「なんだか久しぶりな気がするな」
「まったくです。慢性的な更新停滞症ですね」
「進めるべき話は山ほどあるというのに……ぶつぶつ……」
「まぁ、そもそも誰が読んでくれてるかも定かじゃありませんし?」
「それはともかくとして、今回はどんな話なんだ?」
「えーっと、前回、前々回の人達と、こちらとが会うお話ですね」
「………あいつらか………。で、結局どういう話なんだ?」
「まぁ、それは中身を読んでもらわない事には〜」













火の粉


「………犬柳だ。例のパーツ、間違って届いてるぞ。……おう。なんだと? あれだけしっかりとやれと念を押しただろうが。………なに? 三日かかる!? それでは間に合わんかもしれんだろうが! ………む、分かった。急げよ。ただし………む、キャッチホンだ。また後で連絡する」
 昼下がりの犬柳機動研究所の犬柳以外誰も居ない犬柳プライベートルームにて。
 どこか怪しい所に通信をしていた犬柳は、最後に小さく急げよ……と、迫力を込めて呟いてから、計器のボタンを押して、キャッチホンに切り替える。
「犬柳だ。……あぁ、兄貴か」
 キャッチホンの相手はしるくすであるらしかった。犬柳はハタ目にも緊張を解き、リラックスした姿勢で向いていた机の上の緑茶を軽くすする。緑茶の入っている湯のみには『天晴天国』とかなんとか達筆の字で描かれていた。
 なんだかんだ言いながらも、しるくすには全幅の信頼を寄せているようであった。
「……ん。分かった。要するに、ちょっとばかし全員でお出かけするから、留守はよろしくってことだろ。りょーかい。んで、何処行くんだ? ……………温泉? なんかめくるめくネタの予感って奴だな。はは。まぁ楽しんでこいや。いい加減歳なんだしな。ははは。んじゃ、行ってらっさい。お土産は適当でいいぞ〜」
 最後にそう付け加えて、通信を切る。計器をいじくって、今の通信が盗聴されていなかったかなどという事を犬柳機動研究所メインコンピューター『ドレイク』に調査するよう命じ、緑茶の残りをずずっとすする。
 ―――――と。
 コンコン、という音がした。扉の方だ。誰かがノックをしているらしい。
「入れ」
 端的に告げて、扉に向き直ろうともせずに、ゴミのような大量の資料が積み重なっている机の中からいくつか資料を引っ張り出し、それにお気に入りの頭が龍、下が蛇をかたどった万年筆を走らせる。
「相変わらず、お忙しいようですね………」
 柔らかな声が聞こえた。少なくとも、このような声の持ち主は犬柳機動研究所内部にはいなかったはずだが。
 犬柳は、万年筆を机に放ると、イスを軋ませながら回し(回転式のイスなのだ)、来訪者と向き直った。
「メルンか。扉から入ってくるから分からなかったぞ」
「いきなり部屋の中に入っては無作法でしょう?」
 くすくすと、柔らかに微笑む女。亜麻色の長い髪、橙色のひらひらしたワンピース。どこか浮世離れした雰囲気を持っている。放っておいたら、煙となって何処かへ流れていきそうな印象を受ける。それこそ、目を離した隙にいなくなっていても、誰も疑問に思わないであろう。
 誰あろう、ルーンやコル達と共にいた女であった。
「すまんな。白虎双刀はまだ完成してないんだ。以外と知り合いの刀鍛冶が、朱雀刀以上の刀を認めたがらなくってさ」
「いえ、その事じゃないんです」
 やんわりと、メルンは話を打ち切った。話を打ち切られて、犬柳は所在無げに視線を泳がせた。
「ん、じゃあ何だ?」
 万年筆を再び取り上げ、資料に取り掛かる犬柳。書きながらの対応に慣れているのか、話を聞いていない素振りは全く無い。ちなみに資料には、『報告書、というかやかましいムジナ連中を黙らせる論文下書き』と適当に書いてある。下書きだからか、筆跡すら適当である。
「潜入中のDOLLから定時連絡は入っていますか?」
「いや」
 あくまで資料を書きながらも、かぶりを振る。ガリガリと、万年筆の頭―――――要するに龍の部分でマスクに覆われたこめかみ辺りを掻き、続ける。
「三週間前から、連絡が途絶えている。捕らえられてると見て間違い無いだろうな」
「対策は、しているのですか?」
「現在進行形でな」
 ふ〜〜〜、と軽くため息をつきながら、犬柳がまたイスを半回転させる。とんとん、と万年筆で自分の頭頂部をつつきながら、
