山吉 豊守
越後守護代の三条長尾氏に仕え、三条城を領した。永禄十二年(1569)以降、旗本として謙信の側近にあり、奏者の地位を占めた。天正三年(1575)の「上杉氏軍役帳」を見ると、軍役377人と家中最多人数を負担したことがみえている。 戦場働きのほかに、主として小田原北条氏との折衝にあたり、越相同盟の成立に深く関わった。天正五年六月。三十六歳をもって病死。