NIGHT GAME 三章二話 trouble
 おずおずと現れた人間を見てガクは驚きに眼を見張り、対する関西側は不審さのあまり顔をしかめた。なにしろ、現れた人物はまだ若く子供と呼べるような年齢だったのだ。
「ジャリが、なに邪魔しくさんねん」
 低い、唸るような声に、小柄な少女が目に見えて身体をすくませた。
「その、悪い。邪魔するつもりはなかったんだ」
 やたらと端正な顔の少年が、気まずそうに軽く頭を下げる。
 傍らの女性陣が眼を輝かせなにやら髪を整え始めたのを横目で見つつ、トキも珍しく硬い声を発した。
「…勝負に横槍入れられたら、そら誰でも気分悪いわ」
 ナツも、表情を険しくして少年たちを睨んでいる。
「ちょっと痛いメ見てもらおか」
 言って指を鳴らそうと構えたが、とたんにその腕を横から抱きかかえられて目を白黒させた。
「あかんそんなことしたら!」
「な、なに言うねんミネ」
「うん。そんなもったいないことしたあかん」
「はあぁ?」
 女たちの言うことがわからず眼を丸くするナツの前では、なにやら押し殺した声での会話が続いていた。
 ガクが少年たちを睨みつけ、口を開く。
「……おまえたち。ヘルハウンドには逢えたのか?」
 その名を聞いてヤスの顔色が変わった。
「どういうことや! あいつらの知り合いか!?」
「え、ちょっと待――」
 慌てたように少年たちが声を上げたが、それは続くガクの声にかき消されてしまう。
「おまえたちがあいつに逢いに行った後、いきなりあの復活宣言だ。なにか関係あるのか?」
「あいつらの仲間か!」
「え、え?」
 万真はわけがわからずおろおろしている。
 千里の服の袖を軽く引いたが、千里は眼だけで「黙ってろ」と伝えて厳しい瞳を男たちに向けた。
「………期待を裏切って申し訳ないんだけど。あいにく、神竜とやらとは無関係だ。俺たちが逢いたかったのはヘルハウンドだし」
 ガクが探るような目になる。
「…そのヘルハウンドが神竜なんだ。俺はそう教えたはずだが」
 千里は軽く小首を傾げ、考える素振りをした。
「ああ…そんなことも聞いた気がするな。あの時は急いでたから」
「ふざけるな。奴らに逢ったんだろう」
 低い、唸るような声に、だが千里は動じずゆっくりと首を振った。
「残念ながら、逢えなかった。教えてもらったアジトにも行ってみたけど、もぬけの空だ」
「本当に?」
 疑い深い口調に、これまたあっさりと答える。
「嘘ついて俺たちになんの得がある?」
 そのあっけらかんとした物言いに、ガクはしばらく探るように千里と、その背後の面々を見つめていたが、やがて納得したのか一つ頷いた。
「そうか」
 短く言って、少年たちから眼の前の男へと視線を移す。
「じゃあ、早くここから去れ。今はおまえらよりもこいつらの方が俺の敵だ」
「待ちぃ」
 ガクの語尾にハスキーな女の声がかぶさった。
 ほっとしたのもつかの間、その冷たい響きに四人はびくりと身をすくませて、声のしたほうに眼をやった。
 関西側は、厳しい表情でこちらを睨みつけている。
 す、と前に出てきたのはふたりの女だった。明らかに少女めいた顔立ちの女性と、もう一人、大人の雰囲気を漂わせた女性だ。
 大人の女性の方が口を開いた。
「勝負に横槍入れたツケは払てもらわなねぇ」
「つ、つけって…」
 成一が愕然として呟き、なぜか睨まれていることに気づいた万真がこそこそと千里の後ろに隠れるようにした。千里も万真を背後にかばうように右腕を回す。
 なんとなく、雲行きが怪しい。
 対する女性たちは、その様子に眉をひそめて囁きあった。
「……なんなん、あの女」
「…かなーり、親しそうやねえ」
「腰に腕回してるし」
「なんや知らんかばってるし」
 千里の、緊張で強張っている端麗な顔と、その背後から様子をうかがっている少女を見比べる。
 ……おもしろくない。
「おいおまえら。私情に走んなよ」
 トキの声が聞こえたが、二人はきっちり無視した。
「うん。やっぱり痛いメ見てもらお」
「そやね」
 あの少年に怪我をさせなければいいのである。
 二人の眼には、千里と万真しか映っていない。
 あとの二人はフレーム外だ。
「やっぱりここはきっちり詫びいれてもらわんと」
 言うが早いか、女性が両手を前に突き出した。
 とたん。
 なにか、巨大な手の平のようなものがこちらに襲い掛かってくるのが見えて、万真は反射的に千里の身体を横に押しのけた。
「あ?」
 突然のことに眼を丸くしたのは千里だけではない。
 サナもまた、目を丸くした。かわした? まさか!
