ストーリー
戦国時代、毛利との戦に破れた尼子
義久の弟の義孝が7人の家来を連れて村に落ち延びてきた。しばらくは村人達共うまくやっていたのだが、やがて毛利方の詮議が落ち延びた武者の村まで迫ってきたのだった。「この村に毛利の落ち武者があるなら出せ、落ち武者を差し出せば莫大な恩賞を取らす」恩賞に目の眩んだ村人は迷った末に落ち武者殺しを決行。夏祭りに誘い出し酒に毒を容れ弱らせた所を一斉に襲劇、一人、二人、三人と次々に村人の手によって殺害されていく。そして最後に残った義孝も果てる。義孝は死の間際に呪いの言葉をのこす。「卑怯なだまし討ちを、、、この村の者を末代まで祟ってくれる」。それから後、村には奇怪な事が次々と起こっていく。落ち武者殺害を企んだ多治見家の先祖は村人を七人殺し最後は自分で自分の首を切り飛ばし絶命。その数は八人、、、。それから数百年の時が流れ舞台は現代にうつり落ち武者殺害の首謀者、多治見家を中心に数百年前の再来と思えるような殺人事件が起きていく。果たしてこれは無念の死を遂げた落ち武者の祟りなのか、それとも、、、、お馴染み金田一耕助が真相に挑んでいくのだった。
八つ墓村について
私的には一番、金田一映画っぽくない。しかし金田一映画の中では一番怖いと思う。何が怖いのか?やはりストーリー、そして最後の結末。この映画の犯人は八つ墓明神の祟りを利用した殺人を計画したのだが、いざ事件が解決してみるとそこには多治見家との因縁が犯人の知らない所で存在していた。果たして偶然だったのか?、それとも落ち武者8人の祟りだったのか?私の解釈としてはこの事件は「祟り」だったと思いたい。つまり落ち武者達は復讐を達成したのだ。ラストで炎上する多治見家を丘の上から義孝の亡霊達が見下ろしているシーンはオープニングと重なって見えるのは印象深い。この映画で有名なシーンは要蔵が桜吹雪の中を猟銃、日本刀、鬼の角のようにライトを着けて走ってくるシーンだろう。子供のころにこの映画を始めて見た時以来、目に焼きついている。要蔵役を演じた山崎努さんの会心の演技だと思う。山崎努とゆう役者を知ったのもこの映画が初めてだった。今ではCMやドラマで有名な山崎努氏もかつてはこんなキワモノ役をやっていたんだなーとツクヅク思う。この映画以降色んな役者がドラマ、映画で多治見要蔵役を演じるのだがやはり迫力、怖さなどで本家には及ばない。ベストオブ要蔵は山崎努氏で決まりだろうと思う。もう一つの見どころは落ち武者殺害のシーンだろう。このシーンがトラウマで見れないと言う人もいるらしい。何というか野村芳太郎監督の「殺しのこだわり」が感じられる。わざわざ一人一人どのように殺されていくのか見せてくれるのだ。殺し方も様々で胸のあたりを鎌でかっさばいたり、竹やりで目を貫いたり、頭に鎌を突き立てたり、更に縄で縛って吊るしてから首を切り飛ばし、飛んだ首が村人の腕に噛み付いたり等。あの田中邦衛氏と「七人の侍」の稲葉義男氏が殺される落ち武者役を演じているのもポイントが高い。凄かったのは尼子義孝役を演じた夏八木勲氏。要蔵に匹敵する存在感だと思う。並べられた生首の中で雷と共にクワッと目を見開くシーンは圧巻。ビデオやDVDなどで巻き戻ししながら見た人も居るんではないだろうか。(ちなみに私はそのようにして見ました。あれは作り物なのか本物なのか?とか)要蔵も義孝もラストの変身もそうだけど何故青白いメイクをしてるんだろうな?とか思いました。しかし、あれが怖さに厚味を加えてます。祟りとか怨念の表現なんでしょうかねー。金田一耕助と磯川警部は驚くほど存在感が無いです。大滝秀治さんは毎度ながらいい味だしてます。萩健さんはあれでいいんじゃないかなと、森美也子役の小川真由美さんは綺麗でした。気が強く勝気なイメージも良く出てたと思います。最後も気合はいってます。もうお亡くなりになりましたが太地喜和子さんがやってもハマったんじゃないかなと。双子の老婆の小竹役に市原悦子さんが演じてたのも見逃せません。語り口調が「日本昔話」みたいでほのぼのしました。春代役は山本陽子さんが演じたんですがこちらも美人でした。設定上顔色が悪いんですが逆に色気が増してて良かったです。洞窟のシーンでの辰弥に抱擁されて死んでいくシーンは感動的でした。日本におけるこの映画の評価はどんなもんなんでしょうかね〜。監督さんもスタッフも一流俳優さんばかりだし洞窟探検の時の音楽もオープニングの音楽も最高にセンスの良さを感じます。しかしインターネットで八つ墓村を検索すると驚くほどこの映画のファンがいて、ああ、この映画は愛されてるんだなと感じました。トーク番組等でこの映画の出演者が出たら裏話などをしてくれないかなーとか思います。特に田中邦衛さんや夏八木勲さん、山崎努さんが八つ墓村撮影秘話みたいのをしてくれたら感激もんです。ちなみに八つ墓村の人口は128人とえらい小規模。
