John Crowley
| 『エンジン・サマー』ジョン・クロウリー/大森望・訳(福武書店) |
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叙情系SFの最高峰。 【嵐】と呼ばれる大破壊の後の、遥か未来の北アメリカが舞台となり物語は始まる。そこではインディアンの末裔たちが過去の機械文明を失いながらも、一種の牧歌的ユートピア社会を形成していた。そうした集落の一つである【リトルビレア】には、大小様々な部屋がさながら蜂の巣のように密集し、【このは系】【てのひら系】【ほね系】といった系統に分かれた奇妙な一族が住んでいた。 物語は〈しゃべる灯心草〉と呼ばれる少年の独白によって始められる。彼は少女を相手に、"聖人"になろうとして彷徨した自分の冒険譚を語っていく。〈一日一度〉と呼ばれる美少女や、〈ドクター・ブーツ〉と巨大な猫族の物語、そしてラピュタと呼ばれる天上都市と謎の水晶体の物語……。象徴と寓意に満ちた、アメリカのファンタシィ界の異才ジョン・クロウリーのSF代表作。 題名の「エンジン・サマー」は、インディアン・サマー(=小春日和)が長い時間を経て変化した形であり、一瞬であった超高度な機械文明の「偽りの夏」を意味する。機械文明が崩壊した後の世界から振り返って見た「機械の夏」。〈しゃべる灯心草〉たちのすむ地上の世界の、「嵐」を経ること何世代かあとのつかのまの穏やかなひとときを象徴し、しかもそのあとに来るのは冬、本当の冬であることを示唆している。哀切なラストに相応しいタイトルだ。また、表紙であるMichael Parkesの『THE MAGICIANS DAUGHTER』。これがまた、黄昏た雰囲気を醸し出している。 小難しい世界設定が多いSFではよくある状況説明を省き、語り手である〈しゃべる灯心草〉が訥々と個人的な体験を語っていくスタイルをとるため、少なからず世界の成り立ち方がわかりにくい部分があるが、それがまたこの叙情的な世界を描くのに適しているのだろう。全体に哀愁が漂っている作品である。そのラストで見せる世界は非常に哀しい。 本書は北野勇作『クラゲの海に浮かぶ舟』(徳間デュアル文庫)と枠組みが似ている。いや、枠組みは多分『かめくん』(徳間デュアル文庫)に似ているのだが、比較するならば『クラゲ』の方だと思うのだ。非常に叙情的で、ある種のノスタルジーが感じられる。そして、根幹的な部分においても似ているのだが、それは読んでのお楽しみ、ということで。 それにしても、複雑に入り組んだ織物みたいな話だ。経糸と緯糸が複雑に絡み合い、綺麗な絵柄を作り出している。 読み解けている自信は全くない。今後、何度も読み直していきたい。そういう作品。 正直なところ、本書に関してのまともな感想は書けそうもないのでこのように書いているが、実際はもう筆舌に尽くし難いほどである。ああ、何と言ったら良いのか。ただ、私の中での海外SFのオールタイムベストであることだけは間違いない。 残念ながら絶版となっているため、図書館で借りるか古本屋で探し出すなりして是非とも読んで頂きたい。
(2002年8月1日更新)
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『リトル、ビッグ (I)』ジョン・クロウリー/鈴木克昌・訳(国書刊行会)
『リトル、ビッグ (II)』ジョン・クロウリー/鈴木克昌・訳(国書刊行会) |
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すべては、今は昔の物語。 大都会の彼方、とある森のはずれに、此岸と彼岸とをつなぐ一軒の広大な屋敷〈エッジウッド〉が建っていた。そこでは現実と空想の世界が交錯し、一族は妖精の存在を信じていた。19XX年夏のある日、一人の青年スモーキィ・バーナブルが〈エッジウッド〉邸の主ドリンクウォーター博士の娘と婚礼を挙げるために屋敷を訪れた。「察するところ君は、どんな世果に飛び込んでゆくのか承知していると思うが……」そこに暮らすことになったスモーキィは、やがて自分がその一族に纏わる謎と神秘の世果に絡めとられ、長い長い物語のうちに引きずり込まれていることに気づきはじめた……。 ――いやはやまったくこいつは何ともスゴイじゃないかヤバイヤバイこりゃヤバイと思いながらぼちぼちと1週間ほどかけて1巻を読み終えた。1巻のラストでは物語の主な視点はスモーキィから息子のオーベロンへと変わっている。さっそく2巻に取り掛からねば。 ――取り掛からねば、と1巻を読み終えたときは思ったのだ。確かにそう思ったのだが、物事というヤツはそううまくはいかないもので、2巻に取り掛かろうとした矢先、卒論の中間発表の順番が回ってきてしまった。まったくもってさっぱり何の用意もしていなかったため、その後の一週間はひたすら参考文献を読むために費やされ、小説の類は一切読めなくなった。いやはやまったくなんて間の悪い、ああ続きが気になるなあと思いながら、『著作物流通と独占禁止法』なんて本を読んで自分なりの著作物流通に関する考えをまとめるのに一週間の全てを注ぎ込む。まあそれはそれでおもしろかったのだけど。 ――そんなこんなで中間発表も無事終わり、よしそんじゃいっちょ続きを読むとすっかー、と本腰を入れて読み始めようとしたのが昨日。 読み終えたのが今日。 一週間かかった1巻と違い、2巻は一気呵成に読み終えてしまった。1巻より2巻の方がちょっとばかし展開が速いというのもあるし、家系図が頭の中に入ったので余計な時間を使わずに済んだ、というのがあるのだろう。あるのだろうけれど、一気に読んでしまったのは事実なわけで。いやはやまったく。 すごかった。 読み終えた後、一体なんでこの物語を読むのを途中で中断してしまったのか、と悔やまれた。卒論の中間発表なんてものより先にすべきことがあるんじゃないか。そんなものは適当にやっておけば問題ないのだ。卒論の中間発表なんかより、試験なんかより、就職活動なんかよりも、もっと違う「何か」の方が。きっと役に立たない、重要ではないその「何か」。そちらの方がたぶんきっと自分にとってはかけがえのないものなんじゃないだろうか。 ――ファンタジーというものはさほど読んだことがないし、これがファンタジーだ、という確固たるものはもっていない。そこに、そんなアタマの中に『リトル・ビッグ』はやってきたのだ。そう、ファンタジーはまったく読んでいない私でもたぶん言っていいだろう。いや、 言い切ろうじゃないか。 これこそがファンタジーだ。これぞまさしく“ fairy tail ”だ。ファンタジーを読んだことがあるヒトは本書を読んでファンタジーを再定義し、ファンタジーを読んだことがないヒトは本書を読んでファンタジーとは何かを知るといい。これこそが現代の妖精物語だ。少なくとも私の中では、これこそがまさしく“物語”だ。 すべてのファンタジー好きとすべての物語好きへ。 この物語を拡散させろ。 拡散させるために“物語”はある。 ――と、一応感想はここで終わる。もちろん、ここの感想は基本的に近しい人に最近自分が何を読んだのかを見てもらうために書き始めたものだし(知らなかったかもしれないけど実はそう)、実際それ以上でもそれ以下でもないのだけれども、でもやはり人に見せる感想という以外に、未来の自分に対する備忘録的意味合いも一応あったりする。というか最近はこちらの意味合いも結構大きい。ので、大変申し訳ないがもう少し長々と書かせてもらうことにする。これ以降は、多分さほど面白いものではないし(それでは今までは面白かったのかと言われると頭を掻いて誤魔化すしかないが)、以下の文章はかなりというよりも本書の核心をなす(と思われる)大きなネタバレも含んでしまう。この先も読まれる方は、そこのところををご了承頂きたい。 タイトルの「リトル、ビッグ」が一体何を表しているのか、は解説で紹介されていたディヴィッド・プリングルが言うように多種多様な読み方があるのは確かなことだと思う。もちろん、その中の一つに、第二章Cにある「リトル、ビッグ」で、アリスが感じたことも含まれるだろう。ただ、本当に様々ある読み方の中で、私は「リトル、ビッグ」をスモーキィの小さな物語と妖精たちの大きな物語、と言う意味でタイトルを取りながら読み終えた。もちろん、「リトル」は実際スモーキィだけが入るのではなく、個々人ひとりひとりの物語のことになるのだが、やはり本書においてはスモーキィが最重要人物になると思うのだ。