NIGHT GAME 三章十七話 NightmareW
 気がつけば息が切れていた。
 胸元を握りしめ、ビルの壁にもたれかかる。そんなに長く走っていたつもりはないのに、やはり相当焦っているのか。
「…くそッ」
 苛立ちのままに拳を壁にたたきつけた。
 考えろ。
 千里ならどう行動する。千里がいそうなところはどこだ。
 公園の付近は探し尽くした。あと、千里がいそうな場所は。
 千里が万真を気にしていないはずがない。だから、万真の動きがわかるような場所。
「どこだよ」
 思いつくところは探し尽くした。公園が見える場所。公園に続くルート。いつも通る道。
 ――わからない。
 自分たちの動きが監視できる場所。
 そんな場所が本当にあるのだろうか。
 万真の様子をずっと見ていられるような場所。
 ふと、思考になにかが引っかかった。
(見る?)
「…あ」
 慌てて携帯電話を取り出した。
 なぜ気づかなかったのか。ただ闇雲に駆け回るよりももっと確実な方法があったのに。
 興奮のあまり取り落としそうになりながら、震える手でアドレスを繰る。目当てのものはすぐに見つかった。
 短い着信音の後に、聞き覚えのある声が耳に届いた。
「あ、俺。成一。今大丈夫か?」
 戸惑ったような声が返ってきた。
『ああ…どうかしたか?』
「頼む、千里を探してくれ」
 衛の声に勢いづいてそう言ったとたん、電話の向こうが沈黙した。なにかためらうような気配。
『…え?』
 その反応に成一は当惑した。なんだろう。電話の向こうからかすかなざわめきが聞こえた。衛の周りで誰かが話している。仲間がいるのだろう。
「あ、今、まずかったか?」
『いや、大丈夫』
 返ってきた言葉は、反射的に口から出たという感じだった。
『――千里を探せばいいの?』
「ああ、できるだけ早く」
『わかった。いったん切る』
 短い言葉を残して電話は切れた。
 静かになった携帯電話を握りしめ、成一はその場にしゃがみこむ。
 つながった。
 千里につながる糸が見つかった。
 暴れる心臓を押さえて強く強く携帯電話を握りしめる。
 携帯が鳴った。1コールで出る。
『いたぞ』
「どこだ!?」
 告げられた言葉をしっかりと頭に叩き込んだ。
「ありがとう」
 携帯をしまい、小さく深呼吸する。
「よし」
 大丈夫。
 自分はまだ大丈夫。
 心の中でで繰り返し、再び顔を上げると、成一は街灯が明滅する暗い夜道へと駆け出した。


「どういうことだよ!」
 携帯電話をたたんだとたんに真後ろで声があがった。
 溜息を飲み込んで振り返ると、予想通りの光景が繰り広げられていた。
 亮が千里に掴みかかっている。
「成一になにも話してないのか!?」
「あんたに関係ない」
「関係なくないだろ」
 熱のこもった亮のセリフは千里の冷笑にぶつかって勢いをなくした。涼しい瞳が冷たく亮を見下ろす。
「――あんたなにか勘違いしてないか」
「なにを」
 反論しようとした亮は、酷薄な笑みをみて言葉をなくす。
「これは俺と成一の問題であんたには関係ないはずだ」
 はっきりと言って、千里は胸元を掴んでいた亮の手を乱暴にはずした。す、と身をひく彼を亮はただ硬直して眺めることしかできない。
 細身の身体が翻る。
「なにもかも思い通りになるなんて思うな」
 ドアが閉まる間際、低い声だけがその場に残された。
 千里が消えたドアを呆然と見つめていた亮の傍らに音もなく慧が舞い降りる。ガラスにも似た瞳を瞬かせ、彼は溜息まじりに声を落とした。
「亮の負け」
 衛が肩をすくめた。かたく握り締められた拳を横目にノートパソコンを開く。
 千里を取り込むとかそれ以前に、亮の余裕のなさが一番問題だと心に呟いて、荒れた様子で床に八つ当たりし始めた亮の文句をBGMにパソコンが立ち上がるのをのんびりと待った。


