうだと自覚している。
 ゆっくりと、信頼関係を気づいていこう。
 そう、心に決めた。

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