『眠り姫〜現代のいばら〜』
もうどれくらいこうしていただろう
日当たりのいい部屋、頭が軽くうずもる羽毛の枕、カーテンにさえぎられてゆるくなった陽の光が心地いい。
軽くかかる羽毛のふとんに鼻先までうずもれながら、まつげに窓の隙間から入ってきた風を感じる。
部屋に香る淡いバラの香り、今朝も花屋が両手にたくさんのバラをかかえてやってきて、そこかしこに計算して配置された花瓶に生けていく。
赤いのや黄色いのや白いのやピンク色のや・・・。
3日に一度新しいものと交換されるバラ達も今日ので終わりになることを私は分かる・・・。
明日私は死ぬのだから
「花織さんは本当にいい髪質をしてますね」
私は20代前半、某ファッションブランドの販売員をしていた。
百貨店の近くに人気のある美容院があった。そこのスタッフで三好さんという苗字の方が大変お上手で、雑誌の切り抜きを持っていけば本当にその通りにカットしてくれたし、そのカットのままだと私の顔の形にあわないと思えばイメージだけその切り抜きのままにしてくれて、実際は違う手法でカットして私を満足させてくれていた。
最初はあれこれと注文を用意してきていた私も次第に三好さんのことを信用するようになってしまって、すっかりおまかせになってしまった。
それにお話も大変上手ですっかり笑わされてしまったり、嘘の不幸話にすっかり騙されてしまって涙ぐみそうになるところを「嘘ですよ、花織さんはすぐ本気になるから困る」と言う言葉で安心させられたり、本当に人の気持ちを楽しませるののお上手な方でした。
私のことを上の名前で呼んでいたのがいつから下の名前で呼ぶようになったのでしょう。それも自然のなりゆきでした。
私は職場で女のスタッフ達と時にもめたり、言い争ったりもありましたが、基本的にはみんな仲がよく、店をしめたあとでは近くの居酒屋で女同士飲んだりもしました。
その頃私は友達の男の子はいましたし、体の関係だけを持つような軽いつきあいはありましたが特別おつきあいをしているような男性はありませんでした。
私の勤める百貨店とかの美容室は目と鼻の先にありましたが、このあたりでランチをしていてもディナーをしていても、軽く飲んでいてもこうやって仲間と騒ぎながら飲み食いをしていても偶然に会うということはありませんでした。
私は偶然に会うようなことがあればいいなぁと思いながらランチには美容院の向かいの喫茶店でサンドイッチをつまみ、友人と美容院の地下のレストランバーでディナーをとりながらスプモーニという甘いカクテルを飲んだりしていたものでした。
それでも一向に見かけないのでなんだか私はあの人はあの美容院Kという魔法のドールハウスに閉じ込められたからくりのお人形のように思ってしまったりしました。
そのことを友人に言うと「ばかね、そんなふうに考えるなんて花織は変わったところのある人ね」と笑いとばされるだけでした。
私だって冗談で思っていたんです。そして実際そんなことはなかったんですけど、私のどこかでそういうことを夢見る部分があったんでしょう。
私はそのKという美容院に2ヶ月に一度通っていました。
肩を少しすべり落ちるくらいのセミロングでしたし、生まれつき栗毛色の少し薄いような色の髪色をしていたので染めることもありませんでしたからそうしょっちゅう通うこともなかったんですが、三好さんに会いたい一心でした。
それでもスタッフと馴染みの客という域から越えることは私にはできませんでした。
その域を越えてくれたのは意外にも彼、三好さんの方だったのでした。
「花織さんの髪でカットのコンテストに出たいんだ。花織さんの嫌なようにしないから承諾してくれないかな」
それはただ馴染みの客がカットモデルに選ばれたというだけのことにすぎませんでした。それでも私は三好さんと何かひとつのことを目指せたようで嬉しかったのでした。
このことで彼の事を色々知ることができました。
彼がスタッフの名札に書いていた『三好』という名前は苗字ではなく下の名前だということも。
