Diana Wynne Jones

『魔女と暮らせば』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/田中薫子・訳(徳間書店)

 ひねくれている。ような気がする。

 ここのところ10年以上いわゆる児童書とかそういうものから結構離れていたりした。まあ多少は(本当に多少は)読んでいたものの、昨今の流行りすたりはさっぱりわからなくなってしまった。で。最近流行っているらしいダイアナ・ウィン・ジョーンズを借りて読んでみた。まあ、〈ハウル〉シリーズなんかはジブリがアニメ化するとかしないとかいう話だそうだし。
 いやまあ、児童書って括りはあまりよくないと思うのだけれども。

 最近の児童書は妙にひねくれているんだなあ、というのが最初の感想。
 いやまあ、本書の一体何処がひねくれているのかはちょっと説明しにくいのだけれども、そう感じてしまったというだけで。うーん、でもやはり児童書としてはラストのあの衝撃の事実は珍しい気がする。勘の良い人にとっては、途中までで一応は予測がつかなくもないのだろうけれども。私には衝撃でした。びっくり。
 その上、本国ではずっと昔に出ていたものらしく、なおかつ本書も一度和訳されており、私が読んだのは新訳ということだった。最近の児童書じゃないのか、これ。ううむ。

 うーん。どこがどのようにひねくれているかは、ネタばれになるのでちょっと書けないのだけれども、しかし、色々と意外な展開であったので驚いた。しかし、この考え方ってファンタジーというよりかはSF的な気がしなくもない。ああ、その辺を書くと微妙なネタばれになってしまう。

 最近の子どもたちはこういうものが読めるとは。ぜいたくさんだなあ、まったく。オススメです。

 貸してくださったからもりさんに感謝感謝。

(2002年10月14日更新)
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『クリストファーと魔法の旅』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/田中薫子・訳(徳間書店)

 あいかわらずひねくれている。
 
 『MYST』というゲームをご存知だろうか。

 ……と書き始めたところ、皆さまにとっては読み始めたところで大変恐縮ではあるのだけれども、正直な所以下の文章は『MYST』をやっていない方は読まれないほうが良いというのが折角こんなところを読んでいる方には何とも失礼な私の意見である。というのも、『MYST』はまっさらな状態でやった方が良いからだ。もうまったく何も知らない状態でやった方が良い。
 けれどもまあ、もうゲームはやらない、『MYST』はやらないという方もいらっしゃるだろうから、そういう方はどうぞこのまま読み進めて頂きたい。いやまあ、そういう方はこの先読まれてもあまり面白くない気もするけれども……。ま、まあそういうことを言うとキリがないのでその辺は曖昧にしてとりあえず話を進めてしまうことにする。という断り書きをして話を最初から始めることにする。

 ――『MYST』というゲームをご存知だろうか。発売当時、綺麗なグラフィックスと難解な謎解きとで世間を騒がせたアドヴェンチャーゲームである。好評を博した『MYST』に続き、その続編にあたる『RIVEN』『EXILE』と今のところ「MYST」シリーズは三作出ており、熱狂的なファンがついている。
 輝ける星々が舞う宇宙を背景に一冊の本が落下して行くシーンからゲーム『MYST』は始まる。その本は焦茶の装丁に、『MYST』の文字。あなたがその本『MYST』に手をかけてページを開くと、左側の真っ白なページと、もう一方、上半分にウインドウのようなものがある右側のページが見えるはずだ。そのウインドウの中には、見たこともない島の上方からの景色が映っている。しかし、あなたがじっくりとそのウインドウを見ていると、飛んでいる鳥から見ているかのように、ある時は上空から、ある時は木々の間から、またある時は海岸線間際から、その島の景色が徐々に移り変わっていくではないか。そのウインドウの中の景色の移り変わりは徐々に速度を落としながら、波止場のようなところでついに止まる。一体この本は何なのだろうか――。あなたの手がそのウインドウに触れると、妙な音とともに視界はブラックアウトし、次の瞬間には、あなたは先ほど本の中で見た景色と一分も変わらない景色、つまりあの波止場に立っている自分に気付く。一体ここはどこなのだろうか。先ほどの『MYST』という本の中なのか。とりあえず、あなたは島内をぐるっと回ってみることになるだろう。しかし。いくつかの奇妙な建物はある
 が、この島には人が一人も見当たらない。一体ここは何処なのか。『MYST』という本は一体何だったのか――。
 『MYST』というゲームでは基本的に生身の人間は一切出てこない。生身の人間が一切出てこないばかりか、そもそもゲームの目的がわからない。ゲームについてきた取扱説明書は何処を見ても粗筋や世界観も書かれていないし、主人公=あなたは一体何をしていいのか何もわからない。島内には、何が何だかわからない装置が置いてある小屋があったり、島からちょっと離れた海にぽつねんと時計台が佇んでいたり、あやしげなロケットが置いてあったり。装置の使い方も何もかもがよくわからない。しかし、島の中を歩き回り、ヒントを集めそのヒントを元に仮説をたてていくことによって、一つ一つの仕掛けをどのようにすればどのようになるか、をプレイヤーが自分自身で考え試行錯誤の末に解けるようになっている。そして、その謎を一つ解いていくごとに、徐々にこのゲームのストーリーが見え始めて――。

