『幸せの扉』
第5話『優しさ』
0.
「よう!神田じゃないか」
大学の講義後、講義室の中で、ニッコリ顔の男に声をかけられて、神田は少し戸惑った。
「え…?あぁ!トモミ」
そいつは、高校、大学とそれから少しの閧ツきあいのあった親友。
野原 智夫。
智夫という名前に似合わず、そこらの女よりよっぽどカワイイ顔をしているので、高校・大学時代のアダナは『トモミ』。
高校時代なんて、男子校だったが為に、何人かの男に告白されてたっけ。
バレンタインデ〜にチョコを貰ったのは良いが、全部男からで泣きそうになってたなぁ。
神田はそれを思い出して、笑った。
「お前なぁ〜!何笑ってんだよ!それに、その呼び方やめろよ!」
野原はブスッとした顔になるとそう言った。
あの時から全く変わってない。
「だって、ずっと、トモミだったじゃないか。今更、何を」
「まぁ、いいや。久しぶりだなぁ!」
野原は嬉しそうな顔でニコニコ笑う。
「これから、少し時間あるか?」
神田は、野原に聞いた。
「まぁ、1時間くらいなら」
「じゃ、ちょっといいか?」
神田が聞くと野原は頷いた。
2.
2人は、誰もいなくなった講義室の椅子に腰を下ろした。
「どうだ?田舎は」
野原が聞く。
「田舎って言うなよ」
「田舎は田舎だよ」
「まぁ、ぼちぼち」
「ふぅ〜ん」
「皆、元気か?」
「あぁ。篠田なんて、ちゃっかり、外科部長になったんだぜ?」
「あいつが?ははっ、篠田らしいな」
「そうだろ〜。なんで俺じゃないのか不思議だよ」
野原は口を尖らせた。
「トモミにゃ、一生無理だよ。お前は学生時代からどんくさかったからなぁ」
神田がそう言うと、
「うっせぇ!組織は、大変なんだよ〜っだ!」
と、野原はイ〜っとしてみせた。
「そりゃ、良く知ってるよ」
神田はそう言って、少し笑う。
「まぁ、お前もつい1年くらい前までは、その一員だったんだからなぁ」
「あぁ。俺が大学病院辞めて、もうすぐ1年だな」
1年か…。
1年と言う年は、何か、区切りみたいなものを感じさせる。
「まぁ、独立できるなんて、ラッキーだったじゃないか」
野原は、少しうらやましそうにも、とりつくろうようにも言った。
「そうだな。父の残してくれた病院だしな。継いで良かったと思ってるよ」
それを聞いて、野原は笑うと、少し口を濁して、
「そういや…さ、あれから、あそこに行ったか?」
と、聞いた。
「全然だよ…」
神田は寂しそうに言う。
「そうか」
「俺が行っても、あいつは、喜ばないよ」
「そんなこと…」
…ないよ。
と、野原は言いかけたが、やめる。
野原は、その言葉が、気休めにもならないことを良く知っていた。
「もう、いいよ。あの事は」
神田は、そんな野原を見て、少し強くそう言った。
「ごめんな」
「そんな事気にすんなよ。それよりさ、これから、大学病院に戻るのか?」「あぁ」
「俺も行っていいか?」
神田の言葉を聞いて、野原は少し戸惑った。
「えっ…どうしたんだ?今まで、全然来たがらなかったくせに」
「ちょっとな…調べたい事があるんだ」
「何だ?事によっては、お前には見せられないぞ」
「いや、昔の患者のカルテだよ」
「あぁ。だったら、事務部に請求してくれたら、送るぜ?」
「いや、ちょっと急ぎなもんでな…」
神田はそう言うと、少し笑う。
「そうか。じゃあ、行くか?少しなら、手伝ってやるぜ?
コンピュータの機種が変わったしな」
「あぁ」
そう言うと、二人とも、講義室を後にした。
3.
