NIGHT GAME 三章八話 距離
 眼下に無数の電飾が、宝石さながらにきらめいていた。足元に広がるその光景に、しかし彼は眼を向けることはない。
 ビルの屋上よりもさらに高みを、彼は滑るように移動していた。街の上空を吹く夜風が髪をあおり頬をなでる。それを心地よさそうに感じながら、彼は宙を飛ぶ。
 風に乗ってときおり届く爆音や破裂音には気を止めない。
 やがて、ひたすら前方を見つめていた宝石のような瞳が下方を見た。夜の闇を瞳に映し、彼は進路を変える。
 ゆっくりと舞い降りたそこは、背の高いビルの合間にうずもれるようにして建つ小さなビルの屋上だった。
 慧の姿を目にとめて、給水タンクの影で寝そべっていた少年がむくりと起き上がった。そして微笑んだ。
「おつかれ」
 慧は無言で軽く頭を縦に振った。そんな彼にスポーツ飲料のペットボトルを手渡しながら、まどかが尋ねる。
「結局どこまで行ってきたの?」
 慧は喉を鳴らしてドリンクを三分の一ほど飲み干し、一息つくと、額に張り付く髪をかきあげた。
「あー……歌舞伎町、の、あたり」
 メンバーは一様に沈黙した。
 歌舞伎町。
 衛が息を吐き出し、呆れた声を出した。
「……まあ、そこならすぐに発見してもらえそうでは、あるけどな」
 そうだろ、という表情をした慧を一瞥し、さらに言う。
「でもな。もっと近場で人が集まりそうな場所はいくらでもあるだろーが! 道理で遅ぇと思ったら!」
「ヨリミチはしてねえ」
「そういう問題じゃねえだろ! なにかあったかと思うだろうが!」
 珍しく声を荒げた衛をしばし見つめていた慧は、ややあって得心がいったかのように頷いた。
「ああ。まさか、心配した」とか。
「誰がするか」
 言い終わる前にきっぱりと言い切られ、さらには背まで向けられて慧は瞬いた。
「……なに怒ってんだ」
 衛は答えない。パソコンを立ち上げ、なにやら作業し始める。
 ポン、と、突っ立ったままの慧の肩を叩き、亮がため息まじりに声を出した。
「気にするな。最近気が立ってんだよ」
「ごめんね、ほんと。でもあんたのことだからあまり気にしないでいてくれるよね」
 さりげなくひどいことを言ったのはまどかだ。
 まあ、いいけど。と、慧は再びドリンクを飲んだ。
 彼は、今しがた、負傷者を「王国」の外へと運んだばかりだった。この世界で傷ついた人間をそのまま放棄しておけば、命を失いかねない。だから、こうして、外の世界へ連れて行く。路上において置けば、誰かが見つけて救急車なり警察なりを呼んでくれるだろうから。
 これも『管理者』としての役目のひとつだ。
 半分ほど飲んだペットボトルのふたを閉め、床に置く。そして、慧は改めてパソコンを見つめている衛の背中を見た。
 この間から、感情が不安定な衛。
 なにに対して苛立っているのか――その答えを、慧は知っていた。
「……まだわからねぇの?」
 問い掛けると、ばらばらに肯定の応えが返ってきた。
 紗綾がひざを抱えたまま、ことんと首を傾げる。
「………誰なんだろうね」
 神竜。
 復活す、とのあのメールからこちら、コンタクトはない。
 普段の衛なら、彼らなら、気にも留めなかった、メール。事務的に処理してそれで終わりだった。
 だが。
 無視できない一言が、そこにあった。
「――あれは、明らかに俺たちへの挑戦だろ」
 硬い表情で亮が呟く。
 パルチザンの名を持ち出されて楽天的でいられるほど、彼らは能天気ではなかった。
 かかとを床に打ち付けながら、まどかが上目遣いに亮を見上げた。
「……情報、買う? たぶんそれが一番手っ取り早いわ」
「そうだな。とりあえず、神竜とやらのことを知らなきゃ話にならない」
 四組の視線がかたくなに背を向けている少年に向けられる。