他の一族はあくまでも〈彼ら〉たちの物語に組み込まれている。この後、妖精の王や女王になりそうなニュアンスが含まれているオーベロンもシルヴィーも。アリスもソフィーもライラックも。ただ、傍観者であるスモーキィのみが最後の最後で(もちろん、ずっとスモーキィの物語を歩んできたのだが)「彼ら」の物語から外れたのではないだろうか、と思う。もしかしたら、スモーキィが行き着く先でも最後にはアリスに出会えるのかもしれない。ただ、そのアリスは、きっと〈彼ら〉が導いたアリスたち一族がたどり着く先にいるアリスとは別人なのではないだろうか。そう考えながら本書を読み終えたら、やるせない思いで胸がつまってしまった。『エンジン・サマー』でもそうだったのだが、ジョン・クロウリーには泣かされる。 まあ、上記のことはもしかしたら誤読かもしれないけど。ちょっと自信ない。 ただし、私としてはスモーキィが最重要「人物」ではあるのだけれども、あくまでも本書の主人公は〈彼ら〉=妖精だろう。真正面から書かれることは殆どないが、しかしこの壮大な「物語」の裏側には全て妖精が見え隠れしているのが最後まで読み通すとよくわかる。〈エッジウッド〉に住む一族たちも皇帝バルバロッサも妖精たちによって動かされる。他の昔からある妖精物語と同じように、本書でも妖精たちは基本的に善意でも悪意でもなく、気紛れで人間に干渉する。それは本書でも同じように見えるし、多分妖精たち個人個人(妖精にそういう意味での〈個〉があるかどうかは疑問だが)は実際にそうだ。そしてたまさかに贈り物(プレゼント)も贈るし約束もする。しかし、その実はその一つ一つの行動は妖精たちにとっても、生死をかけた問題から出る行動だったことがラストでわかるとそれがまさしく壮大な「物語」であり、数多の伏線が収斂されていく一点であることがわかる。この〈彼ら〉のための「物語」が紡がれていく中で、(一族たちは後に〈彼ら〉になるものの)あくまでも〈彼ら〉のための「物語」であったことがわかるのである。 これら全ての要素が多層的(しかもそれが立体として!)に織り込まれていく様はまさしく圧巻である。正直、読み解けているとは思えないし、今後この物語がほぼ読み解ける自信もない。その上、本書に組み込まれた作品群、寓意の数々は、まったく何故訳者が註をつけてくれなかったのか本当に怒りたくなるほどわからない。ひとまずルイス・キャロル『ブルーノとシルヴィー』、シェイクスピア『真夏の夜の夢』と付記するに留めておく。今後も気付いた点があったら追加していきたい。 ちょっとこの感想を読み返してみても、かなり頭の中がごっちゃになっているのがわかるが、徐々に整理していきたいと思う。 最後にこれも覚書程度で付け加えておきたい。 ジョン・クロウリーの著作一覧。 Novel 1975 The Deep 1976 The Beasts 1979 The Engine Summer 『エンジン・サマー』(福武書店) 1981 Little, Big 『リトル、ビッグ』(国書刊行会) 1987 Aegypt 1989 Novelty (Collection) 『ナイチンゲールは夜に歌う』(早川書房) 1991 Great Work of Time 「時の偉業」 1993 Antiquities (Collection) 1994 Three Novels (The Deep, The Beasts, The Engine Summer 合本) 1994 Love and Sleep Short Fiction 「異族婚」浅倉久志・訳 (S-Fマガジン 1996/12 No.486) 「メソロンギ1824年」浅倉久志・訳(S-Fマガジン1995/11 No.472) 「消えた」大森 望・訳 (S-Fマガジン 1998/3 No.501) 「古代の遺物」柴田元幸・訳(『夜の姉妹団』柴田元幸・訳(朝日新聞社)所収 ) 「雪」 Snow 酒井昭伸・訳 (日本版オムニ(Omni)1986/7 No.51) 「雪」 Snow 畔柳和代・訳 (朝日新聞社 Fools Rush In)
(2002年12月25日更新)
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