 だが少女は明らかにサナを警戒している。周りのものは、明らかになにが起こっているのかわかっていないようだった。当然だ。サナの能力は、彼女にしか見えないものなのだから。
「…こすい真似しくさって!」
 少女よりも、サナの能力の方が早かった。
 よけようと身をかわしたが遅く、巨大な手の平に包まれてしまう。
「あっ」
 反射的に腕に力を入れて握りつぶされることを防ごうとしたが、相手は万真の予想を上回っていた。
 握りつぶすのではなく、持ち上げたのだ。
 ふ、と地面の感覚がなくなったと思ったら、物凄い勢いで上に持ち上げられる。
「なッ!?」
 千里たちの驚愕の声が遠く聞こえたが、万真はそれどころではなかった。
 いきなり振り回されたせいで酔ったのだ。
「……ちょ、っと。これは…」
 以前にも確か似たような状況はあったのだが、あの時は特に高度の変化を感じることはなかった。
(…やば…。マジ気持ち悪い……)
 これはちょっと、自分の置かれた状況に気を配っている場合ではないかもしれない。
 突然空中に浮き上がったまま微動だにしなくなった万真の姿に、三人は顔色を変えて女性を睨みつけた。
「きっさま…あいつは関係ねえだろ!」
 成一が怒鳴ったが、女性たちは歯牙にもかけない。男たちは、赤龍も関西陣もどう反応していいかわからないようだった。困惑も露わに様子をうかがっている。
 千里も怒気のこもった声を出した。
「あいつを放せよ。あいつになにかしてみろ、二度と東京には足を踏み入れられなくなるぞ」
 すさまじい殺気に男たちが思わず身構える。
 くすり、と笑みをこぼしたのはミネだった。
「えらい怒りようやな。あんたの女か?」
「おまえに関係ないだろ」
 間髪いれず返ってきた答えを、「是」だと解釈する。
 サナがにっこりと微笑んだ。
「開放してやってもええけど。条件付きやで?」
 千里の眉がひそめられた。三人の少年は顔を見合わせ、にやにや笑いながらこちらを見ている女性二人と、空中でぐったりしている万真を見比べる。
 サナがハスキーな声を投げた。
「はよせえへんとこうなんで」
 声と同時に万真の体がぐらりと傾ぎ、ガクの背後に燃え立っている炎の壁の上ぎりぎりのところで制止する。万真の表情が歪んだところを見ると、かなりの熱気が伝わっているのだろう。
「やめろ!」
 少年たちの声が重なる。
 ミネとサナは顔を見合わせて、にやりと笑った。
 少年が悔しそうに顔を歪ませて吐き捨てる。
「…条件は」
「簡単なことや。そこのあんた。茶髪でもゴツイのんでもないで。そうあんた」
 サナが言えば、ミネがにっこりと笑いながら続ける。
「名前と歳とあったらケータイナンバーそれからメールアドレス。教えて」
 少年たちの顔に奇妙な表情が浮かんだ。
「…………は?」
「それで許したる」
 ミネが笑顔で言ったとたん。
「なにボケたことぬかしとんじゃおのれは!」
 低い声とともに二人の頭に衝撃が走った。
「いったーい! 女の頭になにすんねん!」
「おまえは状況わかっとんのかこのアホんだら!」
「…すっこんどれ。ったく」
 三者三様の言葉で罵倒され、ふたりは膨れる。そんな彼らの耳に、低い、押し殺した呟きが届いた。
「………ちょっと、俺。キレていいか?」
「俺もちょっと久しぶりにマジ腹立ってきた」
「………俺もだ」
 低い囁きの後、上げられた少年たちの顔は。
 一目でわかる、怒りの形相をしていた。
「おい、赤龍さんよ」
 千里の声にガクがやや気圧された眼を向ける。
 ガクが声を発しようと口を開く前に、日向が、唸るような声を出した。
「…加勢する」
「――はあ?」


 いったいなにが起こっているのか。
 そんなことをガクが頭で考えていた頃。
 彼らの頭上では、一人忘れ去られていた万真が酔いと熱風でふらふらになっていた。
 まともな思考能力すら失いかけている。
 なにやら下のほうで言い合いが起こっているような気配はしているものの、視界は定まらず、なんだか耳も遠くなってきた。
「…あっつぅ……」
 熱い。