 まあ、その先は『MYST』を実際にやって頂くのが良いのだけれども、もう途中は全て省いて話すと――ということでもう一度注意書きを残しておきたい。この先はあくまでも「MYST」世界の本当のネタばれになるので是非とも「MYST」シリーズを全てプレイして小説版「MYST」も読んでから、この先を読んで頂きたいのだ。まあ、先ほどと同じく「MYST」を既にプレイした人、確実にやらない人は先に進んで頂いて結構なのだけれども。

 ――もう途中は全て省いて話すと、この『MYST』の魅力というのは「本」なのだ。かつて史上稀に見ない発展を遂げた【ドニ】という文明が考え出したのが、〈世界〉と〈接続〉できる「本」である。【ドニ】の人々が考え出した特殊なインクと特殊な紙によって、そして特殊な文法をもった言葉でその〈世界〉を書き上げると、その〈世界〉に〈接続〉することができる本が出来上がる。つまり先ほど説明した『MYST』のような本が。その〈世界〉が果たして既存の〈世界〉に〈接続〉しているのか、はたまた〈世界〉を【ドニ】の人々が作り上げているのかはわからない。が、〈世界〉に〈接続〉できる「本」を作り、数多の、それはもう幾千通りもの〈世界〉へ〈接続〉することによって【ドニ】は富を蓄え富を使い、発展に次ぐ発展を遂げていった。しかし、その【ドニ】文明にもついに滅びの時が訪れる――。
 ゲーム『MYST』にも出てくる〈アトラス〉はこの【ドニ】文明の生き残りで、稀少な「本」の執筆者である。そして、『MYST』ではその〈アトラス〉が書いた「本」の世界を私たちゲームのプレイヤーは旅することができる仕組みになっている。この〈アトラス〉が書いた本で〈接続〉できるその多種多様な〈世界〉は大変独創的で、またそれが非常に綺麗なグラフィックスで描かれており、プレイヤーたちを魅了する。
 また、一体何をしていいのかわからない状態から、謎があるのを見つけ、仕掛けがあるのを見つけ、それが解けた時の喜びといったら。難解な数学の問題が解けた時のあの快感にかなり近いものがあるし、私にとってはこのゲームの謎が解けた時の方がその快感は大きかった。そして、それら多くの仕掛けを解いていくにつれ、徐々に見えてくるストーリー。「MYST」の裏に隠されたストーリーとその世界背景は非常に膨大で緻密なものである。実は『MYST』一作をやった時点では、この『MYST』というゲームのストーリーしかわからず、世界背景などは以前わからないままだ。翔泳社から出ている小説版「ミスト」である『ミスト アトラスの書』を読むと、この「MYST」シリーズの裏にある世界設定である【ドニ】文明のことが多少明らかになる。その独特な【ドニ】文明の歴史、社会の成り立ち、風俗、【ドニ】語の文法、数の数え方……。その、細部にまで至る緻密な設定が、この「MYST」シリーズの圧倒的な面白さを裏打ちし、綺麗なグラフィックスと難解な仕掛けに並び熱狂的なファンがつく理由の一つとなっているのは間違いない。
 そして、多分これら「MYST」シリーズのファンというのはきっと、「本」好きで「物語」好きに違いない。何と言っても、自分が読んでいる「本」の中に、自分が読んでいる「物語」の中に入ることができたら、というのは世界中の「本」好きかつ「物語」好きの共通の想いに違いない。多分。