 あのメールからこちら、衛も必死で探ってきた。だが、顔も、人数すらわからなければ、いかな千里眼でも探しようがない。それも、彼の苛立ちのひとつだ。
「衛」
 静かに慧がその名を呼ぶ。
 衛の肩がかすかに震えた。
 四人が見つめる中、背中が小さなため息を落とす。そして、ようやく彼は振り向いた。
「……そうだな。とりあえず、神竜のことをしらねえと」
 衛が、応じた。
 そのことに、四人の間に安堵が広がる。
「じゃあ、情報屋を絞らないと。一番確実な奴からいかないとね」
 とたんにまどかは明るい声を出した。間髪入れず衛の固い声が飛んでくる。
「“銀”はダメだぞ。奴は女好きだから」
「そうだな、まどかはともかくうちには紗綾がいるから――イタッ」
 深く頷いた亮はまどかに思い切り耳をひねられて悲鳴をあげた。
「うるさいのよ。…じゃあ、銀は置いといて…他は、どう? 近場なら――」
「――まただ」
 唐突に落とされた衛の言葉にまどかは言葉を切った。見ると、彼は険しい表情で宙を睨みつけている。
「また、見ていやがる」
 どこの誰かは知らない、だが明らかに五人を観察するような視線には、もう慣れてしまっていた。だが、いくら慣れたとはいっても、その不快感は少しもなくならない。むしろ増している。
 ――気分が悪い。
 いくら意識を広げても、『視界』を広げても、いっこうに正体を察知できない苛立ちに衛はした打ちした。
 そのときだ。
 ふと、膝を抱えて座り込んでいた紗綾がはじかれたように顔をあげた。
「――人が」
 真っ直ぐに、階下に続く階段の、固く閉ざされた扉を見つめる。
 亮が立ち上がった。まどかと紗綾を守るように移動した彼を横目で見ながら、衛もパソコンを閉じ給水タンクの下に押し込む。慧がゆっくりと身構えるのが見えた。
 物音は聞こえない。だが――よく耳を澄ませると、鉄製の階段が立てるかすかな音が聞こえてくるような気がした。
 息を詰めて扉を見守る。
 衛の前に慧が立った。視線を受けて、目を閉じる。意識を遮断し――そして、第二の視界を開こうとしたまさにそのとき。
 唐突に、周囲の風景が一変した。



 一瞬感じた違和感に、日向は戸惑いを隠せずに目の前の人物を見た。
 知り合って約一ヶ月。冗談を言い合うぐらいには親しくなったと思っていた相手は、一瞬見せた不思議な表情をきれいに消し去って笑みを向けてきた。
「昨日はすごい雨だったな」
 気のせいだったのだろうか。
 内心首をかしげながらも日向は律儀に頷く。
「ああ」
 すると、これまた先ほどの不可思議な表情を無邪気な笑みに変えた少女が、やはり無邪気に声をかけてきた。
「今日は晴れてよかったよね。さすがに雨の日に出歩く気にはなれないしねー」
 そうだな、と相槌を打ちながらも、やはり違和感をぬぐいきれない。
 なんだろう。
 双子の笑顔が、いつもと違うような…?
 どこがどう違う、とはっきり言い切ることはできないが、だが、直感的にそう思ったのだ。そして、理性よりも感情を優先する人間ならそうであるように、日向は――自分の直感に、全幅とまではいかないがそれなりの信頼をおいていた。
 助けを求めるように成一を見る。すると彼もまた、訝しげな表情で幼馴染を眺めていた。
「………やっぱり、俺の気のせいじゃないんだな?」
 日向一人が感じていたものならば「気のせい」で済んだだろうが、相手は二人とは付き合いの長い成一である。
 その成一も、二人の纏うあまり覚えのない雰囲気に戸惑いを隠せず、ただ首を傾げていた。
「…なんだろなぁ?」
 成一の知る限り、あの微妙な表情に覚えはない。なにかあったとするならば――昨日か。
(「家族会議」で、なにかあったか?)
