John Dickson Carr


『三つの棺』ジョン・ディクスン・カー/三田村裕・訳(ハヤカワ文庫)

 >  「しかし、もし不可能な状態を分析しようとされるのだったら」
 >  とペチスが口をはさんだ。
 >  「なぜ推理小説を論じるのですか?」
 >  「なぜならばだ」と、博士はずばりと言った。
 >  「われわれは推理小説の中にいる人物であり、そうではないふり
 >  をして読者たちをバカにするわけにはいかないからだ。手のこんだ
 >  口実をつくり出して、推理小説の論議に引きずりこむのはやめよう
 >  じゃないか。書物の中の人物たちにできる、最も立派な研究を
 >  率直に誇ろうじゃないか。」


 何故だかはよくわからないけれど「ミステリに必要なのはケレン味と怪奇趣味とアクロバティックな論理による解決だ」と考えている節がある。怪奇趣味に彩られた不可能犯罪をアクロバティックなロジックで解きほぐす。まあそんな考えをもっちゃったのは最初に読んだミステリがあのへんだったりそのへんだったりするのに由来しているのかもしれない。

 そういうわけで、溢れんばかりのケレン味と全編を通して醸し出される怪奇趣味とで彩られた不可思議な謎がアクロバティックなロジックにより解明された瞬間は叫ばずにいられない。何てこったい!

 おお、何てこったい! お見事、天晴れ、いやはやまったくもって、これこそまさに「おお何てこったい」だ。今までの伏線が一気に反転して真実に一変する瞬間。その「おおおっ」というあの肌寒さはケッサクに共通するあの「何か」だ。

 > “どうしてあいつがあの部屋を抜け出したのかは、神のみぞ知るだ”


 被害者であるグリモー教授は最後にそう呟く。まったくもって、いったいどうして。いやはやまったく、どうやってあいつがあの部屋を抜け出したのかはまったくもって“神のみぞ知る”だ。それがわかった瞬間、そんなバカなと叫びたくなる。家へ帰る途中、電車の中で読み、真相まで後もう少しというところで駅につき、寒風吹きすさぶ中、駅のベンチに座りしばし読み耽る。読み終える。そんなバカな。おお、何てこったい。いやはやまったく、おお、何てこったい――。

 おおバッカスよ!

(2004年8月14日更新)

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