「まぁ、そこまでの問題は無い。所詮は量産機だし、大した武装を積んでいる訳でも無いし、機密事項に関しては危険に遭った瞬間に破棄するようプログラミングしている。防備は完璧だ。判断を下す簡易思考チップも、三枚備わっている。いきなり奇襲されて機能停止した際でも、機密を破棄させない事は俺にさえ困難だ。個人的に、使い捨ては好まないのだが――――――」
「必要悪だから仕方が無い、ですね」
 メルンが話を引き継ぐ。
 犬柳は、軽くあぁ、と頷く。
「既に第二、第三のスパイは派遣してあるが―――どちらもまだ定時連絡の時間でも無いが、恐らくは既に破壊、ないし捕獲されているだろうな」
「随分と慎重ですね」
「ま、慎重を重ねる事にに重ねすぎは無いさ」
 そこまで言って、湯のみを手に取り、口元でグイと傾け―――中身が既に無くなっていた事を思い出して、軽く舌打ちしながら机に戻す。
「お茶、汲んで来ましょうか?」
 やはりやんわりと、メルンが訊く。犬柳は頷きかけて―――――ハッと気づいて、ぶんぶんと首を振る。
「バカ、お前らの存在はまだ秘密だ。迂闊に中を動かれては、場合によっては情報が伝わっちまう。第一、お前はお茶汲みに来た訳ではあるまい」
「えぇ、勿論です」
 からかっているのか、いないのか。いまいち判然としないが、どちらでも構わない―――――特にこの女の場合は。
「それでは本題ですが………。レイアが、感知したようです」
「…………」
 静かに、万年筆を置く犬柳。メルンの台詞で、犬柳の雰囲気が明らかに張り詰めた。
「配置は?」
「各自を、別々の場所に待機させています。この研究所の方は、フィスカさん達がいるからいいとして、しるくす研の方は先日よりどこかへ外出する準備が進められているようですから、ルーンを、商店街にはレイアを、コルは時計塔の頂上で待機中です」
 そこまでを聞いて、犬柳は素直な疑問符を浮かべた。
「コルは―――――降りられないんじゃないか?」
「あ」
 端的な返事だが、明らかに意外そうな声音だった。どこか浮世離れした雰囲気の持ち主であるメルンが、このような声をあげると、その瞬間だけ現世に現れたような錯覚を感じる。よく見ると、額に大きな冷や汗など浮かべていたりもする。
 なんとなく、アホくさい空気が流れ―――――。犬柳が、深々と嘆息する。
「図星か………」
「う、うふふ……。ま、まぁ、通信が入り次第私が連れて行けば言い訳ですし?」
「…………。それから、全員を一箇所にまとめておけ」
 犬柳が、イスから立ち上がる―――――なぜか空っぽの湯のみを持って。
「戦力は分散させるな。お前らは四人で1チームだからな。相手が何だかも分かっていないのだろうから、その方が不測の事態に対処できる。そもそも、この町は小さくないのだから、四人―――正確には三人か―――じゃあ全部に対処しきれんだろうが」
 メルンが、頷く。
「そうですね。では、そうするように伝えます。ところで、犬柳さんは何処へ?」
「お茶のお代わりを貰いに行く」


 事態がなにやら緊迫の一途を辿っているが。そんな事とはお構いなしに空腹は訪れるのだ。
「お腹……」
 町の中心、お決まりの場所と化した時計塔のてっぺんにて。ルーン、コル、メルン、そしてもう一人………
「お腹……」
 ぼそぼそと、消え入りそうな声で何かを喋っているのは、真っ黒な布で、顔以外を覆い尽くした少女である。身長はコルより多少高い程度。真紅の髪が、僅かに覗いている。
「………レイア」
 ルーンが、その少女―――レイアに向き直る。レイアは、僅かに覗いた顔に無表情を貼り付けたまま、ルーンを見上げる。
「お腹……」
 尚も繰り返すレイアに、ルーンがうんざりとした声を漏らす。
「あのな、お腹……だけじゃ会話できないのは、分かるだろう?」
「………お腹……」
 少し申し訳無さそうな表情になりながらも―――やはり繰り返すレイア。文字通りどこかネジの外れた機械人形のように。
「はいはい、レイア。お弁当のおにぎり食べます?」
 放っておけば世界の終わりまで繰り返しそうなレイアに、メルンが包みを取り出して尋ねる。
 それをぼんやりと見て―――レイアは、ぽつりと言った。
「シャケ………」
「シャケおにぎりもちゃんと作ってますよ」
 そう言って、メルンは包みの端っこからおにぎりを一つ掴みあげ、レイアに差し出す。