彼は実は美容室Kのオーナーの息子で、そのことで客に区別されたり特別な目で見られるのを恐れてあえて苗字は語らなかったのでした。
美容室Kはここだけでなく若者が集まりそうな場所には支店が数十店ある大きな会社でしたからよく言う親の七光りというようなことを気にしたのかもしれません。
私は三好さんに頼まれてから、三好さんに少し近づけたのとコンクールという三好さんと共通の目標ができたことでなんとなく気持ちに張りがでてきたように思いました。
洋服の販売の仕事は私にとって仲間とのふれあいの場所であり、好きなブランドの服を社員割引で買えるといメリットでしか感じていませんでしたから。
何かふわふわしていた私を三好さんが変えてくれるような気がしました。コンクールの日まではあれこれカットのデッサンを見にくるように言われたり、素人の私に相談を持ちかけてくれたりして楽しい時間でした。
「花織さん心配している?花織さんは髪がキレイだし、染めなくてもいい色をしてるからめちゃめちゃにされないかと心配してるんじゃない?」
私は三好さんの才能を信じていましたからなんの心配もしていませんでした。むしろめちゃくちゃにされても構わないようにも思ってました。
コンクールはうまくいきました。
美好さんは驚いて泣いたりしてましたが私は別に驚いたりしませんでした。お客で通ってるときから信じてました。
私の髪は肩より短くされ私の知らない名前のカットの手法を幾通りもほどこされ、初めて染めた色は少し黒味がかったオレンジでした。
美好さんは帰りのタクシーの中でひどく興奮していました。
「これから我が家で打ち上げというかパーティがあるんだけど、そのヘアスタイルのままでこない?」
私はもちろんオーケイしました。
パーティはおおげさなものではなかったけれど、コンクールに手伝ってくれたアシスタントの人や彼の両親、親類など集まって楽しいものとなりました。
「美好ちゃん、おばさんまさか優勝するなんて思ってなかったから驚いたわよ。ねぇお義姉さん社をあげてもっと大きなパーティもしなくてはいけないわね」と彼の父方の妹が派手な赤い唇をめいっぱい開けて彼の母親の肩を親しげにたたきました。
それから私は次の日仕事に行く前美容院の開店前に呼ばれて髪を直しました。普段スタイリングしやすいようにカットしなおし、素の髪色に近い色に染め直されました。
ああ、これでまたスタッフとただの馴染みの客に戻ってしまうんだなと髪が戻っていくのと同じ速度で思いました。
ところがそれは違いました。
「花織さん、まだ出勤するまでに時間があったら一緒にきてもらえませんか?」
私には断る理由はありませんでした。
それからすぐに私は加賀谷家の嫁になりました。
加賀谷美好・・・彼いえ私のだんなは次男だったので家とのしがらみはほとんどありませんでした。
私はすぐに仕事を辞め彼の奥さんになるために家庭に入りました。
すでに海外で日本人と結婚していた長男が帰国してきてからは、加賀谷の家とはますます縁が遠くなり、美好さんときままな毎日を暮らしていました。
私は元来不精なところがあったのでしょうか、はじめのうちこそ料理洗濯といそいそとして忙しい毎日を送っていましたがだんだん手を抜くことを覚え、家事そのものが面倒臭くなってしまったのでした。
すると美好さんが気をきかせてくれて「それなら前からうちで使っていたばあやがいるからそれにやらせたらいいよ」と一人の初老のまだ体力のありそうな女の人を連れてきました。
私のことを本当の孫かなにかのように「花織さん花織さん」と可愛がってくれ、
炊事洗濯掃除買い物に至るまで家のことはなにくれと不足なくやってくれるのでした。
そしてカナさんと呼ばれるその初老の女は「あらあら美好ぼっちゃまが帰ってくる頃ですね。ばあやはこれで帰りますけど、何か他にありますか?」とエプロンを手早くほどいて手提げにしまいこみ帰ろうとするのです。
「他には別にないわ。お疲れ様」
私はそのすばやさにあっけにとられてただそう言うだけなのでした。