 だが、こと双子に対してはある意味異常なほど神経をつかうあの大人たちが二人に不用意な発言をするはずがないし。
 わけがわからず、だが「気のせい」で片付けるには少し気になる一瞬の表情に、成一と日向はただ首を傾げる。
 くだんの双子はそんな二人を見て不思議そうに笑った。
「なに変な顔してるんだ、俺の顔になにかついてるか?」
「イヤべつに」
 答えた成一の顔を見て、明るい笑い声を上げたのは万真だ。
「変なの。早く行こうよ」
 そう言って、公園の入り口の、自転車よけの柵をゆする。カシャン、と乾いた音を立てたそれを軽く飛び越えて、千里も振り返る。笑顔とともに、彼は声を投げてきた。
「置いてくぞ」
 日向は成一と顔をあわせ、すでに歩き出していた双子の後を追って待ち合わせていた公園を出た。
 待ち合わせによく利用するこの公園は、すぐそばに『ドア』がある。言うまでもなく『王国』への入り口だ。
 少しの違和感とともに油膜をすり抜ける。
 明るい表情で何事かを言い交し合う双子を見て――ふと、感じた。
 最近、あの二人は良く笑う。
 違和感の正体ではないが――いや、これも立派な「違和感」か。
 最初の頃に比べて、自分にも親しげな笑みを向けてくると思う。
 だが――先ほどの笑みは、それとはまた違った。
 だが、なにが――どこが、違ったのか。
 再び首を傾げているまに、どうやら歩く速度が遅くなっていたようだった。ついてこない日向に気づいたのか、前の三人が振り返る。
「日向?」
 耳に親しんだ、少し高めの柔らかい声。こういう声を出すとき、たいてい彼女は微笑んでいる。柔らかく。
 顔をあげて、表情を確かめようとして――。
 そして、気づいた。
 違和感の正体。
(――距離だ)
 少し離れたところで、伊織万真は微笑みながら不思議そうに首を傾けている。その傍らの千里も同様だ。
 だが、物理的な距離よりも。
(――笑顔に、距離がある)
 笑顔に、態度に――それとわからないほど、かすかな距離感。親しげな態度は変わっていないのに、どこかで、距離を感じる。
「どうかしたか?」
 千里が問うてくる。
 それには曖昧に首を振って答え、彼らに追いつくべく足を早めた。
 傍らに並び、変わらない万真の笑顔を間近に受けても、胸の奥に生じた不安は消えない。
 ――わからない。
 こんな距離など、一昨日までは感じなかった。むしろ、二人との間にあった壁が、少しずつではあるが薄くなっているように感じていたのに。
 千里の言葉に、万真が笑う。それを見て、千里も表情を緩める。
 変わらない光景。それが、なぜか、遠く感じた。
 今まで何度も壁を感じたことはあった。日向の関与を拒むような、おのれの領域に立ち入ることを許さないような、静かな拒絶。
 だが、これはそれとは違う。
 拒絶ではない。
 それでも、確かに感じる、距離。
 成一が気がかりそうな視線を投げてきた。
 それに気づかない振りをして、日向は考える。
 会わなかった一日の間に、なにかあったのか。それとも、自分でも気づかないうちになにかしたのか。
 ――わからない。
 出逢った頃ならいざ知らず、今更距離をおかれる原因が、理由が、わかるようでわからない。
 と、それまで万真と談笑していた千里が、つと引かれるように顔をあげ、振り向いた。視線が交わる。
 一瞬目を細めた千里だが、何事もなかったように視線を戻し、会話を再会する。
 これまで二人がときおり見せていた、警戒、ともまた違う。
 それに、今の千里の視線。あの表情は、強いて言うなら――。
「観察、か…?」
 そう、観察。それに似ている。
 なんとなく納得し、そして次の瞬間には再び首をひねることになる。
 千里に観察されるような覚えは、日向にはない。
 まあ仮に千里が自分を観察しているとして、では万真のあの表情は、この距離はなんなのか。
 悩んでいると、ポン、と肩に手が置かれた。
 成一だ。
「……すまん、今回ばかりは俺にもわからん」
 あの二人のことを指しているのだとは、言われなくてもすぐに知れた。
「…心当たりはないぞ」
「俺にもねえよ」
 互いの顔を見てから、二人同時に首を振る。
