『京の灯り』
修学旅行の2日目の京都の夜、僕は担任の先生から特別の許可をもらって旅館から15分ほど歩いたところにある四条大橋まできていた。
鴨川沿いには川床料理のお店が軒を連ね、宴会の賑わいをみせている。
橋まで来る途中先斗町(ぽんとちょう)などの花街通りに続く曲がり角があって京都らしい風情が漂っていた。
僕は東京で一緒に暮らしているおじいちゃんが旅館に送りつけてきた菊の花束をもって橋にたってあたりをみまわすと若いカップルや仕事帰りのビジネスマンでごったがえしていてとても京都らしい風情とは言えない。
祇園や寺や神社のあるところ以外は百貨店が建ち並び東京と変わらない。
僕は少しがっかりしておじいちゃんから頼まれたとおり橋から菊の花をほおり投げた。
おじいちゃんからは何も聞かされていない。
菊の花が鴨川の川面にふれて水音をたてて沈んだあと僕の周りの景色が真っ暗になり川の土手の一箇所だけがぽぉっと明るんだ。
後ろをふりむくとさっきまでの都会の喧騒が嘘だったようにしんと静まりかえってそこには誰もいなくただの闇しかなかった。
僕はもう一度土手を見た。さっきまで薄明るくなっていた場所に着物をきた小柄な女の子がこっちをむいて「おいで おいで」と手招きして立っていた。
僕は橋を渡りきって土手を降りた。さっきまでの川沿いの店も灯りをおとしていた。
少女は小花柄の薄桃色の着物にみつあみのおさげ髪で、僕をじっとみつめていた。
辺りは本当に真っ暗で知らない間に僕はずいぶん長い間いてしまったのだと思った。もうだいぶ遅い時間になってしまったのだろうと。
それで僕は少女のことも気になったが旅館に帰る時間を心配してもいた。
「ここ座ってお兄さん」12歳か13歳くらいだろうかだいぶ幼く見えた。
僕は少女の隣りに腰をおろした。川の音だけがただ静かに聞こえた。
「私ね、明日水揚げやの。分かる?舞妓さんになるんよ。」
ああ、そうかそれで着物なんか着てるのかと僕は思った。
「先斗町の梅紅屋さんていう置屋から出るんえ。もう初見せの着物も簪もすっかり整ってあとは明日を待つだけなんえ。」
「おめでとう。」僕はにっこり笑った。将来の舞妓さんとこんなところでお喋りできるなんてラッキーかもしれないと内心では思っていた。
「お兄さんは何にも知らはらへんのね。だからそんなふうに言えるんね。水揚げってどないなことをするんか分からはる?」
置屋から舞妓を出すには女将さんの財力だけではまかなえない支度金がかかる。それで品のよい富豪のご隠居が世話をすることが多い。そのひとが最初のだんなになり、その妓の後ろだてになる。大金をととのえる代わりに初めての寝屋を共にするのであるらしいことをその時はじめて少女の口から僕は知った。
「それが嫌やの。それで私悲しくて泣いていたんえ。」
「花街にきてから1年、知らなかったわけやない・・・ただ、それでも明日になるのが嫌。」
「それならやめたらいいじゃないか?まだ学校にだって行ってる年頃だろう?」最近は舞妓さんになりたくて京都の他からも色々な地方から集まってくるというじゃないか。いやならなんで来たんだろう。
「うち、家が妹や弟が多くて・・・。それで私が稼ぎにきたの。もう私がここに来るときお父さんがお金を受け取ってしまったし、嫌でも仕方ないんえ。」
日本に出稼ぎにきてる外国人労働者じゃあるまいし・・・と僕は少女の言動のおかしさに少し腹が立ってきた。
僕はすっと立ち上がると少女を見下ろして、「もう戻らないと」と言った。
少女はまだ悲しそうな顔をしていたがあきらめたような顔になって静かな笑顔を作った。
四条大橋をふりかえるとそこには夕方のせわしない人通りが戻っていて川床料理の宴会の音が耳に聞こえてきた。
橋を渡って、来た道を帰ろうとし渡りきる直前に土手を見るとすでに少女はいなかった。僕は夢をみたような気持ちで旅館に戻った。
時間はそれほど立っておらず僕はまたクラスメイト達との楽しい修学旅行の続きに戻った。