家族構成
とにかくこの映画の家族構成は複雑。まず辰弥は多治見家とはまったく関係が無い。初め要蔵と鶴子の子として登場するのだが要蔵に犯される前に亀井陽一の子を妊娠しているので要蔵とは無縁である。とゆうことは鶴子がもし逃亡先で亀井と一緒になればめでたく親子幸せになっていた事になる。逃亡して後に亀井の下に行ったのかは謎のまま、、、。行ったけれど亀井は教師をやめ南アメリカに行ってしまっていた可能性もある。結局2人の恋は自然消滅で終わったのかもしれない。亀井陽一はこの後、実業家として成功している。この事件が元で亀井は辰弥の存在を知ったらしい。しかし亀井と辰弥は会うことはせずお互いの存在を確認した上で納得した模様。春代、久弥は間違いなく要蔵の子である。要蔵の気が狂っていく姿を目の前で見ているし、母を切り殺された瞬間も2人は見ている。つらい少年、少女時代を送ったようだ。2人とも辰弥は義理の弟だと信じていたのだが小梅、小竹によって血縁関係は無い事を知る。しかし久弥はそうとわかっても彼に多治見の財産を譲ると決断。信用のできない親族への意地を見せ付けるつもりだったのだろう。久弥がもし病魔に冒されてなければ立派な多治見の後継ぎとしてやってたんではないだろうか。要蔵と容姿は似ているが久弥のほうが徳があり心も寛大であると思われる。東の多治見に対し、西の森家がある。森家の当主が壮吉である。美也子は結婚していたのだが夫に早くから死に別れ未亡人となる。子は無し。壮吉は事業をしているのだが経営がうまくゆかず破綻寸前に陥る。美也子が殺人に走る動機が義理の父の経営を助ける為なのか、それとも裏で壮吉が計画をしていたのかは謎のまま終わる。八つ墓明神の祟りを利用するにあたって絶対に殺して置かなければいけないのは、多治見の人間、小梅、小竹、久弥、春代、そして多治見の親戚にあたる久野医師は始末しなくてはいけない。遺産相続は多治見の者が死に絶えた場合に親類である久野に与えられ、彼が死んだ場合に西屋の森壮吉にゆくことになるらしい。のこりの3人は誰でも良かったことになる。丑松の場合は祟りを利用した殺人の序章のために殺された模様。気の毒なのは工藤校長で彼は宴席で殺害されるのだが彼の場合は偶然にも毒入りの席を当ててしまったわけで正にババ抜きのジョーカーを引いてしまった様なものだ。あの席で死ぬのは坊さんでも他の客でも良かったのである。最後の小竹は美也子の手に掛かったのではなく正に祟りと思える死に方をしている。洞窟からコウモリがわらわらと飛び出てきて何故か多治見家めがけて突っ込んでいってロウソクを倒し多治見家を炎上させるのだがこの現象は義孝のトドメの復讐のように感じられた。話は血縁関係に戻って28年前の要蔵の32人ゴロしの時に一家全滅した家族が三家族あるらしく、その家族の家系をさかのぼって行くと400年前に落ち武者殺しを庄左衛門と共に計画した仁平、直吉、由一の子孫の河合健二、小山弥一、馳由三の3家族が皮肉な事に庄左衛門の子孫の要蔵の手によって殺害されている。この辺のこじつけ等は本当に良く出来ていると思う。見る方も、そう説明されるとこの事件はなるべくして成ったと思わざる終えなくなる。正に祟りとしか言いようが無い。この映画の怖いのはこの設定のドロドロした所であり落ち武者と言う存在を前面に出してるところだと思う。この映画以降のリメイク版は落ち武者の存在を中途半端に説明しておきながら事件が終わってみるとまったく関係有りませんでしたとゆうような終わり方をしている。私的には八つ墓村とゆう作品の中で「落ち武者の存在は絶対である」と言いたいし、そう思いたい。落ち武者の存在無くして八つ墓村は語れない。残念ながら市川監督が作った豊川八つ墓村でも落ち武者は出てきたのだが毛利の落ち武者と言う設定だけで威厳も貫禄も尼子の大将の名すらなかった。終わってみればやはり落ち武者の存在等どうでも良かった扱いになっていた。実の所、八つ墓村が市川監督の手でリメイクされるとゆうからどうなるのか?落ち武者の役はどんな有名な人が演じるのか?等を期待してたんですが、、、裏切られました。野村八つ墓村に対する意地が市川監督にあったのかも知れない。。多治見家の先祖は代々気違いが多いようである。そうなったのは恐らく庄左衛門のあたりからであろう。久弥の代でやっと落ち着いた模様。
