「My wish」
第57話「かけがえのない存在」
公達3年生が引退してから1ヶ月が経った。
毎日続けていた自主トレも、受験勉強のせいでやらなくなっていた。
今日は、2月にしては暖かい日曜日となったので、午前中のスケジュールをこなした公は、
ちょっと気晴らしに来ていた。
ガンッガンッパサッ
何回かフリースローをやったが、リングに当たらないですんなり入るのは、半分位しかなかった。
「う〜ん。だいぶなまってるな」
手を止めた公は、ベンチに座って缶ジュースを開けた。
「このゴールには、ホント世話になったな。ほとんど毎日来てたもんなぁ」
リングを見上げて感慨にふける。
高校からバスケを始めた公は、早く他の部員に近付きたくて自主トレを始めた。
その成果が全国大会優勝という最高の形になったことは、とても嬉しかった。
「それに、ここでは色んな事があったな」
ただの自主トレ場ではなく、色々なことが思い出される。
3年間の高校生活で、一番想い出が詰まった場所かも知れない。
「あ、あの〜」
「ん?」
浸っていた公に、話しかける女の子がいた。
「ぬ、主人さんですよね」
「ああ。そうだけど」
「わあ、感激。まさかこんなところで会えるなんて」
手を合わせ、身体を揺らして喜んでいる。
「わ、わたし、ウィンターカップの決勝戦見に行ったんですよ。凄く感動しました。
後半なんて泣きっぱなしで」
「ありがとう」
「そうだ、まだ名前言ってなかったですね。私、まりあって言います。中学3年なんですけど、
きらめき高校を受験しようと思ってます」
舞い上がっているのか、公の言葉を待たずに、どんどんと話をすすめる。
「そ、そうなんだ」
「はい。きらめきの皆さんのプレー、中でも主人さんと女子の藤崎さんのプレーには憧れちゃいます。
全国でアベック優勝するなんて、凄いですよね」
「ははは。ありがとう」
瞳をうるうるさせ、感激しながら喋りまくる女の子を、公は楽しそうに見ていた。
「ところで、その格好は・・・・・。もしかして、ここにバスケをしに来たの?」
女の子の格好を見ると、ジャージにバッシュ、手にはバスケットボールを持っていた。
「はい!!私、今まで陸上をやってたんですけど、きらめきに入ったらバスケットをやろうと思ってるんです」
「え?」
「女子の試合も見たんですが、あの決勝を見て、絶対やるべきだって思ったんです。
バスケは初めてで、レギュラーになれるかは分かりませんが、それでも良いんです。
でも、早く上手くなろうと思って、受験勉強の合間にここに来るようになったんです」
「そうか」
見た人がバスケットをやりたくなるようなプレーを、自分がしていたんだということに、公は感激していた。
そして、まるで1年の時の自分を見ているようで、他人ではないような気になっていたのか、
初対面なのに普通に話すことが出来た。
「俺も、高校からバスケを始めたんだよ」
「ええ?そうなんですか?あんなに上手いから、小学校からやっていたとばっかり。本当に凄いですね」
憧れの公を目の前にして感激しまくりのまりあは、まるでアイドルを見るような目になっていた。
「高校から始めるのか。・・・・・良かったら、あれを君にあげよう」
「え?」
公が指差した物は、2年半使ったバスケットボールが入った籠だった。
「俺が使ってた、お古だけど、良かったら使ってくれ」
「え?え?い、いいんですか?感激です。主人さんが使っていたものをもらえるなんて」
手を胸の前で組んで、もっと瞳をうるうるさせる。
「そんな大袈裟な。ただ、俺もたまにここに来ると思うから、その時は使わせてくれよ」
「はい!!もちろんです。でも、なんであんなものがここに?」
「ああ。ここは、俺と木本の自主トレの場所だったんだ。あいつが来たら、使わせてやってくれ」
「木本?木本って、あの木本さんですか?」
まりあは、驚いた表情でゴールの辺りを見渡した。
「ここが、お二人の自主トレの場所だったんですか?感激ですぅ」
「ははは」
少し間を置いて、まりあが一大決心をしてお願いする。
「主人さん。もし良かったら、私にバスケを教えてくれませんか?」
「え?」
「ぜひお願いします」
ググッと迫られて、公は身体を反って戸惑った。
「そ、そうだなぁ」
「なに迷ってるのよ。教えてあげればいいじゃない」
突然横から話しかけられ声の方を見ると、そこには詩織が立っていた。
「詩織?何でここに」
「公のお母さんに、ここに行ったって聞いて来たんだけど」
知らない女の子を相手に楽しそうに話しているのを見て、少し怒っているような感じが公にも分かった。
『や、やば』
しかし、それさえもお構いなしに、まりあが詩織の手を取った。
「ふ、藤崎さんですね」
「え?ええ」
「か、感激ですぅ。主人さんだけでなく、藤崎さんにも会えるなんて。
あっ、もしかして、お二人は付き合ってるんですか?」
「え、ええ」
「そうなんですかぁ。やっぱり噂は本当だったんだぁ。きゃあきゃあ」
一人で盛り上がってる、まりあを持てあました詩織は、公に助けを求めた。
「こ、公?この娘は」
「実は・・・・・・」
公は、これまでの話を端的に話した。
「へえ〜、高校からバスケを始めようとしてるんだ。しかも、きらめき志望か」
「はい!!」
元気一杯返事をする。
「じゃあ、ますます上達してもらわないと。今年はどうしても戦力ダウンしてるから」
詩織は、期待を込めて公の方を見た。
「分かったよ。どこまで出来るか分からないけど、暇なときに教えるよ」
「やったぁ」
バンザイをして喜びを表現するまりあ。何事も大袈裟な娘らしい。
「あっ、ちょっと待って」
「な、なんだよ」
詩織は大事なことを忘れていた。
目の前のまりあは、けっこう可愛くて、公と二人きりにしたら、公の方にその気がなくても