 混乱した頭の片隅で蓮見の存在を思い出すことができたのは奇跡に近い。
 壁に背をもたせたまま苛立たしげに爪先で地面を叩いていた万真はちらりとそんなことを考えた。日向の低い声が聞こえる。
「…はい。はい。わかります」
 日向の携帯電話を奪うように借りて、弘行に電話をかけた。何年も顔を突き合せていたので、電話番号は頭の中に入っていた。そもそも万真が電話をかける相手など両手の指を合わせても十分足りてしまうため、覚えていない番号などないのだが。
 弘行はこちらの世界にきていたらしく、すぐに蓮見に代わってくれた。焦りのあまり要領を得ない万真に代わって今日向が彼と話している。
「――え?」
 ふ、と、日向の声が揺れた気がした。万真に背を向けているため表情はわからなかったが、背中の筋肉が緊張したように一瞬張りつめたのが見えた。
「日向?」
 日向が振り返る。なんでもない、というように手を振って、再び顔をそむけた。
 再び聞こえてきた声の調子からは先ほどの揺らぎはうかがえず、万真はことりと首を傾げる。
「――はい。ありがとうございます」
 終わったらしい。日向が携帯を閉じたのと同時に万真は壁から背を離した。日向のもとに駆け寄る。
「蓮見さん、なんて?」
「相馬、見つけた」
 短く告げられた言葉に万真の顔が輝いた。く、と軽く両手を握り締める。
「よしっ」
 日向のシャツを掴み、急かした。
「早く。一に先越されちゃう」
 焦りが声に出たのだろう、やけに早口でそう言った万真を見て日向が軽く苦笑した。



 その姿を見た瞬間、グ、と胸が苦しくなった。
 街灯の下、座り込んでいた少年が顔を上げ、振り向く。変わらない笑顔なのに、どことなく疲れがにじんでいるように見えたのは自分の気のせいだと思いたい。
「よう」
 飄々とした態度。軽い笑みを浮かべたその顔は、やはり疲れているように見えた。瞳にいつもの輝きがない。涼やかな目元が黒ずんで見えたのは、街灯が作る影か、それとも。
 弾んでいた息を整え、努めて何気ないふりをして胸を張った。ジーンズのポケットに両手を突っ込む。
「…よう」
 平静を装ったつもりが失敗した。自分の口から出た拗ねたような声に内心舌打ちする。千里の眉がゆがんだ。
「怒ってるな」
「あたりまえだ」
 怒ってないわけないだろう。
 馬鹿なこと聞くな、という思いを込めて睨みつけると、千里はふと苦い笑みを浮かべた。
 その表情に、猛烈に腹が立った。
「なに笑ってんだよ」
「笑ってない」
「笑ってる」
 ちらりと浮かんだ呆れたような表情に、さらにむかついた。一体誰のせいで俺がこんな思いをしていると思ってるんだ。
 わきおこった赤い怒りを悟ったのか、ふ、と千里の視線が落ちた。顔が翳り、表情が影に溶ける。
「――ごめん」
 静かな呟きが耳に入ったとたん、成一の感情が弾けた。
「ごめんてなんだよ!」
 気がつけば千里の胸倉をつかんで怒鳴りつけていた。鼻先にある顔に浮かんだ驚愕の表情が見る間に崩れる。
 なんでそんな、泣き出しそうなカオをするのか。
 泣きたいのはこっちだ。
「ごめん」
「だからっ」
「ごめん」
 千里の眼がそらされる。頭の奥が熱くなった。感情が爆発する。
「ふざけんな!!」
 目の前が一瞬赤くなったような気がした。拳に熱い衝撃を感じた時には千里の身体が大きく傾いでいた。
 身体を立て直し、赤くなった頬を指先で撫でて、千里は口元を歪ませる。視線は成一の横手をさまよったまま。
「言い訳もなしかよ」
 腹の中がひっくり返っているようだ。ムカムカする。怒りのあまり吐き気すら催してきた。
「俺が…ッ、万真がどんな思いしたと思ってんだ」
 とっさに口にしたのは千里の一番大切なひとの名前。黒い瞳が揺れた。
「なにも言わねえでいなくなるなんて一番」
「一」
 遮った声はかすかに震えていて、再び殴りつけようと振り上げた手が思わず止まった。