「…で?何が見たい?」
野原は、資料室に神田を案内するとそう言った。
「俺が辞める少し前のカルテ全部見たいんだ」
神田がそう言う。
野原は一瞬耳を疑った。
「…時間かかるぞ?それは」
「分かってる」
そう言った神田の顔を見て、野原は、
「まぁ、俺が手伝えるのも少しだけだから、後は自分で探せよ?」
と、言った。
「あぁ。ありがとう」
「神田にお礼を言われると、気持ち悪いな」
「おいおい」
「まぁ、頑張れよ」
4.
20時。
仕事を終えた野原が、資料室のついている電気を見つけて、
資料室にやってきた。
その中で、まだ、何やらパソコンに向っている神田を見つけると、
「まだ、いたのか!?」
と、驚いて聞いた。
少なくとも、探し始めてから、5時間以上は経っている。
「あぁ、少しな」
神田は、全く疲れを見せない様子でそう言った。
野原はひとつため息をつくと、
「ったく、手伝うよ」
と言い、笑った。
「あっ!」
野原が、パソコンの画面に目をやった瞬間、神田が叫ぶ。
「あったか!?」
「あった!」
「ん〜どれどれ…」
野原は、画面に出ている文字を読み始めた。
「あぁ、あの時の。あの時は、大変だったよな。総動員で……。
でも、それが、お前に何の関係があるんだ?」
野原が聞いても神田は答えなかった。
画面に見入って、話が耳に入っていないらしい。
「…神田?」
野原が、神田を見ると神田は、
「こいつの、データ分かるか!?」
と、聞いた。
「…どーしたんだ?」
「とにかく、頼む!」
神田は、野原に向ってパンっと手を合わせた。
「本当は…ダメなんだぜ?分かってるのか?」
「あぁ。分かってる。でもな…」
野原は、神田が言うのを全て聞かず、
「はいはい。分かったよ。お前には色々世話になったし、
ここらで少しは借りを返さないとな」
と、言って笑う。
5.
「それより、良かったよ」
野原は、そのデ〜タを調べるために、パソコンに向っていた。
隣には、神田が並んで座っている。
「何がだ?」
「お前が、それだけ、必死になれるものが見つかって」
野原はそう言うと、本当に嬉しそうに笑った。
そして、野原は
「あの時は、本当に、もぬけの殻って感じだったもんな」
と、思い出した様に言う。
神田は、その言葉をしっかりと受け止めていた。
「でたぞ」
神田は、野原の出した画面を見て、
「…やっぱりな。これ、持っていって良いか?」
と言う。
「あぁ。そう言うと思って、今、FDに入れてるよ」
FDを野原から受け取ると、
「どうもな!」
と、言って、神田は資料室のドアに手をかける。
その瞬間、野原は、
「あ!」
と、叫んだ。
「なんだ?」
「事情は良く分からんが、頑張れよ!」
野原はそう言うと、昔の顔のまま笑った。
神田は、それを聞くと、
「おお。お前も頑張れよ」
と、言って、資料室を後にした。
6.
≪ピンポン。ピンポン≫
と、鳴り響く。
広い広い家。
「ん〜?」
私は、眠りかけたのを邪魔されて、少し不機嫌でそのチャイムの主を迎えた。
チャイムの主は、神田先生だった。
私は、凄く驚いた。
時間は、12時ちょっと前。
なんだってこんな時間に…。
「良かった…居て」
先生は、安心した様にそう言った。
「…先生?えっ…なに?ど〜したの?」
私は、また何か変な夢でも見ているのではないかと、何度も目を擦る。
しかし、目の前の神田先生は変わらない。
どうやら、しっかりと、現実の様だ。
「あ…え〜っと、ちょっと良いか?」
「えっ…」
「風邪の具合どうか診てやるから」
「こんな、夜中にぃ?」
「とにかく!入るぞ」
「ちょっ、ちょっと!」
先生は、結構強引に家の中に上がりこんだ。
直線で、リビングまで行くと、
「寒っ!なんだ、ここは!?」
と、言う。
「だって、暖房器具も何もあったもんじゃないもん」
先生は、どうして、リビングまで、一直線に来れたのだろう?
私は少し疑問に思った。
結構、この家は、複雑な作りをしている。
私は、初めてこの家の中に入ったとき、リビングにすぐ辿りつくなんて事、できなかった。
ただ、先生が、野生の勘に優れているだけか?