危ないかも知れない。いまでさえ、こんな感じだから、十二分にある得る。
「公が教えるときは、私も一緒に来るから」
「ホントですか?嬉しいです」
アベック優勝の立役者である二人が教えてくれるなんて、こんなに嬉しいことはない。
詩織の心情には気が付かず、ただただ感動していた。
「そんな必要ないのに」
「あるの!!」
自分にふりかかる女心に鈍い公だからこそ、監視が必要だと判断した詩織だった。
それから30分位アドバイスした後、まりあが大きく手を振って見送るのを後ろに、
公と詩織は公園を後にした。
「元気な娘だね」
「そうだな」
「可愛いと思ったでしょぉ」
嫉妬を込めて言う。
「そ、そんなことないぞ。詩織の方が何倍も可愛いって!!」
やましいことはないのに焦る。
「ふふ。ありがとう。これくらいで許してあげる。それより、もうすぐ試験だね」
「そうだな。いよいよだ。合格できると良いけど」
「大丈夫よ。頑張ってるもん」
どんどん学力を付けてきた公は、冬休み前の期末テストで30位に食い込んだ。
「一緒にキャンパスを歩きましょう」
「ああ」
それから10日後、二人は試験に挑んだ。
3年生にとって、最後のバレンタインデーが明日に迫ってきた。
2月になって大学入試が始まったので、進学へ向けて勉強に明け暮れている者は、
この時期はあまり学校にこない。
しかしバレンタイン前日の今日だけは、自分の存在をアピールするために、
男子はほぼ全員が登校してきていた。
お昼になると、公は好雄と学食に足を向けた。
好雄はアピールのための登校だったが、本命を含めて受験が全て終わった公は
普段通りに登校していた。
「今日は、藤崎さんの弁当は休みか」
「ああ」
好雄の目に、下級生の女の子が公を見てひそひそと話しているのが見える。
「それにしても、お前が羨ましいよ。彼女はいるは、弁当は作ってくれるは。
明日のバレンタインだって、全国優勝効果で倍になるんじゃないか?」
「倍?それは勘弁して欲しいな。それに、詩織と付き合ってるのはみんな知ってるんだから、
減るだろ普通」
「いや、それでも増えるって」
断言する好雄。
「そんなもんかね」
「そんなもんだ。おっ、明日は早乙女好雄を、よろしく〜」
廊下で話をしていた女友達に声を掛けたが、ただ笑っているだけだった。
「ちぇっ、いつも男の情報を教えてやってるのによぉ」
「ははは。全然当てはないのか?」
「う〜ん。ないわけじゃないんだが・・・・」
学食に着くと、食券の自動販売機の前に立ち、それぞれ食券を購入した。
「ん?公。お前、今日もうどんだけでいいのか?」
「ああ。節約中だからな」
言いながら、おばちゃんの前に食券を置いて出来上がるのを待つ。
12月までは定食物を食べていた公だが、3学期が始まってからは、いつもうどんかそば、
またはカレーを食べていた。この3つに共通しているのは、すべて380円以下という点だ。
「おまちどおさま」
「ありがと、おばちゃん」
二人は自分のトレイを受け取り、確保している椅子へと向かった。
「節約ねぇ。この1ヶ月そうだけど、なんでまた。あっ、藤崎さん絡みか」
鶏の唐揚げがメインのB定食をテーブルに置いて座ると、好雄はウンウンと頷いた。
「詩織は関係ないよ」
「いいんだって、愛の伝道師好雄様にはお見通しだからな。そうそう、昨日朝日奈から
聞いたんだけど、今度バイトするんだって?それも関係してるんだろ」
ニヤニヤと笑いながら、ごはんを口に運んでいく。
「言ってろ。それより好雄」
公は、うどんをすすりながら大晦日を思い出した。話題を好雄のことに変える。
「お前、今度どこか旅行に行くだろ」
「ん?いや。行かないぞ」
特に慌てる様子もない。
「ホントか?ふ〜ん。その朝日奈さんは行くみたいだけど。お前も一緒じゃない
かと思ってさ」
「朝日奈が旅行に?へ〜」
眉が少し動いた。
「男も一緒なのかな」
「そんなのは知らん」
動かしていた箸を早くして、ご飯を口にかっこむ。
『二人は付き合ってるんじゃないのかな?』
「あっ、ヨッシーーー。こんな所にいたの?」
半ばやけ食いしていた好雄に、夕子が近付いてきた。
『げっ、主人くんも一緒だ』
夕子は、公に聞こえないように心の中で呟いた。
「なんだよ?」
好雄は夕子の顔を見て、吐き捨てるように言った。
「こ、こんちは、主人くん」
「おう」
公の興味深そうな視線を感じた夕子は、少し慌てた。
「ちょ、ちょっと用があるから、早く食べてよ。それ」
好雄のトレイを指差す。
「なんだよ一体」
「いいから、早く食べろって言ってるでしょ!!」
「分かったよ」
早く公の元を離れたい夕子は、好雄を急かしてつま先を鳴らした。
「ふう。ごちそうさん」
「さっ、行くよ。こっち来て」
夕子はさっさと歩き出した。
「あ、ああ。すまん、公。これ頼むわ」
トレイを差し出して立ち上がる。
「いいぞ」
すまないと手を顔の前で合わせて、夕子の後を追った。
「たぶん。朝日奈さんは、好雄を旅行に誘いに来たんだろうな」
公の予想は的中していた。
夕子は、女友達と卒業旅行に行った後、好雄とも二人きりで行こうと計画を立てていたのだ。
「後でからかってやるか」
食べ終えた公は、二人分のトレイを返却口に返して学食を出た。
![]()
教室へ向かう途中、ふと特に理由もなく屋上に続く階段へと進路を変えた公は、行く手にレイを見かけた。
女の子に囲まれているところをみると、明日のことを話しているのだろう。
「ん?」
レイの顔を見ると、困ったような表情をしていた。どうやら、二十人はいる女の子を持て余しているようだった。
「伊集院。ちょっといいか」
公は、そんなレイに助け船を出した。
「あ、ああ。いま行く。お嬢さん方、ちょっと用事が出来たので失礼します」
