52.Q 菩提心を発こすことが「成仏の要諦」とA51で言われましたが、何を根拠にしているのですか?
A Q&Aの7で言いましたが、菩提心を発こすことは、大乗の教えでは「完全なさとり」へのスタートラインにつくことになる。自覚覚他の本格的な実践修行がスタートするともいえる。また「空の実践」(一切の世俗の執着から離れる訓練)はそのスタートラインにつくまでの訓練になる。たとえば、マラソンのランナーが厳しいトレーニングをして選手にえらばれる。そして栄光のゴールテープを切るためにスタートラインにつくようなものです。トレーニングをするのは空の実践、ゴールを目標にスタートラインにつくのが、菩提心を発こすことである。(目標を完全な悟りに定める)
華厳教の梵行品に「初発心時便成正覚」(初発心の時、便ち正覚を成ず)の文がある。初発心とは初めての発菩提心(発心)のこと。正覚とは悟り。便成正覚とは直ちに成仏すること、円教(最高、完全な教え)の立場では、初発心とは菩薩の修行位(五十二位)の初住の位。初住の菩薩が一分の無明を断じて、真如法性を証得した位になる。なぜかというと、この位は先の八相成道のはたらきを現すからである。無明は四十二あるといわれているが、仏がすべての無明を断じた位なら菩薩は一分の無明を断じた位である。一分の無明を断ずることによって「完全な成仏」に至る方法を知るということであるから、菩薩の境地は法悦を体感するのである。
そこで「一体無明とは何者なのだ」ということになるのだが、そもそも「苦」や「迷い」の煩悩はなぜ生じてくるのかといえば、あたりまえのことで「生きている」からである。死んでしまえばなくなる、生から死へどんどん近づき、そのぎりぎりの死の一線の所に煩悩の根本である無明の正体がある。それは「生きたい」という極微の意識(生存欲)でもある。