 レイアはやはり無表情のまま手を伸ばしかけて―――――
「!!」
 すぐに引っ込めると、ぷいと反対方向を向いてしまう。
「? どうかしたの?」
 万年慢性おとぼけ症のようなコルでさえ、流石に不思議に思ったらしい。
 全員の視線を一身に受けて―――――。レイアは、蚊の鳴くような声で言った。
「敵………」


「くっそ!!」
 あからさまな声で悪態をついたのは、言わずもがな怪盗レトルト犬柳である。今はりず、セルティ、フィスカ、サニアと一緒である。ちなみに地上の、しるくす研へと続く道の途中である。
「犬柳機動研究所メインコンピューター『ドレイク』でも捕らえられない敵となると………」
 犬柳の少し後ろを走るフィスカが、走るスピードを緩めようともせずに言った。
 いつもより幾分か真面目な表情のセルティが続ける。
「相手は相当な奴なのかなぁ………」
 サニアが、こくこくと頷く。
 彼女達は今、いつもの私服では無い。要所要所に小さな機器が取り付けられた、身体にぴったりとウィットする、銀色の犬柳特製のバトル・ジャケットを装備している。このジャケットは、簡易的なステルス機能、柔軟性、耐久性、防弾性を実現している。更に分かりにくいいくつかの場所に、いくつか武器まで仕込んでいる。まさに完全武装といった出で立ちであった。
「いや―――――」
 唯一普段と変わらぬ格好の、犬柳が重く首を振る。
「『ドレイク』のレーダーは常に最新鋭の物にしている。それから逃れられる者など、滅多に居ない。いたとしても、それこそ単身突撃してくるようなおろかな真似はしないだろう。そう簡単に手の内を明かして、損をするのは連中なんだからな………」
「あのっ!! お取り込み中、申し訳っ、無いんですがっ!!」
 犬柳達の、かなり後方から情けない叫び声が上がる。
 走るスピードも緩めず振り返ると、泣き声を上げているのは、りずだった。
「なんでっ、戦闘できないっ、私までっ、駆り出されてるんですかっ!?」
「馬鹿を言うな」
 犬柳が即座に答える。
「サニアだって戦闘型では無いぞ。第一、お前らにも一応戦闘モードはあるだろうが」
「それでも、フィスカさんやセルティさんには及びませんよ……」
 疲れたのか、ぼそぼそとそう呟く。
 それを見て、犬柳は、恐らく仮面の中に冷笑を浮かべて、冷酷に告げる――――。
「いつまでもそう言っていられると思うなよ。やがては―――そういう事すら言えない状況になるんだからな。戦闘中にぼうっとだけはするなよ」
「え………?」
 怪訝に聞き返す、だが。
「着きましたよ」
 フィスカがそう言った。りずが思わずはっとして顔を上げると、しるくす研究所の前にまで来ていた。
 そして、そこには、向き合う五人の人影がいた。

「ルーン!!」
「………犬柳か」
 ルーンが、気を抜くことなく一瞬だけ犬柳の方を見る。その手には一振りの抜き身の刀身があった。犬柳と知り合いの刀鍛冶が共同して作り上げた刀、『朱雀刀』である。刀身が真っ赤に白熱しているのが特徴と言えば特徴か。
 ルーンの傍には、メルン、コル、レイアもいた。全員臨戦態勢を取っており、その視線の先には―――――
「………DOLL?」
 虚ろな目をした、一体のDOLLがいた。
 機能美を一切考えられていないデザイン。僅かな胸の膨らみなどから、女性型とは認識できる程度。頭の方は、は完全にヘッドセットで覆われている。ボディの方も、人工皮膚は一切使用せず、機械的なボディを簡易的な透過装甲で覆っているに過ぎなかった。
「恐れていた事態になりましたね………」
 メルンが、犬柳に近寄りながらつぶやく。
 その光景を―――――
「なんだりず。その親の敵を見るような目つきは」
 犬柳がそうずばりと指摘すると、りずは犬柳を睨みつけたままぼそりと言った。
「いえ別に……そこの方々は誰なんです?」
「………何怒ってるんだお前?」
「怒ってなんかいません!」
 そう主張するも―――――
「りずちゃん、怒ってるよねぇ?(ぼそぼそ)」
「怒ってますねぇ(ひそひそ)」
「………(こくこく)」
「そこっ! 何話してるんですか!?」
『なっ、なんでもありません!』
 セルティ、フィスカ、サニアがひそひそ話をしているのを目ざとく見つけるりず。そのあまりの勢いに思わず圧倒される。
「あら犬柳さん。私達の関係、彼女に教えてあげていないんですか?」