 ちなみに、小説版「ミスト」は三部作であるのだが、日本ではまだ一冊目しか翻訳されておらず、翔泳社もどうやら続きを翻訳する気はないらしい。二冊目では【ドニ】文明は何故滅亡したのか、そして三冊目では『RIVEN』の後の世界について語られているらしいので、是非とも読みたいところである。もしゲームはちょっと、という方は小説だけ読まれても良いかもしれない。ゲームをやっていなくても十分楽しめるファンタジーである。ちょっと見つかりにくいけど。

 さて。
ここまできてようやく本書『クリストファーと魔法の旅』にくるわけなのだ。いつ戻ってくるんだろ、と思ったでしょ。ここで戻ってくるんです。いやまあ、戻ってくるっつうか、本書についてはここまで書いてまだ一言も触れていないのだけれども。あー、長かった。長かったから、何か書き方まで変わっちゃったよ。まあ、いいか。
 本書『クリストファーと魔法の旅』の細かい粗筋は話さないことにするが、本書を読んでいて思い出したのが先の『MYST』なのだ。さしてネタばれにならないと思うので書いてしまうが、本書の主人公クリストファーは〈あいだんとこ〉を通って、〈どこかな世界〉に行くことができる。ちょっとだけ本書から抜き出してみる。

 ――夢の始まり方は、いつも同じだった。クリストファーはベッドから起きあがり、子ども用寝室の突き出た暖炉の角をまわって、岩だらけの小道に出る。小道のわきは深い谷になっていて、緑に覆われている。谷の底には小川が小さな滝をいくつも作りながら勢いよく流れていた。――夢を見ているときは、〈あいだんとこ〉からは「だいたいどこでも」行けるとわかっていた。「だいたいどこでも」で「どこでも全部」じゃないのは、なんだか行く気になれない場所がひとつあったからだ。すぐ近くなのに、いつも行くのをやめてしまうのだ。そして〈あいだんとこ〉の斜面をすべったり、はいのぼったり、突き出している濡れた岩を気をつけながら横むきにはっていったり、のぼったりおりたりしているうちに、べつの谷の口が見つかるのだ。谷は何百もあるようだった。クリストファーはそうした谷のそれぞれの奥に広がる世界を、〈どこかな世界〉と呼んでいた――

 その〈どこかな世界〉は人魚が住んでいる世界から、巨大な熱帯の木々がある世界から、異教徒たちが暮らす世界から、それはもう多種多様な世界が広がっていて、そのそれぞれの〈どこかな世界〉をダイアナ・ウィン・ジョーンズは何とも魅力的に書き上げている。主人公クリストファーと共に〈どこかな世界〉を冒険することになる〈タクロイ〉が言うことには、クリストファー言うところの〈どこかな世界〉は世間では〈関連世界〉と呼び、その各々を〈第一系列の世界〉から〈第十二系列の世界〉と呼ぶらしい。これらの〈どこかな世界〉を行き来するクリストファーの小冒険が本書のネックとなっていくのだが――。どのようにネックになるかっていうのは、まあこれは実際に是非とも読んで欲しい。
 で、「MYST」では本によって、主人公たちが住んでいる世界と別な並行世界と行き来できるようになっていたが、本書ではクリストファーの類稀なる資質によって行き来が出来るようになっている。で。まあ、この〈どこかな世界〉ってのが私としてはツボなのだ。思いっきり『MYST』的な世界を想像しながら読み耽ってしまった。