それに気が付いたレイは、天の助けとばかりに応じた。
「え〜。レイ様〜」
「明日は、絶対受け取ってくださいね」
「ははは。もちろんですよ。それでは」
女の子達に背を向け、ホッとした様子で公の方に歩いて来ると、一緒に屋上へと登った。
「まだちょっと寒いな」
「そうですね」
冷たい風が、二人の身体に吹きつける。
屋上には誰もいなかったので、レイは小声だが本来の声で話した。
「ありがとう。助かりました」
風になびく髪を抑える。
「なに。男前は大変だな」
「男前?ふふふ。慣れてますから。それに、これで最後ですよ」
騙し続けていた罪悪感から解放される安心感と、これで終わりという少しの寂しさを持ちながら、
感慨深げに空を見上げる。
「そうだな」
「でも、公さんだって、沢山もらうでしょ?」
「トラックで運ぶレイほどじゃないよ」
「もうっ。それは言わないでください。でも、チョコをくださる方の中で、
本当に男のレイが好きな人なんて、ごく一部でしょう」
誰かがレイにチョコを上げると聞けば、自分もやらないと仲間はずれになるというか、
レイほどの男に上げないのは変だと思われるかも知れない。そんな思いがあるのは確かだろう。
「そんなもんかね」
「そうですよ」
「そうか。レイは誰かにチョコを渡すのか?」
去年まで自分がもらっていたので、ちょっと照れくさそうに言う。
「今年も同じ人にあげますよ。義理チョコですけど、有り難く召し上がってください」
「ははあ。有り難く頂きます」
従者のように頭を下げてみせる。
「ふふふ」
「ははは」
こうやって話すのもあと少し。
完全に女に戻った後、公の次に好きになる人は、いつ現れるのか。
公の横顔を眺めながら、そんなことを想うレイだった。
放課後になり、公は詩織と一緒に帰ろうと席を立った。
「あ、あれ?詩織は?」
「詩織なら、終わった途端に走って出ていったわよ」
隣の女子が教えてくれた。
「そうか」
「じゃあ、私も行くから。明日、チョコあげるからね。さよなら」
「あ、ありがとう。さよなら」
その女の子を見送ると、公も教室を出た。
「仕方ない。一人寂しく帰るか」
しかし、校門を出てしばらくするまで、すれ違う女の子の殆どに話しかけられたり、
手を振られたりで全然寂しくない状態だった。
その頃、詩織は沙希と一緒に帰り、虹野家に直行していた。
去年決意したとおり、チョコレートケーキを作ることにしたのだが、ケーキ作りは初めてなので、
沙希に教えてもらうことにしたのだ。
「ごめんなさい。こんなこと頼んじゃって」
「ううん。いいのよ」
虹野家の台所は広さこそ普通だったが、詩織の家にはない調理器具が沢山あった。
特にお菓子作りの器具は藤崎家には揃っていないので、ここで教わりながら作る方が都合が良かった。
「沙希ちゃんはチョコレートを作るんでしょ?私は一人で作るから、その都度教えて」
「う〜ん。みんなに配るのはチョコレートじゃないと手間が掛かるんだけど・・・
木本くんのだけケーキにしようかな。やっぱりお手本を見ながらの方が良いよ」
「そう?ごめんなさい。お願いします」
改めて頭を下げる。
「ホント良いのよ。とびっきりのチョコレートケーキを作りましょう」
「うん」
詩織は沙希の指導の元、ケーキ作りを始めた。
詩織は持ってきたエプロンをして、沙希の横に立った。
沙希のお手本を見ながら、順に作っていこうというわけだ。
「まずは材料と器具をそろえるわね」
「うん」
沙希が用意した材料は次の通り。
ケーキスポンジ用として、卵2個、グラニュー糖60g、ココア10g、小麦粉50g、牛乳大さじ1と三分の一。
仕上げようとして、生クリーム200cc、グラニュー糖15g、チョコレートソース80g、
ブランデー小さじ1、バナナ二分の一本。それと、ハートの型やボール、鍋などの器具類だ。
「まずは下準備からね」
「はい。先生」
「ふふ。まずは、この紙で底に敷く敷き紙を作りま〜す」
オーブン用の紙に型を置いて、鉛筆でなぞってからハサミで切り抜き小麦粉をふっておく。
「そして、このハート型に強力粉をふって、出来上がった時にケーキがくっつかないようにします。
これを使うのよ」
沙希は、母親に頼んで室温に戻しておいたバターを目の前に置いた。
「ハケで塗ればいいのね」
「うん」
内側にバターを塗って、型を回しながら強力粉をまんべんなくつくようにする。
そして余分な粉を払って、作っておいた敷き紙を底に敷く。
「OKね」
「はい。いよいよ本番ね」
「うん。と、その前に、オーブンを温めておかないとね」
ダイヤルを170℃に調節して、スイッチを入れる。
「じゃあスポンジから作るよ。ボウルに卵を入れて、よくほぐしてからグラニュー糖を加えます」
シャカシャカシャカ
沙希は慣れた手つきで泡立て器を使いこなし、卵を溶いていく。
詩織も、このくらいならお手の物だ。
「じゃあ次ね。これを40℃のお湯をはった鍋に入れて、湯せんしま〜す」
「はい」
「指を入れて温かいと感じる位になったら、取りだすのよ」
「うん」
しばらく湯せんした後、詩織は指を入れてみた。
「こんな物かしら」
「どれどれ?」
沙希は、自分と詩織の卵に指を入れてみる。
「うん。いいわ。取り出したら、泡立て器でよく泡立てます。ボウルを傾けてやると、上手くいくから」
「うん」
シャカシャカシャカシャカ
しばらくやっていると、だんだん白っぽくなり、分量が増えた感じがしてきた。
それを見た詩織は、焦って沙希に聞いた。
「こ、これは、このまま泡立てていてもいいの?」
「いいのよ。もうちょっとかな」
「は、はい」
詩織は、自分と沙希のを見比べながら作業を続けた。
余裕がある沙希は、ついでに牛乳を湯せんにかけておく。
「うん。もういいかな。こうしてすくって、落としてみて」
