走馬灯
そうまとう【走馬灯】灯篭と影絵を組み合わせた玩具。紙や布を張った枠の中に、紙の切り絵を張り上部を風車式にした筒を入れたもの。火を入れると空気の対流で筒が回転し、外枠に影絵が回りながら映る。回り灯篭。revolving lantern(『日本語大事典』より)
「今一瞬、頭の中を走馬灯が回った」などということがある。人は死ぬ直前もしくは死に瀕するような危険な状態陥った際、一瞬の間にその人のそれまでの人生が、この「走馬灯」のように頭をかけめぐる、とよくいわれる。つまりイメージとして、あたかも映画を観るような感覚で、自分の今まで送ってきた人生が、頭の中で展開されるのではないだろうか。もしそれが映画のようならば、クライマックスがあってもいいはずだ。そしてこのクライマックスは自分の人生で最も楽しかったときではないだろうか。
幸い僕はまだ走馬灯を回した経験はない。しかし、僕の走馬灯のクライマックスは決まっている。
夜道。僕は自転車を走らせている。安くゆずってもらったこの青いランドナーはペダルをこぐたびに悲鳴をあげる。軽いカーブになった坂道を少し登ると奴のアパートだ。1階にある奴の部屋の窓には一応カーテンがひいてあるが、光と笑い声は隙間からあふれんばかりだ。自転車を停め、裏にまわってドアを開ける。鍵などかかかっているわけがない。玄関には靴が、シンクには食器が、洗濯機には洗濯物が、それぞれあきれるほど溢れている。ゴミを踏まないように進み、最後にくもりガラスの引き戸を勢いよく開ける――。
眼前に広がる光景に、僕は思わず「なんだこりゃあ(松田・ジーパン・優作調)」と叫んでいる。六畳一間に人が溢れ返っているのだ。岡山で最も人工密度が高い所ではないかと思ってしまうくらい、人いきれを感じる。
みんなが僕の名前を呼び、久しぶりと向かえてくれる。
パソコンの前に座り、ネットで曲を落としまくっているのがこの部屋の主、水谷。こいつを超えるほど面白い奴を僕は知らない。「えぐまああああ」と真っ先に抱きついてくる。おい、服をかむなよ。
「おっ、えぐみんや」僕が来るまで正面のヒゲ面にネチネチ突っ込みを入れていたのはBOBさん。こてこての大阪人。
「おさむちゃ〜ん」と迎えてくれたのは、もうひとりの「こてこて」、マサ。座椅子に座って対戦ゲームをしている。
「おさむぅ〜」とっちゃんぼうやの下窪。みごとな額に将来性を感じる。
「ひさしぶりやなあ」このヒゲ面はスエだ(年齢不詳)。青森弁なまりの関西弁が悲しい。
ふと見上げるとベットにも人がいる。
ニヒルに笑っているのが山田。
その隣で「やる気なさげ」に寝転がって赤ラベル(エロ小説)を読んでいるのはタナカ。そこはかとなくレロレロしている。
視線を再び下に戻す。
もうひとり「やる気なさげ」な奴は渋谷。ちょこんと正座し、背筋を伸ばし、まるでとりつかれたようにゲームをしている。この執着心を人生に生かせばいいのに、とみんなが思っている。本人も思っている。
冷蔵庫の横でクールに笑っているのがてっちぃー。「能ある鷹は爪を隠す」的性格。多くは語らない。
窓の横でかしこまっているのが田口。「礼」という文字は彼のためにある。ついでに「妖」という文字も彼のためにある。
ゲームに一喜一憂しているのが、山本。動きが面白く、肌が黒い。鳥取が生んだ黒い快男児。
何を考えているのかわからない、ずんぐりしているのがヨネ。「へへへ……」と笑い、どこかもそもそしている。山本のよき被理解者。
長身の、明らかに場違いな色男は荒俣だ。酒が入ると三枚目になるのが残念。
片隅でマンガを読んでいるのが、かとぅー。先輩を慕うカワイイ奴だ。
それから、それから……。
共に笑い、共に楽しんだ。時が経つのも忘れて――。
僕の走馬灯は決まっている。
(2002年9月17日)
「小さな下宿屋にいく人もおしかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が燃えていた
息がきれるまで走った
そうだね」
Words by Tokiko Katou