奪え! 青龍旗!!
由里は一目散に自宅へ急行した。
今日姉の鞠は非番であり、家でごろごろしているはずである。
しかし、夕方遅くになると、同僚や悪友から誘われて居酒屋へ出かけてしまう。
「急がなきゃ!!」
由里には独自の剣道哲学があった。
多少のいじわるは許しても、姉のごときいずみの姿勢には許せない。
とりあえず姉に一言ってやらないと気が済まない。
四階建ての賃貸マンションの三階が由里の家だ。エレベーターが一階にあるのを確認すると、階段をぽんぽんと駆け上がる。
「ただいまぁ!」
「あ〜、ゆりおかえりィ〜」
声は姉の声である。玄関から台所を通してすぐにリビングが見える。
よく見ると、テーブルに500ogのビール缶が三本立ち並んでいる。
すると今手にあるのは四本目か??
一旦おとなしく自室に戻ると、酔っぱらった姉をいかに攻めるか考えた。
姉の鞠は笑いじょうごである。
だから酔っぱらうと、重要な話も大した事のない話題に変化し、最後は笑い飛ばされておしまいになるのである。
「さて・・・・・おっ!」
ふと思いついた。
姉は警察官になったほどだから正義感は強いはずである。
であれば、正義感をくすぐって怒らせ、正気に近づけておいていずみちゃんの件を持ち出し、酔っぱらっている姉を論破して勝利する。
つまり、水は凍らせて砕く作戦である。
「名付けて、氷点下作戦!よし! 行くかっ!!」
まるで試合に乗り込むような勢いで由里は姉の居るリビングへ向かった。
リビングではいつもより大きなテレビの音が聞こえる。
「おねぇちゃん!、私もビール飲ませてよっ!!」
「いいよっ!!ほれ、えびすだぞ!」
ポカーン・・・・・
返す言葉がない。
予定と違う展開なので、うろうろして途方に暮れていると、視界に見たことのない大きなテレビがある。
「え?! なにこれ?」
「ふっふっ、気が付いたな、32型のデジタルハイビジョンだよ! 感謝しろよこの姉に!!」
「ほえーすごいすごい!」
テレビ台の下に見える機材はあのDVDである。
だが残念なことに、映画のソフトは、タイタニックと、SWファントムメナスだった。
「なーんだ、全部もう見たよ」
「ところで何? 何か用だったんでしょ?」
由里は「はっ」とする。
恐るべきは大型テレビである。
いつの間にか、完全に場の主導権は、姉に握られている。
「あー・・・何でもないや」
「そう? ・・・・ところでいずみちゃん元気?」
「う、うん、元気だよ」
由里は一旦作戦を中断した。力無くいすに座り込む。
「ほれ! 酒などどうじゃ?」
「私未成年だってばっ!!」
「えー中学生はビールくらいいいんだよ」
その言葉に由里はため息をついた。
翌日。
大会まであと一週間である。
素人だった香里と静香も、それなりに形になっている。
今回の大会で重要なのは、団体戦で三位までに入ることである。
そうすれば、都代表として全国への道が開けるのだ。
もちろん、個人戦を目指す力のある剣士もいる。
それは白石先輩といずみにひかるである。
よってこの三人は、二つの目標があることになる。
唯一の三年生である白石先輩が来るまでに、
四人は掃除を終え、着替え終わり、ひかるの号令で素振りを開始した。
「すぶり〜っ! はじめっ!」
「ヤァッ!!、1・2・3・・・」
冷たくなってきた秋の風が窓から吹き込んでくる。
四人の少女たちにとって風は、鍛錬の手伝いとなった。
近頃の練習は、ほとんど二年生がリードするようになっている。
白石が学園祭の事で練習に出れなかったことが二度あったが何の問題もなかった。
むしろ、互いの問題点を自由に指摘し、修正し合える総点検ができた分、
形の決まった練習より、遙かに能率が良かった。
試合に対しての構想力を身につけた新人2人は、すでに立派なレギュラー選手に成長していた。
「みんながんばったね、いよいよ明日試合ね、ここまでがんばったから、十分な結果は自ずと達成できるわ!