泡立て器からツツーーーと流れ落ち、線を描ける程度になっていればOKだ。
「こんな感じかしら?」
「いいわね。次に、これに小麦粉とココアを加えます」
ココアと小麦粉を合わせて、よく混ぜた物をボウルにふりまくように入れていく。
白に茶色が散りばめられる。
「じゃあ、これを木べらで混ぜ合わせるんだけど、あまり強く練りすぎると、
せっかく泡立てた気泡がつぶれるから、軽く混ぜ合わせるのよ」
「はい」
スポンジが焼き上がったとき、膨らむか膨らまないかの重要な作業だ。
詩織は緊張しながら、木べらを動かした。
「上手い上手い。初めてにしては上出来よ」
「そ、そう?」
「うんうん」
沙希は、湯せんしておいた牛乳を鍋から出しながら褒めた。
「これでいいかな」
「そうね。これに、この牛乳を木べらに流しながらふりまくように入れて、軽く混ぜ合わせるの」
「うん」
そっと牛乳を木べらに流し落とし、サッと混ぜ合わせる。
「いいわ。これを型に流し込んで・・・・・トロトロ〜っと。で、表面をならして、
170℃に温めておいたオーブンの中段で約20分間焼きます」
「ふふ」
料理をしているときの沙希は、本当に楽しそうだ。詩織は、その横顔を見ながら思わず笑みを零した。
「なあに?」
「楽しそうに作るなって思って」
「そう?やっぱり、食べてくれた人が喜ぶ顔を思い浮かべると、楽しくなってくるのよ」
「うん。それは、私も分かるな」
「でしょ〜。ふふふ」
木本の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「じゃあ、焼き上がるまでの間に、デコレーション用のホイップクリームを作りましょう」
「ええ」
ボウルに生クリームとグラニュー糖、チョコレートソース、ブランデーを入れて、
氷水を入れたボウルの上に浮かべる。
「これを十分に泡立てると、さっきの卵より固くなるけど、そこまでやっていいから」
「スポンジ用のやつを作ったときと同じ感じね」
「うん。そう」
一度やったことなら大丈夫。調子が出てきた詩織は、シャカシャカと軽快に混ぜ合わせる。
「さすが詩織ちゃん。飲み込みが早いわ」
「そう?ありがとう」
沙希も、詩織を気にしながら自分の分を泡立てる。
しばらくすると、かき回す手に抵抗がかかり、明らかに固くなるのが分かった。
「そろそろ良いかな。こうやってすくって上げても、すぐには落ちないでピンと
つのが立てば出来上がりよ」
「こう?」
詩織もそれにならうと、すくったクリームは下に落ちずに、つの状になって止まってから落ちた。
「うん。いいわね」
チーーーーーン
その時、焼き上がりを告げる音が鳴った。
「ど、どうかな」
詩織は不安げに蓋の中を覗くが、暗くて何も見えない。
ここで失敗したら、最初からやり直しだ。
「大丈夫だと思うけど、失敗したとしても大丈夫よ」
沙希がニヤリとする。
「え?」
「実は、ここに焼き上がっているスポンジケーキが・・・・」
と言って、下にある棚を開ける。
「ええ?」
「と言うのは、冗談でぇ」
ペロリと舌を出す。
「もうっ」
沙希の肩をパチンと叩いて、頬を膨らませる詩織。
「ふふふ」
今度はちゃんと蓋を開けて、中身を取り出す。
すると、見事に焼けたスポンジケーキが出てきた。
「やったぁ」
「うん。上出来ね。じゃあ、熱いうちに型から出して冷ますのよ」
熱いうちにデコレーションをすると、クリームが溶けて流れてしまうため、冷ます必要がある。
「冷めたら2枚にスライスして、ひっくり返して置いて」
「うん」
ケーキナイフで水平に切り、厚紙の上に乗せる。
「いよいよデコレーションね」
「うん。クリームを下の部分のスポンジにのせて、まんべんなくのばしま〜す」
パレットナイフで外側に向かってのばす沙希の動作を真似て、詩織も同じくやってみる。
「こうかな」
「そうそう。次に、輪切りにしたバナナを透き間なく並べます」
「うん」
さらにその上にクリームをのせ、平らにならし、もう1つのスポンジケーキでサンドする。
「いいわ。これに残りのクリームをのせて、全体にのばしていくの。内から外に向けてナイフを動かして、
外側はナイフを縦にして一気にのばしていくのよ」
沙希は、ケーキを回しながら器用にクリームを全体に行き渡らせる。
さすがの詩織も、これはなかなか上手くいかない。
「う〜ん。あっ。ここをこっちにのばして〜。よっと」
「やってあげようか?」
悪戦苦闘している詩織に助け船を出すが、自分の手で作り上げたい詩織は、それを断った。
「ううん。最後までやらせて」
「・・・・・そうね」
その気持ちが分かる沙希は、微笑んで見守った。
時計は7時を回っていた。
「で、出来た?」
「うん。上出来よ」
チョコのプレートなどで飾り付けをしたケーキを見つめる。
「やったぁ。ありがとう」
沙希の手を取って、ピョンピョンと跳ねる。
「頑張ったね、詩織ちゃん。公くん、きっと喜ぶよ」
「うん。ありがとう」
ぐ〜〜〜
「やだっ」
ご飯も食べずに作っていたので、詩織はお腹が鳴ってしまった。
女同士とはいえ、恥ずかしくて赤くなる。
「もう7時だもんね」
ぐ〜〜〜
「あっ」
「沙希ちゃんもね。ふふふふ」
「そうみたい。ふふ。じゃあ、ラッピングして終わりましょう」
「うん」
沙希が作った大量のチョコを少しつまみ食いしてから、ケーキを箱に詰めてリボンを付けた。
最後にメッセージカードを添えるのだが、それは帰ってから書くことにした。
帰り支度をして台所から出ると、沙希の母親が顔を出した。
「あら。無事に出来上がったようね。帰るの?」
「はい。お邪魔しました」
ペコリと頭を下げる。
「いいえ。これからもよろしくね。また来てください」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
