NIGHT GAME 三章五話 ジャッカル
 闇を割って現れた男は、しかし予想に反して見覚えのない顔立ちをしていた。先ほどの関西弁軍団では、ない。
「……別チームってこと?」
「かもな」
 千里と万真は小声で言い交わすと、改めて目の前の一団を睨みつけた。先頭の男はにやにやとだらしない笑みを浮かべたまま、小馬鹿にした顔つきで万真たちを眺めている。
「せっかく東京出て来て、最初に出逢たんがこんなガキとはなあ。白けるわ、ほんま」
 嘲るような言葉に男の周囲から哄笑が巻き起こる。
「まあ、せっかくやから軽く自己紹介といこか? 俺らは関西を制した男や。ジャッカル言うねん。覚えとき。ゲームが終わったときには、俺らと戦ったッちゅーんがものごっつい名誉になってるはずやからなあ」
 名誉、とか言われても。
 男の微妙なテンションを前に、神威の四人はひたすら沈黙を守っている。と、そんな四人の様子に男は眉を上げると四人に向かって指を突きつけた。
「今んとこはなんかリアクションしなあかんところやで自分ら」
「……はあ?」
 四人の呟きがきれいにはもった。
「はあ? とちゃうで。あかん、ほんまにあかんわ。自分らノリ悪すぎ。これやからトーキョーモンはいややねん」
 男はとうとうと「東京モンと関西人の違い100」とやらを語り始めた。
 それを右から左へ聞き流しつつ、千里は軽く首を振る。
「…御託はそのくらいでいい。やるんならやろうぜ。ていうかお前ら、うざい」
 はっきりきっぱりとした一言に、一瞬男が口をつぐんだ。しかしそれは本当に一瞬のことで、再びさらにボリュームアップして喋りだす。
「あかんなせっかちな男は嫌われるでー? 幸い時間はたっぷりあんねんし、のんびりやろうや」
 なあ。
 そんな風に話を振られても、千里としては頷く道理など一つもない。
 …なんとなく、かなりむかついてきた。
 再び始まった男のトークを黙って聞いていた千里の右拳に力が入った。ほぼ同時に成一が軽く足を開く。
 完全に臨戦態勢に入った二人の様子に、万真は軽く息をついた。
(なんていうか、ビミョーなんだけど…)
 男のテンションが高いのか低いのかいまいちわからない。会話のノリにもついていけないし、なによりも男の口調が場違いにのんきで、うさんくさすぎる。
(…こういう状況であんな喋り方されても、ねえ)
 自分のことはきれいに棚に上げてそんなことを考えつつ、千里たちに倣ってゆっくりと構えを取る。
 その瞬間。
 キン、と万真の眼が鋭さを増した。
 ひゅ、と万真の体が沈み込んだ。そのまま左足を軸に回転し、勢いのままに背後に飛び出す。
 鈍い音がした。
 万真の拳を鳩尾に食らった男は低く呻き声を上げて大きくよろめいたが、その腕を掴む力強い手によって倒れることは阻まれる。日向が力を入れると、「ぐあっ」という呻き声とともに男の腕から力が抜け、白く光る長い刃が音を立てて地面に落ちた。
「…これが、あんたたちのケンカの仕方か」
 前方の男たちを見据えて千里が低く吐き捨てた。
 男は白々しいほど大仰な溜息をついて見せた。
「ほんまに勘の鋭いやっちゃ。楽しみが減るやんけ」
「御託はもういい」
 鋭い声が男の口上を遮った。
 それと同時に男たちの頭上でパン、となにかが破裂した。
「…やるなら、やろうぜ」
 くい、となれた仕草で指が招く。
 不敵に笑い、千里は両手に火球を生み出した。
「ほんまに自分いらちやなあ。いつか彼女に飽きられんで?」
「背後から切りかかろうとした奴がぐだぐだ言うな」
 日向までもが低く吐き捨てる。気絶させた男を地面に投げ出し、男たちをその鋭い瞳で睨みつけた。
 男が軽く肩をすくめる。
 刹那。
 男の雰囲気ががらりと変わった。
「…俺らにそんな口利いたこと、後悔させたるわ」


 刹那、千里たちの周囲で光が弾けた。
 閃光に、反射的に四人は眼をかばう。その瞬間だった。