私が保証するよっ! だから、今日、みんな早めに寝るのよっ!」
息を切らしながら語る白石の表情が、二年生四人に勝利への自信と確信を掴ませた。
「しつれいします!」
防具を背負い、みんな揃って剣道場を後にする。
「じゃ、明日7時に駅だからね」
明日、この日のためにみんなはがんばった! もうやるしかない!。
そのとき、関東地方に弱い地震が走る。
大騒ぎしている五人の生徒を、頼もしげに見つめる顧問の上杉は、
明日の綾瀬武道館は、これまでにない激戦になるだろうと予感した。
とうとうきたーっ!! 都大会当日がやってきた!!
昨日の晩ご飯は豚カツだったし、○○○も飲んでゆっくり寝たし!
言うことなし! 体調万全! ついにきたーっ!!。
綾瀬武道館に早々と到着した五人は、入り口に近いところに円陣を組む。
各々持ってきた敷物を下に敷き、ようやく重い防具から解放された。
「おもー」
「ほんと、着ているとそうでもないのにね」
周りを見ると、車での送迎が結構多いらしい。
うちの顧問、上杉先生は、免許は持っているらしいが車がない人である。
次々に到着しては楽々降車する人たちが羨ましい。
いずみとひかるは武道館は初めてではない。
だが、香里と静香は初めてなので、その変わった建物に大騒ぎである。
外回りを一周して満足した二人が戻ってくる。
「すごい! でも、足立区なんかにこんなのがあるなんてなんだか変!」
これは香里の感想である。
「ねぇ、おごるから裏のセブントゥエルブでジュース買ってこない?」
「先輩! いいんですかぁ!!」
早速使いっ走りのじゃんけんが始まる。
「じゃんけんぽん! で、だすんだよ」
「いずみっ! そんなことするかぁ?」
「もう! 私がいくよ、じゃんけんぽん で、いくのね?」
「もう! ひかるまでするかぁ!!」
大騒ぎだったが、結局いずみが行くことになった。
「えーっと、コーラと、はちみつレモンと、アクエリアスと、ぽかりすえっと」
物覚えが悪い方なので、こういうことにはあまり自信がないいずみである。
コンビニにたどり着くまで眉間にしわを寄せていた。
「ありがとうございましたーっ」
無事に買い物を終える。
ジュース四本ぐらい買うのに大変な苦労である。
でも、帰りはにこやかに好きなアニメの歌を口ずさんでいる。
「はい! おまたせ!」
「ありがとうイズミン!」
「じゃぁ、まず、先輩がはちみつレモン、香里がこーら、静香がポカリで、ひかるがアクア・・・あれ?」
「ぶーっ!! イズミン自爆ぅ!!」
「いずみさん、ひょっとして昨日寝てないの?」
みんながいずみをいじめる。理由は、いずみ自身のジュースを買っていなかったのだ。
「ありゃりゃ・・・」
いずみは肩を落とし、もういちどコンビニへ足を運んだ。
がっくりと肩を落として歩く姿を、一人の男の子が不思議そうにみている。
「どうした三枝? なんだ、お前あんなのがタイプか?」
「ちがうよ、あれは野原いずみだ、剣道続けてるのか、こりゃ女子に警告しておかないとな」
三枝という男の子は、女子剣道部員にこの事を伝える。
「ふーん、で、強いんだ、あの制服は何処の学校? あれきっと私立でしょ?」
せっかく最高の情報を教えているのに、感謝のないかわいくない反応である。
「何言ってるんだい、団体一回戦で当たるジャンヌ学園だろ! 部長のくせにしっかりしろよ!」
部長のくせに! そう言われて彼女は腹が立ったらしいが、その矛先はいずみに向けられる事になる。
「ふんだ! 私立の柔い構えなんて、世田谷17中の紺野陽子がうち破ってあげるわ!」
一方、いずみはというと、冷蔵庫に頭をつっこみ、何十種類もあるジュースの前でどれにしょうかと迷っていた。
「うーん、どれにしょうかなぁ、みんなおいしそうだよ・・・」
いずみがたった一本の飲み物で悩んでいる頃、ようやく上杉先生がやってきた。
学校ではけっして見ることの出来ない背広姿である。
清潔だが、だらしない洗いざらしの髪はオールバックで整えている。
しかも、お洒落にサングラスなんかかけている。
ジュースを飲みながら、ひとときの団らんを楽しんでいた四人は、声をかけられるまで自分たちの顧問だとは判らなかった。
