40.Q 見惑・修(思)惑と修行の位との関係はどうなりますか?

 A 小乗の修行の階位は見道、修道、無学道の三道で、見道は、はじめて無漏智(むろち、凡夫の智慧<有漏智>に対して、聖者の智慧)を生じて四諦(仏教の真理)を現観する(明了に見る)位。この見道で絶つ煩悩が見惑である。修道は、見道の後にさらに具体的な事象に対して繰りかえし修練する位。この修道で断つ煩悩が修惑である。無学道は、学ぶべきものがない、一切の煩悩を断った位である。
 天台宗では見思・塵沙(じんじゃ)・無明の三惑(さんなく)を説く。見惑と修(思)惑を見思の惑と名ずける。塵(ちり)や砂のように数えきれない、無量の迷いを塵沙の惑という。これは他を化導するときに生ずる。諸惑の根本で中道第一義諦の道理に迷う微細な煩悩を無明の惑という。この三惑は空観・仮観・中観で断たれるとする。見思は三乗に共通する惑であるから通惑、塵沙・無明は菩薩のみが断つ惑であるから別惑という。また見思は三界の内で起こすから界内の惑、無明は三界(後述)を超えて起こるから、界外の惑、塵沙は両方に通じて界内界外の惑という。
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