「カズ、泣いてたか」
 手を止めたのは一瞬だった。その言葉を聞き終わると同時に力を込めて振り下ろす。鈍い音とともに再び千里の身体が揺れた。
「泣いてねえよ。あいつがおまえの前でしか泣けねえの知ってるだろ」
 泣かれたほうがよかった。あんな生気のない万真を見るぐらいなら、大声で泣かれたほうがまだいい。
「おまえがあいつにあんな顔させてどうするんだよ!」
 千里は無言で成一の拳を受けた。避けるでもなく、抵抗するでもないその様子に感情が抑えられなくなる。
「なにか言えよ!」
 相談して欲しかった。
 事後でもいいから説明ぐらいして欲しかった。
 なのに千里はなにも言わない。ただ黙って成一の拳を受けている。
 腹の中が焼け付く。
「言えよ!」
 大きく肘を引いた瞬間。
「――イチッ!」
 高い声が背中を打った。反射的に振り返った視界の片隅で、千里が勢いよく顔を上げた。
 こちらに駆けてくる万真の姿を認めたとたん拳から力が抜けた。
「…万真」
 万真の瞳で揺れる感情と、焦燥を映した顔を見て取る。
 戻ってる。
 いつもの万真に戻ってる。
 万真の後から日向が現れた。万真以上に息を弾ませている。
 日向のおかげだろうか。
 そう思って改めて日向の顔を見て、そして成一は眼を見開いた。
「――なにやってたんだお前」
 日向は傷だらけだった。
 万真は、と見ると、万真も顔や手足に小さな傷を負っている。思わず咎める眼を日向に向けると、「ああ」となんでもないような口調で返された。
「途中他のチームにあって、ちょっと」
「『ちょっと』じゃねえだろ」
 困ったように目をきょときょとさせている万真を指差す。
「なんでこいつ怪我してんだよ」
 日向の表情が険しくなった。憮然とした態度で万真の方に顎をしゃくる。
「伊織がわざわざ敵に突っ込んでいくからだ」
「はぁ!?」
 イノシシ娘は両手の指を重ねてむうと口を尖らせている。
「だって。なんか知らないけど、能力がうまく使えなかったから」
「『使えなかったから』!? バカかお前」
 なんでそこで突っ込んでいくんだよお前バカじゃねえのこのイノシシと怒りに任せてがなりたてる。
「…成一くん痛いです」
「痛くしてんだボケ」
 思いっきりひっぱっていた万真の頬から両手を離し、ついでに軽く頭をはたいた。
 反抗的な眼を向けてくる万真と睨み合う。
 万真の背後で日向が疲れたように溜息をついた。
「…相馬のことはもういいのか?」
 静かな声で我に返った。振り返ると、千里の苦笑に出迎えられた。
「このまま無視され続けたらどうしようかと思った」
 軽い物言いに怒りが再燃した。
「だから説明しろっつってんだよ。万真の前できっちり言ってみろ」
 千里の目が万真に向いた。眉を下げて笑う。
「…よう。元気か?」
「元気だよっ」
 後ろから飛んできた声に驚いて振り返ると、万真が胸を張って立っていた。腕を組んでまっすぐに千里を見つめている。
「元気だよ。千里なんかいなくても大丈夫なんだからね」
 科白とは裏腹に声はかすかに震えていて、大きな瞳は潤んでいた。そのことに気づいたのだろう、千里の表情がふと歪む。
「――そっか。ごめんな」
「謝る前に説明しろ」
 水城、と背後から静止の声がかかったが無視した。再び千里の胸元を掴む。避ける素振りさえしない様子に再び腹の中が熱くなった。後ろから伸びてきた手を振り払う。
「水城」
「説明ぐらいしろよ。俺らには言えないようなことしてたのか!?」
 千里は答えない。思わず振り上げた拳は後ろから伸びてきた手に止められた。
「放せ!」
「水城、落ち着け」
「日向」
 千里の静かな声が割り込んだ。
 日向をまっすぐに見て、千里は静かに首を振った。
「いい」
「なにがいいんだよ」
