団扇で扇いでも、生ぬるい風しか来ない。
 もうこうなると、『暑い』と言う気力もなくなる。
「あのさぁ……」
 私は左手に持ったタオルで汗を拭き取りながら、声のした方を睨んだ。
「俺たち付き合わねぇ?」
 にやけ顔の遠藤が言った。
 私は無視を決め込む事にして、また目の前のプリントに視線を落とす。
「なぁって……。無視るなよ……」
 いくら考えても、47都道府県は埋まりそうにない。
 自分が住んでる九州と北海道までしか分からない私にとって、完成させるのは不可能に近いことだ。
「……兄貴が好きだからか?」
 遠藤の言葉が耳に響いた。周りの音が消え、体温が少し下がったような気がした。
「……え? あんたの?」
「違うよ。お前の」
 遠藤はいつの間にか真顔になっていた。
「は、ははは! 馬鹿じゃん、あんた! 頭おかしいんじゃんないの?」
 無理に笑ってみるが、引きつったような笑い方になってしまう。
 遠藤は、無言で私を見つめている。耐え切れず、私は頭を下げた。
「好きな奴の好きな奴って、分かるんだよ。見てたらさ」
「……え?」
「お前の兄貴って、野田と付き合ってるんだろ?」
 野田――沙織は、私の親友だ。
「あいつが、お前の兄貴の話してる時って、お前すごい顔してるんだぜ、知ってた?」
「え?」
「口元は笑ってるんだけど、目は野田の方見てなくて、全然笑ってないわけよ」
 ……気付かなかった。私はいつも笑顔で聞いてたつもりだった。
「野田のこと、実は嫌ってんのかなぁって思ってたけど、やっと分かったんだよ」
 そこで、大きく息継ぎをして、遠藤は続けた。
「……こないださ、見たんだよ。お前ら、目がすげーソックリだからさ、すぐ兄妹だって分かったけどさ。 兄貴見てるときのお前の顔、俺今まで見たことなかった。あんな笑い方できるんだって思って……」
 そこで、言葉が途切れた。
「それで、何が言いたいの? 気持ち悪いとか?」
 自虐的に言った。声が少し震える。
「そ、そうじゃなくてさぁ、『俺はどう?』ってこと」
 遠藤はさっきのおどけた感じに戻って、自分に親指を向ける。
「どうって?」
「俺だったら、お前のこと幸せに出来るぜ」
「……」
「……とかね、言ってみただけ。いいよ。応えなくて。分かってる。  俺がもし誰かに同じこと言われても、やっぱりお前を想い続ける方を選ぶし……」
 返す言葉が見つからなかった。たまった汗を拭うと、涼しい風が吹いてきた。
 それを合図とするかのように、遠藤は立ち上がった。
「よっしゃ! じゃ、帰るとするかぁ!」
 遠藤は私の机に近づき、プリントを置くと、ドアの方へ歩いていった。
 プリントを見ると、47都道府県全部埋まっている。
 ……終わってる。え? じゃあ、なんで残ってたの?! 「ちょっと! これ――」
 遠藤の背中に声をかける。
 遠藤は苦笑いで振り向くと、
「頑張れよ」
 笑顔でそう言い、教室から出て行った。
「何なの、あいつ。意味分かんない。」
 しばらく呆然とした後、独り、呟いた。
 目の前のプリントがかすんでいく。
 ごまかす為に、私はタオルを顔に当てた。



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『私』書き直しバージョン