『見えるもの見えないもの』
3
「いらっしゃーい」
エプロン姿に髪をアップにまとめて髪留めで留めただけの
歩美とは対照的に、リリママは肩から少し垂れる髪をカールして
玄関に立っていた。
「隣り駅の駅前に美味しいケーキ屋さん見つけたから
昨日のうちに買っておいたの」
前に会った時よりきれいになったと歩美はリリママを見た。
「うん?あたしの顔に何かついてる?」と言われ
「あ、今えびあんかけ火にかけてたんだったわ。
もうできるからテーブルについてて」
歩美は慌てるようにキッチンに戻った。
よく煮えたかぶにあつあつのえびいりのあんかけをかけると
最後の1品が完成した。
テーブルには冷たくひやした豚しゃぶのポン酢あえと
大根の細切りのサラダがすでに並べてある。
リリママは耐熱ガラスから豆腐の味噌汁をお椀にあける。
体をかがめた拍子に小粒の石が胸元からこぼれる。
「あ、かわいいネックレス」歩美は箸を置く手をリリママの方にむけた。
「これね。もらったの、誕生日だったから」
それからリリママはひと呼吸おいて
「だんなじゃないよ」とちょっと怖い顔をした。
「え?誰?お姑さん?」
歩美の姑つまりだんなのお母さんは誕生日になると必ず何か送って
くれるので当たり前のように聞いただけだった。
するとリリママは驚いたように豆腐を箸からすべらせ
「そんなわけないじゃない。姑がくれるのはお小言くらいのもんよ」と言った。
「じゃあ誰?」歩美が聞く。
「コンビニのそばの大学に通う大学生」リリママはわざと歩美の耳元で囁くように言う。
リリママはネックレスをもらうまでのいきさつを歩美に聞かせた。
コンビニでバイトをはじめて2週間になる頃、
タイムカードを押して外に出ると声をかけられた。
見覚えのある顔だった。
「毎日ハーゲンダッツのアイスクリームと募金箱に
お釣りいれてく・・」
「ピンポーン。おぼえててくれてたんだ」
「毎度ありがとうございます。でも毎日アイス食べるの体に悪くない?」
「俺甘いもん食べても太んないから。それに50円アイスでも
いいんだけど、少しでも『鈴木さん』に貢献しようと思ってさ」
「それはありがとうございます」鈴木さんであるリリママはばか丁寧におじぎをした。
それからその大学生はほとんど毎日パートをあがる時間になると
声をかけてきて、ちょっと駅まで一緒にが喫茶店でお茶でもになり
2週間もたつ頃にはホテルで2、3時間の休憩をするまでの仲になってしまったという。
それで6月末に28歳になるリリママにネックレスをプレゼントし、
「だんなさんいてもいいからたまにHしよ」と大学生は誘った。
もらったということは承諾したということだろうと歩美は思った。
そして歩美は、喋りながら豚しゃぶに箸をのばすリリママの右の薬指に
見慣れない指輪を見つけた。
「指輪までもらったの?それはやりすぎじゃない?」
歩美がなかばあきれて言うと、
「これはだんなよ」とリリママは婚約の記者会見の芸能人のように
指をそろえて見せた。
それはプラチナのリングに小ぶりのハートのゆれる可愛らしいものだった。
歩美はリリママに裏切られた思いが一瞬かすめた。
あたしなんか先月の結婚記念日も忘れられて、子供が産まれてから
だんなから誕生日プレゼントももらってない。
もちろん今年32歳になった時も。
主婦なんてみんなそんなもんだって割り切ってきたつもりなのに
そうじゃない人がいる。
リリママはだんなにも愛され、8歳も年下の大学生にも愛されている。
久しぶりに似た境遇どうしお喋りをして日頃の鬱憤をはらすつもりが
あてがはずれてしまった。
外は晴れて暑いくらいなのに、歩美の心の中は空一面に雨雲がはりだしていた。