白石だけは早いうちに見分けた様子である。クスッと笑った。
「わーっ、だれ? どこの顧問だろうね」
「うらやましー、上杉せんせはプーだもんね」
「・・・ポッ」
それぞれに感想があったが、先生だと判ったときには大騒ぎである。
「そんなに驚くなよ、失礼だなぁ、時間は早いが入るぞ」
香里が、いずみがまだ戻っていないことに気づく。
それを受けて、ひかるがコンビニまで走った。
ひかるが店内に入ると、いずみは冷蔵庫の前で凍り付いている。
「こらっ! 何してるのよ! こんなところでっ!!」
「ひかる〜っ、みんなおいしそうで選べないよ〜っ」
その気持ちは分からないでもないが、すでに選択時間は終了である。
それどころか、彼女はジュースを飲む時間さえ失っている。
腹が立ったひかるは、バスに乗り遅れた親友を強引に店外に連れ出した。
ひかるに引きずられたいずみは、せめてお水を飲ませて! と懇願したが受け入れてもらえない。
「おい! 久しぶりだな、野原」
「ほへっ?」
声の方を見ると、なんだか見たことがあるような無いような男の子が立っている。
「誰? ですか?」
「おれおれ、さえぐさ りょうじ」
「へ?」
いずみは全く覚えていない。双方目が点になる。
遠くに引きずられて行く女の子を、三枝はただ見送るだけだった。
みんなに遅いと注意され、涙ながらに事情を話したいずみは、先輩に120円を返した。
「じゃ、ご飯の時までおあずけね」
先輩はくすくす笑う。
「よし! いくぞ!」
先生の号令で一斉に防具を背負うと、勇んで試合場に乗り込んだ。
会場は以外と広い。すでに素振りを始めている学校もある。
早速着替え終わった5人は、本日のスケジュールを確かめる。
午前午後とまたいで、2時頃まで個人戦が開かれ、ベスト8が選出される。
その八人が大阪で開かれる「青龍旗」個人戦の出場者となる。
その後、3時から、選抜された16校によって団体戦が開かれる。
青龍旗団体戦への出場資格は3位までの学校が選ばれるのだ。
「おーい、それじゃ大会用のゼッケンを渡すぞ」
五人とも連番である。手渡された番号は13番から17番だった。
いずみは迷信を信じない方だったから、真っ先に13番を手にしたが、
白石先輩が横からひよいと取り上げた。
先生はそれぞれが手にした番号をメモすると、大会への正式登録のために席を外した。
ゼッケンの番号は、野原いずみ17番、藤本ひかる16番、中山香里15番、源野静香14番、白石由里13番と決まった。
各学校の登録も終わり、一斉に個人戦トーナメントの表が張り出される。
表の前では、ため息と歓声が激しく交差した。
「まだ勝った訳でもないでしょうに」
ひかるはお気楽な他校の生徒を横目に笑う。
トーナメント一回戦は、一人を覗いて幸運なもので、新人の二人も二回戦への期待が持てる。
問題は除かれた一人である。
「ひやぁ・・・」
いずみは壁にもたれて背中を丸めている。
彼女の一回戦の相手は、商大付属の3年生である。
商大付属のレベルの高さは、剣道経験者であれば聞いたことくらいはある。
顧問の上杉と白石も、いずみ同様にショックを隠せない。
「先生、いずみちゃんの相手、村崎京子さんって、去年準優勝の!?」
「これがアニメなら、野原は勝利して優勝まで行くんだろうが、現実だからなぁ」
何はともあれ決まったものは仕方がない。
五人の中で一番最後に望むのがいずみである。
試合準備のアナウンスが聞こえるまでの間、彼女は「がおがお」言いながら武道館をさまよった。
皆の予想通り、いずみ以外の四人は二回戦へ駒を進める。
面を締めるいずみのまわりには、彼女を応援するために全員集まっていた。
「いずみ! だいじょうぶだよ!」
「がんばれイズミン!」
みんながまわりにいてくれるのでなんだか少し安心できる。
ほんの五分前まではずいぶん落ち込んでいたが、今は不思議と気が充実しつつあった。
ある意味開き直りに近かったかもしれないが、
初戦突破によるみんなの高揚感が、いずみに感染したのかもしれなかった。
一方、対戦相手の商大付属は、まさかの敗北が続いている。
参加した三年生8人のうち、すでに5人が敗北している。
二年はかろうじて善戦しているものの、一年生においては全敗だった。