 ちょっとネタばれ気味になるのだが、ちょっとだけ書かせてもらうと、本書はもちろんファンタジーだし、それはもうまぎれもなくファンタジーだと思うのだけれども、何となくSFっぽい気もするようなファンタジーなのだ。いや、もちろんファンタジーなのだけれども。SF風ファンタジーっていうか。いや、違うか。ファンタジーか。いやもう出てくる登場人物は〈魔法使い〉とか〈呪術師〉とか〈女神〉で、おもいっきりファンタジーなのだけれども。なのだけれども、ちょっと。ちょっとな。

 最後に出てくる手紙にちょっと笑ってしまいながら読み終えて。満足満足。いわゆる児童書ではあるけれども(いや「児童書であるから」か)、途中ある程度予測がつくものの、ラストに二転三転と謎が解かれていく場面はもう痛快。是非是非是非。っていうか、紹介してくれたからもりさんに感謝感謝感謝。

(2002年10月25日更新)
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『九年目の魔法』ダイアナ・ウィン・ジョーンズ/浅羽莢子・訳(創元推理文庫)

 感想書くのがかなり難しい。

 別に狙ったわけではなく、ただたんにタイミングがあっただけなのだけれども、奇しくも宮崎アニメの次々回作がダイアナ・ウィン・ジョーンズのハウルになったという正式な発表があった日に、同じ作者の『九年目の魔法』を読み終えた。いや、まだハウルは読んでいないのだけれども。まあ、ファンの間では前々から宮崎アニメになるというのは有名な話だったようだけれども、そういうわけできっとブームになる(というか、もうある程度はブームになっちゃっているけど、もっとなる)ので、そんな大ブームが来る前に読んでおきましょう、天邪鬼の人々は。ダイアナ・ウィン・ジョーンズを。

 と言っても、私からするとファンタジーが好きな人以外には薦めにくいのだけれども、逆にファンタジーが好きな人は読んでおいた方が良い作家だと思われるのでファンタジー好きは読め!

 ――ってところで終えたいところなのだけれども、それだと本書の感想になっていないのでとっとと本書の感想に入ることにする。ってこういうパターン多いな、私。

 まあ、まずは粗筋だけれども、いわゆる教養小説っていうのは粗筋を書く意味がほとんどないと思うので、粗筋を書くのは放棄してしまって。――と、放棄してしまいたいところなのだけれども、本書はいわゆるダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品なので、いわゆる教養小説に仕上がっているはずもなく、もちろんファンタジーになっている。のでちょっとだけ粗筋書いとこ。

 大学休暇中に実家で荷造りをしていたポーリィは読んでいる本の内容と作者が記憶と微妙に違っているのに気付き、妙な感覚にとらわれる。そういえば、ことの起こりは確か十歳の時の――。

 と。まあここまでがほんの冒頭の粗筋である。というかまあ邦訳で500ページある作品の最初の5ページの粗筋っていうかそれは粗筋って言わないとかいうな、そこ。
 で、まあこの後はポーリィが10歳から19歳に成長していくまでの物語(回想譚)が続いていくわけである。一応話の大筋はなんだか不気味な感じがするあしながのおじさんの話、とかそんな感じなのだけれども、別に不気味な感じがするのはあしながおじさんではない。あしながおじさんの周囲が何とも不穏当というか不気味なのだ。まあ、あしながおじさん自体は一応いいキャラなんだけど。

 読んでいない人にはわけのわからない感想になるのもよくないのでちょっと話を変えてみると、本書に出てくるあしながおじさんってのが主人公に本を送ってくれるわけなのだ。その辺が少年少女時代に本読んでいた人としてはツボにはいるところ。……なのだろう、と思われる。ああ、どうも歯切れが悪くて仕方ない感想だな、これ。

