NIGHT GAME 二章十話 失踪
 物寂しいメロディが冷房の効いた店内に流れている。
 午後九時。
 客がまばらな閉店間際のスーパーマーケットの中、仲上弘行は赤い頭を軽く揺らしつつ手にとったきゅうりの鮮度を見ていた。
 一人暮らしをしているため、少し気を抜くと丸一週間ほか弁だったりする彼だが、見た目に反して実はわりと料理が好きだ。
 バイトバイトで疲れた身体を休めるには、栄養いっぱいの手料理と暖かい風呂が一番だと、そう信じている。
 残念なことに今のところご飯を作ってくれるような彼女はいないので寂しく自炊するのであるが、とにかく、たとえ自作のものであっても手料理はなによりの薬だ、と思う。
 きゅうりやトマト、なすをかごに放り込み、切り身魚と豚肉、そして卵を慎重に選びながらかごに入れる。牛乳が切れかけていたことを思い出して、牛乳を手に取ると賞味期限を確認してからかごに納めた。
 料理のレシピを頭の中で組み立てながらレジを済ませ、慣れた手つきでビニール袋に詰めると鼻歌交じりに店を出た。
 とたん襲ってきたむせ返るような熱気に顔をしかめる。
 と、そのとき、彼の携帯電話が明るいメロディーを奏でた。
「うーす」
 知人からだと思い、何気なく電話に出た弘行は、受話器から流れてきた声に大きく目を見張った。
 袋を持った腕がだらりと横にたれる。
「おま、なんで…!」
 思わず上がった声は、耳に流れ込む声に遮られる。
 弘行はしばらく口を虚しく開閉させていたが、やがて唇を軽く噛み、低く言った。
「なに考えてるんだ」
 二言三言、声が囁く。
 弘行はしばしの逡巡の末、小さく承諾の言葉を吐いた。
 通話が終わり、かすかな音を立てる携帯電話を呆然と見つめる。
 下唇を軽く噛む。
 彼はしばらく眉間にしわを寄せて難しい顔をしていたが、やがて顔を上げると荷物を持ち直して駆け出した。
 その姿を見送ったのは、ちかちかと瞬く水銀灯だけだった。


 弘行が去ってから数分後、点滅する街灯の下を大小二つの影が通り過ぎた。
 影は長く長く伸び、やがては闇に溶け込む。
 駆けているのは少女と少年の二人組みだった。
 軽快な足音を響かせ、少女は走る。そのすぐ横を、背の高い少年がつかず離れずついてきていた。
 二人は、店の前に並べた商品を片付け始めているスーパーの前を通り過ぎ、百メートル先にある、コンビニの前で立ち止まった。
 コンビニ独特の明るい照明に照らし出された広い駐車場に集まっていた少年たちが、二人の姿に軽く手をあげる。
 手をあげてそれに答えて、二人は彼らに合流した。
 総勢六人になった少年たちは、どことなく緊迫した面持ちで歩き出す。
 目の前に開ける大通りではなく、コンビニの裏手へ。
 コンビニの裏、人目につかない暗闇に足を踏み入れたとたん、彼らの姿が掻き消えた。
 一人、また一人と、少年たちは姿を消していく。
 最後の一人の姿が消えて、その場には誰もいなくなった。
 さわり、と、かすかに空気が震えた。




「おせーんだよ」
 どことなく不機嫌そうな成一の声に、万真は顔の前で手の平を打ち付けて謝った。
「ごめんってばー。葉ちゃんがなかなか部屋に行ってくれなくって」
「ちなみに、俺らは一んチに行ってることになってるから」
 千里の言葉に成一はとてもとても嫌そうな顔になった。
「勝手に人をアリバイ工作に使うなよ」
「まーまー、ここは一つ多めに見て」
 とりなすような万真の笑顔に、だが、成一は小さく鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
 あまりない行動に、万真は困惑して首を傾げる。なんだか、機嫌が悪いように見える。
 千里と顔を見合わせるが、彼も心当たりがないようで、怪訝そうな顔をしている。
 そろって首をかしげている双子は放っておいて、成一は傍らを歩く日向の顔をちらりと見やった。