靴を履いて、二人が立っている方を見る。
「じゃあ、今日は本当にありがとう」
「ううん。私に分かることなら、いつでも教えるから。また来てね」
「ありがとう。明日はお互い頑張りましょう。後で報告してね」
沙希の癖を真似して、パチリとウインクする。
「え?もうっ。詩織ちゃんもよ」
「ふふふ。うん。じゃあね」
小さく手を振って、詩織は家路に着いた。
バタン
「ホント、いい娘ね。何回か家に来てるけれど見るたびに思うわ。可愛いし、礼儀正しいし。
公くんが沙希になびかなかったのも頷けるわ」
普通なら言わない傷をえぐるような言葉だが、いまの沙希は動じることはない。
「うん。ずっと前からの親友みたいなのよ」
「そう」
公への好きという感情は、すっかり友人としての好きに変わっていた。
詩織と公とは、これからもずっと友達であり続けるだろう。
「成長したわね。木本くんに大事にされてるからかな」
「そうかも」
「よしっ、私もお父さんにチョコを作ろうかな。沙希、材料は余ってる?」
「え?う、うん」
しれっとのろける沙希に感化されたのか、彼を想う2人の女の子を見ていたからか、
久しぶりに作りたくなったらしい。
沙希の料理の先生である母親は、10年ぶりに腕を振るった。
バレンタインデー当日。
「公、公。これ持って行きなさい」
ドアを開けて普通に出掛けようとした公に、母親がリュックサックを持ってきた。
去年は1つだったが、今年は3つも用意していた。
「なんだよこれ。いらないよ。詩織と付き合ってるんだから、絶対減るよ」
「そんなことないから、持って行きなさい」
「そうかなぁ〜」
公は渋々受け取った。
「行って来ます」
「期待してるわよ、公」
「はいはい」
公を見送った母親は、グッと拳を握った。
「好雄は去年よりも多くなるって言ってたけど。そんなことないと思うんだけどなぁ」
ドアの向こうでは、公がぶつぶつと言いながら門を出て、詩織の部屋を見上げた。
「詩織は、もう出掛けたかな」
学校へと歩きながら、昨日の夜、寝る直前に電話で詩織と話した事を思い出す。
「公は、今年もいっぱいもらうと思うけど。それは公の人気の成果だから、
私には全然気にしないで貰ってね」
「・・・・・うん」
「私が一緒にいると渡しにくいと思うから、学校では離れてるね」
「そんな、気を遣わなくても・・・・・」
「いいのよ。帰ったら私の部屋に来て。私のは最後に渡したいから」
「詩織の部屋に?わかった」
「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「付き合ってる娘がいるのに、増えるはずないんだけどなぁ。レイと同じパターンなのか?」
そんなことを思いながら歩いていると、いつの間にか校舎が見えてきた。
そして校門をくぐると、早速近付いてくる下級生が1人。
「あ、あのう」
「ん?」
見覚えのない女の子が、モジモジしながら立っている。
後ろ手に隠し持っているのは、明らかにチョコレートだと公にも分かった。
「これ。受け取ってください」
受け取らないかもしれないのを見たくないのか、目をつぶり顔を背けながらバッと差し出す。
詩織もああ言っていたことだし、断る理由もない公は快く受け取った。
男として、嬉しくないはずがないのだから。
「ありがとう」
女の子は、差し出した箱に公が手をかけたときの重みを感じると、パッと公の方を見た。
「い、いつまでもバスケを続けてください。応援してます」
「ありがとう。頑張るよ」
公がニコリと微笑むと、女の子は頭がポーーーッとしながらも満面の笑みを返した。
決して二枚目ではない公だが、憧れの対象から微笑まれた女の子の目には、
手の届かない芸能人よりも格好良く見えたかも知れない。
「それじゃあ、失礼します」
公の言葉を待たずに駆けて行ってしまった。
「ちょっと・・・・・」
まずは一段落したが、これから行く所々でチョコが待っている一日が幕を開けた。
「わっ」
バラバラバラバラ
第一弾は、ポピュラーに下駄箱の中から二十個余りが出てきた。
「大丈夫かこれ?食べられるのかな。よくこんな所に入れるな」
毎日自分の靴が入っている靴箱を覗き、2、3個嗅いでみる。
そして、持ってきたリュックにしまうと、教室へと向かった。
3年の教室は1階にあるので、昇降口からそれほど遠くないのだが、今日の公には遠く感じた。
「主人くん」
「先輩」
同学年の別クラスの娘、後輩の娘、ほとんどが話したことさえない娘だったが、
呼び止められて受け取ってはちょっと歩いて、止められて受け取っては歩いて
の繰り返しで、いつもは3分もかからない道が15分もかかってしまった。
チリンチリン、チリンチリン
「間に合った」
教室の目の前でチャイムが鳴った。
手に持ちきれないほどのチョコを抱えて教室へ入ると、女子の好意的な目と、
男子の嫉妬の目が集中した。
「おっ、やっと来たな」
「おっす、好雄」
「おっす。大変だな人気者も」
腕の中のチョコを見て、羨ましいを通り越して呆れてしまった。
「はは」
自分でも呆れた笑いを漏らしながら詩織の方を見ると、こちらをジッと見ていた。
たくさん貰うのは分かっていたし、自分の中で納得していた詩織だったが、
やはり実際に見ると嫌なものだ。
「やっと来た。あっ、チョコがいっぱい。もうっ、朝からこれかぁ。わかってるんだけど、イヤだなぁ。
でも、我慢我慢。私は公の彼女なんだから。でも公、浮気したら承知しないんだからね」
ガララ
「おはよーーーーー」
担任が入ってきたので、詩織はちょっとしかめっ面をして前を向いた。
「は、はは」
席に座ってうなだれた公に、好雄が追い打ちをかける。
「公。チャイムが鳴るちょっと前まで、クラスの女子がお前のことを待ってたぞ」