 足元、10メートルほど下では、真赤な炎がメラメラとその触手を万真に向かって伸ばしている。
 なぜ、真夏の夜中にこんなところで一人我慢大会をやっているのか。
 こんな拷問は、ジムのトレーニングでもしたことがない。
(あー…忍耐力養うのにいいかもー…)
 などということを頭の片隅で考えてしまうほど、熱さは頭にきていた。
(師範に提案してー……三階に空き部屋あるからそこサウナ室にしてさー…)
 自らを追い込むようなことをわざわざ師範に提案するような真似は、普段の彼女なら絶対にしない。それどころか、明らかに万真は今現在自分が置かれている状況を忘れかけている。
 不快な汗がだらだらでてくる。
 と、そのとき。
 朦朧としていた万真の視界の片隅で、なにかが動いた。
 かなりの高度にいるため、周囲はビルの屋上が続くのみである。そんなところに人影などあるはずもないのだが――……。
 いた。
 こちらに向かって、滑るように宙を飛んでくる人影がある。
 万真は眼を丸くした。
 眼は悪くないはずなのだが、いかんせん朦朧としているためその人物が二重三重にもぶれて見える。
 その人物が、真下の炎に赤く照らし出されて顔が判別できるほど近づいたときになってようやく、万真はそれが誰かを悟った。
「あれっ?」
 以前、逢ったことがある。
 似たような状況で。
 その、以前万真に同じようなことをしでかしたことのある少年は、人形のように綺麗な顔に不思議そうな表情を浮かべて万真を見ていた。
「…なにしてんだ?」
 問われて万真はことりと首を傾げた。自分の置かれている状況をよく考えてみる。
「……人質?」
 間違ってはいないと思うが、少年はますます訝しげに綺麗な眉をひそめた。
 眼下を見下ろして、そこに見知った少年たちの姿を発見する。
「あいつら、なんであんたを助けねえんだ?」
 もっともな質問に、万真は困ったように首を傾げて見せた。
「たぶん、それどころじゃないんだと思う。最悪忘れてるかも」
「……なにやってんだ」
 それを聞かれても困るのだ。
 明らかに、成り行きでこうなったにすぎないのだから。
「なんだか知らないけど、ケンカに巻き込まれた感じ」
「……それにしちゃあ、今にもケンカに参戦しますって顔してるけど?」
「………してるねー」
 三人の眼には怒りの炎が燃えていて、なぜかガクと呼ばれた男の陣営に与したようだ。完全に路地から出て、関西側を睨みつけている。
 あちゃあ、と万真は呟いた。
「完璧に忘れられてるなーあたし」
「………あんたさ、のんきって言われねえ?」
「あ、トキドキ」
「だろうな」
 呆れたような響きに、しょうがないじゃん、と少年を見やる。
「だって、あたしここからじゃなにもできないし。それに、これ放されたら終わりだしさ」
 その言葉に少年はあらためて万真の状況を検分しだした。
 自分の能力とは異なるものだということを確認した上で、ふむ、と一つ唸る。
「どんな力かはわからねえのか?」
 なんとなく聞いてみたところ、少女はあっさりと答えた。
「でっかい腕だね。見えない腕で、あたしを持ち上げてる。能力者はたぶんあそこの女の人」
 少年は驚いた顔で万真を見たが、すぐに眼下に視線を移して状況を確認した。
「その腕ってのはどうなってる?」
「え? えーと」
 万真は腕を動かそうとしたが、腕が動かないことに気づいて顎の動きだけで説明しようとしたが上手くいかない。それに気づいた少年が近寄ってきて、手を近づけた。
 とたん。
「あ」
 少年が小さく呟いた。
 手の下に確かな感覚がある。
 これならわかる、と頷いて、少年は万真を見やった。
「ちょっとだけ我慢しろ」
「へ?」
 きょとんとする万真の眼の前で、少年は手の平を前に突き出した。


 完全に戦闘体勢に入った少年たちを見て、ナツが舌打ちした。
「よけいなことしよって」
 彼らの能力がまったく見当もつかないため、こちらも慎重にならざるをえない。どうする、ととりあえずヤスをうかがおうとしたとき。
 突然サナが顔を上げ、そして叫んだ。