 光の膜を割るようにして男たちが飛び込んできた。
「くっ」
 白く光る刃を寸でのところで避けた万真は、しかし、避けたはずの刃が長く伸びて自分に襲い掛かってくるのを見て小さく叫んだ。
「うわっ!?」
 横に飛び退き、受身をとって起き上がったところに光の塊が飛来する。一瞬早く飛び退いた地面に光がぶつかると、なにかがはじけるような音がして道路が大きく陥没した。
「…げッ」
 万真の顔が青くなる。
「カズ、どけ!」
 千里の生み出した幾体もの影が今にも万真に掴みかからんとしていた男に取り付いた。
「うわあッ!?」
 驚愕の叫び声が起こり、同時に万真はその場から飛び退く。万真をすばやく背にかばった日向が目の前の男たちに鋭い眼を向けた。
「…お前は前に出るな」
「でもっ」
 万真の言葉は、直後に起こった轟音にかき消されてしまった。
 千里が生み出した火球が地面に穴をうがつ。こちらに向かって飛来してきた光の球を日向が受け止め、相手に鋭いモーションで投げ返す。日向が受け止め切れなかった分は一瞬で成一が全てかき消した。
 飛来する光の矢を、瞬時に千里がコピーし、そのまま相手にぶつける。それと同時に火球と影を制御することも忘れない。千里の後方を守るのは成一だ。その二人の中間的な働きをしているのが、日向。彼は万真をかばいつつ、鋭い眼をさらに細めて相手が生み出した力の塊を即座に絡め取り、己の力に変える。
 万真はその様を、ただ見つめることしかできなかった。
 目の前で閃光が走り、赤い花が咲く。その光に照らされる千里や成一、日向の姿を、ただ黙って見守ることしかできなかった。
 震える拳を握り締める。
 わかっていた。
 能力を持たない人間は、ここでは何の働きもできないと。
 ただのお荷物でしかないのだと。
 以前、弘行に、そして慧に、自ら語った言葉。
 ――お荷物。
 その意味が、ずしりと胸にのしかかる。
 守られるだけの存在にはなりたくないと、そう成一に語ったことはまだ記憶に新しい。その舌の根も乾かぬうちから、これだ。
 これがお荷物でなくて、なんだというのだ。
 守られたいんじゃない。
 一緒に、闘いたいんだ。
 拳に、さらに力が入る。
 飛び出そうと、地面を踏みしめる足に力を入れ、膝を沈める。
 その瞬間だった。
「伊織」
 低い声が万真の動きを止めた。今にも飛び出そうとしていた足が地面に縫い付けられる。
 赤い光に照らし出された日向の大きな背中が、低い声を紡ぎだした。
「そこにいろと、言った」
「でも!」
 ただ守られているだけなんて、耐えられない。
 そう叫ぼうとした万真の心を読んだかのように。
「カズ!」
 千里が、鋭い声で、彼女の名を呼んだ。
 反射的に見やった先で、千里は数体の影を生み出しながらチラリと万真に視線を走らせた。つ、とその眼が細められる。
「そこにいるんだ」
 それは、この戦闘の最中にある人物が発するには不釣合いなほど、優しい声だった。その声音、その瞳だけで、千里の心が理解できて、万真はただ頷くことしかできなかった。
 わかってる。
 もし、千里と万真の立場が逆だったら。
 迷わず万真は今の千里と同じことをしているだろう。
 なによりも大切なひとだから。だから。
(わかってるけど…)
 それでも、一緒に闘いたいのに。
「………い」
 万真の口が、かすかな言葉を紡いだ。
 それは本当に小さなささやきで、激しく鳴り続ける轟音にかき消されて、誰の耳にも届くことはなかった。


 おかしい。
 膨らむ違和感に、男は内心の焦りを押し殺してひたすら業火を放ち続ける。
 相手はたった四人。それなのに、この状況はなんだ。
 たった四人相手に、自分たちが押されている。
 それに、相手の力。
 一人が身につけることができる能力は、一つだけ。それなのに、明らかに相手はそれ以上の能力を駆使している。
(他に仲間がおるんか?)