家庭のことは全てしてくれ、かと言って若い二人の生活を邪魔することさえないカナさんを私ははじめこそ不思議に思いましたが、だんだんそれにも慣れてきてすっかり当たり前のように甘えるようになってしまいました。
はじめのうちこそ着飾って元の職場をたずねては休み時間を狙って懐かしいおしゃべりをかつての同僚と楽しんでもいましたが、それにも飽きて・・・というより独身のものと既婚のものの何か違いを感じて疎遠になっていってしまいました。
そのうち近所の若い奥さんと仲良くなるのですが、これもまた同じ既婚者で同年代とは言っても幼い可愛い子供がいたりして、おうちに呼ばれて眺めているうちに羨ましくなってもいくのでした。
美好さんと私の仲は近所の人が噂をするほど良く、実際誰の目にも届かないところでは尚甘いくらいでした。
それでも一向に子供ができないことが次第にストレスとなって私の身に襲ってきたのです。
「そろそろ子供も欲しいね。僕は急いではいないけど、君が心配なら病院に行って検査を受けよう」美好さんは優しく言い、仕事を休んで病院までつきそってくれました。
ところが結果はいいものではありませんでした。
それで美好さんも検査をしました。
美好さんには何の異常もありませんでした。
『不妊症』その言葉に愕然としました。
不妊治療のお話だけ聞いて帰りました。
美好さんは「子供がいないならいないで二人できままに暮らせばいいじゃないか。カルチャースクールに行くのもいいし、長期休暇には旅行をしよう。」
内心のショックをおさえて美好さんはどこまでも私に優しくしてくれました。
スポーツクラブに入会をし、お菓子ばかりを作る遊びのお料理教室に通い、しばらくは気ばらしの楽しい時間が過ごせました。
それでも、そこに通うキャリアウーマンの独身女性、結婚前の期間を楽しむプレ花嫁、子供のお迎え時間には帰ってしまう主婦・・・。
結局スポーツクラブにも(友達のようなものはできましたが)本当の意味で自分と同じような中途半端な人間はいないように思いました。
そういうことを思うのでカルチャースクールに通うことが私の心の荷となり、すがすがしくなるどころか笑顔で仲間と別れたあと憂鬱な気分になるのでした。
それで私はカナさんが忙しく動き回る大きな家のリビングで美好さんが帰ってくるまでテレビを見たり、本を読んだりして時を過ごすのでした。
そのうちそれさえうっとおしくなって、カナさんがめったに入ることのない寝室にカギをかけそこで寝転がりながら本を読み午前中だろうと午後だろうといつでも眠るようになっていました。
カナさんの作った夕食を美好さんとテーブルを挟んでつまみながらそんなことを話すと美好さんは笑って「君は眠り姫だね」と笑って言った。
私は寝室という名のドールハウスに眠る眠り姫。
いつしか自分のことをそう思うようになりました。
そして美好さんに肩より少し長い髪にゆるいウエイブをかけてもらって、何着も寝るための服を買ってもらいました。
その頃には20代も後半になっていたけれど、もともと童顔なのと肌の手入れには気をつけていたので化粧なくても十分キレイだったと思います。
外から入る日差しは心地よく、眠っていると本当に何も考えずにすみました。
ぽかぽかと暖かいふとんの中で目を閉じていると次第に夢の中にひきこまれていくのです。
夢の中には仕事に行っているはずの美好さんが頻繁に出てきました。
美好さんが帰ってきて部屋のドアをノックする音で目覚めることも多くなりました。
「本当によく眠るようになってしまったね。そんなに寝て夜もちゃんと寝れるのだから本当に驚いてしまうよ。」そう言って美好さんは私を人形でも扱うかのように頬をなでて愛(め)でるようにするのでした。
寝室に3日に1度バラを飾らせるように決めたのは美好さんでした。
それから、バスルームを改装してすっかり広くしてしまい、私の髪の毛を洗ってくれると面白い遊びを提案するように言うのです。
私はどんどん自分が人形になっていくような気がしました。