「え?」
「お前の席をチラチラと見てるのが、8人はいたぜ」
「そ、そうか」
クラスには20人女子がいるから、約半分は公に渡そうとしているらしい。
詩織は、それに気が付いて機嫌を損ねたようだ。
「ホントに増えるのか?」
嬉しいことだが、多すぎるという贅沢な悩みに、すでに30個は入っているリュックを見て溜息を吐いた。
昼休みともなれば、女の子にとってチョコを渡す絶好のチャンス。
ここぞとばかりに、公はファンクラブの女の子に呼び出された。
「主人くん」
レイに呼び出されて、秘密の部屋でチョコを受け取った後、席に戻った公に話しかけた娘は、
去年、公のことを占った娘だった。
「君は去年・・・・・」
「え?私、名前言ってないよね」
「好雄に聞いたんだよ。占いがすごく当たっていたから、気になってさ」
「好雄くん?そっか、なるほど」
「え〜と」
好雄に聞いてみたら、風貌を言うとすぐに教えてくれた名前を思い出そうとする。
「し、し、し、白鷺さん」
「白雪よ!!なぁに?白鷺って。難しくなってるしぃ。ったく、夕子と同じように間違えないでよぉ」
口を尖らせる真帆。
「朝日奈さんの友達か。じゃあ、いつも一緒に遊んでるんだ」
「そうそう。って、いまはいいの!!私に付いてきて。ファンクラブのみんなが待ってるから」
「そ、そうなんだ・・・・・・・わあ」
「早く早く〜」
少しためらった公を、真帆はグイグイと腕を引っ張って連行する。
「な、なあ。白雪さん」
廊下を引っ張られながら、公は顔を赤くしていた。
「ん?なぁに?」
「あ、当たってる」
公の腕を、肘の辺りから脇に抱えていたので、けっこう大きい真帆の胸の感触が伝わってきていた。
「え?あっ、ごめんごめん」
公が自分の意志で歩き始めたので、腕を放した。
「得したでしょ」
からかうように微笑む。
「あ、ああ。って、違う!!」
「きゃはは」
「な、なあ、白雪さん」
公は一転して真剣な表情になる。
「ん?」
「俺には、藤崎詩織っていう彼女がいるんだけど」
「もちろん。知ってるよ」
ファンクラブのみならず、全校生徒が知っているだろう。
詩織は、一部の男子生徒の間でアイドル化しているから尚更話題になった。
「なのに、なんでチョコをくれるんだ?」
「なんだ。そんなこと気にしてたんだ。全然、付き合いたいとかそう言うんじゃないから。
ファンクラブは恋愛感情なしよ。むしろ、普通に貰ったチョコの方が危ないかもね。
その気はないんだろうし、お返しはしなくて良いと思うよ」
昨年から気になっていたことが氷解する。
「そうなんだ」
「そうそう。あっ、それより、今日もまた占ってきたのよ」
「え?」
ホッと安心していた公の表情がこわばる。
「今日は、出来るだけ早く帰った方が良いよ。待ち人を待たせると酷い目にあいそうだから。って、
姉さんが言ってたんだけど・・・・でもこれって、占いじゃなくても分かる事よね」
「ははは」
それは勿論、詩織のご機嫌を取らないといけないということだ。
いくら鈍感な公でも分かる。休み時間毎にチョコを貰っているが、その度に詩織の目が
恐くなっていることに。
「分かってるって、言ってたのに」
「最後にフォローすれば大丈夫よ」
公の愚痴の内容を察知した真帆は、そう言って笑った。
連れて行かれた音楽室には30人位の娘がいて、一人一人からチョコを貰った。
チリンチリン、チリンチリン
6時限目終了のチャイムが鳴り、先生が教室を出ていく。
恋する女の子にとって、年に1度の大事な日が終わろうとしていた。
無事に渡せた娘、まだ渡せない娘、無事にチョコを貰った者、登校した甲斐なく貰えなかった者、
様々な想いで満たされた校舎が、再び日常へと戻っていく。
「今日も帰っちゃったか」
詩織は準備のため、すでに居なかった。これから公に渡しに来る女の子にも気を遣ったのだろう。
チョコが入ったリュックを2つ抱えて、公は昇降口へと向かった
「結局、同じくらいだったな」
リュックの中には、100個弱のチョコが入っていた。昨年は108個だから、少し減った程度だった。
靴箱へ着いた公は、靴を取り出そうと蓋を掴んだ。
とその時、校内放送がかかった。
「3年A組主人公。職員室に来るように」
「なんだ?」
呼び出されるようなことをした覚えはないのだが、職員室へと方向転換した。
その後ろ姿を見つめる視線に気が付かないまま。
「何ですか?」
呼び出しをかけた担任の所へと行く。
「おう。待ってたぞ。これ、持って行け」
担任は、机の横にある段ボール箱を指差した。
「これって・・・・・もしかして」
「そう。お前宛のチョコだよ。何回かに分けて来ていたんだが、いちいち渡すのも面倒だったからな」
「はあ」
箱一杯に入ったチョコを見て呆然とする。
「ここまで来ると処理に困るだろ。大変だなぁ」
「まあ、母さんが何とかしてるみたいですから」
公は、チョコを1個1個取りだしてリュックの中に入れていった。
「これって、何個あるんですか?」
「確か、107個だったぞ」
「ひゃ・・・・107ですか」
去年は56個だったから、ほぼ倍になっていた。
アッという間に2つ目のリュックが満杯になり、3つ目も使う羽目になった。
「じゃあ帰ります」
「おう。重いだろうが、気を付けて帰れな」
「はい。ありがとうございました」
一礼して職員室を出ると、リュックを引きずって昇降口へと急いだ。詩織を長く待たせるわけにはいかない。
「おわっ」
公は思わずのけぞった。
やっと靴箱に着いて蓋を開けると、朝と同じくチョコでいっぱいになっていた。
「ありがたいけど、多すぎるよ」
それをリュックに詰めて、やっと外へ出る。
これで帰れると思ったのだが、まだ終わってはいなかった。
校門までの道の間に6人、公のことを待っている娘達がいた。