 周囲に視線を走らせてみても、その様子は見られない。
 違和感に気づいたのだろう、仲間が声を投げてきた。
「おい! なんかあいつら、変や」
「ああ…」
 男の第六感とでも言うべきものが、危険信号を発している。
 まだ高校生だろう彼らから得体の知れないものを感じ取り、男は軽くあごを引いた。
(…まだ、ゲームは始まったばかりや)
 焦ることはない。
 正体が見えない相手にむやみに戦いを仕掛けることは得策ではない。相手の全貌が見えないというのに戦いを続けるほど、男は無謀ではなかった。
 す、と片手を上げると、その瞬間男たちは攻撃を中止した。
 突然のことに千里たちは困惑する。
 千里の手の上で、行き場をなくした火球がゆらりと揺れた。
「…なんだよ」
 成一が眉間にしわを寄せて男たちを睨む。
 険しい視線に、男は軽く肩をすくめて口を開いた。
「…悪いけど、一時休戦や」
「はあっ!?」
 声を上げた少年たちを軽く見据え、男たちは薄い笑みを浮かべる。
「よう考えたら、まだゲームは始まったばかりなんやし、そう躍起になって闘わんでもええねん」
「まあ、どっちみち俺ら今日は様子見のつもりやったしな。ええ運動した、ちゅうことでどうやろ。双方手ぇ引かんか」
 いきなりまくし立てられて、万真たちは言葉がない。さすがの千里もこの展開には唖然としている。
「…は?」
 かろうじて、千里がそう声に出した。両の手の上ではまだ火球が燃えている。
 呆然とする少年たちの前では、男たちはなにやら妙に清々しい表情を浮かべてチャッと片手を上げていたりなんかする。
「ほな、そういうことで。また逢うときがあったらそんときはよろしゅうな」
「お互い遠慮せんとガンガンやろな」
 ほんじゃあ、と言い残して背を向けた男たちに向かって、ようやく言語機能を回復した千里が怒鳴りつけた。
「待てよ! 一方的に仕掛けてきて一方的にやめる奴があるか!」
「心配すな、ここにおる」
「威張るな!」
 叫んで千里は両手で燃え盛っていた炎を、怒りのやり場をぶつけるように思いきり男たちに向かって投げつけた。
 が、しかし。
「熱いやっちゃなあ自分。そんなに積極的にされても俺困るわ。悪いけど俺そっちのケはあらへんで」
 一人が放った力と相殺されて消滅する。その傍らではやはり男のひとりが軽い口調で、笑顔を浮かべながらそんなことを言った。
「俺もねえよそんなもの!」
「千、落ち着いて…!」
 滅多にないほど激怒する千里の背中にしがみつき、必死になだめるが、千里の怒りはなかなか収まらない。
「逃げるな、お前ら全員まとめて東京湾に沈めてやる」
 低い、唸るような少年の声に、しかし男たちは笑顔でこう言い切った。
「また今度なー」
 そしてあっさりと背を向け、今度は振り返ることなく歩き出す。
「こらー!」
「せ、千〜〜っ」
 万真が必死になってなだめるその横では、毒気を抜かれたような表情で成一が呆然と遠ざかる男たちを見つめていた。
「…なんてーか、あそこまで千里を刺激するのが上手い奴って初めて見た」
 口調、態度、科白、全てが千里の逆鱗に触れていたと言っても過言ではない。おそらくこれから千里は「関西弁」であることだけで一々神経を尖らせるようになるのではないだろうか。それほどまでにみごとな神経の逆撫で様だった。
 ジムの男たちでもあそこまで鮮やかにはできまい。
 拍手を送りたいような気持ちで見送っている成一の隣では、日向がなすすべもなくただ沈黙していた。
 途中から――いやもしかすると最初から、男の会話についていけず戦闘時以外はひたすら聞かざる言わざるを保ってきた彼だが、さすがに千里に同情の視線を投げている。