 日向は成一の視線に気づかず、どこか複雑そうな表情で双子を眺めている。
 それを見て、成一は小さく溜息をついた。
 二人のことを日向に知られたのは失敗だったかもしれない。
 下手をすると、日向が二人に変に気を使ってしまう、なんてことになるかもしれない。
 そんなことになれば、双子の人間嫌い克服も、遠い話となるだろう。
(ミスったかなあ…)
 成一は理由のない焦燥感に駆られて、乱暴に頭を掻いた。
 その仕草に、千里と万真の困惑はますます深まる。
 つつつ、と身を寄せ合って、囁いた。
「……千、なんかした?」
「まさか。アレじゃないか? 怪物女」
「あー…お姉さん」
 とてもありえそうな気がしてきた。
 なんとなく納得して、ほんの少しだけ安堵する。
 不機嫌なときの成一は、少しだけ苦手だった。
 苦手に感じる理由がわかるだけに、なおさらそんな成一は見たくなかった。
 万真は少しだけ距離を置いて成一の背を見つめる。
 と、履紐がほどけかけていることに気づいて腰をかがめた。
 ざわざわと成一達の声と足音が少しずつ遠ざかる。
 その音を聞きながら手早く結び直す。
 顔を上げ、立ち上がろうとした万真は、そのまま動きを止めた。
 愕然とした。
「な……」
 目の前が、暗かった。
 否。暗いのではない、闇色に塗りつぶされている、という表現がぴったりくるような、深い闇。
「なに…?」
 見えない。
 周囲を見回しても、全てが黒く塗りつぶされていてなにも見えない。
 気がつけば、なんの音も聞こえなかった。
 千里たちの足音も、話し声も、なにも聞こえない。
 ただ、自分の呼吸音と、心臓の音だけが耳につく。
「なに――!」
 背後に人の気配を感じたときには遅かった。
 一瞬で口をふさがれ、羽交い絞めにされる。
 必至で振り解こうとするが、皮で縛られたかのようにびくともしない。
 押さえつけてくる力の強さと、頭に当たる胸の感触で、それが男性であることがわかる。
 だが、わかったところでどうにもならない。
 足をばたつかせて必死で抵抗していた万真は、ふ、と身体をなにかが通り抜けるような感触を覚えて一瞬動きを止めた。
 ワープだ。
 なにひとつ見えないが、そんな状況であるがゆえに感覚だけはいつも以上に研ぎ澄まされてくる。
 何度もワープを繰り返し、ようやく万真が暴れ疲れたころ、不意に拘束が溶け万真は硬い地面に突き飛ばされた。
「いっ」
 肩を思い切り打ち、思わずうめいた万真は、次の瞬間首筋に強い衝撃を感じた。
 一瞬でぐにゃりと世界が歪む。
 ものも言わず、万真はことりと地面に昏倒した。



「とりあえず」と、ライトが言った。
「赤龍に接近する。それがたぶん一番手っ取り早い」
 気が進まない、といった表情で成一が不満そうに口を尖らせた。
「やばいんじゃねえの? そいつら」
 ライトも表情を曇らせたが、自身の不安を押し隠すように強い声を上げる。
「やばくても、それが確実なら、俺はやる。不安ならついてこなくてもいいぜ」
 そう言われても、ここでライトを見捨てることなど出来るわけがない。
 なんといっても、ライトの力は戦闘向きではないのだから。
 成一は軽く溜息をつくと、頭を掻いた。
「なに言ってんだよ。ナンさんのことは、他人事じゃないんだからさ」
 彼等が今向かっているのは、赤龍が頻出するという地区だった。そこへ赴き、彼等が現れるのを待つのだ。
「ライトとゼンだけじゃ、さすがに心配だしなあ」
「うるさい」
 彼らの会話を聞いていた千里は、ふと足を止めて背後を振り向いた。
 そして軽く瞠目した。
 ついてきているはずの万真の姿がない。
「カズ?」
 光を強めて周囲を照らし出すが、妹の姿はどこにも見られなかった。
 万真の姿がないことに気づいて、ほかの面々も困惑した顔で周囲を見渡す。
 万真の姿はない。
 千里は今きた道を駆け出した。
 どこかで万真が困った顔で立っていると思った。
