38.Q 分別が迷いとすれば「悟り」はいかなる分別になりますか?
A 悟りは無分別(無分別智)といい、これを仏の智慧ともいう。無分別は直覚作用である。対象に対して判断や推理、少しの思慮分別をも加えないということです。
<四図>のAのように直覚作用は境と根が向かいあっている状態で、実際には向かい合っているという意識すらないということです。たとえば形や色を見る、音を聞く刹那にはすでに判断・分別をしているわけで、(これは意識しているという自覚はない)その判断・分別をした前の経験をいうのです。
<四図>Dのように一般には因←→縁→果の流れのように因という意識があって、縁という一方の意識を想起して果という判断、分別が起こると考える。しかしこの考えは「世法の因果」であって仏教でいうところの「縁起の法」とは異なる。<四図>Cのように因と縁は直覚作用によって因縁ともに現在刹那となる。これが無分別であり、無分別智という果を倶なってくる。この場合の果も因縁と同様に時間的には現在刹那になる。「悟り」は因と果の時間が同一のゆえに無分別、「迷い」は因と果は時間が異なるので分別ということです。