 仕方ないのでもう一度話を変えてみる。
 現代英国児童文学を語る時には欠かせないと言われるダイアナ・ウィン・ジョーンズは、まあもちろん児童文学というものも書くわけで、本書はいわゆるヤングアダルト向けまあ10代から20代前半あたりを狙って書かれたものかどうかはさておき、一応その辺を狙って書いたもののように私には思えたのだけれども、何となくそれまで私が抱いていた「児童文学作家」が書くようなものとは一線を画していた。なんだかそういう本にしては、キャラクターというか何というか何とも現代的な感じがした。ハリー・ポッターが現代的とか言われるけれども、あんなもんの比ではないっていうか比較対照が違うだけなんだけれども、それはさておけ。
 両親の離婚と、いつまでも「自分の」小さな幸せを追い続ける母親との距離感。「足並みが揃わなく」なってしまう仲の良かった友達、思春期になったことによる男の子との付き合い……十代の女の子の心の移り変わりが非常にわかりやすく、たくみに書かれている。のではないかなあ、と思われる。実際はこういうものかどうかわからないけれども(本当に歯切れが悪いな)。この母親とか、母親の再婚相手とか、父親とか、父親の再婚相手とか、活き活きというよりもあまり的確な表現を思いつかないのだけれどもまあ、現代的などろどろとしたキャラクターたちが、本書の成長小説としてのリアルさ、なのだと思う。

 うーん、あんまり現代的って言い方は良くないのだけれども、うまい表現方法が思いつかないのでご勘弁。

 でも、そんな現代的な成長小説をファンタジーに繋げるのは中々難しい気もするのだが、本書ではそれに成功しているのが驚きだ。というか、このポーリィの成長譚がこのように書かれていないと最後のラストまで持っていけない。まさしく本書はこの作者にしか書けなかった物語だったと言える。うーん、しかしこうなるとはなあ。いやはや。

 と、本当はここから本書のファンタジー的仕掛けについても書こうかと思ったものの、やはりそのへんは何をどう書こうとネタバレになってしまうので、どんなファンタジーになってしまうのかは実際に読んで貰う他ない。っていうかまあ、他の感想探せば多分書いてあるだろうけど。

 ということで、まあ現代英国児童文学を語るにはまずはダイアナ・ウィン・ジョーンズを読め! いやまあ、私は現代英国児童文学ってダイアナ・ウィン・ジョーンズしか知らんけど。というか、現代ファンタジーはダイアナ・ウィン・ジョーンズを抜いて語るなかれ?

 でまあ、以下蛇足。というか、未読の方で本書を読むつもりの方は読まない方がいいかも。

 本書は基本的に「英国ファンタジーであること」が物語の重要な部分なのだと思う。作者が翻訳を意識しているかどうかはわからないけれども、何となく英国の読者のことだけを念頭において書いている気がする。っていうか、それでいいというか当然のことだとは思うのだけれども。まあそういうわけで、やはりさほどファンタジーべったりではなかった自分にとってはなかなか、まあ、うん。
 ここのところ、立て続けに英国のファンタジーを読んでいるのだけれども、やはりアイルランドっていうかケルトはファンタジーの基本なんだろうなあとつくづく思わされ、そのあたりの自分の無知ぶりにほとほと呆れさせられるばかりである。ダンセイニさえも殆ど読んでない自分が読むにはちょっと勉強不足だったかもしれない、と反省させられた一冊でもある。
 まあ一応、詩人トーマスの話の概要程度は知っていたし、リンさんが送った本を数冊くらいは読んでいたため、あのネタバレのあたりで少しだけなるほどと思ったものの、やはり他のものも全部読んでいたのならばもっと面白かったのか、と思ったり。英国ファンタジー読むならば、最低でも『タム・リン』と『詩人トーマス』あたりは読んでおかないといけないのか、と思ったり。っていうか、ダンセイニももうちょっと読まないといかんのかと思ったり。正直なところ、そういう部分の印象の方が強いため、その辺がちょっと本書を判断するのの難しいところになってしまった。まあどうせその内エレン・カシュナーは読むつもりだったし、『詩人トーマス』は読んでおこうかな、と。そういう作者の仕掛けがどうこう、それとストーリーがどうこう、言う話も書こうかと思ったものの、さすがに眠くなったしそれ書き始めると長くなりそうなので今日はここまで。
 ということで、いろいろ考えさせられた一冊。

(2002年12月19日更新)
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