荒川 長実
川中島の戦いは前後5回行われたが、そのなかで、武田・上杉双方の主力が激突し、白眉の一戦とされるのは、永禄四年(1561)九月に繰り広げられた戦いである。このとき八幡原に本陣を置いた武田信玄は乱戦のうちに上杉謙信に斬りつけられたといい、両雄の一騎打ちは「甲陽軍艦」などによって広く宣伝された。
しかし「上杉家御年譜」はこの説を退け、実際に信玄に斬りかかったのは荒川伊豆守長実だったとする。すなわち「荒川伊豆守馳せ来たり、信玄を見すまし三太刀ぬき合わす間もなく、団扇をもって受けはずす。すでに危うかりしところに・・・・・」
荒川長実は、上杉軍の先陣として得に選び出された五人の旗本の一人というが、その来歴ははっきりしない。天正三年(1575)の「上杉氏軍役帳」第十七位に荒川弥次郎の名がみえており、長実はその一族ではないかといわれている。