 ひたすら毒づき続ける千里にしがみついていた万真だが、彼が落ち着いてきたのを見て取るとゆるゆると身体を離した。安堵し、笑みを浮かべて千里を見上げる。
「…千?」
「なんだ」
 しかし、思い切り不機嫌な表情で睨みつけられて、ピシリと背筋を伸ばした。
 表情を強張らせて硬直した万真から視線を外すと、千里は憤然と歩き出す。怒りも露わに荒々しく歩き出した千里のあとを、万真は慌てて追った。
「千っ」
 呼びかけた万真の肩に手を置いて、成一は「そっとしておけ」というように首を振った。
「でも」
 呟き、おろおろと千里の方に眼をやる万真の肩をもう一度叩いて、成一は重々しく口を開いた。
「…そっとしといてやれよ。いきなり見ず知らずの男にホモ呼ばわりされたんだ。怒らないほうがおかしい――」
「一!」
 しかつめらしく言った成一の語尾に千里の怒声が重なった。と同時に成一が赤く照らし出される。
「ほっ」
 鼻先に迫った火球を、しかし成一は余裕を持って消滅させた。
 怒気も露わに睨みつけてくる千里を余裕の笑顔で見返す。そして笑いながら言った。
「あんまり気にすんなよ。お前の怒りも理解できるからさ。そりゃな、いきなり赤の他人にホ――」
「繰り返すな!」
 今度は特大の火球が投げつけられたが、しかし成一はそれも笑顔で消し去った。と、突然拳が飛んできて成一の顔から笑顔が消えた。
「うおっ」
 横に流し、続いて突き入れられた正拳を手の平で受け止める。そして次の瞬間、流したはずの拳に首をつかまれた。
「ちょ、ま」
「…二度と言うな」
 完璧な無表情で、千里はそう言いきった。その瞳が浮かべる怒りの大きさを思い知り、成一はごくりと唾を飲み込むと両手を肩の高さまで上げた。
「……悪ィ。俺が悪かった。もう言いません」
 その言葉を聞くと千里は無言で手を離し、そのまま成一に背を向けた。
 怒気を発散させたまま振り返りもしない背中を眺め、万真は咳き込む成一に声を投げる。
「バカ。調子に乗るからだよ」
 ただでさえ千里最近様子が変なのに。
 後に続く言葉は胸のうちだけで呟く。
 そんな万真の様子には気づかない成一は、上機嫌で歩き出した。鼻歌まで歌いだしそうな勢いである。
「いやでも千里をからかういいネタができたぜ。これでしばらくは葉介さんと二人で楽しめるな!」
「だからそういうことすると千が拗ねるからさーやめようよー…」
 万真の呟きも耳には入らない。
「また千に殴られても知らないよー」
「いやそれはむしろいつものことだしっ! ていうか久しぶりにあいつをおちょくれるかと思うとそれだけで殴られる痛みなんかチャラになるって」
「……悪趣味」
 例によって万真の言葉は成一の耳の中に入る直前で遮断される。なにやら嬉々とした表情で妄想にふけっているらしい。殴られれば一応は大人しくなる成一だけならまだましなのだが、そこに葉介が加わることを想像して万真は思わず溜息をついた。
 こと千里をからかうことに関して言えば、葉介はある意味成一よりも厄介かもしれない相手なのだ。
 なにしろ、葉介相手では千里は強く出ることができない。それは幼いころから刷り込まれた条件反射のようなものだった。
(…千も気の毒に)
 千里の明日を思って軽く溜息をついた万真の背後から、なにやらずっと沈黙していた日向が軽く小首を傾げていまだに浮かれている成一に声をかけた。
「……少し気になったんだが…その場合、相手役としてまず抜擢されるのはお前じゃないのか」
