『ホワイトデー小説』
「僕、ひとりで持てる?」
私はアパートに帰る道で声をかけた
その子は小学校の高学年くらいで、手にはスーパーのビニール袋を
さげていて
背中にはランドセルをしょっていた
「大丈夫です。ありがとうございます」
その子は礼儀正しくまっすぐ私の目を見て言った
私はその頃ようやく絵の仕事でごはんが食べれるようになっていた
雑誌や本の挿絵やお店のチラシにイラストを入れたりしていた
半年前、複数掛け持ちでやってたアルバイトをすべて辞めることが出来た時
心底幸せな気持ちになった
ひと月3万円の古いワンルームのアパートの家賃を払って
たまに外食はするけれど、安い時間を狙って食料品を買いに行けば毎月おつりができる生活
アルバイトをしてる時の方が収入は多かったけれど
絵だけで食べていかれる今の生活の方がキッパリと幸せだと思えた
私はファックスと郵便と電話で依頼がくる仕事をはじめる前の夕方のひとときが好きだ
ちゃんとドリップしたコーヒーをブラックで飲みながら外を眺める
買い物がある日は帰ってきてからそういう時間を作る
それで今日は買い物がなかったので、昨日の男の子のことをぼんやり思い出しながら
壊れそうな2階の窓から外を眺めていた
昨日とちょうど同じ頃男の子はやってきた
今日はビニール袋の代わりに小さな男の子の手をひいて
それから決まってその子を見かけるようになった
たいていの日はビニール袋と小さな男の子と一緒だった
道で一緒になる日は声をかけた
男の子はいつでも礼儀正しかった
それは小学生にしてはちょっと悲しいほどだった
かたわらの小さな男の子は恥ずかしそうにこっちを見ているだけだった
私は日本海側の漁師町から東京に出てきて6年になるのに
恋人も友達もいなかった
アルバイトをしていた頃は友達と呼べそうな知り合いは多かったけれど、
それはアルバイトをやめて1ヶ月、2ヶ月と経つうちにだんだんと疎遠になっていった
ある日道で会った時いつもは挨拶ばかりだった小学生の男の子に
私はちょっと部屋に寄らないかと聞いた
そういうことはしてはいけないかしら?と思いながらも
そう聞いた
「今日は生ものは買っていないし、野菜だけだからちょっとぐらいなら」
とやけに大人びた口調で答えられ、罪悪感は吹き飛んでしまった
そして、それからしばらくして私は2児の母となった
まったくわけのわからない偶然だった
お互いがお互いをただ必要としてそうなったような感じだった
はじめて会った頃男の子は小さい弟とふたりで住んでいた
不慮の事故で両親を失い、何故か親戚筋から嫌われていた彼らの両親の子供たちを引き受けるものはいなかった
ただそれでも父方の長男が多少裕福だったこともあって名義だけ貸して
小さなアパートを借りてくれ
そこに小学生と幼稚園児を住まわせていたという
たまに叔母さんが様子を見にきてはいたけど、それも週1回くらいだったという
はじめて部屋に呼んだ時男の子から淡々とそんなことを語られて
瞬間的な思いつきで私は「お母さんが欲しくない?」と聞いた
男の子は目を輝かすでもなく
「いてくれると助かります。弟がまだ小さいので」と答えた
この子はこの年で淡々と『生活』をしていた
感情を抑えた普通の大人に見えた
でもこの子は子供で子供なら普通じゃないと思えた
それからは思ったより簡単に物事が運んだ
当面は養育費などは今までと同じように叔父さん夫婦が支払うとして
戸籍だけは私の養子ということにした
私は6年間住んだアパートを引き払って、新しくワンルームでないアパートを借りた
子供達が住んでたところで生活をはじめてもよかったけど
なにもかも新しい方がいいと思った
ただ子供達の学区は変わらないようにした
私達家族はうまくやっていた
一緒に暮らし始めてから今日でちょうど1ヶ月になる
私は忙しく雑誌に載せるための数個のイラストをカリカリと描いていた
「お母さん、ちょっといい?」
私はペンを休めてまっすぐ息子を見る
「今日は何の日か知ってる?」
「3月14日、ホワイトデーね」
東京に出てきてからほとんど意識しなかったイベントを私は口にした
6年間も20代の女が色恋に無関係だったなんて
絵で食べていくことに躍起になっていたんだ
夢が叶うまで他のことは考えない
そんなふうに思う必要はきっとなかった
ちゃんと恋をしてそれでも夢は叶うものなら叶ったはずだから
そんなことを思ってみる
「おかあさん、はいこれ僕からお返しだよ」
少ないながらも毎週あげていたおこづかいをちゃんと貯めていて
私に何か買ったらしい
「お返しかぁ、ありがとうね」
小さい包みのリボンをほどきながら私は言葉を続けた
「でもお母さんバレンタインに何もあげてなかったね」
すると息子は出会ってからはじめてニッコリと笑って
「僕達のお母さんになってくれたじゃない。あの日ちょうど2月14日だったんだ」
と少しぞんざいに言った
「子供の僕が日にちを覚えてるのに大人のお母さんが覚えてないなんておかしいや」
そして私をおしたくった
そしてかたわらの弟と畳でごろごろしながらじゃれあって
いつまでも「おかしいや、おかしいや」と笑い転げていた
そんな息子を見るのははじめてだったので
私はおかしいほど涙がでて
ああ・・今日はじめて本当の親子になれた
にじむ視界の向こうに彼らを見ながらそう思った