『見えるもの見えないもの』
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「ねぇ、あなた。ママ友達のリリママがバイトはじめたことは
話したでしょう?」
リリママと久しぶりにランチをした夜、歩美は子供部屋のシンとミミが眠ったのを見てから
残業して帰ってきた真之のためにおかずを温め直しながら聞いた。
「えー、そうだったかなぁ」
気のない返事。
「なんで忘れるの?私の話ちゃんと聞いてる?」
「聞いてるよ」
嘘だ。
歩美は思う。
真之は目の前のスポーツニュースに釘付けだ。
「それでね、バイト先でナンパされちゃってね。
お客さんとつきあってるんだって」
「なんだそれ。だんないるんでしょ?変じゃん」
なんだ聞いてたのか。
歩美は思う。
「今日おかず何?今何あっためてるの?」
真之の目がTVから電子レンジに移る。
まるで「なーに、なーに」言う子供みたいに言う。
「煮魚だよ」
話の腰を折られてちょっといらつく歩美。
「えー、煮魚だけ?他は?俺が好きなもん」
「子供じゃないんだから、体のことも考えて嫌いなものも
嫌がらずに食べてよ」
「はーい、分かりましたよぉ」
いつものことだ。
肉なら喜び、魚なら嫌がる。
メインディッシュ以外の料理でご機嫌をとって無理やり魚を食べさせる。
「いいよねぇ、リリママは。だんなさんと恋人がいるんだよ」
おかずが食卓に並び終えると真之の目はまたTVに移り、
手探りで皿の上を箸が動く。
「あたしも浮気しちゃおっかなぁ。恋人だったらあたしの話真面目に聞いてくれるしさぁ」
「歩美はできるわけないよ。そういう種類の女じゃないもん」
「えー何?浮気する種類としない種類があるのー?
そんなの変だよ」
「あるよ。浮気する女は売女だもん」
「違うと思う。浮気するのはだんなさんがちゃんと相手してあげないからだよ。
ちゃんとコッチ見て話聞いてくれないからだよ」
「はいはい」
「はいはい じゃないよ。ねぇコッチ見てよ」
歩美がじゃれるように無理に真之の顔を向かそうとする。
突然、真之が眉をしかめる。
「いい加減にしろよ。聞いてるよ、どっち向いてようが俺の勝手だろ。
仕事して帰ってきてんの。疲れてんの。
お前の話は長い」
真之はプイとTVに向き直ってしまう。
お前の話は長い、歩美は口の中で声に出さずに繰り返す。
今見てるスポーツ番組の放送時間とどっちが長い?
見ず知らずの他人の勝ったの負けたのより、家族の方が大事じゃないの?
でもふと思い出す、歩美自身も独身の頃はそうだった。
専業主婦の母親の話よりTVのバラエティに夢中だった。
仕事から帰って自由な時間くらい好きにさせて欲しいと思っていた。
ひとりで留守を守っていた母親の話をもっと真面目に聞いてあげればよかったと今になって思う。
自分がその立場になってはじめて分かる。
真之もその立場にならない限りきっと何を言われても分からない。
そう思うと、改善しないだろう夫婦関係とこの物足りなさの終わる事のないのに悲しくなる。
そしてつい毎夜、真之が寝た後のどこの誰とも知らない人たちとのネット上での会話を楽しんでしまう。
ネット上の会話ーチャットーのことは真之に内緒ではない。
「面白そうなことやってるね」と以前にこにこしながら覗いてきた。
「面白くないよ。真之と喋る方が面白いよ。
真之が私と喋ってくれるならやめるよ」
と歩美が言うと
「お前と俺は喋ってるよ。俺はじゅうぶん喋ってるよ」と少し不機嫌そうに部屋を出ていってしまった。
歩美は真之と喋り足りない分をキーボードで埋め尽くす。
入れ替わりの激しいチャットルームで数名のおなじみさんと多くの初参加者相手に夜は更けていく。