 その一言で、成一の動きがぴたりと止まった。そして、ぎぎぎ、と音が聞こえそうなぎこちない動作で日向を振り返る。笑顔が、不自然に固まっていた。
「………なんか言った?」
「だから――」
「繰り返さなくていい」
 言いかけた日向を、千里と同じように遮り、千里と同じように睨みつける。だが、一瞬で険しい表情を拭い去り、軽い笑顔を浮かべて日向に背を向けた。
「ま、俺が相手になると決まったわけじゃねえし?」
「まず間違いなく一だと思うよ」
「って万真サン!?」
 ボソリ、と隣から突っ込まれて成一は思わず万真を見下ろした。口を意味もなく開閉させる成一の隣を歩きながら、こともなげに万真は言う。
「條青って男子校でしょ? あたしは興味ないけど、そういうの好きな子って意外に多いらしいからねー。まず男子校ってだけでポイント高いし? しかも千と一って客観的に見てかなり仲良いし」
「…!!」
 淡々と告げられた言葉に成一は多大なる衝撃を受けた。
「……お、女って、そういう眼で俺らのこと見てんのか?」
「みんながみんなってわけじゃないけど、そういう人もいるってこと」
「………ポイント、って、なに」
「あんまり説明したくないんだけど、聞きたい?」
「いい、言わんでイイ」
 反射的に首を振って、成一は思い切り考え込んでしまった。かなり、ショックだった。
 自分がそういう眼で見られる可能性よりなにより、女の子がそういう話が好きだ、ということがショックだった。
 万真や姉以外、つまり世間一般の少女たちに対して抱いていた幻想が音を立てて崩れていくような気がする。
「…うっそだろー…」
 思わず呟いた時。
「いつまでその話をしてるんだ」
 押し殺した低い唸り声が聞こえて、慌てて成一は顔を上げて笑顔を取り繕った。
「い、いや、もうナシな。ホントにもう言わねえ」
 本気で、真剣な顔でそう言うと、千里はまだ不審そうな顔をしていたものの気が済んだのか再び前を向いて歩き始めた。その背中を見て、そっと息を吐く。
 自分に塁が及ぶかもしれない危険なおちょくりなど、誰がするものか。
「…まあ、賢明だな」
 隣から聞こえてきた低い声に、成一はそちらに顔を向けた。不機嫌さの残る顔で睨みつけられても日向は意に介さず、それどころか愉しそうに口元を緩めてさえいる。
 その表情にいささかカチンときた成一は、ムッとした表情を隠すことなく日向を睨みつけた。
「楽しそうじゃねえか、あ?」
「他人事だしな」
「…他人事じゃなくしてやろうか?」
「捨て身で? それとも、また相馬に殴られるのを覚悟の上で?」
 即座に切りかえされて、成一は言葉に詰まった。返す言葉が見つからず、悔し紛れに相手の脇腹を軽く小突いた。
 が、あっさりかわされる。
「………」
 今度は回し蹴りを放ってみた。
 無言のままそれもかわされる。
 成一の闘志に火がついた。
 無視に徹した日向となにがなんでも一発当ててやろうと燃える成一の無言のバトルを背で感じながら、万真は千里の傍らを歩いていた。
 千里の表情はまだ不機嫌そうではあるが、さっきのような、万真を拒絶する雰囲気はもうない。
 そのことがありがたい。
 そして。
 男たちが突然あのような形で去ったこともまた、万真の心を軽くしていた。
 あのまま戦闘を続けていたら、自分がどういう行動に出ていたかわからない。そして、これから。
 これから、数限りなく起こるであろう戦闘で、やはり能力にも目覚めずさっきのようにお荷物のままでしかいられないのなら。

 自分は、ここにいる意味がない。