 …まぁ、そのうち、わかるかもしれない。
 などと、とてつもなく他人任せな結論をだすと、先へ行った双子の後を追うべく足を速めた。
 少し足を伸ばすとすぐに追いついた。遅い二人を気遣っていたのだろう、追いついたとたんに双子のペースが速くなる。
「今日はどんなチームと逢うのかな」
 のんびりと万真が言ったときだった。
 唐突に千里が足を止めた。
 それにわずかに遅れて、万真も気づく。千里の手が万真をかばうように伸び、日向が無言で前に出た。
 かすかに聞こえる、足音。そして話し声。
 唇を舌で湿らせ、成一が不敵に瞳を輝かせる。
「……そろそろ、白星あげねえとな」
「ああ」
 頷き、千里は眼を細める。
 足音はすぐそこだ。ゆらゆらと、白い光が近づいてくる。
 ぽっかりと白い光が宙に現れた。千里が出したのだ。
 光球に気づいたのだろう、ぴたりと話し声が止まる。
 空気が緊張でぴんと張り詰めるのがわかった。
 おそらくこちらを探っているのだろう、無音の沈黙が下りる。
 ふ、と空気が動いた。
 ゆうらりと、光が揺れ動く。千里の光が明るさを増した。
 靴音が、再び耳に届いた。それはゆっくりと近づいてくる。
「――五、いや、六人」
 日向が低く呟いた。三人は無言で同意する。
 千里の光の輪が広がる。
 やがて現れた光が照らし出す人影を見て、万真は思わず眼を丸くした。
「あ」
 同様の呟きが相手からも漏れた。
「――あんた」
 千里の背に緊張が走った。それでいてこみ上げてくる高揚に、口元に知らず笑みが浮かぶ。
「また逢ったな――Wicked Goddessさん?」
 立派な体格の男が笑んだ。それだけで増す威圧感に、しかし四人は怯まない。
「なんや、知っとったんかい。いや――どこぞの誰かに訊いたんか?」
 四人は答えなかった。ただ、静かに戦闘態勢を整える。
 それを見て取った男も、ゆっくりと身構えた。
「まあええ。昨日の続きや――いくで」
 刹那、男の背後から少年が飛び出し。
 千里が生み出した業火が夜空を赤く焦がした。



 一瞬で目の前が黒く塗りつぶされた。
 目を開いているのか、それとも閉じているのか、それすらもわからないほどの、深い闇。
 平衡感覚すら定かではなく、亮は反射的に手をのばし――そして冷たいものに触れた。ひやりと冷たくざらついたこれは、床。手に付いた砂を払おうとして、おのれの手がじっとりと汗ばんでいることを知る。
 ……なんとなく、察知する。
 おそらく、これは、誰かの能力。
 なんらかの能力の発現。
 そして――ほぼ間違いなく、敵の能力。
(暗闇を武器とする奴なんかいたか?)
 脳内をサーチする間もなく、靴音が近づいてきた。複数。
 膝を浮かせる。じわり、と手を握り締めたそのとき。
 唐突に、闇が晴れた。
 暗闇を照らす非常灯の暗い明かりすら眩しく感じられ、反射的に眼をかばう。寸前、人影が見えた気がした。
「――誰だ」
 唸るように低く、それでいて冷静さを失っていないこの声は、慧。
 じゃり、と、靴が砂をかむ音。
 ゆっくりと手を下ろす。
 眩しくすら感じられる夜空の下――見知らぬ男たちが、立っていた。
「――とりあえずは、ハジメマシテ? パルチザン」
 一瞬で体がこわばった。
 知っているのだ。自分たちのことを。
 隣に立つ慧の身体がこわばっているのを感じた。警戒。
 男たちは――夜だというのに、なぜかそろってサングラスをかけていた。
(…変な趣味)と一瞬でも考えた自分の思わぬ冷静さに乾杯だ。
「そっちは俺たちのことを知ってるみたいだけど、俺たちは知らない。不公平だとは思わないか?」
 燃えるように赤い髪の男がひょいと肩をすくめた。
「いや全然」
 ――なんとなく、イヤかなりむかついた。
 男たちは四人。
 赤髪の、リーダーらしき男の傍らには、日に焼けた肩をむき出しにした痩身の男が威圧するようにこちらを睥睨している。やや遅れて茶髪の男が口元に笑みを浮かべてこちらを眺めている。そして、他の三人と比べると、若干小柄な(それでも亮とほとんど変わらないか少し高いくらいだが)男。
