風の生き様−1 映りゆく夕焼け
……ここは……どこだ?
どこか見覚えはあるのだが、少なくとも今までいた場所とは違う、そんな場所に立っていることに気づいて、彼は声にならないつぶやきを発した。
……ここは……子供の頃住んでた場所、か?
だんだん頭に情報が入ってくる。思い出してくる。
そうだ、雨が降っていたんだ。なのにあいつはあのポケモンが心配だからって傘も持たずにでていって。
彼、少年の右手には広げられた傘が握られていて、左手には閉じられた傘が握られていた。
いつもだ。
雨の中、予想通り彼女はそこにいた。
傘も差さずに。
少女が一人、ずぶぬれになりながら広場の土管を覗き込んでいる。土管の中では汚れたがーディがふるえている。
ちょっとは自分の心配をしろ。
少年は少女のそばまで寄っていき、傘を差し出す。
「そんなに濡れちまったら風邪引くぞ。もう家へ帰れよ」
少年はそう言うが、少女は首を横に振って帰ろうとしない。
「だって、この子おいていったら、この子が風邪引いちゃうよ。おいていけないよ!」
今にも泣き出しそうな表情でそう叫んで少年の服の裾をつかむ。少年が差しだした傘が地面に落ちて、音を立てた。
いつもそうだ。自分のことを心配せずに。
少年はため息をひとつ付いて言った。
「わかった。こいつは俺が連れてかえって面倒見るから、おまえは家へ帰れ」
少年がそう言うと、少女は少し安心したのか少し表情をゆるめて少年に言った。
「ホント? 約束してね。……ありがと」
そう言うと少女は、先ほど落ちた傘には気づかず、彼女の家へと帰っていった。途中、心配そうに何度か振り返りながら。
いつもそうなんだ。
「くぅ〜ん?」
少女が走り去った方向を見つめている少年の足を、土管の縁まで出てきたがーディがズボン越しにがなめた。
「よしよし、もう恐くないぞ。とりあえずおまえ、うちに来い」
少年はそう言ってガーディを左手で抱き上げると右手で器用に落ちた傘を拾い上げて自分の家へと帰る道へ向かった。
そして、いつも後始末は俺がすることになるんだ。
少年の心のつぶやきは、少年自身の心の中に吸い込まれていった。
半開きの雨戸から朝日が射し込み、スバメやポッポのさえずりが聞こえてくる。
そろそろ秋も深まってきた最近は、朝の空気もめっきり冷たくなってきている。薄着で寝ていると風邪を引きかねない季節である。
「ハーックション!」
ポケモンセンターの寝室で寝ていた青年は、朝の冷たい空気と自分自身のくしゃみによってその朝起こされた。
こんな季節にタンクトップ1枚と半ズボンで寝ているからこういうことになるのだが、おそらく本人に自覚症状はないだろう。
青年の名はフロート。つい最近までは裏世界の運び屋「ダーティ・ライオン」として活動していたのだが、とある事件をきっかけに運び屋は終了、気の向くままに旅をしていて「ダンディライオン」と言う名前で通っているポケモントレーナーである。
そのフロートだが、寝起きで表情がさえないのはわかるとしても、先ほど1個のモンスターボールを見つめながら、からどこか締まりきらない表情で何かを考えている。
「さっきのは……夢だよな。懐かしい、つーか忘れてたな。あんなこと」
封印したはずの日々の記憶。自分とはとっくに縁の切れた世界のことを夢見ていた。あのころの幼なじみも、今はどこにいるかわからない。名前は、確かミナといったと思うが、今となってはどうでもいいことである。
あのころの唯一の記憶がそれであり、フロートが今手に持っているモンスターボールに入っているウィンディとの出会いだった。
「もう、十年以上前のことだしな……」
久しぶりに懐かしいものを夢に見て、いろいろなことを忘れているフロートだが、そんなことには気づく様子がない。たとえば朝食とか。それから着替えとか。そう、彼はいまだにタンクトップ1枚と半ズボンの姿でベッドの上に座り込んでいた。
「ハ、ハ、ハーックション! ……まず服着るか……」
人間の予感というものは非常に恐ろしいものである。
こんなところからすでに予兆が感じられていたのだ。今回の事件は……。
その不思議な因果にフロートが気づくのは、まだ少し後。
そう、秋の夕日が空を赤く染め上げる頃になってからである。
ここは、ワカバタウン近郊の街道。この世界では南のほうに位置するここら一帯では、秋と言ってもまだずいぶんと暖か、あるいは暑い日々が続いている。
今日は秋にしては暑い日で、太陽はすでにずいぶん傾いてきているのにまだまだ少し運動をすれば汗がにじむほどの気温だった。
そんな中、汗をうっすらにじませながらポケモンバトルをしている人影が2つ。そしてポケモンの影が2つ。人影はもちろん、一人はフロートである。もう一人は、旅に適した服装をした少年である。ポケモンのほうは、一方はポポッコ、もう一方はピカチュウがそれぞれ相手とにらみ合っている。
状況から見て、そろそろバトルも終盤だろうか。
「ポポッコ、そこで花びらの舞。それで、終わりだ」
黄色のバンダナを風になびかせて、フロートがそう告げる。それと同時に、視界に黄色が広がり、少年のピカチュウが倒れる。
「あぁ、ピカチュウ、大丈夫か?」
ピカチュウのトレーナーの少年が心配そうに駆け寄って、ピカチュウを抱き上げた。
「そのピカチュウ、なかなかよく育ってると思うぞ。これから先が楽しみだ」
目の横を掻きながらフロートが言う。よく見ればポポッコのほうもいくらか傷を負っているようだし、一方的に勝敗が決まったわけではなさそうだった。
「ありがとうございます。でも、フロートさんって本当に強いですね。いい経験になりました」
「そっか。まあ、俺もいい経験になったし、ありがと。じゃな」
「はい、また縁があったらバトルしましょう」
そう言うとお互いに握手を交わす。明らかに年が違う、かたや青年、かたや少年の二人だが、こういう風に友情を結べるというのはポケモンバトルのよい点のひとつだといえよう。
そして、立ち去っていく少年。その少年を見送り、逆方向へと歩いていくフロート。フロートが向かった方向にはワカバタウンが見える。夕日は、西から東へと歩いていくフロートを後ろから赤々と照らしていた。
「夕日か……」
前方へ長くのびていく影を見て、不意に後ろを振り向くフロート。その視線の先には、目の前に浮かぶ雲をものともせずに真っ赤に輝く夕日の姿があった。
すでに東からは紺色の夜空が出てきている。雲とともに赤く染まる夕焼けから、星の瞬く紺色の空へと美しいグラデーションを醸し出していた。
「じっくり見るなんて、久しぶりだな……。いや、そうでもなかったか」
夕日が、フロートの銀髪も、黄色いバンダナも、服もズボンも赤く染め上げられていく。その横ではポポッコも同じように赤く染まっている。
二人、いや、一人と一匹で夕日を見ていると、ふと夕日の中に黒い点が見えた。はじめは見間違いかと思ったが、よく見ているとその点はドンドンと大きくなってくる。
やがて、視認できるような距離になると、それがなんだかわかった。
夕日の中を飛んできたのは一羽のヨルノズクだった。