月日は流れて僕は大学を卒業したあと父の経営する大きな鉄鋼会社に就職した。東京の高級料亭で客の接待に父や役員たちと同席する時、なぜか先斗町の少女のことを思いだした。今頃は舞妓時代も終えて立派な芸妓にでもなっているだろうか。名前くらい聞いておけば良かったかなと思った。
ある時僕は京都の出張に同行するよう言われた。まだ30になったばかりだったが社長の息子ということもあって役つきになっていた。
例によって高級な料亭での接待となったが場所は祇園でも舞妓や芸妓はなぜかよばない。暗黙の了解にでもなっているのか誰もそのことを口にしない。
接待は無事終了して大きな契約が決まった。僕はせっかくだから舞妓さんに会ってみたいような気がして、京都を出る前日父にねだってみた。
「だめだ。」返事はあっさりノーだった。
僕は帰りの新幹線の静かなグリーン車の中で確かあの少女は先斗町の梅紅屋にいると言っていたなと思いだしていた。
そして日々の仕事の忙しさの中ではそのことを考えることもなかった。ただ、接待の日をのぞいては。
それから翌年父方のおじいちゃんが死んだ。母方のおじいちゃんは僕が生まれるより前に病気で死んでしまったから、親類の死に目ははじめてだった。
葬式も済んで一段落すると急に父が「今度の連休あいているか?」と僕に聞いた。「出張ですか?同行しますよ。」と言うとそうではないと言う。
何も聞かされないまま父と二人で新幹線のグリーン車に乗り京都駅で降りた。
電車で四条の駅に着くと父の足は祇園の方角に進んだ。
橋を渡り少し歩くと花街通りに出た。父は先斗町に足をむけた。
ここまで言葉少なだった父が急によく喋りはじめた。
「京都の花街には5つの通りがあってね。『祇園甲部』『上七軒』『宮川町』『祇園東』そしてこの今歩いてる通りが『先斗町』だ。」
「実はここに縁のあるお茶屋さんがあってね。今日はそこの女将さんに会いに
行くのが目的だったんだよ。」と父は続けた。
お茶屋さんとは舞妓や芸妓をかかえている置屋のことらしい。
舞妓たちは料亭などに呼ばれるとここからいくらしい。
細い道の両脇に古きよき木造の家が並んでいてやっぱりここは祇園だなと思わせる。
父がつと足をとめた。その家の表札には『清水鈴子』となっており並んで『梅紅屋』となっていた。
僕はこの偶然に心臓が高鳴った。芸妓となって綺麗に白塗りしたあの日の少女がここにいるんだと思った。
「こんにちは」父が木戸をカラリと開けると40歳くらいの女将さんらしきひとが品のよい着物をきてあらわれた。
「まぁまぁ遠いとこからようこそおいでやす。この度は旦那さまがお亡くなりになられてお気の毒おした。」そのあとも女将さんらしき人は口早に京ことばで父におくやみの言葉をのべると、僕たち親子を畳の部屋に案内した。
しばらくあってキチンと着物を着たやせた老婆がお茶のお盆を手に入ってきた。死んだおじいちゃんと同じくらいに見えた。
「鈴子さん・・・いや梅鈴さんお元気でしたか。」と父は老婆に言葉をかけた。
するとこの老婆がここの女将か。
「ぼっちゃんははじめておしたなぁ。」梅鈴さんが愛想のいい顔を僕にむけた。
「ええ。僕は父に内緒でよくここにきていましたが。」と父は言った。
「父さんそれはずるいじゃないですか?僕がこの前祇園で遊びたいと言ったときはだめだと言ったくせに。」僕が子供のようにムキになると梅鈴さんはそれを制して
「私のことを気づかってくれはって訪ねてくれてましたんえ。」と言った。
そしておじいちゃんが生きている間はタブーだった話が解禁となった。
僕は背筋が一瞬ぞくっとしたが、それはあの日の少女とおじいちゃんの悲恋の物語だった。
少女の名前は初子といった。京都の置屋にきたのはあの日少女が話してくれたいきさつと同じだった。その頃は今とは時代が違って、初子のように家が貧しいものがほとんどだったという。鈴子も同じ理由で、初子とは半年遅れで梅紅屋にきたという。