敗戦ムードは、感染力が強い。
「私が勝って、一位から三位までを独占すればいいのよっ!」
心配する後輩に笑顔を向ける。
金具越しの笑顔にあるこわばりを、後輩らは感じ取っていた。
上杉はいずみにアドバイスする。
「ジャンヌは全員勝利しているが、商大付属は上位校なのに敗色が濃い、
相手は主将だから動揺はある、野原、勝てるぞ」
叩かれた肩から力がわいてくる。
「せんぱーい!」
「イズミンがんばっ!」
双方声援を浴びて向かい合う。
礼を済ませ、膝をついた瞬間、いずみはまず、強力な体当たりで相手の姿勢を崩そうと計画した。
それは相手にプレッシャーをかける彼女の常套手段だった。
両者審判の誘導で中央に立つ。白石が結んでくれた赤いはちまきが揺れる。
深呼吸しながら面金具越しに相手の目を見る。
「あ、この感じ、強い人だ」
いずみはそう感じた。敵もいずみをそれほど格下とは感じていないようだ。
「はじめっ!」
「やあっ!!」
先はいずみが制した。
小手の後、面へ流れた竹刀だったが、相手の柄革(竹刀の握るところ)に目標が変わる。
「来るッ!」商大付属の村崎は、体当たりに抗する程の余裕がなかったので、まともにいずみの体重を受けてしまった。
握られた竹刀は、バランスを取るために、利き腕のみにその身を預けた。
「チャンス!!」
村崎がなんとか転倒を回避し、竹刀が正眼に戻りかける。
左手が柄革を握ろうとしたとき、いずみは竹刀を絡め、栓を抜くように相手の竹刀を場外へ吹き飛ばした。
「いやぁ!! 小手ぇ〜ぃ!!」
いずみの透き通る声と重なるように赤い旗が一斉に上がる。
「一本!」
開始早々の一瞬だったが、注目していた観衆はどよめきを発する。
「な、なによあの子ぉ・・・」
商大付属の2年生や1年生から、「ずるい」とか、「ひどい」とかヤジやら避難やらがでる。
「何? あの子?」
一回戦突破し、余裕で見学していた世田谷17中の紺野陽子は飲んでいたボトルを落とす。
三枝はちょうど一回戦が終了したところだったが、タイミング良くその一本を目にすることが出来た。
ジャンヌの四人は抱き合って全員ぴょんぴょんと跳ねている。
上杉のそばに、彼と同年代くらいの男が近づいて声をかけた。
「上杉、久しぶり! お前んとこすごいなぁ、男でも最近、ああいう剣道はしなくなったよなぁ」
「よ! 後藤ちゃん、話は試合が終わってからな」
関係者のみでなく、全員の視線が一つの場に引きつけられた。
問題はこのリードを維持し得るか否かである。
五分三本勝負なので、このまま逃げ切ってもいずみの勝ちである。
残り4分30秒くらいなので、サッカーなら完全にキープに入るのだろうが、剣道はそうはいかない。
中央で仕切り直し、二本目がはじまる。
いずみは守りきる勝ち方は頭にはない。
彼女の頭にあるのは、もう一度全力で体当たりする心構えだけであった。
審判の開始合図とともにいずみは飛びかかる。
今度はさすがに村崎も構えが出来ている。
そうそうには同じ手はくわないらしい。両者は反作用で引き技を狙ったが外れた。
いずみはとにかく押した。
彼女のファイティングスタイルでは無かったが、とにかく勢いに任せて押しまくった。
その理由は、主導権がいずみの手中にあるからである。
とにかく、主導権を奪われまいと攻め続けていた。
彼女に時間切れの戦法は無かったが、時間が経過するにつれて次第に緊張が解けてくる。
周囲で見ている者からでも、次第に変わってくるいずみの様子が見て取れた。
やがて疲労により、いずみは攻撃が鈍ってくる。
そんなとき、マイペースを取り戻させるイベントが発生した。
開始から4分後の場外である。
「村崎! 頭と体を動かせ!!」
向こうの学校の顧問だろう、大声のアドバイスが聞こえる。
いずみはみんなの方を見る。
みんな楽しそうに手を振ってくれるので、つい手を振り返してしまった。
その行為を勝利予告と受け取った観客からどよめきが起こる。
いずみは状況を察して顔を赤らめた。
ここまではよく攻め続けてきた。
しかし、緊張が解け、テンションが安定した分だけ、いずみの攻撃力もまた低下した。
彼女自身もそれが判っていたので、次からの攻撃姿勢を冷静に考える。
わたしの長所は何だろう?
