『ガラスの水槽』
もう4時間が経った。私はフローリングにごろりと仰向けになって両足を高くあげる。天井に向かってのびた2本の華奢で小麦色で細い足。
昨日買ったばかりのデニム生地のサンダルにあわせてマニキュアを塗るのにこんなにかかっちゃった。だけど、デニムに縫い付けてある薄い生地のピンクの布がつま先にむかってのびてるから、それにあわせてマニキュア塗るの苦労しちゃったよ。
昨日サンダルを買う時一緒に6本のマニキュアを買った。だって実際塗ってみてあわなかったらイライラしちゃうじゃない?それでも、単色で6色まず塗ってみて、今度は考えながら重ね塗りしたり、徳用の除光液が半分も減っちゃったよ。
シンナー臭い匂いがしてるのはそのせい?途中でイライラして壁に投げつけたマニュキアの瓶からこぼれた薄いピンクの液体のせい?
でも今こうしてデニムのサンダルをつっかけたつま先はピンク色のひらひらした薄い色と似合いの色のマニキュアで色どられてる。すごい満足だ。
素肌に着けた細い肩ひもの肌が透けそうなほどの儚い生地のワンピースにも似合ってる。ワンピースごしに伝わってくるフローリングの感触が冷たい。
私はもっと眺めていたかったけど、サンダルをつま先からぬいて木製の棚の上に他のサンダル達と並べた。
白いエナメルにスパンコールが花びらを形どったようについてるサンダルも、夏の太陽みたいにオレンジ色のサンダルも底だけ茶色くてあとは透明なひもだけできてるようなザンダルもある。
何冊という大量の雑誌の中から「これだ!」っていうのがあったら電話で予約もしちゃう。デパートにでかけて何時間も靴屋をめぐったりもする。
白い壁にはガーデニングのように色とりどりのサンダルがつるされてるし、床の上にビニールのシートを貼って並べたりもしてる。
小麦色の細い足、つま先やかかとまで丁寧にケアされた足その最高の足を彩るサンダル。
ガチャ・・・
ノックもなしに妹が部屋のドアを開ける
「ごはんだってよー。お姉ちゃんの好きなハンバーグだって。早くおいでよー。」3つ年下の妹が無邪気に言う
バラエティー番組を見て笑ってる妹の横顔をハンバーグをつつきながら見る。
少し鼻が低いのを気にしてるみたいだけど、そんなのまだいい。
妹はちゃんと人間の顔してるんだから・・・。
濱名 翔子 大学1年生 ほっそりしていながらでるとこはでてるボディ
だけど私魚の顔してるんです。それも深海魚。
美しい顔と上半身そして下半身に魚の部分を持つ人魚はどんなに素敵でしょう。キレイな湖面に下半身を隠して王子様を見つめる姿もさまになるでしょうね。
だけど私にはそれすら許されない。私なにかしたんでしょうか?魔女と契約でもして人間の顔を売ってしまったんでしょうか?
だけど、いいんです。私にはこの足があるから。
家族や友達は私の顔のことにふれませんし、「翔子くらいかわいかったらなぁ」なんておせーじを言ってくれる子もいます。大学に入ってから告白されたこともあったけど、からかわれてるってすぐ分かりました。
マニキュアを何本も試して、除光液で何度も拭いた足の指先は夜いつもにましてお手入れを入念にしても翌朝どうしてもベストじゃないんです。
だからそんな日は外に出れません。唯一のキレイな部分が完璧じゃなかったら、周りの人に申し訳ないじゃないですか。もし無理やり連れ出そうとするなら「ごめんなさい」って会うひと会うひと謝らなければいけなくなる。
だから大学もお休みして家でごろごろしてるんです。部屋いっぱいにディスプレイされたサンダルを見ているだけで落ち着くんです。
夕方になって爪の周りの皮膚がだいぶ潤ってきたので、私は買ったばかりのデニムのサンダルをどうしても履いてみたくって夕食になるまでの間少し外を歩くことにした。
うちから細い道を抜けて大通りにでるとそこは急に賑わいを見せる。流行りのファッションに袖を通した女の子たちが彼氏か男友達と談笑しながらデパートの中に消えていったり、出てきたり、通り過ぎたりする。私はその大通りを足早に横切ってまた細い路地に入っていく。大通りもデパートも苦手だ。サンダルとマニキュア探す時以外は。
細い通りを抜けて公園でブランコでも揺らそうかと思って、微妙に動くキレイなくるぶしに続く小麦色な細くて長いスネ。うっとり。そしてくるぶしから下に続く細い5本の指その上にちょこんとのった桜貝色のエナメルをほどこした爪を時々見ながらウキウキと足をすすめていく。
「ねぇ。そこのひと」いきなり呼びとめられて振り向くとそこには見慣れない赤い屋根のスニーカーショップがあった。
そしてショップの前に屋根と同じ色のベンチがあってそこにショップのロゴのはいったエプロンをしているお兄さんがいた。
「はい?」私はスニーカーに興味はない。せっかくのキレイなつま先をすっぽり隠してしまうスニーカーなんて大嫌いだ。
「ここ、まぁ座ってよ。」お兄さんは眩しいくらいの笑顔でにっこりと笑ってぽんぽんとベンチをたたいた。私は外で座れればブランコだろうがここだろうが変わりはないと思って腰掛けた。
今休憩中なんだとお兄さんは言って、煙草ふかしながら世間ばなしみたいにくだらないことや天気のことなんかを言ったりして休憩時間のヒマ潰しかぁ私はと思った。その間私はお兄さんの話には上の空でアスファルトから足をうかせてサンダルをぶらつかせていた。やっぱり昨日3つめに試した色ともともと持っていたラメを重ねたのは正解だった。私は嬉しくてたまらなかった。