 一人だけ穏やかなその物言いにかっときて掴みかかろうとしたが、またしても日向に制される。
「放せ日向!」
「千ッ!」
 唐突に万真が叫んだ。小柄な影が成一の脇を駆け抜け、千里にぶつかる。千里の身体が横に傾いだ。
 その瞬間だった。
 万真の背中がびくんと反り返った。
 膝がくず折れる。
「――カズ!」
 千里の叫びとほぼ同時、万真の背中から鮮やかな緋が噴きだした。
 日向の手がほどかれたのが先か、成一が飛び出したのか先か。
 力を失った万真の身体が地面に倒れこむ。
 刹那、音もなく万真の足元の地面が消えた。
 ぽっかりと開いた深淵に少女の身体が飲み込まれる。
「――カズ!!」
 伸ばした手は、届かなかった。
 指先を硬いアスファルトが打つ。
 視界をふさいだ地面を三人は呆然として見つめた。
 千里が地面に膝をついた。万真がいたはずの地面に触れる。万真を飲み込んだ穴。
「………カズ?」
 成一は動くことができなかった。
 いきなり万真が倒れて。赤い――赤い血が。血が出て。倒れたはずの万真はいない。地面に穴が開いて、そこに消えていった。万真が。
 足元が揺れた。背中がなにかにぶつかる。肩に置かれた熱に、日向の存在を思い出した。
「――万真?」
 なにが起きたのか。
 肩に置かれた日向の指が痛いほど強く握ってくる。その痛みすら現実のものではないような気がした。
 千里の拳が強く地面を叩いた。
「なんで。なにが…ッ」
 無意識に呟いたときだった。不意に後ろから突き放された。顔を上げると千里の向こうで光るものに気づく。
「なに…」
 攻撃されている、ということに気づいたときには日向が動いていた。千里にぶつかる直前に力を絡め取る。そして同じだけの強さで相手に投げ返していた。
「狙われてるぞ!」
 鋭い声が耳に届いたが、意味を理解できなかった。のろのろと日向が顔を向けている方向を見る。千里の向こう。
「相馬!」
 千里の向こうで光がはじけた。日向が飛び出す。
 瞬間、ズン、と鈍い音が腹に届いた。
 体に伝わった振動に下を見ると、アスファルトが割れていた。そう遠くないところでものが崩れる音がした。
 先ほど見えた光はもう見えない。
 なにが起こったのだろう。
 ぼんやりとそちらを眺めていると、突然日向が身動きした。
 成一を振り返る。
 日向は成一のさらに後ろを見ていた。見開かれた目を不審に思い、背後を振り返る。
 そして成一もまた眼を見張った。
「……弘さん」
 弘行が立っていた。
 走ったのか、肩で大きく息をしている。肩で汗をぬぐって、弘行は成一たちを見た。
「今の、仲上さんが?」
 日向の問いかけに無言で頷き、弘行は千里に眼をやった。
「――カズ坊は」
 低い声に、答えることはできなかった。
 無意識のうちに千里に眼をやる。万真の名前を叫びながら地面を叩き続けている千里の姿を見て弘行の表情が険しくなった。
「カズ坊は!?」
「……いきなり、いなくなって」
「いなくなった!?」
 叫んだ弘行の表情が唐突に固まった。
「…マジかよ」
 呟きが聞こえた。
 弘行の視線を追う。千里の向こうの風景がにじんでいた。
 暗い街灯が灯る道路。ビルの輪郭が街灯の光に溶ける。
 にじんだそこから浮き上がるように人影が現れた。あやふやだった輪郭が瞬く間に生身の人間のものになる。
 音もなく現れたその人は、千里の元で足を止めるとそっとその場にひざまずいた。地面を叩く拳を柔らかく受け止める。
 静止され、千里がのろのろと顔を上げた。自分の傍らにひざまずいている存在に気づいてそちらを見る。
 そして眼を見張った。
「……葉ちゃん」
 なんで。
 声もなく見つめる成一たちの視線を受けて、葉介はゆっくりと、どこか悲しげな表情を浮かべた。

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