再び中央で敵と向かい合ったとき、その答えはすでに出ていた。
いずみの本領は後の先を取ることにある。
それは彼女の感性に由来するものだった。天賦の才である。
開始合図早々、いずみは押され始めた。
商大付属の生徒から歓声が上がる。
ジャンヌの応援陣五人からも、負けじと応援が始まるが、香里と静香は心配顔である。
白石は「だいじょうぶだよ」と二人の肩に手をまわした。
村崎は執拗に攻めてくる。
いずみは相手を誘い込む手口が見つからないままずるずると戦っている。
「わたしの体力が落ちたと思ってるのかなぁ?」
敵の単調だが巧妙な攻めに、いずみは不満と焦りを覚えた。
互いに決め手をつかめないまま時間だけが経過していく。
戦い方を変えたのか? 攻勢にあった相手が、急に間合いを開いてくる。
いずみは手を焼いていたので一瞬ほっとするがそれは束の間だった。
次の瞬間! 飛び込み面でも届きそうもない距離から相手が振りかぶってくる。
「面ン〜!」
「わぁ!」
相手の体が途中からクンと延びてきた!。
いずみは体をのけぞらせ、竹刀を掲げて何とか防ぐ。
「あ! これ鞠姉さんのスキップ面だ!」
いずみは警察署で剣道を習っていたとき、白石の姉「鞠」が重要な場面でこの技を使っていた事を思い出す。
同時に、この技には弱点があることも思い出した。
「今度使ったら最後だよ」
いずみは何とかもう一度使わせようと努力する。
しかしそうさせる事はかなわなかった。
長いつばぜり合いが審判によって解かれる。
しきり直しの途中、いずみはふと時計を見る。
「あ、五分だ」
彼女にとっては何ともすっきりしない勝利の瞬間だった。
その後、惜しくも二回戦で香里と静香は敗退した。
しかし、白石・いずみ・ひかるの三名はとりあえずベスト8にはいる。
そして準決勝に臨む第三試合にひかるは挑んだ。
このとき、白石は早々と準決勝に駒を進めている。
ひかるが勝てば、白石と同校同士の戦いになる。
白石が白いはちまきをひかるの面紐に結びつける。
その間ひかるは天井の水銀灯のひかりをじっと見ていた。
クイクイっと面が後ろに引っ張られる感じが心地よい。
「世田谷17中の紺野さんかぁ」
小学生の頃、四級への昇級試験で彼女と一緒だったことを思い出す。
紺野とひかるは同級だが、相手は今や部長を勤めていると言う。
ジャンヌは高校もそのまま持ち上がりなので、二学期になっても三年生は現役である。
公立だが進学色の強い17中は、3年の部活動は一学期までで終了とされている。
だから彼女は部長なのだろうが、ひかるは自分が遅れを取っているような敗北感を感じていた。
審判が双方の準備が整った事を確認して中央に誘導する。
このときひかるはいつもの覇気に欠けていた。
開始の合図で二人は互いに気合いで牽制する。
紺野は、ひかるの竹刀が下がり気味なのに目を付け、ひかるから竹刀を取り上げようとする。
この行為はいずみの初戦を意識したものである。
「そうはいくかっ!」
右手は竹刀から離れてしまう。
しかし、しっかり握られていた左手が、そのまま天高く竹刀を導いた。
「めん!!」
右手を添えながらの面である。
ひかるらしいきれいなフォームだったが、紺野が感良く首を傾けてよけたので、有効打突とはならなかった。
「あっ!! そこで体当たりで連続技だよっ!」
いずみは大声でアドバイスしたが、すでにひかるの竹刀は動きを止めている。
体制を立てなおした紺野は、その声の主いずみを視野に入れる。
彼女の言うとおり、あの瞬間に崩されて連続技をかけられていたら良くて場外だった。
「あぶないあぶない」
しばらくは攻守を替えながら打ち合っていたが、開始2分32秒後、紺野の抜き胴が決まった。
原因はひかるの不用意な飛び込みが原因であった。
