Italo Calvino


『レ・コスミコミケ』イタロ・カルヴィーノ(ハヤカワepi文庫)

 >  エドウィン・P・ハッブルによって始められた星雲拡散速度の
 > 計算を通じて、拡散を開始する以前に、宇宙の全物質が
 > ただ一つの点に集中していた時点を確定することができる。
 >
 >  もちろん、だれもかれも、みんなそこにいたとも――と、
 > Qfwfq老人が言った――さもなくって、どこにいられたものかね?
 > 空間の存在が可能だなんてことは、まだだれも知りゃあしなかったからね。
 > 時間にしたって、然りだ。
 
 引用させてもらったのは本書の収録作「ある一点で」の冒頭部。本書の語り手であるQfwfq爺さんの法螺話は全部こんな調子で始まる。科学的な一文を受けて、Qfwfq爺さんはいろんなトキいろんなトコにいたその当時の話を語る。
 ビッグバン前の〈ある一点〉にいた頃の話、世界でただ独り生き残ってしまった恐竜だった頃の話、月が地球の近くにいた(棹で突付けるくらい近く!)の頃の話――Qfwfq爺さんはいたるトキいたるトコにいたんだという。
 そんなQfwfq爺さんの話は何とも荒唐無稽で、そんなことあるかーと突っ込みたくなるけど、いやいやQfwfq爺さんならそんなこともありうるのかもしれんなあと思ってしまえるような、魅力的な語り口についつい引き込まれてしまう。

 そう。

 そうなのだ。この魅力的な語り口がクセモノだったりするのだ。例えば空間というものがなかった頃に空間の話をしたり、〈しるし〉なんてものの意味がないトコロにつけた〈しるし〉の話をしたり、Qfwfq爺さんはいろんな話をしてくれる。簡単な言葉で、でも安易な言葉は使わずに、すっきりとした、鮮明で、そして情感たっぷりに、とても、とてもいろいろな話をしてくれる。そんなQfwfq爺さんの昔話はこちらの想像力を軽々と超えていき、そして、とても、とてもおもしろい。Qfwfq爺さんの話に、想像力をかきたてられる。

 そう。

 そうなのだ。この想像力がこれまたクセモノだったりする。例えば冒頭に引用させてもらったように、Qfwfq爺さんの昔話は科学的な一文を受けて始まる。
 宇宙の物質がただ一点だった時点を確定できる、とハッブルは言う――うむうむそうじゃった、あの頃はただ一点しかなかったからみんなスシ詰め状態だったもんじゃ、とQfwfq爺さんは話を始める。
 科学的な――それを絵に描いてみろと言われたら非常に困難であろうと思われる概念的な一文から始まるにもかかわらず、Qfwfq爺さんはとても視覚的な、こちらのイメージを湧きたたせるような、昔話をしてくれる。Qfwfq爺さんの話を受けて、少ない想像力を湧きたたせて、空想してみる。うーむ、いったいそれはどういう――?

 そう。

 そうなんだ。空を仰ぎ、それって一体どういうもんなんだろう、と想いを馳せる――。空想っていうのは、小説っていうのはまさしくそういうものなんだ。と再認識した。しかも、空想に耽りながら。オチャメで、ユーモアたっぷりで、恋多き、Qfwfq爺さんの法螺話に思う存分笑わせてもらいながら。ううむ、いやはやまったく、何て贅沢な。アレこそまさしく至福の時ってヤツだったんだろう、きっと。

(2004年8月22日更新)

離れ茶房<書斎>へ