その頃うちのおじいちゃんである鉄男は17歳で、京都の名の知れた料亭で見習いをしていた。鉄男はもちろん鉄鋼会社の跡取りだったが親の敷いたレールの上を歩む人生が嫌で東京から遠く離れて京都まででていた。
鉄男のいた料亭と梅紅屋は同じ通りにあり、初子のおつかいと鉄男の材料の仕入れ時間が重なったりして偶然に顔を合わすことが何度もあった。
はじめの頃こそ挨拶もかわさない二人だったがしばらくして挨拶から二言三言すれ違いざまに言葉をかわすようになり、半年たったある京都のお祭りの日にはたまたま女将さんからでた自由時間と鉄男の仕事の休みの日が重なって一緒に夜店をひやかして歩く約束までし、楽しい時間を過ごした。
舞妓さんになる前の『仕込みさん』の期間はおかあさん(女将さんのこと)からしつけを受け、ねえさん舞妓の着替えやその他こまごまとしたことの手伝いをし、家中の掃除をし、ごはんを炊き、おかずを作り、湯を沸かしと10代そこそこの娘にはきついことが多すぎる。本当のお母さんに会えない寂しさもある。それで誰にも話せない泣き言を小さな紙のきれはしに書いて偶然にでもすれ違った時鉄男に渡すのだった。そしてまたその返事は偶然すれ違うときまでもらうことはできないのだが初子はそれが待ち遠しかったし、鉄男も同じだった。
自然ふたりは惚れあうようになったという。
ところがいよいよ舞妓になる1ヶ月前(仕込みさんから見習いさんになる)に
なった頃、初子は鉄男あての手紙にこう記してあったという。
その内容はだいたいこういうものであった。
もうすぐ水揚げの日がきます。田舎からでてきたときは承知のことでした。相手はおおだなの確かな立派なだんなさまです。おかあさんにも感謝しています。けれど、鉄男さんのことを思うと切ないのです。はじめては鉄男さんにあげたかった。でも、そおいうわけにもまいりません。あなたとの日々はとても楽しかったけれど、今に思えば残酷です。あなたと偶然にもすれ違わなければ良かった。すれ違ったとしても言葉をかわさなければ良かった。
あなたを好きにならなければ良かった。
不慣れな京言葉でそんな内容のことが書いてあったという。
ねえさん舞妓に泣き言を言えず、その頃半年遅れで入ってきた鈴子相手にはよく泣いていたという。鈴子も初子の相談にすすんでのり現実は変えられないけど、少しでもつらくなく水揚げがすませられればと気を使ったが、明日水揚げという段になって初子は『おかあさん、おねえさん、鈴ちゃんごめんなさい』という遺書を一筆残して鴨川に身を投げて死んでしまった。
狭い祇園の中でその噂はすぐ広まり、鉄男は初子の死の苦しみに耐え切れず、東京に戻り、親の会社に遅ればせながら入社した。梅紅屋は恥かきとしてしばらく辛い時期を歩んだがどうにか続けて、年で体が弱くなった頃、子供のなかった女将さんはその頃売れっ子の芸妓になっていた鈴子に跡を継がせたのである。そうして今に至るわけである。
「鉄男さんは自分のせいで初子さんを死なせておいなったと自分を責めておいなはった。しばらくは料亭にいなんしたけど、そうとうお辛かったんどすやろなぁ。」梅鈴はお茶をすすってうつむいた。
僕はようやく納得がいった。
父が祇園で舞妓たちを使って接待をしなかったことを。
おじいちゃんが嫌ったのだ。舞妓の華やかな世界の裏にある哀しい事実を知ってしまったから。
今は時代も変わって水揚げの時の儀式も変わっただろうし、憧れて自らすすんで舞妓になる人も多い。
もっとも舞妓自体の数も年々減っていっているというから祇園の花街の様子もおじいちゃんのいた頃とは様変わりしている。
それはおじいちゃんも分かっていたとは思う。ただ彼女はおじいちゃんにとって初恋の人だったんだろうと思う。
僕はそれから毎年命日になると京都にいく。菊の花束を持って。
もしかしたらあの日のように夕暮れ時に行けば、まだ幼い初子に会えるかもしれないと思った。
そして今度こそは彼女の気が済むまで話を聞いてやりたいと思った。
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