「お前なぁ!これじゃ、余計に悪化するだろ!」
先生はそう怒鳴った。
「大丈夫だもん!」
7.
「こ〜れ〜の、どこが大丈夫なんだよ!?あほっ!」
先生は、病院まで強制的に私を連れて行くと、そう怒った。
手には体温計。
「う゛…」
「39度5分だぞ!分かってるのか!?」
どうやら悪化したらしい。
そういえば、さっきから、目の前がクラクラすると思ったわ…。
「うるさいなぁ〜!大丈夫ったら、大丈夫なの!」
「この状態のどこをどう見て大丈夫なんだよ!フラフラじゃね〜か!」
そう言うと、先生は私を抱き上げた。
「んきゃっ!」
「ほら、行くぞ」
「降ろしてよ!」
「お前、朝から、何食った?また、痩せてないか?」
先生は気付いた様に言う。
何で…分かるんだ?
今日は、朝から、何も食べてない。
「か、関係ないよっ!」
「このままじゃ、余計治らないぞ!……健ちゃん探せなくても、良いのか?」
先生がそう言った瞬間、私は急に大人しくなってしまった。
「よ、良くない…」
私は小さな声でそう言う。
「ほら、じゃあ、行くぞ!」
「ど、どこによ?」
「ベッド!」
先生がそう言った時、あの時の出来事が頭の中を駆け巡った。
「えっ…」
「何もしやしないよ」
「あ、当たり前でしょっ!」
8.
先生はベッドに私を置くと、
「そこで待ってろよ?」
と、言った。
そうして、奥のほうに入って行く。
「…?」
先生、言葉遣いとか、始めの時よりカナリ乱暴になっている。
たぶん、それが『地』なのだろう。
でも、どんどん、優しくなってる。
そして、私を大事そうに扱ってくれる。
でも、それが、どこか…壊れ物を扱うみたい。
なんでだろう…。
今日は特に…。
「はい」
先生は、何分か後、戻ってくると、私の前に、お粥を出した。
「なにこれ?」
「病人食」
「先生が作ったの!?」
「悪いか?」
先生は少しブスッとした顔でそう言う。
「毒でも入ってるんじゃ…」
私は少し疑いの目で見た。
「お前は、するのか!そんな事!」
「ははっ」
「ほら、食え」
先生が言う。
私は、不覚にも感動してしまっていた。
今まで…こんなに人に優しくされたことは、ない。
本当に色々な町を回ってきた。
でも、先生が始めて…。
こんなに優しいのは。
「…ん?なんだよ?食わせて欲しいのか?」
先生は止まってしまった私を見てそう言った。
「…んなわけ、ないでしょ!ばかっ!」
私は慌てておかゆに口を付けた。
9.
私は一口含むと、
「…おいしい」
と、言っていた。
本当に美味しかった。
「ゆっくり食えよ?」
「うん」
私はパクパクと食べ始める。
「なんか、私、先生の前で食べてばっかりだね」
私は、笑った。
「俺がいない所で、食べなさ過ぎなんだよ!ったく、ちゃんと食えよ」
「分かってるよ」
「分かってないよ」
先生は少し苦笑して言った。
「先生」
「なんだ?」
「おいしいよ」
「さっきも聞いた」
「うん」
私がパクパクと食べていると、先生がじ〜っと、こっちを見ていることに気付く。
食べている姿をじ〜っと見られるのは、恥ずかしい。
「…なによ?」
「別に」
先生はそう言った。
10.
私は食べ終わると、一人で考えたことの結論を先生に言おうと、決意した。
「先生」
「なんだ?」
「記憶ね…戻して欲しい…」
私は一言、しっかりとそう言った。
「えっ…?」
私の言葉を聞いて、先生の顔には、明らかに動揺の色が見える。
「戻したいの。健ちゃんの記憶」
私は、繰り返した。
「あ…あぁ……。しかし、それより、先に体…治せよ…」
「先生…頼んで良い?」
私は先生の目を見て言う。
「…体が治ったらな」
先生は、そう言ったきり、視線をそらし、黙ってしまった。
つづく