いつもならそんなミスはしない子である。
その様子に不安を感じた顧問の上杉は、白石達まで沈み込んでいるのに気づいた。
「こりゃ相手に飲まれるぞ、おい白石、おまえら大声で声援送ってやれよ」
「あ・・・」
四人ともひかるが心配で声を出していなかった。
「ひかるぅ!!」
「ひかるんがんばッ!」
しかし応援も虚しく、しきり直しの直後、紺野が放った小手が審判全員の旗を揚げさせた。
ひかる対紺野の一戦が終わった。
陣地に戻る彼女を一同は迎える。
「ひかるぅ・・・」
彼女の性格からして、ひどく落ち込んでいるかと思ったが、なんのことはない。
「あ〜あっ、負けた負けたっ!」
ずいぶんとさっぱりしている。
それを見たいずみは、ほっとして面を取った。
いずみの対戦相手は、ひかると戦った紺野の後輩、17中の一年生である。
ベスト8ともなると経験が大きく作用するようで、残っている一年生は彼女ともう一人くらいである。
「ブランクがあった分、私も一年生と同じだよ」
いずみの面紐に、白石が赤いはちまきをくくりつける。
「いずみちゃん、がんばっ!」
先輩にぽーんと押し出され、相手より先に試合場に上がった。
相手の様子を見ると、あたふたと面をつけている。
流石は一年生かわいいものである。
たれの名札を見ると、山口の文字と、その下に小さく智とある。
「兄弟でも居るかね?」
見回すと、そのそばに山口と澪の文字があった。
「澪? なんてよむのかねぇ??」
試合の前なのに随分と余裕である。
理由は、前の試合を見る機会があったので、相手の力量は計算済みだったからだが、
とはいえ、結果は試合を終えてみないとわからない。
はちまきを結んでくれた白石に軽く一礼すると、いずみは敵と向かい合った。
向かい合った相手、山口は、めずらしくいずみより背が低い。
これまで練習にしろ試合にしろ、自分より背の高い者と組むことが多い
いずみである。
「さてさて」
どう戦おうかと思考をめぐらす。
中央に立つまでの数秒で戦法を思いつく。答えは簡単だった。
背の低い者が高い者を相手にする戦法は、いずみがよく知っているのである。
だから相手の戦術を封じ込める事を考えた。
「はじめっ!」
主審の合図で双方剣先を合わせる。
「こりゃ最初は小手だな」
いずみの読み通り、小手から仕掛けられる。
素早い飛び込みのまま不意を突く体当たりが来たが、相手はいずみより遙かに線が細かったので問題は無かった。
それを ほわっ と受け入れ、つばぜり合いからの仕掛けにもちこむ。
背の低い山口にとっては嫌な体制になる。
いずみは面越しに相手の表情を見た。
相手は面を警戒しているらしい。表情からそう感じたのである。
「えぃっ!!」
思いっきり相手をはねのけたいずみは、少し大きめに振りかぶり、山口に面を防御する時間を与えた。
すると、相手の小手に隙が見えたが、いずみは初めの感に従った。
「胴ぅ!!」
剣のきれいな返しに赤い旗が三本上がる。
とりあえず引き銅で一本である。
山口の顔を見る。するとふぐのようにほっぺたを膨らませている。
やっぱり一年生、負けず嫌いのようだが、仕草がなんだかかわいい。
いずみは年下の剣士に興味を持った。
この感情が、やがて熱心に下級生を勧誘し始める原動力になる。
しきり直しの後、ふたたび剣先を合わせた瞬間! いずみは自分の体に引っ張られた。
体が実に自然に流れていく。
「小手ぃ〜」
無意識に、反射的に放った技が決まった!。
「ありゃ、今のはすごいぞ?!」
時計を見ると、まだ一分も経っていない。
いずみはたいして汗もかかずにベスト4に駒を進めた。
つづく
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