 だが、どこまでいっても彼女の姿はない。
「おい。カズ!?」
 返事は、返ってこなかった。



 誰かに呼ばれた気がして、万真は重いまぶたを上げた。
 目に映ったのは、やはり闇。
 首の後ろが鈍く痛んで、小さく呻き声をあげて身を起こす。
 手の下は硬く、その感触から下にあるのはコンクリートの床だということがわかる。
 いったいなにが起こっているのか、わからない。
 わかっているのは、ただ、自分が何者かによって無理やり連れてこられたことだけ。
(……拉致、ですか)
 うわー、初体験。なんてことをちらりと考えてしまうのは、明らかに成一の影響だろう。
 それは万真のキャラではない。ないはずだ。
 成一と、千里の顔を思い出したとたん、急に度胸が据わった。
 二人がきっと心配している。それはもう、ものすごく心配している。
 そう思うと、こんなことで狼狽している場合ではないと、そう呟く自分がいた。
 地面についた手を、軽く握り締める。
 腰を浮かし、どんなアクションにも対応できるように、軽くかかとを上げて、息をひそめる。
 聴覚だけが、とたんに鋭敏になるのがわかった。
 沈黙。それにも、音があるのだと、初めて知る。
 耳の奥、鼓膜を静かに振動させるそれは、おそらく空気のかすかな揺らぎ。
 肌にまとわりつく空気がかすかに動き、ほぼ同時に聴覚が小さな音を捉えた。
 じゃり、と、砂を踏みにじるような小さな音。
 反射的に音がした方向に顔を向けたその瞬間、霧が晴れるように視界を覆う闇が静かに薄れ、やがて、完全に消滅した。
 急激な光の変化に闇に慣れた瞳孔が耐え切れず、眼の前がちかちかして万真は思わず片手を掲げた。
 最初に眼に映ったのは、やや離れたところにある男物の靴。
 色あせたジーンズに包まれた長い足の上には黒いシャツに包まれた細い胴があり、そこから二本の、やはり細い腕が伸びる。
 華奢にさえ感じられる肩の上には、細面の、鋭利な印象を与える顔があった。
 一瞬感じた奇妙な既視感に、万真は困惑して瞬く。だがそれでも警戒を解くことはしない。
 無言で構えを取る少女の姿に、男はふっと微笑んだ。
 ややきつい目じりが下がり、とたんに柔和な印象に変わる。
「無理強いをして悪かったな。ま、楽にしろよ」 
「あんた、誰」
 棘を含んだ声に気を悪くすることもなく、むしろ男は楽しげに口元を緩める。
「名乗る名はない、と言ったらどうする?」
 とたん、万真は眉間に深いしわを刻み、吐き捨てた。
「あんたバカ?」
 男が絶句し、万真はそんな男の反応をひとつも見逃さないように鋭く睨み続ける。
 と、どこからかはじけるような笑い声が聞こえてきた。
 驚いてそちらを見やると、そこには人懐っこい笑みを浮かべた青年がいて、笑いながら万真を見ていた。
「いいねー。この状況で自分を拉致した相手に“バカ?”なんて言える人間、そうはいないと思うな」
「お前は黙ってろ。入ってくるなって言っただろ」
 とたん、青年は顔から笑顔を消して、目の前の男を睨みつけた。
「俺は、いきなり気絶させるなんて聞いてなかったぞ」
 男が怯む。青年はそんな男の様子を見て、さらにきつく言葉を投げた。
「だいたい俺がお前を一人にするはずがないだろ。危なっかしくてみてられない」
 首を振りつつ言われ、男の顔が真っ赤になった。
「なッ…! 俺は、一人でやると言ってるんだ。お前は関わるなって、何度言ったらわかる!」
「ああわからないね、わかりたくもない」
「開き直るな!」
「開き直るさ! 乱暴なことはしないとお前が言うからそれを信用して今回のことに協力したんだぞ? それがなんだ。つれてきたとたん気絶させて。お前の言うことほいほい聞いてたら事態は確実に悪化する。ああ、悪化するとも!」
「だからそれは、こいつが絶対暴れるだろうと思って!」
「暴れてないだろ!」
 ビシ、と青年に指を突きつけられて、万真は目をしばたたいた。いまいち状況についていけない。