 それでなくても「裏の鬼」かもしれないということで周囲に過剰な心配をさせているのだ。彼らの負担になるくらいなら、ここにこないほうがよほどましだ。
 軽く下唇を噛み、拳を強く握り締める。
 傍らの千里を振り仰ぎ、口を開こうとした。そのとき。
 万真の携帯電話が明るい電子音を鳴らした。全員が足を止め、音の発生源を見る。
「あ…」
 万真は慌てて携帯電話を耳にあてた。
「はい」
『あ、万真? 今大丈夫?』
 明るい、少しハスキーな女性の声。ナンだ。
「あ、大丈夫だよー。どうかしたの?」
 万真の様子と漏れ聞こえる声とで相手を察したのだろう、他の三人も電話の声に耳を澄ましている。
『今、神竜と一緒にいるんだけどね。あんたたちもこっちにこないかい? さっき見たっていう奴らのことが訊きたいんだけど』
 万真は千里を見やった。話は聞こえていたのだろう、千里も万真を、そして成一と日向を見る。
「――まあ、別に、いいんじゃないか? そっちにも無関係じゃないらしいし」
「……だって」
『そうか。それじゃ、誘導するからあたしの言う通りに進んで』
「誘導?」
 呟き、再び顔を見合わせる。
 そして、ナンの指示に従って歩き始めた。



 パタパタと、軽い足音が無人の路地に響いた。街灯の光に長く伸びた影はすぐに闇に溶ける。
 路地を抜け、広い通りに飛び出したとたん、足音がぴたりと止んだ。
 ひゅう、と息を呑む音。そして、かすれた声が響いた。
「お兄ちゃん!」
 目の前に広がるのは、明らかに戦いが繰り広げられたとわかる荒れ果てた道路。アスファルトは不自然に隆起し、ところどころに深い亀裂が見て取れる。
 瓦礫の中、数名の人間が倒れ伏していた。
 その光景に顔色を変えた少女は、震える口を引き結んで、ぴくりとも動かない青年に駆け寄った。
「お兄ちゃん!」
 悲鳴にも似た声で青年を呼びながら、何度も身体を揺さぶる。しかし、何度揺らしても青年は眼をあけない。
「おにい……!」
 少女が短く息を呑み、顔をあげた。
 ジャリ、とかすかな音がした。
 瓦解した建物の影に、誰かがいる。
 少女は青年の身体を抱きしめたまま、凍りついたようにその影を凝視していた。
 月明かりの中、人影が現れる。
 ひとり…二人……見たことのある、顔。
 ぞろぞろと姿をあらわした男たちは、少女とその腕の中の青年を認めてニィと口の端を吊り上げた。
 男たちの顔に広がった愉悦の表情を見て、少女はザリ、と体を動かした。
「……こんなところで、赤龍のリーダーにお目にかかるとはな」
 低い声は嘲笑を含む。
 びくり、と肩を揺らした少女の顔に怯えを見たのだろう、声はさらに嘲るような色を濃くした。
「しかも、どうやら意識がない?」
「…こないで」
 か細い声は、男たちの酷薄な笑みにぶつかり、虚しく掻き消える。ざ、と男たちが足を踏み出した。
 少女は蒼白な顔で青年を抱え、わずかに身体を後方にずらす。
 男たちが薄く笑った。
「…ちょうどいい。これまでの借りを、まとめて返して――ッ!?」
 突然視界を赤いものが覆った。
 ゴウ、と唸りを上げて少女と男たちの間に炎が噴出し、壁を作る。少女の頬が炎に赤く照らされた。
 男たちの驚愕の声が聞こえる。炎はますます轟々と、勢いを増して燃え盛る。
 少女は腕の中の青年がかすかに身動きしたことに気づいた。
「お兄ちゃん」
 青年の腕が持ち上がった。とたん、炎はその丈を伸ばし、天へと燃え上がる。
 少女の腕から身を起すと、青年は額をおさえながら炎を――その先に見える人影を睨み、低く言った。
「――消えろ。今なら、殺しはしない」
