『フレグランス〜移りゆく僕達〜』

     8

翌朝僕は校庭で拾ったと言って早乙女に香水の瓶を差し出した。
「あ、これ美馬先輩が落としたって言ってたから」
早乙女は心底よかったという顔で受け取ろうとした。

カツーン

香水の瓶は床に音をたてて落ち、早乙女が座る椅子の真下に転がった。
僕は早乙女が受け取るより一瞬早く手を離したから。
「あ・・・ごめん。」僕は謝った。
早乙女が椅子にすわったまま手をのばす。
無理な姿勢になる。

僕は見逃さなかった。
シャツの布地が肌からずれて鎖骨の下の皮膚が一瞬だけのぞけるのを。
そこには赤い・・・というよりは薄桃色の内出血の痕があった。
再び僕の下腹部は痛みをおぼえた。

「理紀くん割れ物なんだから注意しなきゃだめじゃない。」みずえの声がとんだ。
「ああ、ごめん。タイミングがわなくて・・・。」言い訳だった。

みずえは昨日堀江にランチを邪魔されたことを怒ってはいたが、
もちろん僕が何か悪かったわけではないので、僕に対する彼女の態度は変わらなかった。
でも、昨日のあの時から僕の興味はとことん早乙女だった。
僕は美馬先輩に嫉妬した。
早乙女にあんな顔をさせる美馬先輩を・・・。


それから3日たったある日みずえが例によって赤い紙袋を持ってきた。
僕はその日が再び来たら言おうと決めていた。
「ごめん。悪いけど、もうふたりで屋上に行くのはよそう。」
「なんで?」みずえは納得がいかない顔をしたが僕は続けた。
「きみにはもっとふさわしい人がいるんじゃない?」
僕の言った意味が全く分からないようだった。
「つまり、それは遠まわしに私のことが嫌いになった。別れようということ?」
「そうとってもらってもいいよ。ただ、自分の気持ちに正直になれば僕の言う本当の意味が分かると思うけど。」
みずえは何がなんだか分からないという顔をして、その場にいたたまれなくなったのか
教室を飛び出した。
早乙女も何がなんだか分からないという顔をしていた。
僕はこれは彼女と僕双方のためにいいことだと思った。
みずえが僕から離れれば、みずえのとりまきの女の子たちも僕から離れる。
ひいては僕と早乙女はふたりになれる。


実はテニス部室での彼らの痴態を見た翌朝、かばんの中にノートの切れ端を小さくたたんだものを見つけた。
それは堀江がみずえにひどく絡んだ日の翌朝でもあった。

『長岡へ
みずえと俺は小学校から友達だった。中学にはいった頃から
みずえは俺や男子と距離をおくようになった。無視するようになった。
分かるだろう?
分からなければそれでもいい。             堀江智之』

ようするにみずえはダイニジセイチョウキやシシュンキというものを うけいれられない
幼さがあったというのだろう。
おそらくふたりは相当仲がよかったのだろうと僕は推測する。
小学校の頃はかわいかったのにというみずえの口癖は
堀江ひとりにあてられた愚痴だったのかもしれないと悟った。

堀江には僕が潔く身をひいたようにみえたかもしれない。
僕も推測、彼も推測それでいいじゃないか。
本当は僕がこんなことを考えているとしても・・・。

早乙女と美馬先輩はおそらくあの時が最初ではなかっただろう。
果たして、これから僕がわりこむ隙間があるだろうか。 今はじっくりと牙を隠したおおかみのように様子を見つつ
待つしかないかもしれない。
ただ、来春はどうだ。
美馬先輩の卒業でひっくり返るかもしれない。
それまで待てるかなぁ。
多分無理。

気がつけば堀江も教室から消えていた。
僕は僕のことで精一杯だ。
早乙女は今起こった一件を心配そうにうかがってはいたけど、
相変わらず教室での早乙女は僕が今まで知ったつもりでいた、ただ無機質な感じのする少年のように見えた。