9.Q 幸福を求めるかぎり、成仏はないということですか?

 A <図2>のAさんが求めていた天界のへり(絶対的幸福)に成仏があるというのは幻想であり、虚妄(真実でないこと。うそ、いつわり)です。山手線を下車するということは一切の煩悩の執着を一旦離れるということ。即ち我々が生活しているこの六道の世界は方便(うそ、主段)なのだから捨てましょう。ということなのです。
 仏や菩薩が衆生を導く方便の中に立要巧(ぎょう)方便(善行を行えば必ず何々を与えると約束を立てて導く)や異相巧方便(教えに従わないものには恐ろしい相を示して導く)がある。「この仏様や御本尊を信じて拝めば、病気は必ず治るし、商売や仕事は成功するし、家庭の不和もなくなって幸福になりますよ。疑ったり、教団の決まりを守らないと地獄に落ちますよ」という言葉です。分かりやすく言えば「功徳と罰」「得と損」のこと。
 信心修行の結果、「幸福の実感や現証があった」というのは、仏法のすばらしさを仏が教える為であって、その幸福はあくまで主段・方便なのです。その仏の主段や、仮の教えである幸福にしがみついているかぎり、成仏(悟り)はないということです。
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