『フレグランス〜移りゆく僕達〜』
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今からちょうど4年前の夏の日、中学に入ってはじめての夏休みのことだった。
大学に入ったばかりのいとこのお姉さんが小学生の妹を連れて遊びにきた。
小・中・高一貫の私立男子校に通っていた僕は母親以外の、
まして若い女の人と言葉をかわすことは皆無に等しかった。
その日は日曜日で、そののち僕が中学3年の時に悪性の風邪で亡くなることになる父も家にいた。
父方のいとこということもあって、ふだんは書斎に閉じこもりがちな父も客間に出てきて、
僕と母といとこ2人と父の5人で久しぶりだの、懐かしいのと言葉を交わした。
夏にしてはやや涼しい日だった。
それでもクーラーをつけなければ少し蒸し暑さを感じたので、その部屋はクーラーを効かせていた。
僕は涼しいはずの部屋で別の変な汗をかいていた。
成美姉さんと花奈(はな)ちゃんに会うのは4年ぶりのことだった。二人の母親であり、僕の父方の叔母にあたる人が亡くなった時だ。
その後も一周忌に両親はよばれて行ったから彼らは3年ぶりということになる。
僕は、口紅とグロス(あとになってこの名称は知ったが)
で艶やかに色づいたくちびるがストローをはさんでアイスコーヒーを吸い込むのを、
どうしても盗み見ないわけにはいかなかった。
そして、かすかに動く喉元から夏生地のニットの衣服のふくらみまで。
「理紀くんは急に無口になったのね。」
成美が突然こっちに向き直って僕に話しかけたので、心の中を見透かされたようでドキっとした。
「いや、僕なんてまだ子供だし、大人どうしの話にはなかなかついていけなくて」
ととっさにごまかした。
花奈はしきりにお菓子を頬張っていた。
その時、ぶい・・・んと軽いモーターの音がして、クーラーが止まった。
「あらいやだわ、最近たまにこうなるのよ。そろそろ買え時かしら。」
「この機会に新しいのを買うのも悪くないじゃないか。クーラーもどんどん付随機能がついて面白いじゃないか。」
「そうしましょうね。だけど、今日のところは少し涼しいくらいだからなくてもいいわね。」
母は成美に気を使った。
「ええ、おばさま大丈夫よ。」成美は屈託のない笑顔でそう答えた。
でもそれからしばらくするとクーラーで冷えていた体も徐々にあたたまり、
部屋にいる誰もが汗ばむようになってきた。
成美がすっくと立ち上がった。
立ち上がりながら「おトイレお借りします。」と断った。
そして廊下に近い僕の方にまわってきた。
通った時柑橘系の香りが鼻腔をくすぐった。
正確には柑橘系の香りに甘いような匂いがまじっていた。
その甘い香りは僕の心臓をドキドキさせた。
「お父さんやっぱり扇風機くらい出してきましょうか。」と言って母が立ち上がった。
僕の鼻は敏感に成美とは違う母の匂いをかぎとった。
それは汗に混じった母の体臭だった。
はじめて臭いと思った。
そして僕のTシャツの首ぐりから立ち上ってくる体臭もあきらかに臭かった。
その時をさかいに僕はすっかり匂いに敏感になってしまった。
異常なほどに。
母が扇風機をまわすと再び微弱ながらも、部屋は涼しさを取り戻しはじめた。
僕はたとえ扇風機の風で汗がひき、僕の体臭をやわらげてくれたとしても、
成美ねえさんが僕を臭いと思い鼻をつまむんじゃないかと心配になった。
僕は恥ずかしさでそこにいたたまれなくなり、花奈を公園に連れて行くことを口実に家を出た。