『幸せの扉』 第4話『風邪』


0.
あんな事が朝にあった。

先生はどうして…。

そんな事ばかり考えてしまう、その日の夕方。





「くしゅんっ!」

私は大きなくしゃみをした。

さっきから5度目だ。

…寒い。
頭が痛い。

「風邪か?」

先生が言った。


「…う゛〜」


「まだ、怒ってるのかよ?アイコじゃないか?一回目ん時は、そっちから、誘ってきたわけだし」
先生は腕組をして、わざとらしく、ふ〜っとため息をつく。

私は、つい、
「全然違うもん!」
と、言ってしまった。

それを聞いた先生は、ニヤっと笑って、
「やっと、口きいたか」
と、言う。

「あっ…!」
私は、つい口を押さえてしまった。


「いい加減、ガキっぽいことやめろよ。無視っていうの?」
「別に…無視なんて」


…してた。


だけど、先生に、どう、接していいかわからないのだ。




恐かったり…
急に辛そうだったり。



私は…こんな事を考えるために、ここに来たわけじゃないのに。
そう思って、少しだけ、先生を逆恨みしていたりもした。


「してたじゃね〜かよ!さっき、カルテ頼んだ時もさぁ…!患者さんも変に思うだろ?」
先生はそう言うと、何やらゴソゴソ何かを探し始めた。

「う…。だ、だって、そっちが悪いんでしょ!?な、なんだってあんな事…」

「さぁね。それより、ほい」
ポンと、手の上に体温計をのせられる。

「何?」

「熱、計ってみなさい」
「な…、なんでよ?」
「お前、熱、あるだろ?ちょうど今、空き時間だし。診てやるよ」
「いらないっ」
私は先生に体温計を返した。

「お前なぁっ!」

「だって、先生のせいで風邪ひいたのよ!?」
「だったら、なおさら!」
先生はそう言って、体温計を私の口の中に入れる。
「んぐ!」
「ほら、1分、くわえてろ」
先生は、体温計を指差して言った。



1.
「どれどれ…。8度2分…か」
先生は1分たつと、体温計を取って見るとそう言った。

「えっ?そんなに…?」

まぁ、37度くらいだと思ってた。
私は平熱が人より低い。
普段は35.4度くらいなのだ。


だから、38度といえば、結構な数値。


先生は診察室の椅子に座ると。
「はい、こっちおいで」
と、言って、自分の前にある、いつも患者さんが座る椅子を指差した。

「な、何よ?」
私は不信な目で先生を見る。

「ほら、早く!」
「いやぁよ!また、変な事、するもんっ!」
私は、プイっと横を向いた。


「しね〜よ!病人には」
「疑わしい…」
私は、疑いの目で先生をじっと見る。


「早く来ないと、また襲うぞ」
先生はさらっとそんな事を言った。


「…んぐっ!」
私はつい、先生の目を見た。
先生は私と目が会うと、ニッコリ笑って、
「ほら、座って」
と、椅子を指差した。



「む゛〜…」
私はしぶしぶ、椅子に座る。



なんだって私がこんな目に遭わなきゃならないのよ。
それもこれも、全部先生のせいだ。



2.
「じゃ…」
そう言って、先生は私の服に手をかけた。

「きゃぁぁあ!何するのよっ!ばかっ!!」
私は服をぐっと引き下げる。

「何って…、お前、服着たままじゃ、聴診器当てられないだろ!?」
「変態っ!」
「聴診器当てるだけで変態って言うんじゃぁ、医者は全員変態じゃね〜かよ!」

もっともだけど…。

「せ、先生は特別なの!」
「ふ〜ん?そこまで言う…」
そう言って、先生は私に近づいてくる。

「な、なによ?」
私はとっさに身をひく。

「こ〜してやるっ!」
先生は、そう言うと、私の体をくすぐり始めた。

「う…きゃははは!」

や、やめて!
息が出来ない!

「ど〜だ?まいったか!」
「分かった!分かったわよ!だ、だから、もう、やめてぇえ〜!」
「よしっ」
そう言って、やっと先生の手が離れる。

私は笑い過ぎで、お腹が痛かった。
「ふ〜」
やっと、一息…。


もう!
なんてことすんのよ。
一応、病人に…。


「じゃぁ、自分で持ち上げて。服」
先生は医者の顔になって言った。
「えっ?」
「何?俺に脱がして欲しいわけ?」
「ば、ばかな事言わないでよ!」
「はい、じゃあ、あげて」
「う、うん」
私は服を持ち上げた。

途端に冷たい聴診器が肌に当たる。

「ひゃっ」
私は、小さく悲鳴を上げてしまった。

「何?聴診器で感じちゃった?」
先生は、からかうように言う。



「ば、ば、ばか!んなわけないでしょ!!」
私は真っ赤になって否定。


「はい、吸って」
先生がそう言うと、私はその通りにしたがった。

「吐いて」

心臓の音が大きくなる。

静めようと思うのに静まらない。
先生には、良く分かっているだろう。

そう思うと、余計に心臓が鳴り出した。

「…口開けて」
「…そう。はい、いいよ」
そう言って、先生はカルテに何やら書き始めた。



3.
「な、なに?」
「ま、ただの風邪だね。薬出すから、ちゃんと飲みなよ?」

「風邪薬って…眠くなるんだよねぇ」
「ん?まぁ、そうだね」
「じゃあ、健ちゃん探す時間…減っちゃうなぁ」
私はうつむいた。

ここらは田舎だけあって、結構土地が広い。
ここでの、予定は1ヶ月。


少しでも早く…。


「…風邪の時くらい、その事忘れろ」
「だけど…」
「…健ちゃんも、そんな無理して欲しくないさ」
先生はそう言うと、心配そうに私を見た。


…おかしい。


私は先生の顔をじっと見た。

「なんだよ?」

「先生…なんか変」

「は?どこが?」
「どこがってわけじゃ、ないけど…。なんとなく」
「そうか?」
「どうしたの…?」
私がそう言うと、先生は少しだけビックリしたような表情になった。