「ねぇ。聞いてる?」ぽんぽんお兄さんが急に私の肩をたたいて下から覗き込む。「え?あ、はぁ」
「この店オープンしたばっかりなんだよね。裏通りだからちょっと人目にもつきにくいし、口込みで常連さんが増えてはいるんだけどね。」
「それで広告を出したいんだよね。新作があってそれを目玉にしたいんだ。それで足のキレイな子探してたんだ。君どうかなぁ」
スニーカーっていうところは気にいらなかったけど、足がキレイって認めてくれたことは嬉しいし、モデル料の1万円も気にいった。その広告はショップ紹介の雑誌に載るのと店にも大きな看板にひきのばして広告を貼るんだという。
スニーカーからのびるスネだけのモデルで1万円はもらいすぎのような気もしたけど、何日か経つとそんなことすら忘れかけていた。
ある日大学に行くとちょっとした騒ぎになっていた。英米文学の教室に入るといつも行動を供にしてる奈子と沙里が雑誌片手に走りよってきた。その後ろから普段あまり喋らない人たちまでおずおずとついてきてる。
その雑誌に見覚えのあるショップの名前があった。赤い屋根のあのお兄さんの店だ。
あー載ったんだ。まさか私が履いてるなんて気づくわけないし。ひそかにみんなも知ってる店だったのかなぁなんて思ってると、「翔子でしょ?コレ」奈子が裏返った声を出した。そこにはなるほど私の顔があった。
私は授業どころじゃなくなって奈子から雑誌をひったくってお兄さんのスニーカーショップに走った。
息きって入ってくる私にお兄さんはびっくりしたような顔をしてそれでもなんとか「やぁ」と言った。
「今日雑誌にうちの店載ってからねぇ予約の電話が殺到しちゃってすごいんだよ」お兄さんは他にいる客におかまいなしに満面の笑みで私の手を握る。
「スニーカーはいくつか載せたじゃん?だけど、君が履いてくれた新作への予約がすごくてね。やっぱり僕の目は確かだったねぇ。すごくかっこよく履きこなせてたもんね。」
「顔が載るなんて聞いてなかった・・・」
「足だけ載せたって意味ないでしょう?それにそんなにスタイルも顔もいいんだから。」
私は耳を疑った。顔がいい?何度雑誌を見てもそこには深海魚の顔をした自分がいるだけだ。ショップの表にひきのばされた雑誌に載せるために撮った写真のひきのばしだって深海魚の顔した不細工な私がキレイな足にスニーカーを履いてるだけだ。
「お兄さん・・・今夜仕事が終ったあとちょっといいですか?」
私はお兄さんに聞きたいことがいっぱいあって自分から近所の芝生のいっぱい生えた土手に誘った。
私は早めの夕食をすませて夏の少しべたべたする空気を肌に感じながら土手を歩いた。まだ、お兄さんが来るには少し早い時間だった。
「夏だから陽が長いな」
背後のお兄さんの声がした。
「で?何の用だった?」
私、濱名 翔子は深海魚みたいな顔でもなんでもなかった。自分の顔が魚みたいだと思ったのは生まれた頃からでも物心がついた頃からでもない。
お兄さんに昔の自分の思い出話をしたくなった。話しているうちに自分の過去がネックレスの鎖をほどくようにゆっくりだけどほぐれてきた。
中学生の頃好きな男の子がいた。ちょっと遅い初恋だった。ふざけあってる仲のいいメンバーとは違っていた。中学になって他の小学校からきた子で同じ小学校から来た子とばかりつるんでた。まだ入学して1ヶ月もたたない頃だったからしかたなかったかもしれない。
それで気になってる男の子のことをその頃仲良かった加代ちゃんに言った。そしたら噂はまたたくまに広がった。思春期で恋とか愛とか男子とか女子とかに変に敏感な年頃のクラスメートは私とその男の子をはやしたてた。黒板に『あいあいがさ』なんてものも書かれたと思う。
照れながらも私はけっこう嬉しかった。だけど、その男の子は恥ずかしかったんだと思う。ある日の朝教室に入ると黒板いっぱいに大きな魚がチョークで書きなぐられてあった。それはどこかの会社の脂ぎった重役のようなふてぶてしい顔で不細工な深海魚だった。そしてご丁寧にもその深海魚の上に赤いチョークで『濱名 翔子は深海魚だ!俺は人間様だから深海魚と一緒にするなよ!』と。
それから少し私はいじめられたように思う。加代ちゃんも私から離れていった。仲間はずれみたいにされたのは1週間くらいだったと思う。だけどその間に私はだんだん自分が本当の深海魚みたいな顔になってしまったような気がしてきた。
加代ちゃんが戻ってきて友達が増えても楽しい学校生活がはじまっても心の中にそれだけが残った。鏡に写る顔さえ深海魚に見えた。生まれた時からそんな顔だったような気がしてきた。そのまま大人になった。
私は土手の上でお兄さんの胸を借りていっぱい泣いた。つま先が芝生を蹴って下の土がくっついても気にならないほど我を忘れて泣いた。
お兄さんの胸から顔を離してふとお兄さんの手のそばに置かれた雑誌のページをめくった。「それ店に忘れていったでしょ?」
赤い屋根のスニーカーショップの前でスニーカーを履いた女の子は奈子や沙里よりも可愛い笑顔の似合う子だった。
そしてその子は私に間違いない。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーEND。。。最近美容整形したい子や自分の顔にコンプレックス持ってる子が多いけど、それが誰かの心ない一言のせいだとしたらすごく悲しいこと。