『見えること見えないこと』
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「まぁ、そんな特別なことはしなくてもいいじゃないか。
急に残業が入らないとも限らない」
真之はネクタイをしめながら、妻の歩美をちらっと見てそう言った。
「そう。あなたがそう言うならいいけど。
今年は外食をしないなら、せめてあたしが特別な料理を
作ろうと決めていたのに」
歩美は真之を見やった。
「まぁ、これからも続いていくことなんだ。いちいち特別がることは
ないんじゃないかな。」
そう言い残すと鞄を持って玄関にむかってしまった。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
まるで何でもない日のように出て行った夫の背中を見送って
歩美は、梅雨に入る前のよく晴れた空の下軽くため息をついた。
1年目の結婚記念日は予約したホテルでディナーを食べた。
途中のデパートで偶然見つけた小さなテディベアをふたつねだって
買い求めた。
2年目の結婚記念日は近所のお洒落なフレンチレストランで、
一番高いコース料理を食べた。
レストランのオーナーの趣味で隣接して作られたアンティークショップでオルゴールを買った。
そして今年が3年目。
『何もしないんだ。つまらない』歩美は呟いた。
レストランをどこも予約していない様子だったから
密かに特別料理のレシピを考えていたのに。
そしてパートで稼いだお金で買った揃いの腕時計の箱を
花と食事で飾ったテーブルであけようと思っていたのに。
今日洗うつもりの洗濯物の入った籠を持ち上げる。
去年結婚したばかりの妹がもう大きなおなかを抱えていたことを
思い出す。
結婚してもしばらくは仕事を続けたかったし、恋人気分でもいたかった。
だから子供はまだいらないと思っていた。
でも現実はふたりをいつまでも恋人気分のままではいさせてくれない。
そろそろ潮時なのかなと歩美はあごをあげて青い空を見た。