62.Q 釈尊が瞑想や苦行のなかで発見したものは苦楽中道といわれていますが、中道とは何ですか、どんな実践方法ですか?

 A 中道とは、両極端を離れることによって得られる、かたよっていない中正な道の意。両極端を離れることによって、苦しみや迷いの煩悩をコントロールして、真の生き方を発見しようということである。
 そもそも、苦しみや迷いの煩悩は、あることに執着していることから始まる。目の前に甘いケーキがあって「食べたい」という欲望が生ずるから執着が始まる。朝になって「まだ寝ていたい」と欲望が生ずるから執着が始まる。目の前に美人がいて「さわりたい、ねたい」と欲望が生ずるから執着が始まる。これらの「〜たい」という欲望が生じなければ執着は起こらず、「苦」は生じない。そこで、この欲望を何とか、うまくコントロールしようというのが中道の実践なのです。
 この欲望には、見えやすい「表の欲望」と見えにくい「裏の欲望」がある。表の欲望が「雑兵」に対して、裏の欲望が「大将」。この対象は陰で糸を引く「黒幕」。この「大将の欲望」を討ち滅ぼすことが、戦の鉄則である。ところがこの大将、なかなか姿を見せない。姿の見えないものを相手に戦はできない。古来インドでは仏教以前から、この姿を見るにはどうしたらよいかということで、修行者がいろいろな「行」をためしてきた。その代表が「瞑想」と「苦行」であった。
 59の図のように、二辺の極を右へ振ったり左へ振ったりしながら、見えないものを見ることが中道の実践。矢は弓をギリギリまで引くことにより遠くへ飛ぶように、振り子も「極」まで振ってから離すところに意味がある。
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