原作と松竹八つ墓村の違い
最近になって、小説八つ墓村を読み終えたんですが読み終わってビックリ。話が大分違う事にきずきました。まず松竹八つ墓村では里村慎太郎とその妹の典子が完全に無視されてます。事件のキーマンと言える存在であるにもかかわらず存在すら無し。原作では美也子はこの人を愛するがゆえに殺人を繰り返します。しかも映画では辰弥に惚れている設定なんですが、それどころか美也子はハナッから辰弥を殺すつもりだった模様。殺害の動機は財産横領とゆう所は一緒。前の夫も毒殺してます。美也子は天才的毒殺魔として書かれていて、死に方も映画では落盤で絶命してるんですが原作は春代に指を噛まれ傷口からばい菌が入り全身に毒が回って死んでいます。慎太郎の妹の典子は度胸満点の好奇心旺盛の女性で物語り後半でヒロイン的な役割を果たしてます。事件解決後、辰弥と結婚し妊娠もしていてハッピーエンドで終わります。濃茶の尼も妙連とゆう名があり、対照的な梅幸尼とゆう尼さんが出てくるんですが映画版の工藤校長とダブってます。更に麻呂尾寺の長英和尚とその弟子の英泉和尚とゆう人物が居てなんと英泉の正体が辰弥の父の亀井陽一とゆう設定です。原作の方を知らなかったのでこの設定は驚きでした。村人では吉蔵と周吉と言う凶暴な男たちがいるんですが映画では無視とゆう設定。久野医師の他に新居医師とゆう人も居て胡散臭い久野とは逆の設定。原作の事件の切っ掛けを作ったのは新居医師を憎む久野医師の冗談から始まってます。ノートに憎い人物の名をリストしてチェックマークを入れうかつにも濃茶の尼に盗まれ、それをまた美也子が手に入れて殺人のヒントにしたことになっている。金田一耕助にいたっては、犯人は初めからわかっていた様で決定的な証拠がない為に美也子を泳がせてしまって結果的に春代を保護することに失敗するなどほとんどいいこと無し。春代は助かって欲しかったという人は多いんじゃないだろうか。原作で以外だったのは小竹が生き残った事。いつ死ぬんだろうと読んでるうちに終わってしまった。落ち武者関係では「大判」とゆうお宝が出てきます。これは落ち武者達が落ち延びてきた時に洞窟に隠しておいた物。美也子も慎太郎も探してたらしいのだが結果的には辰弥と典子がゲットしたようである。終わってみるとやはりとゆうか落ち武者の存在が微妙でなんだったんだろう?とゆうのが感想。ただの作り話なのか?原作でも落ち武者殺害の後、庄左衛門は狂って村人を殺し自分で自分の首を刎ねている。この説明はどうつくのだろうか、、、?原作の祟りとゆう部分にこだわって説明をつけたのが野村版であると言えるかも知れない。市川版は小説に忠実に映画化したといえる。でも市川版も里村典子の存在などはおざなりにしていたりする。しかし見る意識を変えていけば市川版も野村版も十分楽しめると思う。どちらも間違った作り方はしてないと思う。私が思うに野村芳太郎監督はホラー映画に興味を持ってる方なのかもしれない。というのもこの八つ墓村公開の前にあの名作「エクソシスト」が作られており、この映画で顔に白化粧をしていたりテーマも似たような所があるので野村監督は八つ墓村を邦画ホラーとして作ろうとしたんじゃないかと思う。だとしたら野村版はホラーエンターテイメントとして楽しみながら見るのが正解かもしれない。今思うと先に市川監督がやるべきだった。小説版に一番近かったからだ。その後に野村版を見る、流れ的にはその方が自然に思う。しかし八つ墓村だけに言えることじゃないんだけど原作と映画版がこうもちがうとは、、、。私は映画版を見て育ってしまったので見方が偏ってるのかもしれない。小説版も読んでどう違うのかを見直すつもりである。
この映画はスプラッターなのか?とかホラーなのか?とか言われてますが日本のホラー映画といっていいんじゃないでしょうか。後の日本映画にも影響を与えていて「魔界転生」とゆう映画の中で天草四郎の生首が雷鳴とともにカッと見開く場面があるのですが落ち武者惨殺のシーンとダブリます。この映画は別に金田一でなくとも成りたつと思います。あと面白いのは井川鶴子と亀井陽一の関係は「悪霊島」の越智竜平と巴御寮人の関係に似てる所があるなと、洞窟が出てくる所も共通してます。まあ、作者が同じと言うのもありますけど。