誤解
幼稚園の頃だったと思う。母と当時小学生の兄貴は歯医者に出かけてしまい、僕は家で独り寂しく留守番をしていた。
夏の暑さに耐えかねたのかは定かではないが、そんな退屈している僕にある名案が浮かんだ。
そうだアイスを買いに行こう!
何だ、大したことではないではないかと思われるかもしれないが、当時の僕には大したことなのだ。と言うのもその頃、まだ幼過ぎることもあり自分のお金とは言え、親の許しを得ずに使ってはいけないことになっていた。まして買い食いなどとんでもない。そんなことをしたら、母親は角を生やし、雷を落とすこと必定だった。つまり「自分のお金でアイスを買いに行くこと」はちょっとした悪行に属することだったのだ。
自分の中の天使と悪魔の壮絶なる戦いの結果、僕は猿の貯金箱から十円玉を掻き集めて近所の駄菓子屋に走った。
数分後、僕は家のベランダにいた。勿論片手にはアイスがしっかりと握られていた。
幼稚園児にとって100円アイスはでかい。
これを独占できる喜び。ひと夏の冒険で手に入れた宝物は夏の日差しを浴びてきらきらと輝いていた。高鳴る胸を押さえつつ一口――。
美味い! 冷たく甘いアイスが口内を至福の喜びで満たしていく――。
喜びも束の間、部屋の方で物音がした。
ガチャ。
玄関のドアが開く音だと気付くのに数秒。
「ただいま」
母と兄貴がもう帰ってきたのだ。予想以上に早い帰りだった。
今度は別の意味で心臓が高鳴った。夏の暑さのためかく汗とは別物の汗が全身を急冷却させた(人はこれを冷や汗と呼ぶ)。
どうしよう! どうしよう! どうしよう!
幼稚園児には結構ヘビーな状況だ。
ベランダでアイス片手に半泣き状態の僕。
そうだ食べてしまうか。
しかし――、幼稚園児にとって100円アイスはでかい・・・・・・。とてもじゃあないが一気に食べられる量ではない。
早くこのアイスを隠さなければ怒られる!
泣く泣く僕はベランダからアイスを捨てた。
本当にもったいないことをした。しかし当時の僕には「もったいないお化け」より母親の落雷の方が恐かったのだから仕方ない。
動揺を何とかひた隠しにし、ぎこちない愛想笑いすら浮かべて部屋に入り、母親と兄貴にお帰りと言った。
ほっと肩をなでおろそうとした瞬間、 奥の部屋で兄貴が何かを見付けたようだ。
まさか! 再び氷塊が背筋を伝う思いがした。急いで兄貴のいる奥の部屋へ走った。
兄貴はゴミ箱からアイスの外装を目ざとく見付けたのだった。よりによって何でゴミ箱の中に目が行くんだコンチキショーと兄貴を心の中で呪い倒し、同時にあまりにも無防備な場所に捨ててしまった自分を呪った。
非難めいた兄貴の視線――。
不本意ながら兄貴にすがるしかない。怒られるよりましだ。母親に言わないでくれと兄貴に半泣き状態で懇願した。
今度は別の部屋から母親がどうかしたのかと聞いてきた。まさに万事急須。
アイスごときで必死な形相の弟をみじめに思ったかは定かではないが、兄貴が何とかごまかしてくれ、アイスの外装をティッシュで包んで捨てると言う何とも斬新なカモフラージュを施してくれた。そのとき、兄貴が後光を発する救世主に思えたものだ。
幼心に二度と買い食いはしまいと誓った。
何とも始末の悪いことがひとつ――。
兄貴は何を勘違いしたのか、僕が母親の財布からお金をくすね、そのお金でアイスを買ったとどうやら思ったらしいのだ。
今言おう。
兄貴よ! 誤解なんだ!
あのアイスは自分の金で買ったものなんだ。
よく考えると何も悪いことをしていない自分に気付く・・・・・・。
(2002年7月21日)