 こちらは五人。攻撃向けの能力ではない衛を除外しても、数だけならタイだ。
 ざり、と、どんな動きにも対処できるように足の位置を変える。
 と、小柄な男が突然顔を突き出してきた。舐めるように衛を見て、にぃと口の端を吊り上げる。
「あれ? 一応、俺の顔ぐらいはご存知のはずだよ、『千里眼』君」
「――!」
 心臓を掴まれたかのような――衝撃。引きつった衛の表情に男は愉しそうに白い歯をみせ、そしてゆっくりとサングラスを外した。
 現れた、年よりも幼く見えるその顔に、衛は思わず息を止めた。ひゅ、とのどの奥で空気が鳴る。
「お前――」
 その傍らで、威圧感はそのままにもう一人サングラスを外した男がいた。露わになった二人の顔に、衛は眼をむいて叫んだ。
「お前、お前ら――ヘルハウンド!」
 その言葉に残る四人も驚き、あらためて男たちを見やった。
「嘘だろ!? ヘルハウンドって二人だけじゃ」
「呼び捨てかよ小僧」
 はっきりと。
 侮蔑をこめて、茶髪の男が言う。サングラスをはずしたその瞳に浮かぶのは鮮やかな苛立ち。
 寒々しい笑みとともに、小柄な男が言った。
「あれ? 思ったよりも、情報がいってない?」
 赤髪の男が組んでいた腕を解いた。ゆうらり、と、空気が動く。
「――宣戦布告してから、調べ回るだけの時間は与えてやったはずだがな」
 宣戦布告。
 その音が頭の中で像を形作った瞬間、ひらめいた。
「――まさか、『神竜』!?」
 叫んだ亮に、男たちはこちらの気力を奪い去るような迫力のある笑みを向けてきた。
 ゆるんだ空気が再び張り詰める音が聞こえるような気がした。
 赤髪の男はサングラスに指をかけ、ゆっくりとはずした。鋭い瞳が猛り狂うようにぎらついている。
 サングラスを片手でもてあそびながら、彼は言った。
「どーも、“今期の管理人さん”にはお初にお目にかかります?」
 傍らの慧が息を呑む音が聞こえた。背筋を不快な汗が滑り降りる。
 震える指を握り締め、亮は目の前の男たちを睨んだ。
 わざわざ『今期の』『管理人』を強調する。これは牽制だ。わざわざ「パルチザン」の名を持ち出してきたこの男たちのことだ、きっと亮たちがしていることぐらい、すべて承知のはず。
 手のひらに握りこんだ爪が刺さる。だが痛みは感じない。
 なにかあったときについ彼を頼ってしまうのは悪い癖だとはわかっていたが、ふ、と、視線を移動させて衛を伺った。
 そして、軽く目を見張る。
 衛は――瞬きもせず赤髪の男を凝視していたのだ。
 視線に気づいたのだろう、男も不審げに衛を見やる。そしてあごのあたりを撫でながら軽く首を傾げた。
「……俺の顔になにかついているか?」
 衛は男から眼をそらさない。
 わずかな沈黙ののち、かすれた声が流れ出た。
「―――あんた、どこかで逢ってないか?」
 男は虚を突かれたようだった。まじまじと衛を見、そしてにやりと口元を歪ませる。
「ずいぶん安いナンパだな」
「…一度死んでこい」
 ぼそりとヘルハウンドの片割れが呟いたがそれは無視されたようだ。
 衛はメガネの奥の目を細める。
 記憶を探る。
 この男の顔をみた瞬間、ちらりとよぎったあれは――そう。夏の日差し。
 日差しを遮る。光を集めて輝く葉の緑。くゆる薫り高い香りは――コーヒー。
「……いや、逢ってるな。あんた――万真の店に、いただろ」
 その言葉に四人が息を飲み、男が眼を見開いた。
「カウンターの中にいた。『庵』の店員。……そうだろ?」
 間違いない。
 雰囲気が違うのでわからなかった。場所柄が違いすぎてなかなか思い出せなかったが――あの、店員だ。葉介となにか会話していた。
 赤髪が揺れた。男が頭をかいたのだ。
「――は。ははっ――……なるほどねぇ」
 目尻を下げて、口元に笑みを乗せて――どこか困ったような表情で、男は言った。
「そうか。前に店に来た奴だな。――カズ坊を尋ねて」
 とたんに弾かれたように亮が衛を振り向き、まどかが身を乗り出した。
「いつの話だ?」
「万真を知ってるの!?」
 知ってるもなにも、と呟いて、男はかちかちとサングラスを鳴らした。衛は答えず、ただ困惑して男を見つめている。
「なるほど。そーゆーことですか」