「か、関係!?」
 当然というか、案の定というか、明らかな誤解をするりずであったりする。
 しかし犬柳は長々と議論するつもりがないのか、めんどくさそうに手を振ると、短く言い放つ。
「あーもう、そんな事は後回しだ。今はあのDOLLを破壊する事に専念しろ! できれば無傷に近い状態で回収とかしてくれちゃったりすると嬉しいぞっ!」
「無理を言うな、無理を………」
 ひどく冷静なルーンがそう指摘する。
 回収、という単語を聞いて、りずが形の良い眉をひそめる。
「回収って事は、何か悪い事に利用しようとでもしてるんですか?」
「いや元々、俺のDOLLなんだがな。ちょっと敵対勢力に捕まって、改造されちまってるっぽいんだ。調べれば、敵方の技術も少しくらい分かるかもしれん」
「敵方って………政府とかじゃないでしょうね?」
 またりずが質問する。どうやら、この場にいる者で事情を知らない者はりずだけのようである。
「いくらなんでも、日本政府ごときに俺様のスパイが捕まるか」
 そう言って、DOLLの方に集中する。
 議論の間、DOLLは至って静かだった。わざわざ待っていたのか。それとも、何か理由でもあったのか。知る由も無いが。
「話し合いは、終わりか?」
 DOLLが、唐突に口を開いた。冷たい声音。しかしDOLLが喋った事に一番驚いたのは、誰あろう犬柳であった。
「量産タイプに………。会話の思考システムは、装備させていなかったはずだが?」
「無駄口が好きなようだな」
 DOLLが、笑みを浮かべた―――――気がした。しかし、その台詞が終わらない内に、DOLLの腰部分から鉛弾が掃射された。
 弾丸がコンクリートの地面に直撃し、爆音が付近に響く。犬柳達は、慣れた感覚で即座に左右に飛び退いた―――――反応が遅れたりずを除いて。
「え………」
 りずの視覚には、その掃射はどう映っていたのであろうか。おそらく、ひどく場違いな物に映っていたであろう。
 日中の一般公道で、しかも堂々と発砲するなど。
「バカッ――――――!!」
 反射的に、犬柳はステップを止め、りずの首根っこを掴み、自分の後ろに回す。そしてまた駆け出す、が―――――。
「ぐぅっ!」
 銃弾の数発が、犬柳に直撃する。さしもの犬柳も銃弾には勝てないのか、マントにいくつもの穴が開き、手で抑えた間から血がにじみ出てきた。
 ―――――奇妙な、茶褐色の血が。
「ま、マスター、その血………」
「黙ってろ! 下手に動かれると、また弾に当たる!!」
 叫び、電柱の陰に向かう。しかし、DOLLは容赦なく弾丸を浴びせ続ける。
「くっ―――――!」
 キィン!!
 甲高い金属音と共に、DOLLと犬柳の間にルーンが割って入る。ルーンは白熱した刀を巧みに操り、迫る弾丸を切り払う。
「すっ、すまん!」
「礼を言う暇があったら下がれ! 朱雀刀では限界がある!」
 叫びながらも、刀を止めない。ルーンが、相当の猛者であるのは一目瞭然である。
「このっ! 止めろってば!!」
 先刻からトゲゴマを振るうコルであったが、武器の関係上どうしても大振りになるコルの攻撃では、DOLLを捉えられない。あまつさえ、DOLLはかわしながらでも攻撃を犬柳に集中させている。優先対象なのだろうか。
「上………!」
 レイアの声に呼応するように、コルは咄嗟に身を翻しDOLLから距離を取る。一瞬遅れて、さっきまでいた場所に遠くからの援護攻撃と思しきキャノン砲が着弾する。
 一際巨大な爆音が響き、コンクリートで舗装された地面が無残にめくれ上がる。破片が飛び散るが、レイアがまっすぐ突き出した両手から出現した目に見えない歪曲場にせき止められ、破片が止まる
「援護している敵は………あっちですね!」
 援護攻撃をしている敵の、大体の目測を付けたフィスカが跳躍する。生半可な跳躍ではない。家を数軒飛び越えるほどの、長距離跳躍だ。
「サニアちゃん、今だよっ!!」
 そして両手にガトリング砲を構えたセルティと、サブマシンガンを肩から下げたサニアの躊躇無き射撃が、DOLLへと迫る。しかし軌道を読んだのか、DOLLが高く跳躍する。
「くそっ!!」
 ルーンが毒づきながら、自身も高く飛び上がり、DOLLに刀刃を振り下ろす。その太刀筋は鋭く、例え木刀を使用していたとしても、金属すら断絶できるであろう一閃。
「断つ!!」
 ズピャッ!!
