『見えるもの見えないもの』
7
歩美はクリーム色の背中を追いかけてホームの階段を下りていった。
1年前離婚して実家で両親と暮らしている真衣子とふたりきりになったことなどない。
離婚前は名古屋に住んでいて、歩美や真之の実家からは新幹線に乗らなければならない距離にあったためか
お正月に顔をあわすくらいで、あまりつきあいはなかった。
歩美はシンやミミを連れて今でも真之が出張の日など夕食を食べに真之の実家を訪ねるが、
外食が多いらしい麻衣子が共に食卓を囲むことはほとんどなかった。
駅を出ると一番近いカフェに入り、奥の4人がけに席をとった。
真衣子は自分が見るより先に歩美にメニューを見せ、選ぶように言った。
歩美はそんな心の余裕などなく、「ホットコーヒーを」と言った。
すると真衣子は「カプチーノにしない?ここのおいしいから」とすすめる。
「はぁ、じゃあそれで」
歩美は今そんなことはどうでもよかった。
真之ではない男性と歩いていたことをどう責められるのか、真之に話すというのか。
それならそれでいいような気もした。
まさか離婚するなどとは言われないだろう。
今回のことは真之に責任があるのだ。
目の前に置かれたカプチーノに砂糖を入れてスプーンでかきまわしていると、
そのままでひとくち飲んだ真衣子が「ほっ」と息を吐いた。
「歩美さんは私が離婚したわけを知らないでしょう?」
方向違いと思われるところから話は切り出された。
「聞いてません。なにも・・」
「私は世間でよくある嫁と姑との関係に耐えられなくなったの。
私が特別ひどい目にあったわけじゃなかったとは思う。」
「そうだったんですか・・」
歩美は何と言っていいか分からない。
「どこでもよく聞く話。だんなは嫁と姑の間に挟まれるとどうしても
姑の味方についちゃうの。
姑がどんなにワガママで私を悩ませてもだんなは姑を許してやれって言う。
男ってみんなそうなのねって割り切ってきた。
でもね、そうじゃない人っているんだって気がついた時、
もう我慢しなくていいんだって思ったの。
それが離婚に踏み切った理由かな」
歩美は真衣子が離婚の理由を話すためにわざわざここに連れてきたとは思えなかった。
何が言いたいんだろう、まわりくどい言い方をされているような気がして余計不安になった。
「歩美さんはうちのお母さんとうまくやっているわよね」
「だと思います」歩美は答えた。
真衣子の前だからそう言ったわけではない。
真衣子の母つまりは歩美の姑のことで歩美は結婚してから嫌な思いというほど嫌な思いはしたことがなかった。
考え方や趣味が違うと思ったことはあるが、姑は歩美にそれらを押し付けることはなかった。
シンやミミにだけでなく歩美の誕生日にも何かしらのプレゼントをくれたし、旅行のお土産は真之の喜ぶ物よりも歩美の喜ぶ物を買ってきてくれた。
「私ね、真之と歩美さんが結婚してはじめてのお正月に真之とお母さんが
歩美さんのいないところで話してるのを聞いたの。
お母さんは歩美さんが結婚してもすぐ子供を作らないことや、仕事を続けてること
おすそわけでもらった煮物の味が濃かったこととか、まぁ色々言ってたの。
ケチをつけるって感じでね。
そしたら真之がすごい剣幕で怒ってね。
俺の奥さんの悪口を言ったら母親でも許さない、歩美は母さんと結婚したんじゃない
俺と結婚したんだってね。
それ聞いた時、ああこんな風に言える男もいるんだなって思ったの。
真之がえらいんじゃなくてね、本当に守りたいと思える女性と結婚するって
ことがこういう男にするんだってね。
それからは娘が中学にあがったら離婚しようって決心して、
すごく楽になったの。
歩美さんは真之にとても愛されてるってことを自覚するべきね。」
歩美は何も言えなかった。
真之はひとことも母親と歩美のことでやりあったことなど言ってはいなかった。
うまくやっていけているのは自然にだと思っていた。
「真之はね、昔からわいわいするよりは静かなことが好きな方だったのね。
必要以外のことはしゃべらない子だったから、男友達はそれなりにいても女友達は
少なかったわね。
歩美さんの前にも何人かつきあった子がいたみたいだけど、その中の1人が私の友達の妹でね。
つきあって2ヶ月したある日私に相談してきたの。
沈黙の時間に耐えられないってね。」
真衣子はそこでちょっと笑った。
「高校生くらいの女の子って特にそんなことを気にするじゃない。
とても優しくて自分を思ってくれてるのが行動で分かるんだけど、
デート中沈黙の時間があると不安になるって。
女の子にあわせて無理に笑わせたり、喋り続けたりっていう器用なことができなかったのね。
だから、まぁ歩美さんもだいたいそんなところじゃないかなってね。」
真衣子は浮気の現場を見て知らぬふりをしてくれようとしているようだった。
「おねえさん、わたし」
歩美が言いかけると、真衣子はさっと席を立って
「呼びとめちゃってごめんなさいね、それと私何か勝手にかんぐっていたんならごめんなさいね。」
そう言うと、まだ少し仕事の用があるからと駅とは反対の方向に歩いて行ってしまった。
歩美は真衣子からもらっていた切符代を握りしめて、雑踏の中に消えて行くクリーム色を見送った。
おわり