 真赤になって口をパクパクさせる男は放っておいて、青年は万真に眼をやった。
 慌てて一度は解きかけた構えを取った少女の姿に、青年は嘆かわしげに首を振る。
「ほらみろ、警戒してる」
「普通の反応だろ!」
「そうか? 本当にそう思うのか? ほんっとーに、そう思ってるんだな?」
 男はぐっと言葉に詰まった。胡乱気に見つめてくる青年と、そしてきょとんとしている少女を交互に見やり、一瞬の沈黙の後思い切り舌打ちした。
「……俺が悪かったよ」
 青年が笑顔になる。そんな青年をちらりと見て、男は言った。
「だがお前が関わるのはここまでだぞ。後は俺の仕事だ」
 とたん、青年は渋面になった。
「お前、バカか」
 本日二度目のその科白に、男は愕然とした。
 青年は軽く鼻を鳴らすと、胸を反らす。
「俺がお前を一人にすると思うか? 人間にはな、理不尽なことに対して抵抗する権利ってものが与えられてるんだ。よって俺は、お前の理不尽な命令に従う義務はもたない」
「だから、開き直るな!」
 怒鳴った男を半眼で見据えて、青年は低い低い声で言い切った。
「開き直った人間を甘く見るなよ、北斗」
 男が絶句したその隙に、青年は万真の前まで来るとひょいと腰をかがめて視線を合わせる。
「無理やりこんなところにつれてきてゴメンな。怖かっただろ」
 反射的に万真は首を縦に振っていた。
 確かに、怖かった。
 だが、今目の前にいる二人は、不思議なことにあまり怖くない。
 青年は中腰のまま、万真の表情を見て小さく笑った。
「怖がっては、いないみたいだな」
 思わず、小さく頷く。
 青年はほっとしたように柔らかな表情になった。
「本当にゴメン。乱暴はしないと約束するから」
 優しい表情、柔らかい声に、すとんと肩の力が抜けた。
 少女の警戒が解けたのを知って、青年はまた優しく微笑んだ。
 万真は、そっと声を出す。怖くないことと、信用できることは、別物だ。
「……誰?」
 その声に含まれた警戒の響きに気づかないはずはないのだが、青年は笑みを絶やさなかった。優しい声で答えた。
「俺は蓮見。そっちの怖い顔して怒鳴ってたやつが北斗。ちなみに君を連れてきて気絶させたのもやつだから、後で復讐するなりなんなりしていいよ。俺も協力するから」
「おい」
 男の不機嫌な声はきっちり無視する。
 青年はすっと腰を伸ばして、笑った。
「俺たちは、ヘルハウンドって言う。…知らないかな?」
 ヘルハウンド。どこかで聞いた名前だ。
 記憶を探ろうとした瞬間、その名前が鮮やかに脳裡で輝いた。
 ヘルハウンド。それは、まさしく、自分たちが探していたチーム。
 思わず青年たちを見つめる。
 そのとき、彼らの背後のドアがきしんだ音を立てて開いた。
 その音で、万真はここが小さな部屋だということを知る。
 コンクリートで打ちっぱなされた部屋は、先日訪れた銀の部屋と良く似た雰囲気をもっていた。
 開いたドアを、青年たちは振り返る。
 そして、現れた顔を見て軽く笑った。
「よう」
 つられてそちらに目をやって、万真は大きく眼を見開いた。
 赤い頭が、薄暗い照明の中鮮やかに燃えた。
 その下にある顔は不機嫌さのあまり曇っている。
「いきなり人を呼び出して『よう』はねえだろ」
 ややかすれたような、独特の声。
 北斗と呼ばれた男が小さく笑った。
「すまんな。だが、本当に来てくれるとは思わなかった」
「緊急事態だッつったのは誰だ。ッたく、俺はもう足を洗ったのに」
 不機嫌そうにそう言う。その顔を見て、万真は思わず叫んでいた。
「弘くん!?」
 男たちが一斉に少女を振り返ったが、万真は、赤毛の青年しか目に入っていなかった。
 赤毛の青年は少女の姿に気づくと、驚愕に眼を見開く。
 そして叫んだ。
「カズ坊!?」

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