「仲間……!?」
 その声に上を見上げると、空中に少女と、そして見慣れない少年がいた。少年が手を前に突き出した刹那、サナの顔に驚愕が広がる。
「なッ! そんなアホな…!!」
「サナ?」
 驚いたような周囲の視線に答える余裕はなかった。
 第三の腕が、握りつぶされようとしている。
 物凄い力で。
 腕の、手首の関節のところに物凄い圧力が加わっていた。
 一方から押さえつけるのではなく、ぐるりと取り囲んだ全体から圧迫している感覚。もし血が通う生身の腕だったら、血管が破裂しているであろう、物凄い圧力。
「くうっ!」
 耐え切れず、腕を消滅させる。
 少女の体が放り出されることになるとわかってはいたが、力が持たなかった。
 それでも良心の呵責にさいなまれて顔を上げたサナの顔が驚愕に引きつった。
 炎の壁に飲み込まれるはずだった少女が、宙に浮いていたのだ。
 万真が開放されたのを見て取った千里たちの顔のに安堵が広がった。特に成一と日向は万真を守るように傍らに寄り添う少年の姿に驚いて眼を丸くしたが、彼のおかげで万真が助かったということに気づいて表情を改める。
「おいおまえ! それ頼んだぞ!」
 乱暴に言い捨てられた成一の言葉に少年が眼を丸くしている隙に、枷がなくなった少年たちはそれまでとは打って変わって嬉々とした表情で目の前の男たちを睨みつけた。
「散々なぶってくれたお返しだ。あいつにしたこと、倍にして返してやるからな」
 千里の呟きに、関西陣もようやく戦う姿勢をとり始める。
 その様子を頭上で見ていた万真だが、呆れたように肩をすくめて呟いた。
「…なんでわざわざケンカするかな。それに人を荷物みたいに言ってくれちゃって」
 それにはコメントせずに、少年は抑揚のない声で呟く。
「安全なところに移るか?」
 万真はすぐに首を横に振った。
「いい。ここにいる」
 ところが少年は、言い切った万真の表情とようやく動き始めた眼下の様子を見比べた後、こう言ったのだ。
「やっぱり、動こう」
「え?」
 抵抗する間もなかった。
 ふわ、と体が動いたと思ったら、万真はすでに少年の腕の中にいた。
「え!?」
 突然のことに狼狽している隙に少年はぐんと高度を上げる。そしてふわりと近くのビルの屋上に降り立つと、万真を解放した。
 すかさず万真は飛びずさるようにして少年から離れた。彼はそれを気にすることもなく、屋上のフェンスから身を乗り出すようにして眼下の道路を見下ろしている。
 なんとか落ち着きを取り戻した万真は、そろそろと少年の横に並び、彼に倣って道路を見下ろした。
 どうやら完全に戦闘体勢に入ったらしく、千里は低い構えを取っている。
 それを見て、万真はふと不安に駆られた。
 彼らの力は、先ほどいやというほど見せ付けられたのだ。千里たちが弱いとは言わないが、それでも力不足は否めない。
 彼らに、怪我などされたくなかった。
 彼らが血を流すさまなど見たくもなかった。
「…ねえ」
 かすれた声に少年は顔を上げ、傍らの少女を見る。
 その顔が青ざめていることに気づいて彼はやや眉をひそめた。
「……あの三人を、こっちに連れてこれない?」
 言われた言葉を理解するのに若干時間が必要だった。
「……あいつらを、連れ出せってことか?」
 少女は強張った表情で頷く。その眼は丸く見開かれ、道路に固定されたままだ。
 少女と、眼下の少年たちを見比べて、少年は明るい色合いの髪に片手を突っ込んだ。
「やれねえこともねえけど…」
 小柄な少女一人と、体格のいい男三人とでは、疲労度が圧倒的に違う。労力を厭うわけではないが…。
 と、少女がすがるような眼で自分を見つめていることに気づいて、気まずくなって視線をそらした。
「まあ、待て。たぶん、そんな暇はねえよ」
 その言葉の意味を尋ねようと口を開いた瞬間。
「――人のテリトリーの中でなにやってるのかしら」
 嫣然とした声が響き渡った。

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