そして本当に人形になってしまいたいとさえ思うようになりました。
そんな生活が1年も続いた頃でしょうか月経もなくなり、食もすっかり細くなった私は何も食べなくても生きていけるような気になってしまいました。
私は1日中寝ているようになったので、おなかがすくこともあまりなく、カナさんがランチとして用意してくれる卵とハムのサンドイッチ(いつになるか分からないので冷めてもおいしいもの)などにもほとんど手をつけることなく、
ただ肌の張りと美しさを保つためにかろうじてサプリメントを水で流し込むような日々を過ごしていました。
私の四肢は次第にやせ細り、とうとう美好さんの夕食につきあうのさえ、テーブルにつくのが億劫になってしまったので、それでも私の顔を見ながら食事をしたいという彼は私を子供の座るようなひじかけのある特別な椅子を買ってきて私をそこまでかついで座らせるのでした。
最早私は鑑賞用の人形になってしまったようなものでした。
ある日彼は目ばかり少し大きく感じるようになった私の顔をなでながら、共にに横たわった寝室のベットの中で言いました。
「僕は君を愛しているよ。君とこうしているだけで僕は幸せなんだ。だから君はずぅっとそのままでいて欲しい。」
私の口元は自然とほころびて微笑んでいるような形を作りました。
「僕はね、もう君は怒ったり反対したりしないだろうから言うけど、君に会ったとき理想の人形を見つけたと思ったよ。だから、君を僕の手で本当の素敵な人形にしたいと思ったんだよ。
ごめんね、今の君なら分かってくれると思うけどどうしてもそうしたかったから、カナさんに頼んでちょっと君の食事やサプリメントに薬を混ぜさせてもらったんだよ。君には子供を産んで欲しくなかった。僕だけの君でいて欲しかった。それから自然と君が人間の輪からはずれていくような作用もする薬だったんだよ。
君は自分の意思でこんな生活になったと思っていただろうけどね。違うんだよ。ごめんね。僕を責めないで。」
彼は色々言葉をつないだけど、それはほとんどどうでもいいことのように感じていた。
実際今とてもおだやかな気持ちだし、毎日心地のよい眠りから醒めればかたわらに愛しい人がいる。
かすかに鼻腔をくすぐる新鮮なバラの香り、そよそよとカーテンの隙間から入る風。
軽くて暖かいふとんと頭がうずもれるほどふかふかの枕。
眠りに入れば愛しい人の夢を見る。
そんな環境を作ってくれている彼に何の非があると言うの?とただ思うだけでした。
「そしてこれでやっと完成するんだよ。僕の人形になってくれるね。」
私は今朝小さなカプセルのお薬をもらいました。
あれから何日がたったのだろう。彼が私に自分の本当の気持ちを告げた日から数えて。
もうどれくらいこうしていただろう。
私は今朝もらったカプセルのお薬を美好さんの夕食につきあった後、飲みました。
だんだん意識が朦朧としてくるのが分かります。
隣りでは微笑みを浮かべながら眠っている彼の横顔があります。
私はこれから無意識の中に落ちていくのでしょう。
そして彼の人形となり生まれ変わるのです。
あれは中学生の頃だったでしょうか、大好きだったおじいちゃんが死んだとき
自分の命が永遠でないことをあらためて感じてぞっとして怖くなったことがありました。
自分という意識が『無』になってしまうことが漠然と怖かったのです。
夜電気を消して目をつむると見えない時間の流れにすごい速さでひっぱられる錯覚におちったことがありました。
そんなことさえもう過去の話で、まるで自分の記憶でなかったようなそんな気持ちでいます。
おわり
◆あとがき◆
かなり病的な小説ですが、心配しないでください
それと影響力があるほど文章力はないので心配ないと思いますが、
この小説を読むことで「死んだほうが楽」とか安直には考えないでくださいね
ただゆみゅうは時々冷静に「生きてる」ってなんだろう意味あることなのかなぁ
と本当は考えてはいけないことを考えてる人なのでそれが今回の小説には強く
あらわれてしまっただけです