道の両脇にある木の陰から、進むたびに1人ずつ出てきては渡していった。
「ふう」
5人目まで終わり校門が目の前に来たとき、ホッと一息ついた。
そして1歩出ると、門の外側に少女が一人もたれ掛かっていた。
「あっ」
少女は公を見てそう漏らしたが、話し掛けることはなかった。
だから、公は用があるのは自分ではないのだろうと思い、そのまま歩き続けた。
少女は、リュックを引きずっている公をずっと見ていた。
「どうしよう」
手の中にあるチョコレートを見る。
このままでは行ってしまう。もう告白するチャンスは今日しかない。結果は分かっているが、
言わないまま卒業するのは嫌だった。
「がんばれ、私」
毎年チョコを用意していたのに、1、2年の時は渡すことが出来なかった。
今年こそは渡そうと、昨日の夜はドキドキして一睡も出来なかった。
「よしっ!!」
気合いを入れ直して、公に追い付こうと早足で歩く。
ズーーーズーーーズーーー
「お、重い」
「あ、あのう」
追い付いた少女は、思い切って公に話し掛けたが、
「詩織怒ってるだろうなぁ」
気が付かずに行ってしまいそうになる。
「あ、あのう」
さっきよりも大きい呼び掛けに、公は立ち止まった。
『ん?・・・・・・変な髪型』
それが、少女を見てすぐに思いついた感想だった。
「何か用?」
急いでいた公は、少しぶっきらぼうに言った。
「わ、わし・・・・・私は3年J組の館林見晴っていいます」
『え〜ん、噛んじゃったよ〜。が、頑張るのよ』
多分チョコレートだと思った公は、態度を改めて静かに見守った。
この娘は、大変な決心をして持ってきたのだろうから。
そう思ったのは、今までの女の子達とは明らかに緊張感が違う気がしたからだ。
「あのう〜、そのう〜」
見守りつつも急いでいた公は、自分から切り出した。
「ねえ、館林さんだっけ?」
「は、はにゅ」
「俺には、藤崎詩織っていう彼女がいるんだけど」
相手がもし本気なら、受け取るわけにはいかないからだ。
その言葉に見晴は胸が痛んだが、それは分かっていたことだった。
「知ってるよ。で、でも、私のことを知っておいて欲しかったの」
見晴は大きく深呼吸をして一息つくと、思い切って告白した。
「わ、わたし、主人くんのことが好きでした」
公は何も言えない。その沈黙が恐くて、見晴が喋りだした。
「主人くんのことが好きなんだって自覚したのは、1年の夏だったんだけど、
ずっと告白することが出来なかった」
「1年の夏?」
「うん。知ってる訳ないよね」
胸の中にずっとしまい込んでいた気持ちを吐き出していくことで、見晴の表情は緊張から一転、
だんだん晴れやかな感じになってきた。
「もし藤崎さんよりも早く私の方が告白していたら、状況は変わっていたかもしれないって、
何度も考えたわ。でもそれは、私に勇気がなかった結果だし、それには納得してるの。
ただ、ここで何もせずにいたら、次の一歩が踏み出せない気がしたの。
だから、ダメなのは分かっているけど、この気持ちだけ知って欲しかった。あなたには迷惑だって事も分かってる」
「迷惑だなんて・・・・・」
公は、なんて言ったらいいか分からなかった。
「ごめんなさい。言いたいことだけ言って、自分で納得して、あなたの気持ちは考えないで」
「いいんだ、それは。君の方が何倍も苦しい思いをしているんだから」
「ありがとう。やっぱり優しいね。でね。初めて好きになった人にチョコを上げたという
想い出を残しておきたいから、これをもらって欲しいの」
見晴は、今年で3個目となる手作りチョコレートを差し出した。
「君の気持ちには答えることが出来ないけれど、ありがとう」
公は心底申し訳ないという顔で受け取った。
「受け取ってくれて、ありがとう。もう、そんな顔しないで。これからもバスケは続けるんだよね」
公は無言で頷く。
「彼女にはなれなかったけれど、これからも応援してるから頑張って。私は大学で新しい恋を見つけるから」
そう笑顔で言うことが出来た見晴だったが、やはり込み上げてくるものがあった。
「ごめん」
「いいの・・・・・よ」
バッ
見晴は突然後ろを向いた。
笑って別れるつもりだったのに、我慢できなくなった。
頬をつたう熱い物を見せないため、公の方は見ないで言う。
「さようなら。ありがとう」
タタタ
公の言葉を待たずに走り出す。
「ごめん」
公はその後ろ姿を見つめながら、そう呟くしかなかった。
2月の冷たい風が、公の胸に突き刺さる。
見晴のような女の子がいたことへの罪悪感から、かなり落ち込んでいた。
「ただいま」
玄関にいても聞こえずらい、声にならない声で呟く。
「お帰り」
たまたま玄関にいた母親が返答する。
「なぁに?どうしたの暗い顔して。まさか!!チョコ貰えなかったの?」
公は無言でリュックを前に出した。
「あるじゃない。じゃあ、なんでそんな顔してるのよ」
「別に・・・・・・」
それだけ言って階段を上がっていく。
「あっ、公。これから詩織ちゃんの所に行くんでしょ?いつまでもそんな顔してるんじゃありませんよ」
「ああ」
ボソッと呟いて部屋にはいると、急いで着替えて再び家を出た。
詩織が玄関のドアを開けて出迎える時には、公はいつも通りに振る舞うことが出来ていた。
カチャ
「待ってたのよ、公!!」
「ごめん。遅くなって・・・・・」
「いいのよ。先に部屋に行ってて、お茶を入れていくから」
「ああ」
先に公を部屋に上げて、自分は紅茶を入れるために台所へ行く。
2階の詩織の部屋に入り腰を下ろした公は、ジッとテーブルの上にある箱を見つめていた。
「お待たせ〜」
そこに、紅茶が入ったカップをトレイに乗せて詩織が入ってきたので、公は慌てて笑顔を作った。
「これ、もしかしてケーキか。手作り?」
「そうよ。凄いでしょ」
