恐い話
子供の頃、恐い話を見聞きした後、次なる恐怖が自分に降りかかるのではないかと気が気でなかった。襖や扉の隙間、鏡や夜道など妙に気になったものだ。
恐い話を形成する要素のひとつに後味の悪さがあると思う。ハッピーエンドで終わる怪談よりも、次なる試練や恐怖を予感させて終わる怪談の方が断然恐いし、印象的だ。思い返してみても子供の頃見聞きした恐い話の内、今も印象深く記憶に残っているのは、どれも後味の悪い、いわゆるアンハッピーエンドなものばかりだ(まあ、大概の恐い話はアンハッピーエンドで後味が悪いが……)。それはきっと、そういうものの方がより現実的だからではないだろうか。現実社会は「めでたし、めでたし」で終わるわけがない。ひとつ困難な問題をクリアしたら、次なる試練が待ちうけているものだ。だから、よくできた(?)後味の悪い怪談は、見聞きしたものに奇妙な共感を喚起し、記憶の片隅にしつこくこびりつくのではないだろうか。
というわけで恐い話をひとつ。
あれは忘れもしない大学4年のクリスマス・イブ。ゼミの先生からアイスケーキを頂いた。僕一人ではとてもじゃあないがたいらげることのできない量だった。ちょうどその日はM谷という友人宅で鍋でもしようかという話があったので、持っていってみんなで食べることにした。
学生同士が集まってする鍋だ。そんなに豪華なものができるわけがない。それぞれに食材を出し合い無理やり鍋にしたという感じだ。しかし、鍋はそれなりに美味しく、満腹感も得られた。身体も温まり、話も弾む。あらかた食べてしまうと、口の中がまったりし、ほてった身体をクールダウンしたくなる。そこでやっとアイスケーキのご登場だ。まさに鍋の後のデザートにふさわしいひとしなといえる。いやこれほどふさわしいものが他にあろうか。
M谷が鞘から取り出した果物ナイフで等分する。4〜5人分だ。溶け加減もよくナイフの通りもよい。
「美味しいね」
「わ、うまっ」
「先生に礼、いっとけよ」
などといいながら、みんなものの5分でぺろっと食べてしまった。
いや〜、満足満足。なかなか楽しいイブだったな、と思いながら、ふと横を見ると、隣でM谷が果物ナイフをぺろぺろとなめていた。そうか、そこまで名残惜しげに味わってくれるとは……。持ってきたかいがあったというものだ。しみじみとした思いをめぐらしていると、彼はおもむろに鞘を手に取り、なめ終わったナイフをそれにおさめ、テーブルの上に置いた。これでよしといわんばかりの自然な動作だった。
あまりにも自然な動作に見逃しそうになったが、僕は何かがひっかかた。
ちょっと待てよ――。あることに気付いて僕の顔は恐怖で引きつった。まさに「戦慄が走る」という言葉がふさわしい。
「ちょっと待てよ。その果物ナイフはこのアイスケーキを切る前に使ったときもそうやってなめて終わったのか」と詰問した。
みんなの動きも止まり、それぞれの表情が凍りつく。
「そ、そ、そんなわけないじゃないか」
M谷の目がクロールさながらに泳いでいたのはいうまでもない。
なんとも後味の悪いクリスマス・イブだった。
ある意味、恐い話。
(2002年9月17日)