「別に何もないよ。お前の思い違い」


「先生、いつから、私のこと『お前』って言うようになったの?」
「そ、そんなの、いつからか…だよ。慣れたしな」
「ふーん…」
私はあまり納得のいかないままだった。



4.
「今日は、ここで寝ろよ」
先生はそう言った。

「何もしないでよ」

「しない。…何?何かして欲しいわけ?」
先生はからかうように言う。


「…!んなわけないでしょ!」


「寝るまでここに居るからな」
先生はベッドの横に椅子を置くと、そこに座ってそう言った。

「余計眠れないよ。身の危険を感じて…」
私はブツブツと愚痴った。

「バカか!ほら、はやく寝ろ」
先生はそう言うと、薬品の匂いと少しだけ先生の匂いがする布団を、私の頭までかぶせた。


「うん」
私は素直にそう答えた。


先生は。いつもより優しい。
…風邪をひいているから、そう思うのかもしれないな。
と、私は考えていた。



5.
「あ、明日な、休診にするから、家でユックリ寝てろ」
先生は思い出した様に言った。

「え?…私の風邪のせい…?」
私は布団から顔を出す。

「ば〜か!違うよ。大学の講義を聴きに行くんだ」

「へ〜?先生も、勉強なんてしたりするんだ」

少し意外。
医者って、もう、これ以上勉強しないとも思ってたし。


特に、神田先生みたいな人は…。


「俺は、勉強家なの。お前と違って」
「うるさぁい」
「だから、明日は休みな」
「ここ最近、多いね。休み」
「別に良いんだよ。経営が危ういわけでもないし」
「ふ〜ん?ここって、先生の病院なんでしょ?」
「親父のだよ」

「お父さんの?そ〜いえば、お父さん、見ないね」
私がそう言うと、先生はフっと笑って、

「最近、両親とも死んじまって、俺が後を継いだの」
と、言った。


「…良かったの?そんなこと聞いて」


「いいよ。別に、普通のことだし。…それより、お前は、両親心配してないのか…?」
先生はそう聞いた。

「あ…。あぁ…私もいないんだ」
私は、自然と口を開いていた。

「そうか…事故で?」


「ううん。ずっと、いなかった。私ね、児童養護施設ってとこで育ったの」
「…いいのか?」

私は、少しだけ考えて、
「いいよ。今日は、先生に色々話せちゃうね。おかしい。風邪だからかな?」
と、言った。



6.
先生に、こんな事を話すなんて…。
私は少し、気が弱っていたのかもしれない。



「そこね、岬児童養護施設っていってね。私みたいな子もたくさん。
でも、悲しいなんてことなかった。私は、両親の顔も知らないから」


私は続けた。


「両親を知って…愛情を知って…それで、施設に預けられた子の方が、よっぽど…。
話せない子とか…居たの。たくさん」

「そこには、友達がいつも居て、あとね、調理師さんも、健康を管理してくれる人やカウンセラ〜とかも……
健ちゃんも…。
色んな人から、たくさん愛情を貰えた。トクベツなことなんて何もない。
愛情を与える人が居て、…そうそれが、本当の両親じゃないだけ」



そう言い終わってスッキリしていた。
こんな話を他人にするのは始めて。



「健ちゃんもそこで?」
「うん。健ちゃんは、そこで育ったの。で、おおきくなって、卒業して、就職した。私のお兄ちゃんみたいな人なの」

「ふぅん」

先生を見て、はっと、我に返る。


私は、自分で自分にビックリしていた。


「ごめんね。何話してんだろ。私」
「いいよ」


先生は、ニッコリ笑う。
私はその笑顔に少し安心していた。

こんな事を聞いても、変わらない態度。



…先生だから…話した…?



絶対、違う…。
分かってくれそうな人に…心を少し開いてしまっただけ…。


私は、無理矢理そう考えた。

「寝るわ。うん。もう寝る。おやすみ」
私はそう言うと、布団を被った。



7.
「健ちゃん…」
私はまた、健ちゃんの夢を見ていた。

施設に居た時の夢。
まだ、つきあう前。


春には、花見なんて言って、施設の子達と、近くの公園まで行った。
夏は、山に。

皆で、学校の夏休みの宿題もした。
健ちゃんに、教えてもらって。

冬には、雪が降って皆で雪合戦。
手が冷たくなって、みんな手をつないで帰った。


私は、健ちゃんと手をつなぎたくて…
でも、つなげなかった。
私は健ちゃんのこと好きだったけど、健ちゃんは気付いてなくて。


健ちゃんが、他の小さい子と、手をつないでたのを、じ〜っとうらやましく見てた。



―――その夢を見ていた時、ぎゅっと、私は先生の手を握っていたそうだ。
先生は、私の手を握り返した。



つづく