「すごく嬉しいよ。早く食べようぜ」
何かとってつけたような言動なので、詩織は違和感を覚えた。
正面に座り、カップを公の前に置きながら尋ねる。
「公、何かあった?」
「ん?な、何もないけど」
「嘘。私が何年、公の顔を見てきたと思ってるの?」
公が今どういった心理状態にあるのか、ある程度は分かる自信が詩織にはあった。
「はは。分かるか?」
顔に手を当てて、分かりもしない自分の表情を確かめてみる。
「分かるわよ。で、何があったの?」
「・・・・・・・うん。なあ詩織」
真剣に詩織の目を見る。
「な、なぁに?」
「俺って、結構もててたんだな」
詩織は目をパチパチさせ、今更何を言い出すのかと思った。
「そうよ。去年だってチョコいっぱい貰ったでしょ?今年はいくつだったの?」
「う〜ん。たぶん200個くらいかな」
「にひゃ・・・・・く。凄いわね」
紅茶を一口飲みながら、半分呆れる詩織。
「それと、公が落ち込んでいるのと関係があるの?」
「うん。実は、最後にチョコをくれた娘から、告白されたんだ」
「え!?」
詩織は驚いて、持っていたカップを落としそうになった。
「そ、それで?」
「もちろん断ったさ。でも、あの娘は『好きでしたって』断られるのは承知で言ったんだ」
「そう」
公が受け入れたという事ではなかったので、ホッと胸を撫で下ろす。
「それで?」
「自分で言うのもおかしいんだけど・・・・・。
ファンクラブの娘達は、ただのファンだからいいけど、そうじゃない娘も多少はいると思うんだ」
「そうね」
「もちろん沙希ちゃんとレイもその一人で、二人をふったときにも感じたことなんだけど。
俺と詩織の今の関係って、何て言うか・・・・・」
たぶん涙を流していたであろう見晴の後ろ姿を思い出し、顔を伏せて唇をかみしめて、
何て言って良いか悩んでいると、詩織が代弁してくれる。
「その娘達の想いが成就しなかった上に成り立っている」
「そう。それを改めて痛感したんだよ」
顔を上げて同意する。
「・・・・・そうだったの。う〜ん。何人くらい本気で公のことが好きだったのかは分からないし、
むしろ恨まれるのは私の方だと思うけれど。そういう痛みを恐れていたら、
恋愛は出来ないでしょ?」
「ああ。それも分かっている。分かってはいるんだけど・・・・・・」
再び顔を伏せる。
公の心に、友人関係でさえない他人の中にも、沙希とレイと同じような気持ちにさせた娘が
いるとしたら、その娘達には何もしてやれないという罪悪感があった。
「優しいね、公は。でも、それは私も同じよ。自慢する事じゃないし、公が嫌がるかと思って
言わなかったけれど。これでもラブレターをもらったことがあるのよ」
公は、ハッとして顔を上げた。
「・・・・・そうだよな。詩織ほど可愛ければ貰うだろうな」
「でも、私には公しか見えなかったから、受け入れることはしなかったし、
好きになれない人に同情しても逆に失礼でしょ。だから、割り切るしかないのよ」
公はしばらく考えた末、悩んでいたのが嘘のような表情で頷いた。
「そうだよな。やっぱりそれしかないか。わかった。その分、俺と詩織は幸せにならないといけないな」
「そうよ」
頭を切り換えて、今は詩織との時間を楽しむことにする。
「よしっ、せっかく手作りのケーキがあるんだから、このことは忘れよう。早く見せてくれよ」
「うん。じゃじゃ〜ん」
「おお〜」
詩織が箱を開けると、ハート形のチョコレートケーキが出てきた。
「ごめんね。ここの部分がなかなか上手くいかなくて」
周りのクリームがちょっと凸凹していたが、それは初めて作ったのだからご愛敬だ。
「そんなのいいよ。ありがとう。ホントに嬉しいよ」
「うん」
その言葉が、詩織には最高に嬉しかった。
「じゃあ切るわね」
ケーキナイフで6等分に分ける。
「一人3個か。詩織大丈夫か?太るぞ」
「もうっ、そういうことは言わないの!!あげないわよ」
頬を膨らまして、子供を叱るように見る。
「ごめんごめん。詩織は運動するから大丈夫だ。ちょっとくらい太ったって、詩織の魅力は変わらないよ。
だから食べさせてくれ〜」
「ふふふ。よろしい」
皿に一切れずつ乗せて、詩織は改まって姿勢を正した。
「公、好きよ。これからもよろしくね」
「詩織、俺も好きだよ。こちらこそよろしく」
二人は見つめ合い。お互いの気持ちを確かめ合った。
「あ〜ん」
「あ〜ん」
公は詩織に、詩織は公に、交互に食べさせる。
「詩織」
詩織にしか見せない、公の中で一番の優しい目で見つめる。
それに気が付いた詩織は、頬を朱に染める。
「なぁに?」
「何でもない。俺の可愛い彼女を見ていただけだよ」
「え?照れるじゃない。ふふふ」
その幸せそうな顔を見て、この幸せを永遠のものにしたい。
心から願う公だった。
そして、それは詩織も同じ。
ケーキに添えてあったメッセージカードには、こう書かれてあった。
『ずっと側にいて、私を離さないでね』
つづく
あとがき
57話をお送りしました。
またまた1ヶ月でアップすることが出来ました。
まことにめでたいですな(^_^)
それにしても、当初は最初から最後まで甘い展開の予定だったのに、
見晴を出したことによって、一気にシリアスになってしまいました。
あんな事を考える男って、そうそういないとは思いますが、
公はああいう男なんですよ。
ふった娘達のためにも、二人には幸せになってもらわないとね。
さて、次回はいよいよ最終話です。
ご存じの方もいるでしょうが、59話はエピローグ、
60話は出演者総出演の大宴会(仮)となっています。
というわけで、本編は次で最後となります。
すでにラストシーンは頭の中にあります。
それが良い形で完成するように祈るばかりです。
では、最終話「伝説の樹の下で・・・」を、お楽しみに。