22.Q 仏教説話の雪山童子と偈と帝釈天の関係にはどういう意味がありますか?

 A 雪山童子を発菩提心の衆生(菩薩)、偈を「悟りの法」帝釈天を仏の使いと考えてみたらどうでしょう。表彰状を授受する時をイメージするとわかりやすい。師が努力の結果の証(あかし)を状として弟子に授与する。弟子はそれを受持する。手から手へしっかりと与えたものを受けとる。唯仏与仏(唯仏興仏)の世界のことです。
 仏の側からはこの「悟りの法」をなんとか衆生に与えようとアメやムチ(利益や損)、他ありとあらゆる方法を使って日夜、瞬時も怠ることなく努力している。この方法とは日常おこるでき事、経験はすべて仏のはたらきという意味。
 衆生の側からは手筈どうり受け取ればよいわけですが、顛倒(てんどう)の衆生といって我らは右を左と思い、上を下だと思い、虚を真だと思う。仏のアメ(精神的な充足や物質的な満足)を「仏の智慧を得た」と慢心する、勘違いしてしまう。「なんだ、顛倒の衆生とはオレのことじゃないか」と気づく、その「気づき」が肝要なんです。仏の妙法をたもつとは実はこのことなのです。そして、それを可能にしてくれる近道が「信」。信の中味、それが発菩提心と不惜身命の行(童子の行)なのです。
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