 言葉と同時に炎の壁がゆらりとうねった。いくつものプロミネンスを生み出しながら、炎はゆっくり男たちのほうへと勢力を伸ばす。
 炎の中の人影が、一瞬の躊躇いを見せてからひとつ二つと消えていった。
 人影がなくなるのを見届けてから、青年は長い息を吐き出した。すう、と音もなく炎が収束されていく。炎が消え失せるのを見届けてから、青年はゆっくりと立ち上がった。二三度頭を振って、頭をめぐらせる。
 激しく陥没した道路には、倒れ伏している人影が見えた。
「お兄ちゃん、大丈夫? 怪我は」
「リコ」
 青年の声に、青年の額に向かって手を伸ばそうとしていた少女の動きが止まった。少女を見下ろし、青年は初めて表情を緩めた。かすかな、笑み。
「俺は大丈夫だ。ほかのやつらを見てやってくれ」
 少女はなにか言おうと口を動かしたが、しかし言葉にはせずにしっかりと頷いた。
「わかった」
 そう言って、周囲を見渡しながら駆け出す。その少女が、数歩進んだところで立ち止まった。
「――なんか、知らない人がいるけど。この人たちも?」
 青年はしばし沈黙した後、思い出したように「ああ」と呟いた。
「ほっとけ。そのうち気がつくだろう」
 少女はしばらく青年の顔を見ていたが、ややあって「うん」と頷いて、路地などに倒れている仲間たちの元へと走っていった。




 一方、神威とわかれたあとの関西軍団は、どうにも不可解な思いを拭えずにいた。どう考えても、理屈に合わない。
「…あいつら、ほんっまに四人だけやったよな?」
「ああ、確かに四人だけやったけど…しかもガキばっかりで」
「やんなぁ…」
 おおいに首を傾げる。
 しかし、それなら彼らの能力とはいったいなんぞや。明らかに、四種類以上の能力を有していたはずだ。
 おかしいなあ、とさらに首を傾げたとき。突然、仲間の一人が大声を上げた。
「もしかして! あいつら、鬼やったんとちゃうか!?」
「あ?」
 突然のことに眼を丸くした仲間たちに、彼は力をこめて力説した。
「絶対そうや! 東京には鬼が二人もいてるんやろ? せやったら、あいつらの中に鬼がいてもおかしない」
 懐疑的な仲間の表情に、彼はさらに語気を強める。
「そう考えたら、あいつらのことも納得いかへんか? 人数以上の能力も」
 表裏に関わらず、「鬼」のなんたるかを知るものは少ない。常ならざる能力を有する存在、としか知られていない。
 あーっ、と叫んで、青年たちは頭を抱えた。
「マジでー!? なんやねん、ほんならみすみすお宝逃がしたってことかいな」
「今から追いかけても…無駄やろな」
「うそやろー!?」
 口々に叫んだとき、彼らの耳がかすかな物音を捉えた。
 ぴたりと口を閉ざし、物音のした方向――道の先を見据える。
 転々と等間隔に並ぶ街頭の光の中、人影が現れた。一人、二人――七八人ほどの人影は、20メートルほどを残して立ち止まる。
 ついさっきまでの動揺はどこへやったのか、男たちは笑みすら浮かべて人影を睨みつけた。
「…カモがきよったで」
「ああ」
 道の先、光の輪の中に、一人の青年の姿があらわれる。
 暗い水銀灯に照らされたその顔立ちは定かではないが、口元に浮かんだ笑みははっきりと視覚できた。
「――よそ者か?」
 少し低めの、良く通る声。
「――ああ。関西を制した、ジャッカルや。お前らは?」
 かつ、と靴音を立てながら、灯りの中に一人、二人、と入ってくる。
 中央に立つ青年は、男たちを見据えながら口を開いた。
 凛とした声で、言った。

「――METH」

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