 鈍い音。朱雀刀に左肩から先を持っていかれ、DOLLが空中で姿勢を崩す。
「あ〜、馬鹿ルーン! 可能な限り無傷で捕獲って言っただろうがぁ!!」
「馬鹿か貴様は! そんな事言っている場合か!!」
 犬柳の、(場違いな)叫びにわざわざ応え、ルーンは地面に着地する。DOLLはと言うと、姿勢を持ち直す事が出来ずに、背中からコンクリートに直撃する。
「やったの!?」
 コルが歓声を上げながらも、ルーンの傍らでコマを構える。油断をしている様子も無い。
 直撃の衝撃で、コンクリートの下までめりこんだDOLLは、土煙にまみれて姿が見えなかった。もうもうと立ち込める煙。身構える犬柳チーム。
 ―――――ややあって。
 突然、犬柳の背後のコンクリートの地面から、無音でDOLLが立ち上がる。その右手はライフル銃のような形になっており、その先端はしっかりと犬柳にロックオンされている。
 ライフル銃である。例え犬柳であろうと、この距離で直撃を喰らったら、身が持つ訳がない。
「しまっ―――――」
 犬柳と、ルーンが同時にうめくより先に、DOLLが冷淡な声を漏らす。
「攻撃命令、目標犬柳」
 銃の先端が―――――人を一撃で死に至らしめる狂気の兵器の穂先が、その役目とは裏腹にきらりと輝いた。
 だが、DOLLは続けて呟いた。
「攻撃命令を破棄………」
「!?」
 その場にいた者達が、同時に息を飲んだ。全員が、同じ事を考えていた。
 『今、あのDOLLは何と言った―――――?」
 その答えは、再びDOLLの口から繰り返された。
「攻撃命令、命令を破棄……攻撃命令、命令を破棄……攻撃命令、命令ヲ破棄……、コう撃メイレイ、命れ、れれイを破棄、破棄、破棄………」
「いかん!!」
 犬柳が叫ぶ。あのDOLLは、恐らく敵対勢力によって、犬柳自身を最優先攻撃目標に設定されていたのであろう。そして、その命令こそが、あのDOLLのプログラムの根幹にされていたのである。しかし、何らかの要因で、DOLLが命令を拒んだ。それは即ち、自身の存在自体を拒んでいるのと同じである。自身を拒んだ機械の行く末は―――――暴走である。
「ルーン! あいつの腕を切り落とせっ!!」
「お前にっ、命令されるっ、筋合いはっ、無いっ!!」
 叫ぶルーン。しかしながら、ルーンはDOLLに数秒の間に肉迫すると、たった一振りの太刀で、腕と腰部分のガトリング砲のみ―――つまり、DOLLの持っている武器を破壊していた。
 あのタイプのDOLLは、ステルス性などを重視した設計ゆえ、生身での格闘戦能力は低い。戦闘力は高めてあるようだが、それでも素手では犬柳を殺せないだろう。
 つまり、あのDOLLは、『犬柳を殺す方法を失った』のである。意味のある攻撃方法を失えば、攻撃命令自体が意味を持たなくなる。だが―――――。
「攻撃不可能………機密を守るため、自爆命令を実行………」
「じ、自爆だと!? ど、どうすれば―――――」
 ルーンが、どうすればいいのか分からずに狼狽する。
 だが、犬柳は―――――
「ちくしょう………畜生っ!!」
 犬柳が、駆けた。DOLLとの距離が元々狭かった事も手伝って、たいした時間もかからずにたどり着き―――――
 犬柳の手刀が、いとも簡単にDOLLの首に食い込む。DOLLの首が、宙を舞った。
 命令を下す思考チップが組み込まれているのは、あくまで頭部なのである。そして、頭部からの命令を実行に移すのが、胴体である。この辺りは、犬柳が製作したDOLLなので、本人にはわかりきっている。
「全員、逃げろっ!!」
 次の瞬間には、DOLLの胴体部分が爆発を起こした。激震が近隣を包み、衝撃で家々の窓ガラスがびりびりと震える。
 爆発が収まって、全員がしるくす研究所の中に逃げ込んでいた。
「おいっ、しっかりしろっ!」
 犬柳がDOLLの頭を抱えていた。DOLLは、しばしヘッドセットのディスプレイに砂嵐を表示させ、沈黙していたが―――――
 一言だけ、呟いた。
「ありがとう………マスター…………」
 そして、そのDOLLの頭部の中から、回線が焼き切れる音がして―――――ディスプレイにも、何も表示されなくなった。


〈了〉