 一人頷く男に、その仲間たちも困惑に揺れた瞳を向けていた。
「…おい。なにがどうなって」
 言った相方の言葉にかぶせるように、小柄な男が呟いた。
「――あ」
 視線が彼に集中する。
 問い掛けるような視線を受けて、男は仲間を見上げ、軽く肩をすくめた。
「すごいよあいつら、こっちに入ってソッコー遭遇だ――奴らだよ」
 その一言で男たちの気配が変わった。
 一瞬感じた殺気にも似たものに、思わず亮の足が後ろに下がった。
 赤髪が振り返る。その顔にあるのは愉悦。
「――騙りだったらその場でつぶしてやろうと思っていたが――気が変わった」
「ぬかせ。お前らこそなんなんだ」
 叫ぶと、彼は瞳に奇妙な光を浮かべて亮を見た。
「俺らか? 俺らは神竜だ。それ以上でも以下でもねえよ」
 俺自身はともかくな。
 そう言い捨てて背を向けた男の背中に、なぜか焦燥を感じて亮は後を追うようにして叫ぶ。
「『パルチザン』は一つでいい!」
 ゆっくりと、赤髪が振り返った。
「――同感だな」
 去り行く間際に、男の笑みを見た気がした。


 音を立てて扉が閉じた瞬間、五人はその場にうずくまってしまった。力が抜けたのだ。
 そのときになって初めて、彼らから感じた威圧感のすごさを思い知る。
 震える指を順に握り締めて、慧は亮と衛を見やった。
「――なんだ、今のは」
 二人に答えられないとわかっていても、止まらなかった。
「あいつらと万真がなにか関係あるのか!?」
「そんなこと俺が訊きたいよ! 衛!」
 話を振られて、衛は頭を抱え込んだ。
 考えたかった。
 今はとにかく、考えたかった。
「『庵』に行ったって、それいつの話だよ! 俺聞いてないぞ!?」
「亮!」
 なじる亮を止めたのはまどかだった。
「今はそれより大事なことがあるでしょう! 今考えなくちゃいけないのは、あいつらがなんなのか、だよ」
「それと、万真たちとの関係だ」
 一瞬見せた激情を押さえ込み、静かな声で慧が言った。
「……わかってる。わかってるけど――ちょっと、待ってくれ」
 頭がぐちゃぐちゃで、情報をうまく整理できない。
 頭を抱えてしまった衛を見て、ようやく亮を支配していた熱が引き始めた。焦燥という名の熱の名残が指先から流れ出ていく。
 額を押さえてまどかがうめいた。
「……あいつらが、神竜で――パルチザンと、かかわりがあった奴らで」
「万真とも、かかわりがある」
 低い声で慧が言いたした。
 衛は前髪を握り締めた。
 わからない。なぜそこでその名前が出てくるのか。
「万真だけじゃなくて、千里のことも知ってる可能性は高いな……もしかすると成一のことも」
 宙を見据えながら、亮は誰にともなく呟いた。
 応えず、衛はただ髪をかき回す。
 わからない、わからないが――。
「――鍵は、あいつが持ってる」
 「パルチザン」とのつながりをにおわせ。
 さらに、万真ともつながっている、あの男。
 ただの偶然なわけがない。
 衛はこぶしを握り締める。
 その時だった。
 ふいに、視界の端で白い閃光が夜空を染めた。
 反射的にそちらに眼を向けると、再び閃光が走り、かすかな轟音が届いてくる。
 戦闘だ。
 亮はそれを認めると、ゆっくりと立ち上がった。
 見上げてくる仲間の視線に、静かな声で答える。
「――行くぞ」
「でも」
 言いかけた紗綾を一瞥し、珍しく厳しい表情で口を開く。
「“パルチザン”は、俺たちだ。そうだろ?」
 その言葉に、仲間の瞳に光がともるのを――衛は、確かに見た。
 やはり、リーダーは亮だ。
 頼もしさを覚え、隠していたパソコンを引き出し、立ち上げる。
「ああ。どんな茶々が入ろうと、俺たちが“パルチザン”だ。他の誰でもねえ」
 ふわり、と、音もなく慧の身体が浮き上がる。
 宙に浮かんだ少年は、視線だけを投げてよこした。
「先に行く」
 ああ、と頷いて、亮たち三人も身を翻す。
「誘導頼む」
「任せろ」
 亮に応えて、衛は再びこぶしを握り締めると暗く光る画面に向き直った。

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